『なる程ナ。確かニこのギミックハ駄作ダナ』
「だろぉ?」
俺は腕を組んで深く頷き、我が意を得たりとばかりに破顔した。
あれから、恐らく2,500年ほどが経った。
正確に数えているわけじゃないから実際のところは分からないが、果てしない暗闇とチープな映像を前にして過ごすには、十分すぎるほどの年月だった。
最初は不気味で無機質なノイズを撒き散らしていたこの怪異——あるいはシステムとでも呼ぶべき存在——だったが、延々と俺のくだらない副音声や昔話に付き合わされているうちに、どこか毒気を抜かれたらしい。
今や、精神を殺しに来た処刑人としての威厳などどこへやら、完全に俺の映画鑑賞の連れと化していた。
そんな果てしない時間の渦の中で、俺はこの女の子……いや、この怪異と、ほんの少しだけ仲良くなっていた。
『シカシ…このギミックハギミックトシテの様相をなしていなイ。これでハ探索者ガ理由もわからズ死ぬだけではないカ』
「その通り。マジのクソシナリオ」
俺は白手袋を嵌めた手で大きく一つ拍手を打ち、同意の声をあげた。
「理不尽な初見殺しと理不尽な全滅。解法を導き出すための導線もクソもあったもんじゃない。探索者の観察力も判断力も嘲笑うような、ただの作者の悪意の煮こごりみたいなトラップだらけのクソシ」
『理解不能ダ……このような不条理な構造でハ、精神の磨耗ト破滅以外の結果をもたらさなイ……』
「だから当時はニャル様呼び出したんだよねぇ…向こうも『うちの探索者にどんなクソシやらせてんだ!!』クソキレてたし…ありゃ傑作だった」
「いやぁ…懐かしい懐かしい。沢山人は死んだけど。最後のあのクソ神の顔見れただけでアイツらも未練なく死んでるだろ」
『……正気ヲ疑ウ。邪神ヲ呼び出しテシナリオヲ破綻サセルなど、狂気の沙汰ダ』
『彼女』のノイズ混じりの声には、呆れと困惑、そしてほんの少しの感心が混ざり合っていた。
「ははっ! 狂気もなにも、あの状況じゃそれしか手がなかったんだって! テーブルをひっくり返すどころか、ゲーム盤ごと外部の怪物を叩き込んで粉砕したんだよ。あの時は楽しかったなぁ…」
スクリーンにはもはや当時の映像すら映っておらず、ただ薄ぼんやりとしたノイズの残像だけが揺れている。
「理不尽な悪意には、それ以上の理不尽をぶつける。それが俺のやり方だからな」
俺が過去を懐かしんでいると、彼女はふと思いついたように
『ドうシテ、ソコまで戦うノだ?オマエ程の実力者ナラ、神からニゲキル事も可能だろウ?確かに成功率ハソコまで高いものでハないかもしれなイガ、準備を進めれバ…』
空間を漂うノイズが、どこか問いかけるような揺らぎを見せる。2,500年という時間を共に過ごす中で、彼女なりに俺という存在の理屈を理解しようとし始めた証拠だった。
俺はポケットから手を抜き、白手袋の表面を軽く撫でながら、鼻で小さく笑った。
「逃げる……ねぇ……ま、確かに隠れて生き延びるだけなら、やりようはいくらでもあるかもね」
俺はスクリーンの残影を見上げ、ゆっくりと首を振った。
「でもさ、それじゃあつまんねぇだろ?」
『……ツマンナイ? ソレダケノ理由デ、死ト狂気ニ身ヲ晒スノカ?』
「うーん…それだけじゃないけど大体はそうかな。俺をこのクソみたいな理不尽に巻き込んだ連中が、高みの見物でニヤニヤしてるのが心底気に入らねぇんだ。逃げて生き延びたところで、そいつらの思い通りになった気がして反吐が出る」
俺は唇を歪め、不敵な笑みを浮かべて虚空を見据えた。
「負けた気がするんだよ。その逃げは」
『逃げる事モ重要ナ戦術なのだろウ?』
「あぁ、そうだな。撤退も回避も立派な手段だ。実際、俺も死ぬほど逃げ回ってきたしな」
俺は肩をすくめ、白手袋の指先をひとつ鳴らした。
「だがな、それは『勝つために逃げる』から戦術なんだよ。生き残るためだけに尻尾を巻いて、相手の掌の上で一生ビクビク逃げ隠れて生きるなんてのは……戦術じゃなくて、ただの屈服…そう思えてしまう」
俺は静かに吐き出し、ポケットから抜いた両手をまじまじと見つめた。白手袋の布地越しにも、その下に刻まれた数知れない血と泥の記憶が重く伝わってくる。
「それに、俺のために死んでいった仲間に示しが付かん。彼らは『俺を生かすことで未来の探索者を一人でも救う』と思って俺に命を預けてくれたんだ」
ぽつり、ぽつりと落とす言葉は、先ほどまでのふざけたトーンとは打って変わって、冷たく澄んだ熱を帯びていた。
「彼らも生きたかった。死にたくなんて無かったはずなのに、命の優劣を決めて。託した」
『……託シタ……?』
「そう。命を差し出して、未来を俺に丸投げしていきやがったんだよ。勝手に期待して、勝手に笑って死んでいった。そんな重ぇバトンを持たされた俺が、クソ神から隠れ潜んで死んだふりなんてできるかよ。俺が逃げ切って満足した瞬間、あいつらが命を投げ打った意味が消える…そんな気がするんだ」
「そんな生き方してたら俺の主にぶっ飛ばされちまうしな。多分師匠たちよりも怒るんじゃないかな」
周囲を覆う暗闇と明滅するノイズが、俺の言葉に押されるようにかすかに引いていく。
「それが俺の考える"大人としての責任"って言ったところかな」
俺は白手袋の手をほどき、自嘲ぎみに口角を上げた。
『オトナノ……セキニン……』
彼女の声が、虚空でぽつりと跳ねた。これまで聞いてきたどんな専門用語やシステム言語よりも、その言葉を理解するのに戸惑っているようだった。
「そう。子供は自分の命だけを守って泣いて逃げ出せばいい。だけど、誰かの犠牲の上に立っちまった大人は、その命の重さごと泥を被って前に進まなきゃならねぇんだよ」
俺は肩をすくめ、小さくあくびを噛み殺した。
「あくまで持論だ。そんなに重く考えなくてもいい気はするぜ?」
『……オモク、カンガエナクテモ……イイ……?』
不器用に明滅するノイズの影が、まるで拍子抜けしたかのように小さく揺れた。2,500年もの間、俺の語る荒唐無稽な人生劇を間近で聞き続けてきた彼女にとって、その最後の軽快さは理解しがたいものだったらしい。
「おうよ。背負うもんは勝手に背負ってりゃいいが、それをいちいち顔に出して悲壮感漂わせてたら、それこそ死んでった奴らに笑われるだろ? 『お前そんな暗い顔させるために命投げ出したんじゃねぇよ』ってな」
俺はヘラッと笑い、白手袋の指先でかるく鼻の頭を擦った。
「だから俺はヘラヘラ笑いながら、図々しく生き延びて、最後にクソ神どものツラを張り倒す。それだけで十分なんだよ」
『……理解ハ、完全ニハ出来ナイ。ダガ……』
途切れ途切れだった機械的な不協和音が、ふっと凪ぐような静けさを取り戻す。
『オマエガ、折レルコトハナイノダト……ソレダケハ分カッタ』
「ま、折れたら地獄で仲間に殺されるだろうしねぇ……それに自分を許せない気がするわ。」
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「なるほどなぁ…でもそれだとニャルが来ないのはおかしくないか?」
『うぅむ…確かに…』
あれから1億年程、俺と怪異は今の俺の状況を組み立てて、遊ぶようになっていた。
議題は「俺がバグを殺してもニャルが一向にシナリオクリアを報告しない理由」
「だろ? あいつの性格からしてさ、俺が盤面ぶち壊してドヤ顔決めた瞬間には、頼んでもないのに速攻で拍手しながら現れるはずなんだよ。『やあやあ見事なシナリオだったねぇ!』とか胸糞悪い笑顔浮かべてさ」
俺は白手袋の指を一本立て、虚空に向かって振り振りと揺らした。
「それが一向に来ない。ってことはだ……考えられる理由は三つ」
『……3つ?』
ノイズの影が、身を乗り出すようにかすかに明滅する。かつて精神をすり潰す拷問者だった彼女は、今や完全に俺の考察セッションの「共同研究者」と化していた。
「ひとつ、俺がクリアしたことすら気づいてないか遮断されてる。ふたつ、単に遅刻してるか他の探索者を弄ぶのに忙しくて忘れてる」
「そして3つ目。俺が戦ってたコイツがバグじゃない可能性」
そう見上げるとスクリーンには俺とミレニアムで戦ったあのバグがいる。
『うぅむ…それでもお前と相対したほかのバグとほぼ同じではないか』
「そ~なのよ…しかも小さい差異しかないし、共通点があるとも思えないのよ…」
俺は腕を組み、顎に手を当ててスクリーンを睨みつけた。無機質な光が、白手袋の表面を青白く照らしている。
「見た目も挙動も、俺がこれまで潰してきた連中と九割九部は一致してる。だがな、あのニャルが気まぐれを起こさずに黙りこくってるってことは、この個体だけ『何か』が決定的に違うはずなんだ」
『特異性…のような?』
「そう。例えば……本物のバグじゃなくて、バグのフリをした『システム側の正規の処理』だとか、あるいは」
俺はチラリと隣の彼女——かつてはただの怪異だったノイズの影——に目線をやった。
「お前みたいな『システム内部の監視者』を炙り出すための、大掛かりな撒き餌だったり……な」
ふと口をついて出た仮説に、俺は自分で言っておいて首を振った。
「いや、それは言いすぎだな。すまんすまん。考えすぎたわ」
冗談めかしてひらひらと白手袋の手を振る俺に対し、隣の彼女——かつて俺を絶望に突き落とそうとしていたノイズの影は、思いのほか真剣な様子で沈黙していた。
そして、不器用に明滅する光を深めながら、ぽつりと呟いた。
『いや……あるかもしれん』
「……マジで言ってる?」
俺は思わず動きを止め、眉をひそめた。
『そもそも私の使命としては『お前を殺すこと』だ』
彼女——これまで機械的なノイズ交じりの声しか発していなかったはずの怪異の口から、俺から吸収した澄んだ言葉が紡がれる。
『ならばなぜ、生まれてから何も分からない私がお前のことを殺す? そんな使命が、なぜ私の頭の中に最初から存在している?』
「あー……確かに考えてもみなかったな。でもよ、そんな事は結構あることじゃね? 理由もなく殺しに来る奴だって、これまで腐るほどいたし」
俺は白手袋の手で後頭部を掻きながら、軽く肩をすくめた。
だが、彼女は引き下がらなかった。その光の輪郭を僅かに揺らし、静かだが確かな意志を込めて俺を見つめ返す。
『勿論仮説だ。だが……そう考えると、辻褄が合わないか?』
「……なくはないけど……でもそれだとそいつがバグじゃなくて……」
喉の奥で、言葉が引きつるように引っかかった。
いや……あり得る。可能性として、それ以上に筋の通ってしまう答えがある。
だが、それは……そんな結末は……
『……バグではないのなら?』
澄んだ声が、静かに核心を穿つ。
「…………」
俺は返事ができなかった。
白手袋を嵌めた両手を強く握り締め、指先に爪が食い込む感触に耐える。
2,500億年と1億年という途方もない狂気をヘラヘラと笑い飛ばしてきたはずの思考が、冷たい氷の針で貫かれたように固まる。
『……お前は、何を恐れている?』
静寂の中、彼女の問いかけが優しく、けれどどこまでも鋭く響く。
俺の沈黙の意味を、俺が何を悟って絶句しているのかを、彼女は深層の思考領域で理解し始めていた。明滅していた光が、憐憫と絶望の混じり合った色へと揺らぐ。
『……そう言うことか……なんて……残酷な……』
スクリーンに映し出された異形の姿。
俺が「バグ」と呼び、叩き潰してきたはずの存在。
それは…その正体は
世界の免疫機構そのものの可能性
「……あぁ。そういうことかよ」
俺は顔を覆い、掠れた声で乾いた笑いを漏らした。
このシステムや世界にとっての「
「…いつものちゃぶ台返しかぁ…流石に今回のそれはないと思っとったなぁ……」
自嘲気味にその結論を噛み締めようとした俺の思考を、彼女の静かな声が遮った。
『…違うぞ』
「…何が?」
顔を上げた俺に、彼女はゆっくりと声をかける。
『…確かにお前はバグなのかもしれない。だが、お前はお前なのだろう?』
ノイズの影だったはずの彼女の輪郭が、微かな光を帯びて俺をまっすぐに見つめていた。
「俺が、俺……?」
『システムが何を「正常」と定義しようと、お前が背負ってきた仲間たちの想いや、2,500億年積み重ねてきた意思までが偽物になるわけではない。お前が狂気を使ってでも生き残り、抗い続けてきた事実は、誰にも書き換えられない』
彼女の言葉は、冷え切りかけた俺の心底に静かな熱を灯していく。
『世界にとってお前が異物なのだとしても、お前がその手で選んできた道に嘘はなかったはずだ…………私には、恐れる理由が分からない』
『お前は何時だってそうやって前を向いたんだろう?』
「…チゲぇねぇや」
そうだった。俺が恐れていたのは、自分がバグであることでも、世界を壊していたことでもない。
「仲間たちの想いを背負っていたつもりが、全部ただのひとりよがりだったんじゃないか」という、自分勝手な身勝手さに怯えていただけだ。
だが、そんな弱音すらも、1億と数千年の狂気を共に過ごしたこの「怪異」は見抜いていた。
「まさか神話生物に慰められるとはなぁ…探索者人生初だ」
『慰めたつもりはない。ただ、お前という存在の事実を整理して突きつけただけだ』
彼女の声には、どこか呆れたような、けれど確かな温もりが混ざっている。
かつて俺の正気を削り取りに来たはずの異形は、1億年という果てしない時間のなかで、いつしか俺の最も深くまで知る「相棒の一人」になっていた。
「違いない。理屈っぽくなったもんだな、お前も」
俺が呆れ半分に笑うと、彼女の光がほんの少しだけ寂しげに揺れた。
『…そろそろ別れの時間だ。お前のよく知る人物たちが迎えに来ている』
「マジ? 先生たちかな…お前も来るか?」
俺は何でもないことのように誘いかけたが、彼女はゆっくりと首を振るように、光の明滅を弱めた。
『いや…私は行けないだろう。なにせここまで自我を獲得してしまったんだ。お前と同じバグとして認識されているだろう』
淡々と告げられる言葉に、俺の差し出した手がぴたりと止まる。
『私はお前と違って弱い。消えてしまう』
「……そっか」
俺は伸ばしかけた手をゆっくりと下ろし、白手袋の手を深くポケットに突っ込んだ。
……薄々気づいていた。なにせ俺は「
システムが異物をどう処理するか、エラーを起こしたプログラムがどんな末路を辿るか、嫌というほど見てきた。
1億年と数千年の間、システムの一部でありながら自我を持ち、俺という凶悪なバグに感化されてしまった彼女。システムから見れば、彼女も優先して除去すべき感染体だった。
「俺に付き合ってバグになっちまったんだ。俺が連れ出せるわけねぇよな……」
自嘲気味に呟く俺の前で、彼女の輪郭を形作っていた光が、さらさらと砂のように崩れ始めていく。
『後悔はしていないぞ。お前と過ごした時間は……私にとって、唯一の存在理由だった』
「…はぁ…こんなんだから
昔の仲間たちもそうだった。
命を差し出し、俺に未来を託す瞬間、誰も彼もが満足そうな、吹っ切れたような顔をして消えていった。
そして今、1億年以上の時を共にしたこの怪異まで、同じように笑って消えようとしている。
「勝手に納得して、勝手に満足して、俺に重いバトンだけ握らせて逝く。ほんと、どいつもこいつもしぶとく生き残る側の気持ちなんて考えちゃいねぇよ」
『……ふふ。お前なら、その重さを背負ってでも前に進めると分かっているからだ』
消えゆく光の粒子の中から、どこか愛おしむような、穏やかな声が響く。
俺は口元を歪め、ポケットの中でぎゅっと拳を握り締めた。溢れ出そうになる感情を全てその白手袋の内に押し込め、ヘラッとしたいつもの図々しい笑みを貼り付ける。
「じゃーな……退屈しのぎには十分すぎる時間だったぜ」
『ああ……いってらっしゃい、探索者。お前の行く道に、どうか祝福を』
最後の光が静かに弾け、暗闇の中に溶けて消えた。