次元の亀裂を抜けた僕の視界に飛び込んできたのは、神との凄惨な戦場ではなく、どこか空虚な静寂が漂う終局の光景だった。
真っ先に目に入ったのは先生の姿。ホシノ達に支えられた状態で僅かに動く左腕で手を振る。通信越しにアヤネの声も聞こえる。
「これは…勝ったの?」
「ん、楽勝だった」
「…にしてはボロボロだけどね〜、シロコちゃん?」
服の所々が破れ硝煙で汚れたシロコが後ろから声をかける。全員無事…とは言えないが犠牲者は出てないようで何よりだ。
体内の時間は止まっている。存在の気配すらも『奈落』と神の術によって希薄になり、今の僕はまるで世界から浮いた幽霊のようだ。
でも、皆は気づいてくれた。
「どうして…私の方が沢山経験を積んできたのに…」
「戦って、藻掻いて、生き抜いて…なのにどうして…こうなってしまったんだろう」
「まだ…足りなかったのかな…」
自身の敗因を探る黒いシロコに、先生は近寄る。僕達の知るシロコは近づくべきではないと言いたげな表情で先生を見つめるも彼はただ「大丈夫」とだけ言い、更に歩みを進めていく。
「ああ…そうだった。伝えたい事があるって…言ってたよね、先生」
「何を───」
"教えてほしいんだ、シロコ"
「…何を?」
"一体、『何』があったの?"
先生の言葉に黒いシロコは「どうして?」と問う。世界を滅ぼす為に来た自分に何があったのかを聞く、その理由が分からないようだった。
「何か、事情があると、思ってるの?世界を滅亡させようとする…私に」
「どうして…先生はどうして、そんなに…」
"先生が生徒を信じないと、何も始まらないからね"
"大人だから、皆を信じたい"
「…………」
暫し沈黙した後に黒いシロコは俯いていた顔を上げ、オレ達が居る…アビドスの生徒達が居る方へと視線を寄せる。
「……!」
数秒凝視したかと思えば、再び彼女の顔は地面に向けられる。僕を含む全員が彼女の行動に警戒する中、ふと聴覚を澄ましてみると、何処からか啜り泣く声が聞こえ始める。
その声の出所は───
「う……ううっ……っ……!」
…黒いシロコ。今まで表情筋を何一つ変える事の無かったのが嘘のように、悲壮で歪み、涙でグシャグシャに濡らした顔は抑え込んでいたものが一気に決壊したとしか思えない状態だった。
「うあああぁぁぁあああ───!!!!」
「あああぁぁぁあああああああ───!!!!」
「あああぁぁぁぁぁあああああああ───!!!!」
慟哭が、辺りに反響する。地面にうつ伏せになり、拳を何度も叩きつけながら。
「……」
「…!?」
「あっ…!?」
「結局、向こうにも事情が…」
ホシノが、ノノミが、シロコが、セリカが、唖然としたまま動かない。
「わ、たし…わたし、の、せい、なの…!」
「わたし、が、いるから、せかいが…滅亡、した…そんな、こと、望んで、ないのに…」
「こんな結末、望んで、なかった…」
「先生を、殺したく、なかった…!」
「ごめん、なさい…わたし、は、こんな…」
「最後、まで、やり通せもしない、意気地なしで、ごめんなさい。でも、私は、もう…だめ…むり、だよ、もう…」
「わたしの、せい…すべて、は、わたし、がアビドスに、いたせい…」
「わたし、が、いなければ…」
「わたし、さえ、いなければ───!!」
「自分が居たから」、「自分の所為で」。ただひたすらに自分を責め立てる姿は全ての責任は自分にあると思い込んでいる。
……そんな事は決してある訳がないのに
「こうなると、分かって、いたら…もらう、べきじゃ、なかった…」
「さむくて、おなかへってて…なんで、ここにいるのかも、分からなくて…」
「でも、あたたかくて…」
「あたたかい、から…もう、これ以上、さむいのは、イヤ、だから…」
「さみしい、のは、イヤ、だから…!」
「私が、間違っていたの…あの時、マフラーをもらわずに、そのまま、倒れていたら…」
「どうせ、こうなって、しまうのなら…」
「そうしたら…私が…早く、その事に気付いていたら、先生は───皆は、生きて、いたかも、しれないのに」
「私が、ここにいるから…私が、間違ったせいで…!」
「ごめんなさい…先生を殺して…世界を滅ぼして…ごめんなさい…」
「先生が…色彩に、飲み込まれて…」
「私を、ここに呼んだの…全ての世界を、消す為に」
「私は…わたし、は…」
先生を殺し、世界を滅ぼした。彼女の言う事が本当ならば許されざる事。だが、きっと向こうにも事情があったのだろう。足りなかったんだろう。
…サイコロを振らせても貰えなかったんだろう
「ど、どういう事なの…!?」
「…ま、まさか」
「…別の時間軸の私が経験した事、みたい」
「はい…!?」
「なっ…それって…!」
「世界が滅亡…?先生が…?」
「……」
割れた仮面の奥から、僕はその光景を静かに見つめていた。
六花月に入る力が自然と増す。
"…シロコは…ずっと、苦しんでいたんだね。"
苦しまない方がおかしい。
痛む心など持たない、人の形をした化け物をよく知っているからそう思う。
泥をすするような悲劇の中で、それでもたった一人で「責任」という名の重荷を背負い続けて崩れ落ちた少女。
「…そっか」
「おじさんさ、『シロコ』の眼差しが、ずっと気になってたんだよね…」
「でも、今の先生の言葉を聞いて、やっと分かったよ」
「あれは…『シロコちゃん』は絶対にしない眼差し」
「でも、何処かで見た事があって…懐かしい感じがしたんだ」
ホシノの静かな言葉が、硝煙の混じる空気に溶けていく。
——ああ、やっぱりそうだ。
僕は、止まったはずの心臓が不格好に熱を帯びるのを感じていた。
ヒーローになれなかった
神様が僕に与えた、たった数分間の「ボーナスステージ」
背負うべきものの重さに押し潰され、自分を呪いながら消えていこうとするその背中は——あの日、世界を見切って泥の中で足掻いていた、僕自身の姿そのものだった。
「……ったく…」
時を止められた僕の足音が、戦場の静寂の中に、小さく、けれど確かに響き始める。
「…お前と一緒だな。ホシノ」
「うへ〜そうだねぇ…」
静かな沈黙の中、黒いシロコは胸元を小さく開け、掠れた声を漏らす。
「…マフラー」
「あなたは、まだ持ってるんだね」
自らの胸元にある赤い布地に指を這わせ、どこか遠い目をした。
「私は…何処にやったんだっけ」
「思い出せない…いつ、それを失くしたのかも…もう、分からない」
「凄く大切だったのに、どうしてだろ…」
消え入るような声で、少女はぽつりぽつりと絶望の軌跡をなぞっていく。
「ホシノ先輩が、死んだ後だっけ…」
「セリカが行方不明になった時…?」
「それとも、アヤネが生命維持装置を外した時?」
「ノノミが、アビドスを離れて『そうなった』と連絡をもらった時?それとも───」
「───先生が、もう蘇生の可能性が無いという連絡を、もらった時?」
重く、冷たい静けさが、その場にいる全員の呼吸を凍りつかせる。
ひとつ、またひとつと叩きつけられる悲劇の羅列。それはあまりにも残酷で、救いのない「IF」の終着点
言葉を失うアビドスの面々。先生すらも、その痛みに胸を締め付けられるように息を呑む。
その重苦しい静けさを切り裂いたのは、一歩前へ踏み出す、重厚な装甲の金属音だった。
「……なぁ、シロコ」
低く、けれど通りやすい声が戦場に響く。
割れた赤銅色の仮面。ボロボロの体を引きずりながら、僕は一歩、また一歩と傷だらけの少女へと歩み寄る。
その問いかけに、黒いシロコは涙に濡れた顔をゆっくりと上げる。
「…なに?」
虚ろで、全てを諦めきった瞳。
そこに、自分の命を削り切った「凡人」の歪な姿が映り込む。
僕は六花月を地面に突き立て、自らの不格好な「終わり」を背負いながら、静かに、そして力強く言葉を紡いだ。
「……確かにお前の旅は辛くて、しんどくて、クソみたいな旅だったんだろうよ」
「そりゃ、僕が想像付かないぐらいに、説明できないぐらいに、語られたくないぐらいに」
「だけど、全部がそうだったわけじゃないだろ」
「ぜ、んぶ…?」
涙で濡れた黒いシロコの瞳が、困惑と揺らぎを帯びて僕を見上げる。
「最初から最後まで絶望だったのか?楽しくなかったのか?違うだろ。お前は」
割れた仮面の奥から、僕は溢れ出しそうな血を飲み込み、力強い眼差しを彼女にぶつけた。
「寒くて、お腹が空いてて、何も分からなかったあの日……ホシノからマフラーをもらった時。みんなでアビドスの砂漠を駆け回って、くだらないことで笑い合って、暖かさを知ったその瞬間まで……全部を『間違い』だったなんて、吐き捨てるなよ」
「っ……あ……」
「失ったからって、破滅したからって、その途中にあった温もりまで偽物になるわけじゃない。お前が過ごしたその愛おしい日々は、お前が誰かを愛して、誰かに愛された証拠だ。それを自分自身で『存在しなければよかった』なんて呪うんじゃねぇ!!」
ホシノが、シロコが、先生が、息を呑んで僕と黒いシロコを見守っている。
「それは彼女たちに失礼だ!!僕たちは止まることを許されない!!だから!!だから!!」
「…っ!」
「そんな……そんな……自らを…苦しめることをいうんじゃねぇ……」
絞り出すような僕の声に、張り詰めていた感情が泥のように溢れ出す。
「過ぎ去った過去を、散っていった仲間の想いを、全部『自分がいたせい』なんて言葉で塗り潰すな……! それじゃあ、お前のために戦って、お前を生かそうとしたアイツらの選択まで全部間違いだったことになるだろ……っ!!」
身体の時間は凍りついている。死のカウントダウンも止まっている。
なのに、胸の奥で渦巻く感情の熱さだけが、魂を内部から焼き尽くしそうだった。
「救えなかった……護れなかった……そんな悔しさも絶望も、全部抱えて泥をすすってでも生きろ!! 止まるな!! 自分を呪って立ち止まることだけは……絶対にするんじゃねぇ……!!」
黒いシロコの瞳から、ポロポロと大きな涙の粒がこぼれ落ちる。
「わたし……わたしは……っ」
「自分を責めるなとは言わない……忘れろなんて口が腐っても言えねぇ……! だけどな……っ!!」
僕は血の味のする唾を吐き捨て、彼女の目の前で、傷だらけの拳を力強く握りしめた。
「お前が生きて、息をして、また誰かと温もりを分かち合うこと……それだけが、散っていったアイツらの未来を無駄にしない、それが『報い』なんだよ……!!」
「それで…!それで…!地獄で報告してやるんだ!!『お前らの分まで生きてやったぞ』って!!『お前らの判断は決ッして間違ってなんかいなかった』って!!」
血を吐き出すような叫びが、世界の破片が漂う虚空を、そして傷ついた少女の胸の奥底を激しく震わせる。
「……っ、ああぁぁぁ……っ!!」
途中で終わりを迎えた仲間の決断を、無価値なものにしないために。
託された命を「間違い」にしないために。
立ち尽くすホシノたちアビドスの面々も、傍らで見守る先生も、誰も言葉を発することができない。
「立てシロコ!!お前は──」
そう、呟いた途端だった。突如として箱舟全体が激しく揺れ、周囲の空間が禍々しい赤に染まる。
「なっ、何よこれ!?」
セリカの悲鳴のような声に、ホシノが眼光を鋭くした。
「プレナパテスが…動いてる」
今まで一寸たりとも動く事の無かったプレナパテスがゆっくりと立ち上がる。その異形から放たれる圧力が、崩壊しかけた管制室を威圧する。
通信機からリンの緊迫した声が響いた。
"『アトラ・ハシースの箱舟』の全エネルギーがプレナパテスに集中している…!?"
「…そりゃ早く止めないとマーズいな…?」
ホシノが武器を構え直す。その時、爆風を切り裂いて新たな人影が滑り込んできた。
「先生っ!と、とりあえずここに来たんだけど大丈夫なんだよね!?」
「美食研究会、只今到着致しましたわ」
箱舟が徐々に崩壊し、天井から巨岩のような瓦礫が落ちてくる中、箱舟の各所で奮闘していたゲーム開発部と美食研究会も管制室へと到着したらしい。
『対策委員会、ゲーム開発部、美食研究会の皆さん…そして、先生。探索者』
ノイズの混じる通信の向こうで、リンの声が必死に叫ぶ。
『私の声が届いていますでしょうか?こちらは皆さん脱出しました!箱舟は、間もなく完全に崩壊します!!』
『『脱出シークエンス』の準備は出来ていますので、急いで脱出をお願いします!こちらも続きますので!!』
どうやらアヤネとリンを除くオペレーター組は全員脱出に成功したようだ。残された転送の残り回数は、この箱舟に残っている奴らと同じ——17回。
「そうなのですね…それではまず、フウカさんから行きましょうか」
ハルナの言葉とともに光が弾け、フウカの姿があっという間に消える。残りは間違いじゃなければ…16回。
16回か…そうか。
割れた仮面の奥で、僕は静かに胸の内で数を数えた。
集まった生徒たちの数、先生、そして黒いシロコ。全員の顔を一人ずつ視線でなぞっていく。
『先生。私がウトナピシュティムの主砲で、火力面をサポートします』
『ターゲットはプレナパテス。ですが、ロックオンから発射まで時間がかかります』
『それまで…どうか耐えてください』
『『箱舟』は、主砲の攻撃で粉々になると予測します! 攻撃後は急いで全生徒を避難させてください!』
リンの緊迫した声が通信越しに響き渡り、崩壊のカウントダウンが静かに、けれど確実に刻まれていく。
"…分かった。行くよ、皆!"
先生の声に呼応し、生徒たちが一斉に動き出す。その混乱と激動の渦中、僕は割れた赤銅色の仮面の隙間から、まっすぐに先生を見据えた。
「先生!! こっちに『シッテムの箱』を!!」
"っ!"
言葉の意図も、具体的な策の提示も一切ない。それでも先生は躊躇うことなく、その手にある『シッテムの箱』を僕に向かって高く放り投げた。
思考よりも早く、止まったはずの僕の体が動く。空中で描かれた軌道を追いかけ、傷だらけの指先でそれをしっかりと受け止めた。
言葉なんていらない。理由も、説明も不要だ。
この期に及んで僕にそれを託した——ただそれだけの事実が、どれほどの信頼を物語っているか。
「……ハッ、ほんと……甘いんだから、先生は」
仮面の奥で吐き捨てるような苦笑が漏れる。それだけで、胸の奥に燻っていた不条理な熱量が、再び爆発的な炎となって吹き上がった。
「プレナパテスを妨害する!! 頼むぜ!!」
確信があったわけじゃない。
時間も、命も、存在の根底すらも枯れ果てかけたこのボロボロの凡人に、神の領域の端末たる『シッテムの箱』を真に扱い切れるかどうかなんて、わかるはずもなかった。
けど——動かせると思った。