ユウカが嵐のように去り、バタンと扉が閉まった後の部室。
静寂を破ったのは、探索者の深く、重い、魂が削れるような溜息だった。
「……さて。先生、帰りましょうか。これ以上ここにいても、IQが伝染して事務処理能力が低下するだけです」
「ちょ、ちょっと待ってよ探索者さん! 今『二週間』ってユウカに言ってくれたじゃない! 味方してくれたんでしょ!?」
モモイが縋り付くように叫ぶが、探索者はゴミを見るような目で彼女を一瞥した。
「勘違いしないでいただきたい。私は『死刑執行までの手続きを法に則って延長した』だけです。……二週間後、プライズに落選した貴方たちが、言い訳の余地なく解体される姿を確実にするためのね」
「うぐっ……相変わらず目が笑ってない……!」
探索者はチラリと先生の方を見ると、視線が合う。
先生は、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「……」
探索者は小さく息を吐くと、視線を外し、床に転がっていた『テイルズ・サガ・クロニクル』のパッケージを拾い上げた。
彼は内ポケットから、ビジネス用にしては無骨なマルチカードリーダー付きのポータブルSSDを取り出すと、慣れた手つきでカセットの端子部を清掃し、スロットへ差し込む。
「えっ、な、何してるの探索者さん!? そのゲームのデータをどうするつもり!?」
「……まさか、売るの!?」
モモイが悲鳴を上げると、探索者は心底不快そうに眉を寄せた。
「売らねーよ。 こんな前時代の遺物、二束三文にもならんでしょうが」
探索者は古びたスマホを取り出す。SSDに繋ぎ、専用のダンピングソフトを起動させた。画面上をプログレスバーが高速で駆け抜け、バイナリデータがログとして流れていく。
「……いいですか。二週間でプライズを取るというなら、今の貴方たちの『素人仕事』では到底間に合わない。……今、このカセットから直接ダンプした生データを、多重暗号化したクラウド経由で私の『友人たち』に送った」
「だんぷ?たじゅうあんごうか?」
モモイがアホ毛を揺らしながら、きょとんとした顔で首を傾げる。
「……ゲームデータをそのまま彼らの元へ送ったということです。本来は局の監視を掻い潜り、『闇ゲーム』を違法配信する際に使われる秘匿手法ですが……今回はそいつらだけに限定して送ったので、実務上の問題はありません」*1
「や、闇ゲーム!? なにそれ怖い!」
「ってかお前ゲームクリエイターだろ!?それぐらい分かれよ!!」
探索者の容赦ないツッコミが部室に響き渡る。モモイは「うぐっ、専門外だしぃ……」と縮こまった。
「友人……たち?」
ミドリが不安そうに尋ねると、探索者はおよそ「友人」と呼ぶには個性的すぎる三人の忌々しげに眺めた。
「ええ。一人はお人好しの小児科医だが……あいつは多重人格者だ。ゲームを始めれば性格が豹変し、時折ゾッとするほど無慈悲な『攻略者』になる。 ゲームキャラのお約束であるワープをあらかじめ潰しておき、逃げ場を失い泣き叫ぶ相手に、一切の躊躇なく必殺技を叩き込むような所業を平気で行う怪物ですよ」
さらに、探索者は隣の紫色の禍々しいアイコンを指差し、心底嫌そうに言葉を継ぐ。
「……もう一人は、性格も頭も、ついでに言動も救いようがないが、プログラムやゲームクリエイターとしては文字通り『神』を自称するだけのことはある男だ。ただし、あいつの辞書に"倫理"なんて言葉は微塵も入っていない『命は大切だからバックアップを取ろう』と平気な顔して抜かすような男だ。奴の修正案に、決して心を期待してはいけませんよ」
「人格……バックアップ……」
双子が顔を見合わせてガタガタと震え上がるが、探索者は構わずに、説明を続ける。
「……そして最後の一人。クソゲーを愛し、クソゲーに愛された、この世で最も往生際の悪い男だ。重度のカフェイン中毒者で、効率的に摂取するためにエナジードリンクを加湿器に入れて呼吸するような変態ですよ。 どんな理不尽なバグだろうと、こいつが"攻略可能"と判断すれば、それはもはや攻略本が完成したも同義だ」
「エナドリを……呼吸する……?」
「もう嫌だ、まともな人が一人もいない……」
モモイたちが絶望に暮れる中、探索者は死んだ魚のような目のまま冷たく言い放った。
「……あいつらは、ゲームに対する執着が底無しだ。マリアナ海溝でも測れない」
探索者はタブレットの画面を一瞥し、淡々と続ける。
「そんな連中が、わざわざ手間をかけて問題点を指摘してくれる。……こんな機会、本来ならあり得ない」
「……その上で言っておく」
「そんな連中の評価は、有象無象のネットの声とは比べる価値もない……強いて言うなら、五億倍は重い」
部室が静まり返る。モモイも、ミドリも、何も言えない。
ただ、その言葉の重さだけが残る。
「……貴方たちのゲームを、一度でも“クソゲーという言葉以外”で評価した人間がいましたか?」
「──っ」
「いないでしょう。だからこそ──あいつらに見せる価値がある」
沈黙。
重い、逃げ場のない沈黙。ミドリが俯いたまま、小さく呟く。
「……でも……そんな人たちに見せて……ダメだったら……」
「諦めがつくでしょうね」
あまりにも冷たい答え。その一言が、完全に逃げ道を塞いだ。
「……っ」
モモイの指が、ぎゅっと握り込まれる。
震えている。悔しさか、怖さか、それとも──
「……じゃあさ」
顔を上げる。目は、もう逸らしていなかった。
「その“ヤバい奴ら"に見せてさ……それでボロクソに言われたらさ……」
「それ直せばいいんでしょ?」
ミドリが息を呑む。
探索者は、ほんのわずかだけ口角を上げた。
「理屈としては、そうなりますね」
「じゃあ——」
モモイは涙を乱暴に拭って、笑った。強がりで、でも確かに前を向いた笑い。
「やるしかないじゃん」
その一言は、さっきまでの空気をぶち破るには十分だった。
「“クソゲー”のまま終わるとか、ムカつくし」
「お姉ちゃん……」
ミドリが顔を上げる。モモイは振り返らない。ただ前だけを見て、続ける。
「どうせダメならさ、ちゃんとダメって言われて終わりたい…『どこがダメか分かんないまま終わる』のが、一番嫌なんだよ」
その言葉に──探索者は、ほんの一瞬だけ冷酷な目が温かくなる。
「……そうですか」
短く、それだけ。
だが、
「ならば、やるべきことは決まりましたね」
その声は、先ほどより僅かにだけ柔らいでいた。
「地獄のような修正案が来ますよ。覚悟しておきなさい」
「望むところだっての!」
即答。
強がりでも、ハッタリでもない。
ミドリも、小さく頷いた。
「……やります。お姉ちゃんと一緒に…皆と!」
部室の空気が変わる。絶望ではなく、圧倒的な『無理ゲー』に挑む空気へ。その様子を見ていた先生が、探索者の肩をぽん、と叩いた。
"……ありがとう、探索者さん。理由はどうあれ、あの子たちに時間をくれた所、私は嫌いじゃないよ?"
先生の穏やかな微笑みに、探索者は一瞬だけ言葉を詰まらせ、すぐに顔を背けた。
「……勘違いしないでください。先生はどーせコイツらが廃部になったら責任を取ってあの早瀬さんに土下座でもしてもう少し待ってくれないかとでも言うつもりだったんでしょう?」
探索者は不機嫌そうに腰のホルスターを叩き、誰もいない壁の方を見つめながら、消え入りそうな声でぼそりと付け加えた。
「……それに……どうせ例の廃墟へ行くんだったら私が止めても、貴方はコイツラと共に行くんでしょう? ならば、せめて道中の雑音くらいは掃除しておかなければ、職務怠慢です」
「……先生、照れてるよ、この人」
「お姉ちゃん、それ以上は命に関わるからやめなさい」
──────────────────────────
場所は変わり、ミレニアムの外縁部。
人の気配が途絶え、時間だけが取り残されたような廃墟の前
「……さて。入る前に最終確認を。……先生、少し離れていてください」
探索者はそう気乗りしないように言いながら、廃墟の境界線へと向かう
「……ついでに、周囲の確認もしてきます。少しだけ待機を」
そう付け加えると、彼は自然な足取りで廃墟の陰────崩れた壁の向こう側へと姿を消した。
「え、ちょっと!? 一人で行くの!?」
モモイの声に、返答はない。
数秒…
──いや、体感ではそれよりもわずかに長い沈黙。
「……遅くない?」
「警戒してるんじゃないかな……?」
ミドリが小声で答えた、その時。
―──ガチャ。
何か硬いものが触れ合う、乾いた音。続けて、金属が擦れるような、重い気配。
次の瞬間
「──待たせました」
何事もなかったかのように、探索者が戻ってくる。
ただし。その姿は、明らかに“さっきまで”とは違っていた。
「……は?」
「え……?」
さっきまで“手ぶら”に近かった女が、今や完全武装でそこに立っている。
「……準備は完了しました」
「ちょ、ちょっと待って!? 今の間に何があったの!?」
「……周囲確認と、最低限の装備展開です」
「説明が雑すぎるんだけど!?」
彼はそんな声を気にせずスーツのジャケットのボタンを外すと、その下に着込んでいた重量級のプレートキャリアと腰に回してあるコブラベルトを締め直した。
彼が身につけているのは、単なるビジネススーツではない。都市の最高級工房で仕立てられた、防弾・防刃・耐熱……あらゆる外部衝撃を減衰させる特殊繊維特殊繊維、『ヌオーヴォ生地』で作られた装甲礼服だ。
そのマットな質感の緑色のスーツの上に、さらに重ねられたのは、重戦車と言わんばかりの超重量級プレートキャリアと、無数のポーチ、弾帯。
その姿はまさに80年代アクション映画の金字塔『コマンドー』そのもの。洗練された高級スーツと、野蛮な火力が奇妙に融合した、異様な威圧感を放っていた。
探索者は地面に防水布を広げると、
「ちょ、ちょっと事務員さん!? なにその荷物! 戦争にでも行くつもり!?」
モモイがアホ毛を直立させて叫ぶ。
「……それ、全部持って歩けるの……? 事務員さん……?」
ミドリも引き気味に、その「鋼鉄の山」を見つめている。
探索者は淡々と、50AEのマガジンをプレートキャリアのマグポーチに差し込みながら答えを返した。
「……何の問題もありません。これらは全て、遭遇するあらゆる物事への『回答』です。万が一、機動力が必要な事態に陥れば、その場でパージして捨てればいいだけの話ですから……懐は痛みますが、命の経費よりは安上がりだ」
「パージって……もったいない! ミレニアムの最新デバイスも混じってるじゃん!」
「先生の命に比べれば、基板の一枚や二枚、ただの燃えないゴミです」
"君は…一体何を想定しているんだい?"
「神以外の全てですよ」
探索者はそう言い捨てると、最後にポケットからスマートフォンを取り出し、短縮ダイヤルを押した。有無を言わさぬ、事務的なトーンで。
『は、はい! こちら、便利屋68の……』
「私だ。これからミレニアムの廃墟へ突入するが……帰還しない可能性がある」
『……えっ? えええええ!? 探索者!? 何言ってるのよ急に!』
電話の向こうで、自称ハードボイルド・アルの悲鳴が上がる。
「貴様の端末に座標は送ってある。いいか、今から私のバイタルが停止するか、SOS信号が発信されたら、即座に全戦力を集結させて応援に来い。断る権利はない」
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私たち今、別の依頼で忙しいのよ! それに廃墟なんて……』
「……暇な時の方が多いのにか?」
『うるさいわねぇ!余計なお世話よ!』
電話の向こうでアルが顔を真っ赤にして叫んでいるのが目に浮かぶようだが、探索者は眉ひとつ動かさない。彼はプレートキャリアのマガジンポーチを叩き、冷徹な声で言葉を継いだ。
「……ないとは思うが。もし相対する敵が、私や貴様らだけでは荷が重い『ヤバい奴』であった場合…保険をかけておく必要がある。予定では、今日の風紀委員長は終日デスクワークだ」
『……えっ、まさか』
「お前らが『自首しに来た』と言えば、あの委員長も直接顔を出すだろう。そこで『先生が危篤だと探索者から聞いた』とでも言えば、あの魔王は即座に、文字通り死神となってこの廃墟へすっ飛んでくるさ」
『ひっ……!? ヒ、ヒナに嘘をついて呼び出すってこと!? 殺されるわよ、私たちが!!』
「……貴様らなら、その程度の修羅場は慣れているだろう。便利屋と風紀委員会の共同戦線で、この廃墟を更地にしてでも私と先生を救い出せ。わかったな? ……ハーフボイルド」
『ちょっと、待ちなさいよ! 探索者! 責任取りなさいよ──!』
「以上だ。私と先生が五体満足で戻れば、その地獄は回避される……それと」
探索者は一瞬だけ、背後で心配そうに見つめる先生に目をやり、不機嫌そうに、だが確かな温度を込めて付け加えた。
「……無事に帰れたら、また連絡する」
一方的に通話を切り、スマホをベストの奥深くへ放り込んだ。
「いや、私たちの命の心配は!?」
モモイが素っ頓狂な声を上げる。探索者は一瞬だけ視線を向け──
「……必要ですか?」
「いるでしょ普通!?」
即答だった。
「お前が行きたいと言い出したものだろう。全責任はお前にある」
「いやいやいやいや!? 共犯でしょもうここまで来たら!!」
「主犯と巻き込まれでは、責任の比重が違います」
「細かい理屈で切り捨てるな!!」
モモイが半泣きで抗議する横で、ミドリがそっと袖を引いた。
「……お姉ちゃん、たぶんこれ以上言うと悪化するよ……」
「もう十分悪化してるよ!?」
探索者はそんなやり取りを一切気にせず、弾倉の装填を終えると、淡々と次の装備へ手を伸ばす。
「先生との差が激しすぎない!? 私たちのことなんだと思ってるの!?」
その問いに、彼は一切の間を置かず答えた。
「先生の命に比べたら、誤差ですね」
「誤差どころか消えてるじゃん存在が!?」
「計測不能なレベルで軽いという意味です」
「フォローになってない!!」
モモイはとうとう頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
「ねぇミドリ……私、あいつ嫌い……」
「うん、私も正直ちょっと……」
その瞬間。
「……ああ、そうですか」
探索者の手が止まる。
ほんの僅かに、視線だけが二人へ向いた。
「では──」
無機質な声。
「友人からの評価が届いても、共有は不要ですね」
「待ってください」
即答だった。
「ごめんなさい大好きです」
地面に手をついて頭を下げるモモイと、綺麗にシンクロするミドリ。
土下座の完成度がやけに高い。
「判断が早くて助かります」
探索者は何事もなかったかのように作業へ戻る。
「……ねぇミドリ、私たち今、命じゃなくて“データ”で屈したよね?」
「……うん。でも命より大事かもしれない」
「否定できないのが悔しい!!」
「……さて。保険は済みました。先生、改めて伺います。……本当に行くのですね?」
"もちろんだよ。みんな一緒だ"
「……はぁ……」
短く、重い溜息。
「……嫌だなぁ……」
「こういう、『途中で切れない仕事』は」
そう呟くと探索者たちはヌオーヴォ生地の裾を翻して「戦場」へと足を踏み入れた。