「触る時は、細心の注意を払ってください。マジで切れます……冗談抜きで、触れただけで指が飛びますよ」
探索者は、まるで猛獣を扱うような慎重な手つきで、その子太刀をウタハへと差し出した。
「なっ……」
「……」
受け取ったウタハの腕が、一瞬、予想外の「重み」に沈んだ。
「重い……? このサイズで、この重量バランス……ヒビキ、コトリ、見てくれ。このシースの精度、0.01ミリの狂いもなく刀身を保持している。引き抜く際の抵抗が、計算され尽くした『無』だ」
「……鋼材……高炭素鋼の積層じゃない。これ、超硬合金と何かの……分子接合?」
ヒビキが、これまでにないほど目を剥いて刀身の根元を凝視する。
「ひええええ! 刃先を見てください! 研磨の目が肉眼では一切見えません! まるで分子レベルで整列させられたような、狂気的なまでの鋭利さ……! これ、空気中の塵すら触れただけで両断されるんじゃないですか!?」
コトリがバインダーを投げ出し、ルーペを取り出して震える手で観察を始める。探索者はその熱狂を冷めた目で見つめ、静かに口を開いた。
「……さっき話に出てきた旦那の太刀です。切腹用として預けてくださいました」
「切腹!?」
「えぇ、旦那曰く『お前さんはどうせまた何かやらかすだろう?そん時にゃあコイツで責任をとれ』とのことです」
「えぇ…」
「ご安心をまだコイツ…"ハラキリDRIVE丸"の出番は来てませんので」
「ダサ!」
「切腹を発動すること自体が稀でしてね。大抵は何も起きないまま終わるんですが──」
「いざ発動した時には、色々と“取り返しがつかなくなる”ので、この名前にしました」
「なんか嫌なリアルさがあるんだけど!?」
「ちなみに、これの兄弟に“ハラキリDOUBLE丸”というものも存在します」
「増やすな!?」
「えぇ。あちらは更に発動率が低い代わりに、発動時の被害が倍になります」
「誰が使うのそれ!?ってか切腹を前提にするな!」
「さぁ?……物好きでしょうね」
一呼吸置いて、探索者は淡々と付け加えた。
「……まぁ、他にいい名前が思いつかなかっただけですが」
「絶対それが一番の問題でしょ!!」
「自覚はあります」
「開き直るな!!」
「これが…あの『独裁者』の」
「……研ぎの角度が一定じゃない。切っ先から根元まで、用途に合わせて微妙に曲率を変えている……手作業でこれを……?」
ヒビキが陶酔したような溜め息を漏らす。
「探索者、それは『伝説の短剣』なのですか? 装備するとクリティカル率が100%になるのですか?」
アリスが目を輝かせて覗き込むが、探索者は疲れたように首を振った。
「そんなアーティファクトみたいな物ではありませんよ……さて、満足しましたか? それが私の見せられる限界です。もう、デザートイーグルの話はしないでくださいね」
エンジニア部が陶酔し、探索者が呆れるその異様な空気の中、モモイが不思議そうに首を傾げた。
「……ねえ、さっきから『指が飛ぶ』とか『塵も切れる』とか言ってるけど、流石に盛りすぎじゃない? 見た目は普通の、ちょっと地味なナイフだしさ」
「お姉ちゃん、疑うのは良くないよ……でも、確かにそこまで言われると、実力が見てみたいかも」
ミドリも便乗して、期待の眼差しを向ける。探索者は本日何度目か数えるのも止めた溜め息を吐き、周囲を見渡した。
「……誰か、果物か何か持っていませんか? 食べ残しでも構いません」
「お昼ご飯用のリンゴがありますよ! はい、どうぞ!」
コトリがリュックから、まだ皮の付いた丸ごとのリンゴを取り出した。探索者はそれを無造作に受け取り、高台の平らな作業台の上に置く。
「……一瞬ですよ」
瞬間、それまで饒舌だったウタハとコトリが、反射的に息を呑んで一歩下がった。本能が「それ」を、ただの金属塊ではなく、致死性の牙だと認識したのだ。
探索者が動く。
……否、動いたようには見えなかった。
ただ、リンゴの横をナイフの先端が、そよ風のように撫でただけ。
「……え? 今、何かした?」
モモイが拍子抜けしたように笑う。リンゴは、先程と変わらずそこに鎮座している。傷一つついたようには見えない。
「……斬れてないじゃん。やっぱり大袈裟だ──」
「モモイ……喋るな。空気が、動く」
ヒビキが、かつてないほど鋭い声で制した。
探索者は短刀を無言で鞘に納めると、指先でリンゴの横腹を、ほんの僅かに、羽毛で触れるような力加減で押した。
「──っ!?」
次の瞬間。
吸い付くように一つだったはずのリンゴが、音もなく、滑り落ちるように二つに分かれた。
「なっ……ななな、何これ!? 断面が……鏡みたいになってる!?」
モモイが絶叫する。
リンゴの断面は、通常の刃物で切った時に見られる「繊維の潰れ」が一切存在しなかった。細胞のひとつひとつを、分子の隙間に滑り込ませたかのような、恐ろしいまでの平滑さ。あまりに滑らかすぎて、表面張力だけで密着していたのだ。
「……見ていてください」
探索者が、分かれたリンゴを再び元の位置にそっと重ねる。
すると、どうだろう。
切り口の境界線が消失し、まるで最初から一つの果実だったかのように「くっついて」見えたのだ。
「……細胞を、壊さずに断ち切った……だから、組織同士が再び密着して、分子間力で繋がってる」
ヒビキが震える指で断面を凝視する。
「ひ、ひえぇぇ……これ、切腹用レベルじゃないですよ! 旦那さん、一体何者なんですか!?」
コトリが腰を抜かし、ウタハはもはや言葉を失い、ただただそのリンゴを、宗教画でも見るような目で見つめていた。
「……さて…もう満足しましたか? 帰りましょう、お腹も空きましたし」
探索者は、まるで鉛筆でも削った後のような平然とした態度で、リンゴを一つにまとめたままコトリに返した。
「あ、アリスは今、伝説の"次元斬り"を目撃しました……! 探索者、あなたはやはり、隠しボスだったのですね……!」
「……次元斬りは使えませんが……『風を断つ斬撃』なら使えますよ」
さらりと、まるで「明日の天気は晴れですよ」とでも言うような温度で、探索者は付け加えた。
「……ぷっ、あははは!」
沈黙を破ったのは、我慢できなくなった様子のモモイだった。
「ちょっと探索者さん! 今の何!? 『風を断つ斬撃なら使えます』って!」
モモイは腹を抱え、涙を滲ませながら笑い転げる。
「格好良すぎでしょそれ! 完全に中二病キャラのセリフだよ! どこのラスボスだよもう!」
「……事実を言っただけですが」
探索者は、眉一つ動かさずに返す。その指先が、無意識にレッグバッグに収まった「旦那の太刀」の感触を確かめたことに、隣のウタハだけが気づき、目を細めた。
「いやいやいや、その“事実”がもうアウトなんだって!」
「お姉ちゃん……笑いすぎ……」
ミドリが呆れながらも、小さく口元を押さえる。
「でも……ちょっと分かるかも。言い方が、なんか……それっぽいというか、説得力がありすぎて逆に面白いっていうか」
「でしょ!? 絶対わざとだって! 私たちの反応を楽しんでるでしょ!」
「……冗談ですよ」
探索者が、ぽつりと付け加える。
「さすがに“風を斬る”なんて芸当、現実的ではありません」
淡々と、理屈まで添える。
「物理的に考えても非効率ですし、再現性もありませんから」
「……なんか急にそれっぽい説明きた」
モモイが胡乱な目を向ける。
「さっきまでのノリどこ行ったのさ」
「最初から冗談です」
一切の迷いなく言い切る。
「探索者さんって……そういうジョーク、言うんだ……」
「失礼ですねぇ」
探索者はわずかに肩をすくめた。
「私はジョークが──」
「人が愚かにも私の掌で踊っている所を見ることの、次に好きでしてね」
「どっちにしろ性格悪っ!!」
間髪入れずにモモイが叫ぶ。
「今それ言う!? 本人目の前だよ!? 」
「安心してください。今のは一般論です」
「絶対違うでしょ! 今の流れでそれ通ると思ってる!?」
「通らなかったようですね……残念です」
エンジニア部が陶酔し、探索者が呆れるその異様な空気の中、ようやくリンゴの「再密着」という怪奇現象から立ち直った一行が、撤収の準備を始めた。
「さて、そろそろ帰りましょうか。確かにここでの目的はもう完了しましたし」
"うん、みんなお疲れ様。アリスのレールガンも無事にゲットできたしね"
「あっ…忘れてた。おいで、アリス。その武器の使い方を教えてあげる、それと取っ手の部分をもう少し補強しようか」
「分かりました!」
「それじゃあアリスちゃんの用事が終わったら戻ろうか!」
ミドリが微笑ましく二人を見送る。――その時だった。
場の空気を切り裂くように、不意のバイブ音が鳴る。探索者のジャケットの内で、スマートフォンが執拗に震えていた。
「おっと、失礼……」
何気ない仕草で画面を確認し
「……はぁ」
露骨に、深いため息。ほんの一瞬だけ、表情が曇った。
「うわ、何その顔……絶対ロクでもないやつじゃん」
モモイが露骨に引く。
探索者は一度だけ周囲を見渡し、
「……少し外します。たぶん長くなるので先帰っといて下さい」
「えっ?」
「どうせろくでもないことなので」
それだけ告げて、その場を離れた。
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人気のない廊下
機械音だけが遠くに響く静かな空間を、探索者は足早に進む。
やがて、無機質な扉の前で立ち止まり──トイレの中へと入る
個室に入り、扉を閉める。鍵のかかる音が、やけに大きく響いた。
探索者は、大きな…それはまた大きなため息をついて、ようやく通話ボタンを押した。
「…どちら様で?」
短い沈黙
『……ミレニアムサイエンススクールセミナー会長。調月リオよ』
「……」
探索者の視線が、わずかに、しかし鋭く細まる。
鏡に映る自分の顔を見るまでもない。今、自分は最高に「嫌な顔」をしているはずだ。
(……厄介なのが来たな)
「これはこれは」
感情の乗らない声。
「“失踪しているはずの会長様”が、どういったご用件で?」
わずかな皮肉。だが、先程までとは違う――明確な“警戒”が滲む。
『単刀直入に言うわ』
間を置かず、リオは続けた。
『あなたと一緒にいるAL-1S……通称“アリス”について話があるの』
「……」
ほんの僅かに。探索者の空気が、変わる。
「……なるほど」
低く、押し殺した声。
「その話が、“穏やかな類”であることを期待しても?」
『……保証はできないわね』
即答だった。
「……でしょうね」
探索者は小さく息を吐く。
『詳細は、ここでは話せないわ』
一拍
『データセンター……時計台の裏手で待っているわ』
「……」
『直接会って話したいの…貴方になら、この話の価値が分かるはずよ』
無駄のない、静かな圧。
探索者は数秒、何も言わずに思考を巡らせ――
(……通信越しに話せない内容。位置指定。対面要求……面倒だな)
「……随分と手間をかけさせてくれますね」
『…申し訳ないのだけれど、一般回線で話せるような内容じゃないの。その事を貴方も理解しているのではなくって?』
「……なるほど」
一拍
探索者は視線を落とし、静かに結論を出した。
「分かりました。向かいます」
「ただし――無駄足だった場合、その場で帰りますので」
『構わないわ』
間髪入れない肯定。
「……では、後ほど」
通話を切る。
冷たい電子音が消え、再び個室の中には機械的な空調の音だけが残された。
探索者は、もう一度だけ、本日最も深く重いため息をついた。
「……やっぱ面倒事かよ…」
「帰りたいけど…知りたい事もあるし…しゃーないか」
本音を吐き捨て、探索者は個室の壁に背中を預けた。
窓のない個室では時間の感覚が狂いそうになるが、外はまだ、眩しいほどの昼の光に包まれているはずだ。
探索者は、覚悟を決め、カチャリと個室の鍵を開けた。
音もなく開いた扉の先、明るい廊下。
ミレニアムの合理的な光が溢れるその中心で、探索者は一人、時計台の裏という「影」へと足を踏み出した。