巡る探索者、青き青春の果てを見る   作:抹茶3939

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備えあれば嬉しいな

 

 

 

 

 

「…よーし、じゃあギガンテスだけ処理して帰りますかなぁ。リホ、電波ジャックとファンネルの全解除をお願い」

 

『はいはい、やっときますよ』

 

スマートフォンからリホの気の抜けた返事が響くと同時に、周囲を浮遊していた少しのファンネルたちが一斉に探索者の元へと向かい、機能を停止した。

 

それを見届けていたモモイが、不思議そうに首を傾げる。

 

「処理って……? まさか、ここで爆破処分するとか!?」

 

「いや、処理というよりも……構造を"理解"物質を"分解"そして"再構築"する――まぁ、リサイクルの方が近いかもな」

 

そう言いながら、探索者は太腿のタクティカルバッグから、一組の白手袋を取り出した。

その甲には、複雑な幾何学模様と構成円が幾重にも重なった、異質な術式が刻まれている。

 

探索者は、慣れた手つきで手袋を嵌め

 

 

そして……パチン――と

 

 

乾いた音を立てて、両手を打ち合わせた。

 

その所作には、奇妙な厳かさがあった。

まるで…世界の理そのものへ触れるための、祈りのように

 

「一は全! 全は一!」

 

魂の根底に流れる、宇宙の法則を呼び覚ます一喝。

探索者がそのまま、半壊して沈黙していたギガンテスの装甲へと両手を突き立てる。

 

――その瞬間、荒野にバリバリと激しい電光が爆発的に弾け飛んだ。

 

「うおっ!?」

「な、何が起きてるんですか……!?」

 

モモイとミドリが思わず腕で顔を覆う。

 

 

 

等価交換の原則に従い、ギガンテスを構成していた無数の鋼鉄が、一切の質量を損なうことなくドロドロと流動し、橙色の光の粒子を撒き散らしながら、凄まじい速度で組み替わっていく。あの巨大な質量が、全く別の形へと形を変えていく。

 

世界を包んだ爆煙と錬成の残光が、一際強い熱風と共に一気に吹き払われた。

 

 

 

そこに現れたのは――

 

 

 

「……わぁ……!」

 

アリスが思わず、歓声のような吐息を漏らした。

 

 

 

そこに立っていたのは、さっきまでの無骨な重戦車ではない。

傷一つない、洗練された流線型の白い装甲を纏った、一機の人型ロボットだった。

 

背部には、まるで天使の羽か、あるいは悪魔の翼を思わせる巨大な可変バインダーが優美な曲線を描いてそびえ立っている。

 

洗練され尽くしたそのシルエットの各部、装甲の隙間に走るスリットからは、ギガンテスが遺した橙色のエネルギーが、まるで生き物の血流のように、脈動する細い光のラインとなって美しく明滅していた。

 

禍々しくも、同時に神々しいほどに美しい。荒野の陽炎の中で、その白い機体は静かに佇んでいる。

 

 

「な、何これ……めちゃくちゃカッコいいじゃん……!」

 

 

モモイが目を輝かせ、ミドリも口をあんぐりと開けてその美麗な人型機体を見上げている。

 

 

「ほら出来たぞ」

 

 

 

探索者は、満足げに機体を見上げ、そして、悪びれもなく続けた

 

 

 

「次の寄生先だ」

 

『言い方!』

 

『もっとこう、“新型ボディ”とか、“次世代フレーム”とか言い方あるでしょうが!!』

 

「事実だろ」

 

『事実でもオブラートに包めと言ってるんです!!』

 

リホの全力の抗議に、モモイたちが一斉に吹き出した。

 

「ぷっ……あはははっ!」

 

「なんか……苦労人っぽいね……」

 

「うん……ずっとツッコミしてる……」

 

ユズの小さな感想に、スマホから深いため息混じりのノイズが漏れる。

 

『誰のせいだと思っているんですか』

 

「クラスメイト」

『殺意湧きますねぇ』

 

「やめてください!?」

 

そんな騒がしいやり取りの横で、先生は、静かに新たな機体を見上げていた。

 

 

 

白い装甲、脈動する橙色の光。

そして、どこかギガンテスの面影を残しながらも、まるで別物へ生まれ変わった姿。

 

"綺麗だね"

 

「…まぁな」

 

探索者は、先生の言葉に新たな白い機体を見上げながら小さく息を吐く。

 

「あのギガンテス、元々は“半生命体”の願いから生まれた代物なんだ」

 

「……願い?」

 

「どこかへ行こうとしていたんだよ」

「ずっと動けなかった奴が、“風”を感じたかった……そんな感じの願いです」

 

白い機体の装甲隙間を、橙色の光が静かに流れている。その脈動は、どこか“生きている”ようであった。

 

「……だから、羽みたいなんですね」

 

アリスが、機体を見上げながらぽつりと呟く

 

背中の巨大なバインダーそれは確かに、拘束具にも、翼にも見えた。

 

「かもな」

 

「結局、どんな兵器だろうが、最後に形を決めるのは“願い”らしい」

 

『急に詩人ぶらないでください。さっきまで“寄生先”とか言ってた人間でしょうが』

 

「うるさいな」

 

『台無しなんですよ雰囲気が』

 

「いいじゃねぇか別に」

 

そんな会話をしていると白い機体の胸部コアが、静かに脈動する。 装甲の隙間を流れる橙色の光は、まだ少しだけ不安定だった。

 

探索者は、その様子を眺めながら口を開く

 

「……リホ」

 

『はい』

 

「そいつ、どのぐらいで動かせそうだ?」

 

数秒。

 

内部診断を走らせるような電子ノイズが響く。

 

やがて、リホが淡々と答えた。

 

『機体自体に問題はありません』

 

『ですが、完全に起動するまで少々時間が欲しいですね』

 

「どのぐらいだ?」

 

『……二十分ほど』

 

『そこまで同期が進めば、大半の機能は使用可能になりますので』

 

「二十分であれ動くの!?さっきまで半壊してたよね!?」

 

「普通ならスクラップだよね……?」

 

ミドリも呆然と白い機体を見上げていた。

 

「まぁ、“普通”じゃないからな」

 

『その“普通じゃない”を押し付けられる側の苦労も考えてください』

 

「今さらだろ」

 

『それで済ませるから毎回酷い目に遭うんですよ』

 

リホのいつも通りの愚痴に、アリスがくすりと小さく笑う。

だが、その微笑ましいやり取りの直後だった。

 

探索者は、ほんの少しだけ声音のトーンを落として言葉を継いだ。

 

「……あと」

 

一拍

 

「お前自体は、どのぐらいいれそうだ?」

 

その問いに、場の空気が一瞬で、ガラスが凍りつくように静まり返った。

先生の視線が、鋭く探索者へと向けられる。

 

リホはすぐには答えなかった

やがて、覚悟を決めたような、どこか清々しささえ感じる声が響いた。

 

『過去のエネルギー消費量から換算するに……あと一ヶ月、といったところでしょうか』

 

「……そうか」

 

探索者はそれ以上、理由も、引き延ばす方法も深くは聞かなかった。

ただ、小さく息を吐き出す。

 

「なら、無理に今動かす必要はねぇな」

 

探索者は、何事もなかったかのように軽く片手を振る。

 

「それじゃあ、同期だけやっておけ、備えあれば憂いなしって所だ」

 

『了解しました』

 

白い機体の胸部コアが、深く、ゆっくりと明滅する。まるで、心地よい眠りにつく直前の呼吸みたいに。

 

『では、同期プロセスおよびバックグラウンド処理へ移行します』

 

背部にそびえる巨大な可変バインダーが、重厚な駆動音を立てながら、主を守る繭のようにゆっくりと閉じていく。

 

「……なんか、すやすや寝てるみたいです」

 

アリスが愛おしそうにその光を見つめ、ぽつりと呟いた。

 

『近いですね』

 

リホの声も、先ほどより少しずつ、遠い場所から響くように霞んでいく。

 

『現在、私の演算資源の大半を同期の最適化へ回しています……申し訳ありませんが、しばらくは半スリープ状態になりますので……』

 

「つまり、携帯ゲーム機のスリープモード?」

 

『……あまり、安っぽいもの一緒にしないでください……』

 

「でも、ちょっと言いたいことは分かるかも」

 

モモイが親しみを込めてうんうんと言いながら頷く。

 

『分からなくて、結構、です……』

 

最後に、呆れたような、けれどどこか名残惜しそうな電子ノイズが一度だけ小さく響き

 

そして

 

美しい白い機体は、荒野の中心で、静かな沈黙に身を委ねた。

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

 

 

 

 

白い機体が静かに眠りにつき、荒野に穏やかな終わりの空気が満ちていた。

 

 

 

 

誰もが、今度こそ本当に戦いが終わったのだと、そう信じて疑わなかった。

 

 

 

 

先生が安堵の息を吐き、モモイたちが帰路について話し始め、アリスが嬉しそうに微笑む。

 

 

 

 

誰もが、完全に油断していた。

 

その、刹那だった

 

 

 

 

 

 

 

ゾワッ

 

 

 

 

 

 

 

探索者の全身の毛穴が、一瞬で総毛立つ。

背筋の奥深く、魂の髄にまで、絶対的な死の質量を持った「冷気」が容赦なく突き刺さす。

 

 

 

 

それは、幾度もの死線を潜り抜けた彼にしか感知できない、因果の理を歪めて這い寄る、最悪の、そして不可視の悪意

 

 

 

 

思考が追いつくよりも早く、彼の肉体が、生存の本能を置き去りにして跳ねていた。

 

 

 

 

 

「アリス――ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

声と同時に、探索者は隣にいたアリスの身体を全力で突き飛ばす

 

 

 

 

 

 

衝撃音すら置き去りにした「何か」が、一瞬でそこを通り抜けた。

 

 

 

 

 

 

「……が、ふ、」

 

 

 

 

 

 

喉の奥から、乾いた空気が漏れる。

 

 

 

 

 

突き飛ばした姿勢のまま、探索者の動きがピタリと止まった。

 

ゲーム開発部の面々が、そして先生が、何が起きたのか分からず呆然と彼を見る。

アリスが砂に塗れながら振り返った、その視線の先で

 

 

 

 

 

 

 

探索者の右横腹には――向こう側の景色が歪んで見えるほどの、巨大な「大穴」がぽっかりと穿たれていた。

 

 

 

 

 

 

その脆弱な肉体から、堰を切ったように大量の鮮血が噴き出し、渇いた土をまたたく間に赤く染めていく。

 

 

 

 

「な……え……?」

 

 

 

 

モモイの声が、恐怖で引き攣る。

 

 

 

 

「あ……が……」

 

 

 

 

ドサリ、と。糸が切れた人形のように、探索者がその場に崩れ落ちた。

ドクドクと溢れ出る赤色が、彼の命の残量を無慈悲に告げている。

 

 

 

 

薄れゆく視界、急速に冷えていく指先。探索者は血反吐と共に、懐から何かを引きずり出すようにして、最期の力を振り絞り、掠れた声を絞り出した。

 

 

 

 

「けっ……かい……、ふ……だ……」

 

 

 

 

 

血に濡れた指先から、文字の書かれた一枚の紙片がハラリと砂の上に落ちる。

 

 

 

 

その瞬間、血に濡れた紙片から溢れ出た異質な術式が、探索者を中心とした周囲数メートルを、探索者と、そして近くにいた先生やゲーム開発部、ネルたち全員を巻き込む形で、周囲数メートルを立方体に切り取った。

 

 

 

 

「――っ!?」

 

「…こいつは」

 

 

 

「探索者……! 探索者、しっかりして!!」

 

 

 

結界の内部。鼓膜が痛むほどの静寂の中で、真っ先に響いたのはモモイの悲鳴だった。

 

 

 

 

突き飛ばされたアリスも、すぐに這い寄って探索者の身体を抱き起こそうとする。だが、その手にべっとりとついた大量の赤色に、息を呑んで硬直した。

 

 

 

即死こそ免れた。この結界が、これ以上の追撃も、防いでくれている。

 

 

 

だが、生身の肉体に穿たれた横腹の大穴は、明らかな致命傷だった。ドクドクと溢れ出る鮮血が、立方体の床を赤く染めていく。

 

 

 

 

 

 

「あ、あ……うそ、なんで……っ」

 

 

 

生身の人間が、あの横腹の大穴で数分も持つわけがない。一分、いや、数十秒が関の山だ。

 

 

(何か……何かないか……!!)

 

 

 

 

先生は、血の滲むような思考をフル回転しながら自分の手元にあるもの、今使えるすべてのリソースを脳内で乱雑に引きずり出す。

 

 

 

シッティムの箱…アロナに頼めば、治せるのか。──いや、あれは万能ではない。生身の致命傷を即座に修復できる保証はない。

 

 

 

救急医学部を呼ぶ?間に合わない。ここはミレニアムの奥地だ。搬送が来る前に、彼女は確実に死ぬ

 

 

 

では、もう一度「大人のカード」を使うか

 

 

 

先生の懐にある、黒く染まったカード

だが、それを使えば自分の命は確実に削れる。それだけではない。今この状態で奇跡を再び引き起こせる保証もない

 

 

 

 

(……もし失敗すれば)

 

 

 

 

自分は死に、探索者も死ぬ。

そして何より、生徒たちの前に「救えなかった現実」だけが残る。

それだけは、絶対に避けなければならない。

 

 

 

 

(考えろ。思考を止めるな。何か…何かあるはずだ…!…人間を今すぐここで繋ぎ止めるピースが、どこかに――!)

 

 

 

 

 

いつものように胡散臭い笑みを浮かべながら自身の装備を指差していた言葉が、鮮烈にフラッシュバックした。

 

 

 

 

 

 

 

『えぇ、どれもこれも私の命を救う物も入ってますから』

 

 

 

 

 

先生の視線が、探索者の太ももに常につけられていた、あの無骨な二つのタクティカルバックパックへと固定される。

 

 

 

 

 

 

――あの中に、この状況をひっくり返す“ピース”がある。

 

 

 

 

 

" 太もものバッグを開けて!!"

 

 

 

 

 

先生の切羽詰まった怒号に、二人が弾かれたように動いた。

 

 

 

 

 

「ば、バッグ……!? うん、分かった、開ける、開けるから!」

 

 

 

モモイが血に濡れた手でジッパーを乱暴に引く

中から滑り出てきたのは、キヴォトスではお目にかかれないような、異質なデザインの道具の数々だった。

 

 

暗緑色のアンプル、怪しげな数式が刻まれた医療用注射器、小太刀、紫色に輝く結晶、四種のスートが形取られたブローチ。そのどれもが理解が及ばない代物

 

 

 

 

「先生、これ!? どれを使えばいいの!?」

 

 

 

ミドリが涙目で、引っ張り出した薬品の束を抱えて叫ぶ。

 

 

 

"落ち着いて、中身を確認するんだ。彼の命を繋ぎ止めるための、最優先のものを――!"

 

 

乱雑に引っ張り出されるアンプルや怪しげな医療器具

 

 

 

だが、誰も正解が分からない。この場にあるすべてが“未知”で、“危険”で、“可能性”だった。

 

 

「……あ、……」

 

 

血の海に沈む探索者の、青ざめた唇が微かに震えた。

ゴボリと喉の奥から血が溢れ、言葉にならない掠れた吐息が漏れる。

 

 

 

 

 

 

「え……? 今なんて……!?」

 

 

 

間近で彼の身体を支えていたアリスが、その小さな声に気づいて大きな瞳をさらに見開いた。

先生もまた、自身の痛みを忘れて探索者の顔に耳を近づける。

 

 

 

 

「あ……、か…い…」

 

「赤…い…? 『あかい』って言った……!?」

 

 

 

モモイが弾かれたようにバッグの中へと視線を落とした。

赤。赤いもの。

血に濡れた手で、掴み出した薬品の山を狂ったようにひっくり返す。緑色のアンプル、透明な液体、黒い粉――そのどれでもない。

 

 

 

 

「これ……っ! これですか!?」

 

 

 

 

ミドリがバッグの最奥、一つの小さな遮光ガラス瓶を引っ張り出す。

 

禍々しくも美しい輝きを放つ、血を凝固させたような真紅の錠剤

瓶の底で転がるそれは、文字通り、たったの二錠しか入っていなかった。

 

 

 

 

 

"それだ……! モモイ、それを取り出して!!"

 

 

 

先生の叫びと同時に、モモイが震える指先でボトルのキャップを抉り開ける。

 

 

 

その時探索者からまた言葉にならない、かすれた音が響く

 

 

 

「い……ち……あ…か…」

 

 

「いち……!? 1錠だけ、ってこと……!?」

 

 

 

 

鋭い声が結界内に響いた。

 

モモイの手の中には、真紅の錠剤が入った遮光瓶。

底には、たった二つ。

そのうちの“片方だけ”を示すように、探索者の指先が微かに動いている。

 

――なぜ、2錠あるのに1錠なのか。

 

先生の脳が一瞬で答えに辿り着く。

 

 

 

 

(オーバードーズ……!)

 

 

 

 

 

この薬が何であれ、明らかに“用量”に意味がある。

全てを投与すれば、治療ではなく別の結果を招く可能性が高い。

逆に言えば――1錠だけが“安全圏”だ。

 

 

 

"全部じゃない……! 1錠だけだ!"

 

 

 

先生の声が、ほとんど叫びに近い形で飛ぶ。

 

 

 

"それ以上は危険だ! 多分これは“量”で作用が変わるタイプの――!"

 

 

 

言葉が途中で詰まる。知識では説明できない“嫌な確信”だけが喉に残る。

モモイが震えながら瓶を握り直す。

 

 

 

「じゃ、じゃあ……これ、1個だけでいいんだよね……!?」

 

 

 

モモイは震える手で、掌の上の2錠から【1錠】だけを指先でつまみ上げた。もう1錠は落とさないよう、ミドリが必死にボトルを差し出して回収する。

 

アリスが涙を流しながら、探索者の頭をそっと支えて、青ざめた唇を開かせた。

 

 

 

「お薬です! 飲み込んでください……っ!」

 

 

 

モモイの指先から、血のように赤い錠剤がその口内へと滑り落ちる。

 

 

ゴク、と。喉の奥が微かに動いた

 

 

 

 

 

「あ……、え……っ」

 

 

 

 

 

 

探索者の頭を支えていたアリスが、驚愕に目を見開く。

 

 

 

 

 

大穴の空いた横腹。千切れ、失われていたはずの内臓が、まるで最初から傷など存在しなかったかのように、目にも留まらぬ速度で修復されていく

 

 

 

 

血は一瞬で凝固し、次の瞬間には跡形もなく消え去り

滑らかな皮膚が、何事もなかったかのように瞬く間に身体を覆い尽す。

 

 

 

衣服に派手に空いた大穴と、床を濡らす大量の血痕だけが、先ほどまで死の淵にあったことを証明している。

 

 

 

 

「はぁ……っ、はぁ……」

 

 

 

 

死人のようだった探索者の顔色に、劇的な速度で血の気が戻っていく。

 

 

 

彼はゆっくりと上体を起こすと、自分の横腹を無造作に確かめ、そして、深く――本当に深くため息を吐く。

 

 

 

その表情に、生還への安堵はない。

あるのは、苛立ちと、冷え切った警戒だけだった。

 

 

 

「クソったれ……」

 

 

 

低い声

 

 

 

 

「完全に油断した……二枚も手札を燃やされた」

 

 

 

その声は――いつもの聞き慣れた女の声ではなかった。

 

低く…そして重い

 

まるで喉の奥で別人が喋っているような、異質な響き。

 

 

 

「――っ」

 

 

 

 

アリスの肩が小さく震え、モモイたちも、反射的に息を呑んだ。

そこにいるのは確かに探索者だ。姿も、顔も、記憶の中の彼女と変わらない。

 

なのに、今の声はどこか低い。

 

いや、違う…低いのではない。

 

今まで自然に“女の声”として認識できていたものが、急に輪郭を失った。

 

喉の低さ。 息の混ざり方。 声帯の震え。

先生の脳が、不意にそれを“男の声”と繋がってしまう

 

 

 

 

「あー…切れたか…そうか…確かにそうだな」

 

 

 

 

 

探索者は自分の喉を軽く押さえ、面倒そうに息を吐いた。

 

 

誰も気づいていなかったのではない。

 

 

──今まで“違和感を抱けなかった”のだ。

 

 

 

 

 

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