ドンッ!!!!
爆発にも似た轟音が大地を揺らす。
「きゃっ!?」
モモイが思わず悲鳴を上げた。
赤い結界の外。さっきまでそこに立っていたはずの探索者の姿が、唐突に消失する。
いや、違う。移動速度が、彼らの動体視力を完全に置き去りにしているのだ。
次の瞬間。
ガギィィィィンッ!!!
荒野の真ん中で、金属同士を激突させたような凄まじい衝撃音が鳴り響き、鮮烈な赤い火花が夜闇に飛び散った。
閃光の中心に、一瞬だけ探索者の輪郭が浮かび上がる。
真紅の槍が、空間ごと異形を切り裂くように振り抜かれた──と思った刹那、彼は再び掻き消え、別の死角から現れ、また消える。
「な、何なのあれ……」
誰も答えられない。答えられる者など、この結界の内部には一人もいなかった。
結界一枚隔てた向こう側で繰り広げられているものは、もはや個人の戦闘という領域を遥かに超えていた。
探索者が現れる。槍が閃く。異形が狂ったように吹き飛ぶ。
肉薄した。そう確信した瞬間、地割れを伴って漆黒の触手が大地の底から網の目のように伸び上がった。
空中、逃げ場のない一撃。しかし探索者は強引に身を捻り、その手の中の長槍を砕けるような赤い粒子へと一瞬で還元させる。次の瞬間には、彼の左腕で強固な小盾が再構築されていた。
ドォォォンッ!!!
凄まじい衝撃波が結界を叩き、足元の地面が蜘蛛の巣状に割れる。
それでも──探索者は止まらない。
「……」
先生は、ただ黙ってそれを見つめていた。
いや、それしか出来なかったのだ。
理解が追いつかない。
あの意思を持つように形を変える武器は何だ。
あの異常極まる可変機構は何だ。
そして、あれだけの暴威を振るわれてなお立ち塞がる、あの不気味な異形は何なのだ。
何もかもが、キヴォトスの常識の外側にある。
だが、状況だけで言えば、異形は完全に押されていた。
幾度も身体を貫かれ、銃撃を浴び、白銀の剣で切り裂かれ、ジリジリと後退を余儀なくされている。
それなのに
"……え?"
先生は、思わず声を漏らしていた。
戦場の中心で猛威を振るう探索者の顔に──『勝者』の表情が、一切なかったからだ。
かと言って、苦戦に顔を歪めているわけでもない。追い詰められている顔でも、激しい怒りに燃える顔でもない。
ただ。ひどく、苦しそうだった。
槍を振るうたび。剣を振るうたび、銃を撃つたび、盾で受けるたび、弓を放つたび、そして異形を吹き飛ばすたび。
その表情は、まるで内側から心臓を抉られているかのように、僅かずつ痛ましく歪んでいく
それはまるで──一撃を繰り出すごとに、自身の取り戻せない何かを、一つずつ切り離して失っているような。そんな、悲痛な横顔だった。
「なんで……」
モモイも、その異様さに気付いたのだろう。血の気の引いた顔で、小さく呟いた。
「勝ってる……よね……? あんなに圧倒してるのに……」
(……違う)
先生の瞳が、最悪の違和感を捉える。
勝っている。間違いなく、攻撃の主導権は探索者にある。
それなのに。先ほどまで変幻自在に繰り出されていた探索者の攻撃の手札が、少しずつ、確実に減っていた。
最初は十あった手札が
九になり
八になり
七になっていく
先生はその手札が何を意味するのかを知らない。彼が背負う過去も、その武装の代償も分からない。
だが、見えてしまうのだ。
豪快にしなっていた槍を振るう回数が、明らかに減った。
荒野を埋め尽くしていた銃撃の時間が、目に見えて短くなった。
空間を縫い留めていたあの薔薇の弓を──彼はもう、使わなくなっていった。
そして、それとは対照的に、あの異形だけが、何一つ変わらない。
何度吹き飛ばされても。何度弾の嵐に撃ち抜かれても。何度純白の刃で斬られても
何事もなかったかのように、悍ましい無数の瞳を蠢かせ、真っ赤な唇を歪めてそこに立ち続けている。
まるで──探索者の方が、先に尽きると最初から分かっているかのように
「……」
探索者の額を、だらりと冷たい汗が伝う。
異形は、学習していた。槍の軌道を見た。盾の死角を見た。銃撃の弾道を、弓が引かれるのを見た。
そして、この世界そのものが敵を解析するかのように、理解していく。探索者の癖を。呼吸を。選択を。その戦い方のすべてを
その度ごとに、ほんの僅かに探索者の必殺の一撃が、異形の肉体に届かなくなっていく。
ガギィィィンッ!!!
──防がれた。
「っ……!」
初めて、探索者の顔から完全に血の気が引いた。
今の一撃は決まったと、誰もが思った。
だが、異形は動かなかった。まるで、そこへ刃が来ることを最初から知っていたかのように──ただ淡々と、完璧なタイミングで触手を回し、探索者の真紅の穂先を正面から弾き返していた。
「嘘……」
ミドリの乾いた呟きが、結界の内部に小さく響く
探索者が、初めて後退した。
ザザッ、と乾いた砂が擦れる音が、妙に明瞭に聞こえる。
たった一歩。距離にして、わずか数十センチ。
それだけなのに──結界の中にいた全員の心臓が、冷たい手で掴まれたように凍りついた
皆が理解していた
戦況の潮目が、完全に変わったのだと。
今まで、間違いなく戦場を支配し、敵を圧倒していたのは探索者だった。
だが、今
彼は明確に、異形の放つ不可視の圧力に「押され始めて」いる
そして、この場において何よりも恐ろしく、絶望的だったのは、他ならぬ探索者自身が、その冷酷な事実に、誰よりも早く気付いていることだった。
口端から流れる血を拭う余裕すらなく、男の黒い瞳が、さらに深く、暗く沈んでいく。
ドォォォンッ!!!!
爆発にも似た凄まじい轟音が、視界を激しく揺らす。
「きゃっ!?」
ユズが思わず悲鳴を上げる。
結界の外──激突の衝撃と共に、赤い残光を不気味に引きながら、探索者の身体が荒野の岩肌へと叩きつけられ、無様に転がる。
「探索者!!」
モモイの悲痛な悲鳴が響く。
だが、男は泥を舐めながらも、執念だけで即座に地を蹴って立ち上がる。
立ち上がりはした──が、その満身創痍な姿を見た先生の胸に、言いようのない、どす黒い不安が駆け抜けた。
肩が大きく上下している。口元からはドロリと、呪言の代償と衝撃による鮮血が絶え間なく流れ落ちている。
そして何より、あの常に不敵な笑みを浮かべていた男に、もう「余裕」の二文字が微塵も残されていない。明らかに、限界を迎えていた
その時だった
――ドクン
荒野の中心。
先ほどまで静かに沈黙を保っていた、あの白い機体の胸部コアが、まるで心臓のように力強く脈動する。
――ドクン
――ドクン
脈動のたびに、機体から溢れる橙色の光がその輝きを増していく
固く閉ざされていた巨大な可変バインダーが、重厚な機械音を立ててゆっくりと左右へ開かれた。
「……え?」
モモイが驚愕に目を見張り、振り返る。
『あー……』
それは、無機質なスピーカー越しのものではない。
機体そのものの振動が、大気を伝って直接脳内に響いてくるような、そんなリホの声だった。
『同期率、六十二パーセント』
『本来なら、全くの推奨外なんですけどねぇ…本体ならばもっとマシな結果は出そうですが……ま、無い物ねだりは勝ったあとで』
白い機体のカメラアイに、冷徹で、けれど確かな意志を持った橙色の光が灯る。
『クラスメイトが死にそうなので、仕方ありません』
「リホ!?」
ミドリがその名を叫び、目を見開いた。
ずしん、と重い音を立てて、白い機体が一歩を踏み出す。
『さて、先生』
"!"
『今、この戦場に必要なのは?』
問われた先生は、一瞬だけ戦場の全てを視界に収めた。
満身創痍の探索者。
底なしの異形。
冷酷なまでの学習速度。
完全に停滞し、破滅へと向かっているこの戦況。
導き出された答えを、先生は全力の咆哮に変えて叫んだ。
"予想外の一手!!"
『正解です』
リホの声が、どこか満足げに弾む。同時に、白い機体の背部バインダーがさらに大きく展開された。
『学習する相手に対して、愚直に最適解をぶつけ続けるのは愚策ですからねー』
『今必要なのは、計算不可能な未知数』
『――つまり、私です』
そんな、いつもと変わらない不敵な軽口を叩きながら。
白い重厚な機体は、死線が渦巻く戦場へと毅然と踏み出した。
その瞬間。
「――戻れッ!!」
荒野の向こうから、砂塵を裂いて探索者の凄まじい怒声が飛んできた。
その声に、リホはほんの一瞬だけ沈黙する。
そして、淡々と告げた。
『嫌です』
「戻れと言っている!」
『却下します』
「リホ……ッ!管理者権限だ!!スリープに移行しろ!!」
探索者自身は、その言葉に“意味がない”ことを理解していた。
本来の自律固定砲台には管理者権限で強制的にスリープへ移行されることもできるが、リホのシステムにスリープ強制の系統は存在しない。
だが…自然と口から出てしまっていた
『お断りです』
『…クラスメイトでしょう?』
重なり合い、火花を散らす二人の声。
それは、幾多の修羅場を、そしてあまりにも長い付き合いを重ねてきた者にしか生み出せない、絶対的な信頼と諦念の応酬だった。
『貴方は、いつもいつもそうです』
『自分だけがボロボロに削れれば、それでいいと思っている』
『少しは、それを見せられている側の気持ちも考えてください』
『…どーせ私の戦い方も、アイツにすぐ学習されるんでしょうから』
白い機体の背部バインダーから、眩い橙色の光がまるで光の翼のように広がっていく。
『私が、全力で時間を稼ぎます。その間に、死ぬ気で考えてください』
『アイツの予測を完全にぶち抜く、新しい一手を』
探索者は、苦々しげにその眉を深く顰めた。
「……無茶すんな」
『ふふ、それを貴方が言います?』
「……死ぬんじゃねぇぞ」
その言葉が放たれた一瞬だけ。
不自然なほど、機体の駆動音がふっと静まり返った。
返答は、すぐには返ってこない。
まるで、その言葉の重みを回路の奥深くで静かに噛み締めるように
あるいは、これから挑む死地を前に、その一言を魂に刻み込むかのように
そして――少しだけおどけたような、けれど絶対の絆を孕んだ声音がスピーカーから漏れ出た。
『お互いになー』
その瞬間、探索者の黒い瞳が、激しく、大きく揺れ動いた。
聞き間違えるはずもない。忘れるはずもない。
かつて、まだこんな理不尽な地獄に足を踏み入れる前。
大好きで、ふざけて何度も口ずさんだ、あの無駄に溢れた意味不明な歌
軽口のようでいて、今となっては――最悪の遺言みたいに響く歌だった。
「……お前な」
男の口元から、呆れたような苦笑とも、救われたようなため息ともつかない息が漏れる。
次の瞬間。
眩い橙色の光が、爆発的な輝きを放って荒野を染め上げた。
白い機体は光の尾を引きながら、一直線に、最悪の異形が待つ深淵へと駆け抜けていった。