橙色の光が荒野を切り裂く。
白い機体が異形へと突撃するのを背後で確認し、探索者はようやく踵を返す。
ドンッ!!
直後、リホの一撃と異形の触手が真っ向から激突し、凄まじい衝撃波が荒野を揺らし、結界の表面を激しく震わせた。
だが、探索者は一度も振り返らない。
「先生」
血の混じった息を吐き出しながら、男が結界の前まで戻ってくる。
「中に入るぞ」
「ちょっ、大丈夫!?」
結界の膜を透過し、なだれ込んできた探索者の姿を見て、モモイが飛び上がるようにして叫んだ。
「見ての通りだ」
「全然大丈夫に見えないんだけど!?」
「細かいことは気にするな」
「細かくないよ!? 身体中から火花だの血だの出てるじゃん!」
そんな緊迫感のないやり取りを口では交わしながらも、探索者の脳細胞は、すでに完全に別の領域へとシフトしていた。
異形
学習
適応
対策
そして――明確な、敗因
(何かがおかしい)
(……いや、考えるのは後だ。まずは、あのクソッタレを殺す手札を揃える)
探索者は、ゲーム開発部の部室の床にぶちまけられたままになっていた、自身のバッグの前に膝をついた。
中身が文字通りぶちまけられ、ありとあらゆる異世界の遺物が床に散らばっている。
「何してるの!?」
「考えてる」
「そうは見えないけど!?」
探索者はそれ以上、返事をしない。
ただ、手だけが異常な速度で動き続けていた。
カチャカチャと無機質な金属音を立て、地面に散らばったジャンクパーツを弾き飛ばしていく。
まるで、その泥縄の山の中から、一発逆転の秘密兵器でも探しているかのように。
――いや、違う。
彼は、探しているのではない。
組み立てているのだ。頭の中で、この破綻した戦場そのものを。
異形は何を学習した。
どこまで学習した。
何を見ていた。
――そして、どこを『見ていなかった』
結界の外では、今もリホの白い機体が死力を尽くして戦っている。
時間は多くない。だからこそ、今この瞬間に必要なのは、これ以上の圧倒的な火力ではない。ただの精神論や根性でもない。アイツの学習速度に追いつかれるだけの、単純な必殺技でもない。
探索者は散らばった荷物を漁る手を止めないまま、邪魔な道具を乱雑に退かし、小さな特殊弾薬の箱を乱暴に退けた。
指先を動かし、何か一つの『部品』を探り当てながら、男はガリガリに焼けた喉を開いた。
「いいか、簡潔に説明する」
その低く、けれど妙に芯の通った声音に、モモイたちも、そして先生も、自然と口を閉じた。
結界の外からは、ひっきりなしに大気を震わせる轟音が響いてきている。時間が無い。それだけは、ここにいる誰の目にも明らかだった。
「アイツは学習する」
短い言葉。だからこそ、嫌な重さがあった。
「攻撃も」
「癖も」
「戦術も」
「こちらの思考もだ」
ミドリの顔が、恐怖で強張る。
「つまり……戦えば戦うほど、アイツ自身がどんどん強くなるってことですか……?」
「正確には違う」
「アイツ自身の出力やスペックが上がってるわけじゃねぇ――『俺達への理解度』が上がってるんだ」
そう言って、探索者は乾いた砂の上に、黒く汚れた指先でスーッと一本の線を引いた。
「例えば、俺」
一本の線。
「槍を使う」
さらにもう一本。
「盾を使う」
一本
「銃を使う」
一本
「弓を使う」
一本
「そうやって、アイツは攻撃を受けるたびに情報を集める」
砂の上に、格子のような幾重もの線が増えていく。
「集めた結果――」
探索者は、引かれた縦の線を、横に鋭く薙ぎ払った。砂の溝が潰れ、平らになる。
「俺というパズルを完全に理解する。そうなれば、もうどんな神速の一撃だろうが、アイツにとっては『答えの分かっている既出の問題』だ。だから、完全に先読みして防がれる」
重苦しい沈黙が結界内を支配する。誰も、軽口を挟むことすらできない。
「だから――『未知数』として突っ込んだリホの戦い方も、長くは持たねぇ。アイツがリホのデータをスキャンし終えた瞬間、また同じように詰む」
ネルが、焦燥を隠せない様子で眉をひそめた。
「じゃあ、どうするんだよ!? 打つ手なしってか!?」
その問いに、探索者の手が、ピタリと止まった。
そして
「だから、今必要なのは――」
探索者の黒い瞳が、モモイを見る。
ミドリを見る。
アリスを見る。
そして、最後に――先生を真っ直ぐに射抜いた。
「『予想外の一手』だ」
探索者が散らばるジャンクパーツの泥縄から、ガサリとバッグの最奥を引きずり出した。
その手の中に握られていたのは、これまで見せてきた光の粒子が形成する「奇跡の武装」ではなかった。
鈍い銀色の重厚な輝きを放つ、一丁の大型拳銃──
そして、もう片方の手につままれていたのは、たった一発の、妖しく光る銀の弾丸だった。
「……え?」
モモイがパチパチと目を瞬かせる。
見覚えがあった。以前、探索者がミレニアムに立ち寄った際、その異質すぎる構造に目を輝かせたエンジニア部の面々から「お願いだから一瞬だけでも分解させてほしい!」と泣きつかれ、彼が全力で拒否していたあのハンドガン──『デザートイーグル』だ。
「それ……」
先生が、そのあまりにも無骨で、けれど確かな殺意を宿した鋼鉄の塊を見つめて呟く
探索者は、口元の血を手の甲で拭いながら、鼻で笑った。
「あぁ、この世界じゃただの半端物だ」
そう言って、親指で銀の弾丸をぴんと上に弾く。
空中できらりと回った弾丸を手のひらで受け止めると、カラン、と乾いた金属音が静かな結界内に響いた。
「だがまぁ」
男は、結界の外を睨みつける。
リホの白い機体が、荒野を橙色の光で切り裂きながら、異形の猛攻と真っ向から激突し続けている光景
「贅沢言ってる場合じゃねぇからな」
そして──探索者は、躊躇いなくその銀の弾丸をモモイの目の前へと差し出した。
「……モモイ」
「え? な、なに?」
「この弾丸に、お前の『祈り』を込めろ」
モモイの思考が完全にフリーズし、その場でカチコチに固まった。
「は?」
「それで──アイツを撃ち抜く」
あまりにも突飛な言葉の、本当の意味が分からなかった。
隣にいるミドリも
縮こまっていたユズも
大きな瞳を瞬きさせるアリスも
「あ?」と低く眉根を寄せたネルも
いつも無表情なトキすらも、その端正な顔を僅かに傾げている。
そして、誰よりも探索者の手札を観察していたはずの先生ですら、その意図が理解できない。
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
モモイが慌てて、差し出された銀の弾丸を人差し指で何度も指差しながら叫ぶ。
「なんで私!? 祈りって何!? 私、そんな魔法みたいな能力持ってないよ!?」
「これは銀だ。銀は祈りを宿す。そして、退魔の力を持ち合わせる」
探索者の声は、どこか遠い世界の伝承を語るように酷く冷ややかだった。けれど、その瞳の奥にある絶対的な熱量に、モモイは思わず気圧される。
「じ、じゃあ……自分で祈って撃てばいいじゃん!」
「俺じゃ駄目だ。もう――祈れねぇ」
自嘲気味に吐き捨てられた言葉
「あの馬鹿みたいに強いバグに、俺の精神は持っていかれかけてる……今の俺がどれだけ祈った所で、あの壁は貫けねぇ」
「そして……今この場で、誰よりも強く、純粋に『元の日常に戻りたい』と祈れるのは、多分お前だ」
モモイの瞳が、大きく見開かれる。
探索者は冗談を言っていない。その黒い瞳は、どこまでも本気だった。
理解の追いつかない頭で、モモイの素っ頓狂な声が再び結界内に響く。
「な、何言ってるのさ! だったら私なんかより、ネル先輩とかの方が適任じゃん! 先輩めちゃくちゃ強いし、意志だって誰よりも固いし!」
「駄目だ」
モモイの真っ直ぐな目を真っ正面から射抜いて言い放った。
「一番『Lesson』が出来ていたお前じゃなきゃ、この弾は完成しねぇ」
「……良いか、モモイ。よく聞け」
それは、探索者が彼女を「才羽姉」ではなく、初めてその剥き出しの名前で呼んだ瞬間だった。
いつもの胡散臭い余裕も、からかうような響きも一切ない。
ただ一人の教え子に、自らのすべてを叩き込もうとする、冷徹で、けれど酷く真摯な声。
「教えなかったLesson5を……今、ここで問おう」
「Lesson5――遠回りこそが、最短の道だった」
「……は?」
当然の反応だった。
モモイからすれば、あまりにも意味が分からない。
結界の外ではリホが命がけで時間を稼ぎ、一分一秒を争うこの極限の死線において、返ってきた言葉が「遠回り」なのだから。
「今までお前に教えたLessonは、全部一度捨てろ」
「はぁ!? ちょっと、何言ってんのさ!?」
今まで散々体に叩き込まれてきた技術を、この土壇場で全部忘れろと言われているのだ。モモイの困惑は頂点に達していた。
「お前は勘違いしている。Lessonはただの技術じゃない」
「……え?」
「その全部だ」
探索者は、その無骨な指先で銀の弾丸を転がしながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「期待を捨てることも」
「筋肉に、その挙動を悟らせないことも」
「己の紡ぐ回転を信じることも」
「目の前のあらゆる事象に敬意を払うことも」
「――そのすべてが、遠回りだ。最初から結果だけを、効率だけを求めるなら、何一つ必要のねぇ無駄骨だ」
「だったら――!」
「だがな」
探索者はモモイの言葉を遮り、その黒い瞳で彼女を真っ直ぐに見据えた。
「その遠回りがあるからこそ、歩いた奴にしか辿り着けねぇ場所がある」
モモイはまだ、納得のいかない顔で手の中の弾丸を睨んでいる。
そんな彼女へ、探索者は静かに告げた。
「――ミレニアムプライスだ」
その単語が鼓膜を叩いた瞬間。モモイの表情が、ガチリと固まった。
「……あ」
「お前達ゲーム開発部は、あの
静かな、どこまでも低い声。
責めるわけでもなく、ただ彼らが歩んできた足跡を淡々と並べていく。
「だが」
探索者の視線が、モモイの背後にいる少女へと向けられた。
「その、泥臭い無駄があったからこそ――お前達はアリスと出会えた」
アリスが、大きな瞳をパチパチと瞬かせる。
モモイも、ミドリも、言葉を失って立ち尽くした。
「賞を手に入れるだけなら、もっと効率の良い方法があったかもしれない。ゲーム開発部を存続させるだけなら、もっと近道もあったかもしれない。だが――」
探索者は、砂を噛むような確信を込めて断言する。
「その効率的な近道を選んだ世界に、アリスはいない」
沈黙。
結界の中の誰も、その言葉を否定できなかった。
「遠回りだった。無駄だった。非効率の極みだった。――だからこそ、今があるんだよ」
探索者は、その妖しく明滅する銀の弾丸を、モモイの小さな手のひらの上へとそっと乗せた。
「目先の近道だけを見てる奴は、いつか近道しか見えなくなる。遠回りをして、泥を啜って、迷い抜いた奴だけが、本当に価値のある『本当の近道』を見つけ出す」
モモイは、己の手の中でずっしりと重い、冷たい銀弾を見つめる。
「大切なのは――お前の『意思』だ」
「意思……?」
「ああ」
探索者は視線を外の荒野から落とさずに、言葉を続ける。
「人は、目に見えるわかりやすい近道をしたがる。楽な方、早い方、確実そうな方。それは生き物として普通だ。悪いことじゃねぇ」
口端から流れる血を拭いもせず、ただ世界を観測しているだけの声音。
「だが、近道だけで手に入れたものは、次第にやる気を失わせていく」
モモイが、細い眉をひそめた。
「なんで……? 早く終わるなら、そっちの方がいいじゃん」
「結果が、早く出すぎるからだ」
探索者は即答する。
「「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ。だけど、近道した時 真実を見失うかもしれない」
赤い結界の光が、探索者の握るデザートイーグルの銃身に、淡く、禍々しく反射していた。
「だから──どんなに苦しくても、遠回りをしてでも、お前自身の
「……あ」
探索者は、その無骨な指先で銀の弾丸を転がしながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「大切なのは『向かおうとする意志』だ。向かおうとする意志さえあれば たとえ逃げたとしてもいつかはたどり着く、向かっている。そしてその全てがお前の中に積み上がる。迷いも、失敗も、下した判断も、その全てが」
探索者は、モモイの手をそっと包み込み、弾丸を握らせる。
「…あのクソゲーみたいに言うなれば」
そのすべてを愛しなさい。そうすれば、自ずと道は見える
その言葉を
彼女は知っていた。