探索者が次に目を覚ましたのは
どこまでも白く、清潔で、ひたすら退屈な──白い天井
(…一応やっとくか)
「…知らない天井だ」
ボロボロの意識の中、お約束のテンプレ台詞をカサカサの唇で呟いてみる。
いつもなら、『何を寝ぼけたことを言っているんですか。いつものミレニアムの病室ですよ』と、小生意気なツッコミが飛んでくる
だが、何も返ってこない。
耳の奥を支配しているのは、鼓膜が痛くなるほどの、圧倒的な静寂
「…そうだよな。奇跡も魔法もないよな」
病室に響くのは、規則正しい心電図の電子音だけ
──ガシャーン!!
唐突に、静まり返った空間を鋭利な破砕音が切り裂いた。
床に激突し、無残に砕け散ったガラスの破片。汲んできたばかりの水が、冷たく無機質な病院の床へ じわりと広がっていく
「……」
探索者が僅かに視線を動かした、その先──病室の入口
そこには花瓶の水を汲みに行って戻ってきたばかりの、モモイが立っていた。
手元からすり抜けたグラスのことも忘れ、モモイは完全に硬直している。
「……なんですか?死人をみたような顔をして、まだギリこの世のものですよ」
「起きてたの!?ってかいつ!?そうじゃなくて!先生ー!!!!」
そのまま猛烈な勢いで回れ右をして、病室を飛び出していった。
バタバタバタバタ!! と、およそ病院内とは思えない騒がしい足音が、廊下の向こうへと弾丸のように遠ざかっていく。
「…あいも変わらず…騒がしいなぁ…」
再びパタッと静まり返った病室で、探索者は天を仰ぎ、小さく息を吐き出した。
──────────────────────────
"で、どういう事かな?"
そう言った彼の病室には、いつの間にかモモイに連れられてきたゲーム開発部の面々、腕組みをしたネル、そして静かに佇む先生の姿があった。
「…全部説明しなきゃですよね」
「あたりめぇだろ」
「そうだよねぇ…くっそ長くなりますよ。お手洗いいっといたほうが良いんじゃないですか」
探索者は、わざとらしく困ったように肩をすくめてみせた。
この期に及んでもなお、いつもの食えない大人の態度で煙に巻こうとするその軽口に、モモイがすかさず「いかないよっ!」とツッコミを入れる。
観念するしかない。彼らが命がけで守り抜いた、この騒がしくて愛おしい「日常」に対して
「…いいでしょう。当事者の君たちには知る権利がある」
諦めたように息を吐き、探索者はわずかに視線を落とした。
すべてを話そう。このキヴォトスに流れ着く前のこと、自分が何者なのか、そしてなぜリホという相棒と共に戦っていたのか。
「まず──」
探索者が重い口を開く
病室の空気が張り詰めた、その時だった
「オーナー!!!」
静寂を強引にこじ開けるような叫び声と共に、病室のドアが再び、今度はこれ以上ないほど乱暴に押し開けられた。
「は? 支配人? どうしてここに……?」
突然の乱入者に、モモイとミドリが目を丸くする。
そこに立っていたのは、探索者が運営しているカジノの「2代目支配人」を受け継いだ、前髪を綺麗にぱっつんと切りそろえた少女だった。
いつもならカジノの威厳を保つために凛としているはずの彼女が、今は高級な制服を少し着崩し、肩を激しく上下させている。
「オーナーが……目を覚ましたって……聞いて……走って……っ!」
額に汗を浮かべ、ゼェゼェと胸を焦がすような荒い息を吐き、今にも泣きそうな顔で少女はベッドの上の探索者を真っ直ぐに見つめていた。
「あー……面倒くさい事になったな」
探索者は包帯の隙間から、片手で顔を覆うようにして天を仰いだ。
「…とりあえず落ち着け、深呼吸深呼吸。ヒッヒッフーってやつ」
「誰のせいだと思ってるんですか!?」
「私」
「分かってるならもう少し申し訳なさそうにしてください!」
「いやだって、今さら申し訳なさそうにしたところで傷が治るわけでもないし」
「そういう話じゃないんですよ!」
「そういう話じゃないらしいですよ」
「なんで先生に同意求めてるんですか!?」
「…まぁ…別に君にも関係のないことでもないか」
「えっ…?なんのことを…」
「…俺の正体について」
「えっ?」
「…それじゃ話しますよ」
探索者が再び、重い口を開く。
ゲーム開発部も、ネルも、先生も、そして入ってきたばかりの支配人の少女も、今度こそとゴクリと息を呑んだ。
病室の空気が、今日一番の緊迫感を持って張り詰めた──その時だった。
「探索者ちゃーん、お見舞いに……えっ…?起きてる……?」
ガラガラと間の抜けた音を立てて扉を開けたのは、いつも通りの眠たげな目をして、お見舞いの品を手にひょっこりと顔を出したホシノの姿
彼女が視界に収めたのは、涙目でベッドに詰め寄るカジノの支配人、目を丸くしたゲーム開発部、指を鳴らすネル、そして静かに佇む先生という、あまりにも濃度が高すぎる修羅場の空間だった。
「あ、あれ〜? もしかして、おじさん思いっきりお邪魔虫だったりする?」
「…」
「あーもクソ!なんでこんなに魔が悪いんだよバカぁ!」
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ホシノはあははと苦笑いしながら受け流し、手にしたリンゴの籠を近くの棚へと置いた。
そして、病室の面々の硬い表情と、ベッドの上の探索者の満身創痍な姿を交互に見つめ、小さく息を吐く。
「……なるほど、今さっき起きたんだね」
その声から、先ほどまでの呑気な響きがすっと消えていた。
「そういうことです。いろいろあって、私の事を聞きたいと」
「……その話、おじさんも聞いてもいいかな」
ホシノが一歩、ベッドの方へと歩み寄る。
そのオッドアイの瞳の奥に灯った光は、単なる好奇心などではない。明確な「当事者」としての強い意志だった。
「ノーと断りたいところですが、それは何故です?」
探索者は薄い笑みを浮かべたまま、牽制するように問いかける。
これ以上、キヴォトスの子供たちを自分の泥臭い領域に引きずり込みたくはない。特に、彼女のような「大人の不条理」を誰より知る生徒に対しては
だが、ホシノは逃げなかった。
探索者の拒絶を真っ正面から受け止め、ただ静かに、けれど逃れられない確信を込めて告げた。
「……私さ、見たんだよ。探索者ちゃんの顔が、それじゃないって所」
再び、病室が凍りついたような静寂に包まれる。
モモイたちや支配人の少女が息を呑み、先生が僅かに目を見張る。
「……ふざけているわけでは……ないですよね……その事は話すつもりなかったんですけど」
(これ以上のハッタリはむしろ逆効果……だな。これだけの目星を通されたなら、もう賽を隠す意味はない)
やがて、彼は決意したように、重く、そして静かに首元へ手を当てる。
ミキ、ミキ、ミキッ!
不気味な骨の軋む音が静寂を切り裂いた。
整っていたはずの「少女」の顔が、泥のように溶け、グネグネと歪んでいく
肉が波打ち、骨格が再構成され、その表情は一瞬にして「青鬼の面」へと変化する。
日光を浴びるその面は、まるで生きているかのように瞳を爛々と輝かせている
探索者は若干の迷いがあるようだが、その重々しい鬼の面を……自らの「顔」を、ゆっくりと剥ぎ取った
そこには、キヴォトスに存在し得ない「異物」がいた。
ヘイローはなく、銃火器も持たず、ただ深い隈を刻んだ瞳で世界を観測する男
人生の酸いも甘いも……いや、酸いと苦いだけを煮詰めたような、疲弊しきった「人間の男」の姿がそこにあった。
「……これは……どういう事ですか?」
支配人の少女の声が震える。
彼女がずっと慕い、憧れていた「完璧なオーナー」は、その皮の下にこんなにも擦り切れた「人間」を隠していたのか
探索者は、面の無くなった生身の顔を病室に晒し、深く、深く溜息をついた。
「……驚かせてすまないね。これが…『探索者』の正真正銘、正体だよ」
男は、自嘲気味に自分の顔を指さした。その声にはもう、今まで取り繕っていた少女の可憐な響きなど微塵もなかった。
「見ての通り、君たちが持っているような『ヘイロー』なんて上等なものは持ち合わせていない。ただの、どこにでもいる……いや、どこにも居場所がなくなった、ただの人間さ」
手に持った青鬼の面を見つめるその眼差しは、底知れない疲労感を湛えている。威圧感を失った木彫りの面は、日光の下でただの古びた玩具のように沈黙していた。
「……さて、となると次に出てくるのは、何故今まで『ヘイローがないこと』を誰も疑問に思わなかったのか、という疑問かな?」
──図星だった
モモイも、ミドリも、ネルも、支配人の少女すらも、ハッとしたように顔を見合わせる。
言われてみればそうだ。ヘイローはこの世界の住民にとって命そのもの。先生という例外はあるものの、それがない者を、なぜ自分たちは今まで「当たり前の存在」として受け入れていたのか
「…俺の能力の一つさ"平凡な見せかけ"っていうんだがね」
探索者はシーツの下にある手を全員の前へ出す。すると、そこにはさっきホシノが持ってきていた見舞品のリンゴが握られていた。
「今、俺の手に何が見える?」
「えっ?リンゴでしょ?」
「そうだな」
「バカにしないでよ!!それぐらいは私でも分かるよ!」
「じゃあ、いつから持っていた?」
「……えっ?」
モモイの言葉が、ピタリと止まる。
いつから持っていた?
そんなの、ついさっきシーツの下から手を出した時──いや、違う…じゃあ、ホシノが部屋に入ってきて籠を置いた時? いや、それもおかしい
そもそも、リンゴがいつ探索者の手に移ったのか、その瞬間の記憶だけが綺麗に抜け落ちていた。
「……みんな…見てた?」
「え? う、うん。見てたよ。見てた、はず……なんだけど……」
ミドリが答えるが、その声に確信はない。
病室にいる誰もが探索者の手元を見つめ、そこには確かにリンゴがある。
最初からそこにあったような気もする
今しがた現れたような気もする
けれど、それがいつからそこにあったのかだけは、誰一人として説明できなかった。
「実際は能力を言った瞬間に取っていた。それをここにいる全員が見ていたさ。なのにそれは「そういうものだ」と認識された…ま、そんな能力さ」
さらりと言ってのけた探索者の言葉に、病室の空気は、今度こそ完全に凍りついた。
ホシノが部屋に入ってきて、籠を置いた瞬間。
探索者はベッドの上で満身創痍、指先ひとつ動かすのすら億劫そうな状態だったはずだ。そんな男が、全員の目の前で手を伸ばし、籠からリンゴを掠め取った。
その光景を、全員が確かに見ていた…だが誰一人として、それを不自然だと思わなかった。
「探索者がリンゴを取った」ただそれだけの出来事として処理されてる
疑問は生まれない
違和感も残らない
まるで最初から、そうであることが当然だったかのように
「ミスディレクションってやつに近い物ですね」
「……ッ、冗談、だろ」
ネルが、自身のこめかみを強く押さえながら低く呻いた。
「だからこそ、誰も疑問に思わなかった。無理のある女の声で喋っている、ヘイローが見当たらない、経歴がない、探索者という個人名を刺さない名前…本来なら、どれも引っ掛かる要素だ」
そこで一度言葉を切った
「だが君たちの認識は、それを『そういうものだ』として処理された。外見も相まって、『こういう人間なのだろう』と納得した。それ以上、考えなかった」
ベッドの上の男が語る冷酷な事実。
それは、自分たちが信じていた「日常」の前提を根底から揺るがす、あまりにも奇妙な魔法だった
「エリドゥで場所移動に使ったのも同じような物です。こっちの名前は"門の創造"簡単に言えばどこでもドアですね。座標と座標を3次元で強引に切り裂き、本来あり得ない移動短縮を行う、高速移動とかではなく文字通りの『瞬間移動』ですね」
「無論これにもデメリットはあります。まず発動条件として、「門を出現させる座標・情景を正確に認知している」こと「座標に一度訪れたことがある」こと「燃費が悪く1日に数度しか使えない」ことがありますね」
「探索者さんは……魔法使い……なのですか……?」
アリスが、大きな瞳に困惑を浮かべながら、その疑問をポツリと落とす。
「魔法使い? あんな高等な物と一緒にしないでほしいね」
探索者は生身の顔を歪め、自嘲気味に苦笑した。
手の中のリンゴを静かに眺め、その赤い果皮に反射する頼りない光を見つめながら言葉を続ける。
「魔法は天性の才能だ。あるいは、君たちが日常で呼んでいるような『奇跡』と言ってもいい」
その瞳の奥には、ヘイローを持つ少女たちが当たり前のように奇跡を謳歌するこの世界への、羨望とも諦めともつかない複雑な色が滲んでいた。
「だが──俺が使っているのは【魔術】だ」
その声は、ひどく静かだった。
けれど、病室の全員の骨の髄まで冷やすような、圧倒的な現実の重みがそこにはあった。
「才能の代わりに知識を積み上げる。足りなければ代償を払い、それでも魔法に届かず。到底似合ってないような報酬しかもらえない『技術』だよ」
「だから、君たちも使おうと思えば使える。適切な代償と、呪文があればね」
男は手の中のリンゴを見つめたまま、まるで明日の天気予報でも告げるかのような淡々とした口調で言った。
その言葉の裏にある不気味な意味に、ゲーム開発部の面々がゾクリと背筋を凍らせる。
もし、ゲームのように軽い気持ちでその禁忌に手を伸ばしてしまったら──
「ただ、絶対止めるがね」
探索者はリンゴから視線を上げ、病室にいる生徒たち一人一人の目を、生身の、隈の浮き出た瞳で真っ直ぐに見据えた。
「魔法ってのはな、徹頭徹尾『才能』の世界。生まれつき素質がある奴は努力でどこまでも伸ばせるが、持たない奴は逆立ちしたって一生使えない。君たちが当たり前のように持っているヘイローや、そこから生み出される奇跡が、まさにそれ」
探索者はそこで視線を上げ、集まった少女たちを一人ずつ見据える。
「対して、俺が使っている魔術は違う。門戸だけは無駄に広く、誰にでも開かれてる。ヘイローのない俺だろうが、君たちだろうが、適切な手順を踏んで、己の『正気』っていう代償をキッチリ支払いさえすれば、誰だって今すぐにでも使える……だがな」
男の隈の浮き出た瞳が、一瞬だけ昏く濁った。
「大抵の場合、払った代償に見合わない君たちの知る奇跡みたいに万能でもない」
「効力は偏るし、燃費は最悪だ。失敗すれば死ぬ。成功しても、割に合わないことの方が多い」
「そして…一度、その門を開けてしまえば、もう逃げられない」
低く、掠れたその声は、病室のコンクリートの壁に染み込むようにして、その場にいる全員の心臓を冷たく掴む。
「そんなクソったれの技術が魔術と呼ばれるものさ」
魔術紹介
平凡な見せかけ
術者の行動そのものを隠蔽するのではなく、観測者の認識を「違和感のない形」へと補正する魔術。
対象は術者の行動を確かに視認しているにもかかわらず、それを「最初からそうだった」「特に気に留める必要のない出来事」として自然に処理してしまう。
そのため、物品のすり替え、潜入、情報収集、隠密行動などに高い効果を発揮する。
ただし、この魔術は「そのようなものである」と認識できるだけの下地を必要とする。
術者の行動が常識や状況から大きく逸脱するほど認識補正は破綻しやすくなり、観測者は違和感を覚え、最終的には見破られる可能性が高まる。
奇跡のように認識そのものを書き換える魔法ではなく、あくまで人間の認識の「盲点」を利用した魔術である。
門の創造
空間座標を一時的に接続し、本来存在しない通路を形成する魔術
一般的な高速移動ではなく、二点間の距離そのものを一時的に無視することで瞬間的な移動を実現し、術者および同行者は、生成された「門」を通過することで目的地へ到達できる。
発動条件としては
・目的地を正確に認識していること
・術者自身が過去に一度以上、その場所を訪れた経験があること
・接続先に十分な空間が存在すること
特性としてこの魔術は術者が目的地の座標を「記憶」と「イメージ」によって特定することで成立する。
術者が目的地の座標情報と現地の風景・地形・建造物などの記憶を照合することで接続先を確定させる。
座標のみでは誤差が生じる可能性があり、逆に風景のみでは類似した場所への誤接続を招く危険があるため、通常、探索者は両者を同時にイメージすることで精度を確保している。
ただし、周辺環境が大きく変化している場合や、術者の記憶が曖昧な場合には座標の照合精度が低下し、正常な接続が行えない可能性がある。
ゆえに、大規模な地形変化や建物の撤去・移設などによって目印となる特徴が失われた場合、座標の認識に誤差が生じ、正常に発動しない、あるいは意図しない位置へ接続される危険性がある。