「そんなクソったれの技術が魔術と呼ばれるものさ」
「……じゃあ、オーナーは」
静寂を破ったのは、支配人の少女だった。
彼女は、包帯まみれの男の生身の顔をじっと見つめながら、今にも消え入りそうな声で問いかける。
「オーナーは、その『代償』ってやつを払って……」
「あぁ。俺は欲望を代償にして、まだ使いやすくしてる」
「詳しく言うなら──睡眠欲を3割、食欲を5割、性欲に至っては全部ね」
さらりと吐き出された具体的な「数字」の生々しさに、病室の空気は、先ほどとはまた違う質の、奇妙な戦慄に包まれた。
人間が人間として、毎日を幸福に、健康に生きるための最も原始的なバランスを、彼は自らの手でメスを入れ、切り刻み、魔術の燃料として差し出し続けていたのだ。
「オ、オーナー……そんな、それじゃあ、毎日どんな気持ちで……」
「でも楽なもんだぜ?それを失っても生きることは出来る。それでいて、魔術の縛りとなる。こんなにコスパのいい縛りはないからねぇ」
"……何故、そこまでして自分を偽り、取り繕っていたんだ"
先生の静かな問いに、探索者は昼の空を見つめた。
「…私の任務を果たすためですよ……引いては、あなたたちを守ること。それが、この世界における私のロール(役割)ですから」
男は、手に持った青鬼の面を忌々しそうに睨みつける。
「……ウチの神が、この世界にクソみたいな接触をした。その神から無理やり押し付けられたのが、この『掃除屋』という役目です」
「そのせいで、君たちが予定していないところで死んでしまう可能性が生まれてしまった……もしそうなれば、それはバタフライエフェクトとなり、このキヴォトスだけでなく、
探索者の視線が、鋭く先生を射抜いた。
「本来なら救われるはずの命が、邪神の気まぐれで呆気なく散る……そんな『想定外の死』を止めに来た。だから私は『少女』を演じ、完璧なハッピーエンドを用意しなければならなかった」
「それって……」
モモイが、自身のヘイローを不安げに揺らしながら、おずおずと口を開いた
「それって……私たちの運命は最初から決まってたの?」
「いいや、違う。それだけは断じてない」
探索者は即座に、強くその言葉を否定した。
「大まかな流れは存在するものの、その細部までが事細やかに書かれているわけではない」
「ここで話しているのは『あり得たかもしれない可能性』の話だ。もしいま、ここでモモイが突然天井がぶち抜かれ、落ちてきたちくわに突き刺さって死ぬ。それもあり得る」
「ありえないよ!なんで私がちくわで死まなきゃいけないのさ!」
「いいや、天文学的数値だが、「なくはない」」
「だが、その神が起こしたのはその世界…引いては確率には存在しない不条理だ」
探索者はモモイの抗議をいなすように淡々と言い、それから一段と声を低くした。
「『本来ないはずのものが、そこにある』ただそれだけのことで、世界のシステムには大きな歪みが生じる……ましてや、その歪みのせいで『本来死ぬはずのない人間が死んだ』となれば、どうなると思う?」
その問いに、病室の誰もが言葉を失った。
「一人分の命が不自然に消える。それはただの“マイナス1”じゃない」
「その人間が未来で関わるはずだった因果、救うはずだった命、生み出すはずだった結果。それらが全部、連鎖して崩れる」
「ドミノ倒しみたいなもんだ。一本だけなら気づかれない…でも、積み上がると“世界の形”が変わる」
「そしてその結果、別世界にまでも影響を及ぼす可能性がある。実際そういう事例もあった」
「前から思ってたんだけど…別世界って…?」
「あぁ……その説明もだな」
探索者は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「まぁ、超ざっくり言えば……この世界は一冊の本みたいなもんだ」
「本?」
ホシノが眉を上げ、探索者は静かに頷いた。
「そう。ページごとに出来事があって、登場人物がいて、流れがある。普通はその“物語の中”で全部完結するんだ」
「え、それってゲームでいうストーリーみたいなやつ?」
「まあ近いな…で、問題はここからだ」
男の視線が、少しだけ鋭くなった。
「本来、その本は“他の本と干渉しない”それぞれの物語は、それぞれの中で完結して閉じている……だがな、問題はそれが“同じ場所に並べて保管されている”…イメージ的には巨大な図書館にしまわれているような点だ」
「同じ棚に、無数の本が並べられている。普通なら、ただ並んでいるだけだ。だが……その棚自体に“揺れ”が起きるとどうなる?」
モモイが眉をひそめ、おずおずと答える。
「えっと……本が、棚から落ちる?」
「あぁ…そして、本当に厄介なのはそこからだ」
一拍。病室の空気が、完全に静止する。
「落ちた一冊の本が、隣の別の本にぶつかる……その連鎖が、本来あるべき姿を変容させ、その変容がまた新たな変化を生む……」
探索者は淡々と、けれど呪いを吐き出すように言葉を紡いだ。
「そうすることで、だんだんとその図書館の本たちは感染していく」
「……そして……ありえない歪みを生み出すんだ」
「本来は絶対に交わるはずのなかった世界の境界線が、外宇宙からの衝撃によって融解し、混ざり合っていく凄惨なパンデミック…そんな馬鹿げた事を止めるために俺はここにいる」
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「……このキヴォトス以外にも世界があったなんて……まるで漫画だ……」
「普通じゃ絶対知り得ないことだしねぇ」
探索者は事も無げにそう言って、生身の、深い隈の浮き出た目を少しだけ細めた。
「知り得ないし、知る必要もない」
「一冊の本の登場人物が、自分が本の中にいることや、隣の棚の本の心配をする必要なんてない」
「……だが、“クソみたいな外力”が外側からかかった時だけは、どうしても帳尻を合わせる奴が必要になる」
男はそこまで言って、ふっと視線を落とした。
「……ま、そのために自分の人間性を切り売りする羽目になったわけだけどね」
「……事務員の正体が、神のパシリの擦り切れた化け物だったっていうオチか」
視線はどこにも向いていない。
「まあ……笑える話ではあるだろうね」
その沈黙を破ったのは、傍らで震えていた一人の少女――探索者に救われた、カジノの支配人だった。
彼女は、探索者が自嘲気味に吐き捨てた言葉を遮るように、一歩前へ踏み出した。
「……何が、化け物ですか」
「姿が変わったって、中身が男の人だったって、そんなのどうでもいいです……あなたが嘘をついていたとしても私が…私たちが貴方に救われた事実は変わりません」
そこで、ほんの少しだけ声が揺れた。
それでも、逃げなかった。
「この景色も、私の命も、全部あなたの『嘘』が救ってくれた……もし、あなたが自分のことを化け物だって言うなら、その化け物に救われた私は……私は!一体何なんですか……!」
少女の瞳には、恐怖も嫌悪もなかった。あるのは、ただ純粋な感謝と、正体を知ってもなお揺るがない信頼だけだった。
少女の切実な言葉に、探索者は一瞬だけ目を見開いた。だが、その瞳に宿った光はすぐにかげり、彼は少女の掌から、右手を静かに引き抜いた。
「……嬉しいですよ。支配人、君にそう言ってもらえるのは、探索者冥利に尽きる」
男の声はどこまでも低く、乾いていた。彼は自分の右手を、まるで汚物でも見るかのように見つめる。
「……勘違いしないでくれ。私は聖人君子じゃない。ただ、目の前で救えるはずの命を見殺しにするのは、あまりに寝覚めが悪い……それだけの、無駄に残ってしまった些細な『人間性』が、私にこの不毛な真似をさせているだけだ。それに……」
探索者は、空にに浮かぶ冷ややかな雲を見据えた。
「……任務を失敗すれば、私は確実に命を落とす。私が生き残るためには、この茶番を完璧に演じ切るしかない。生存本能と、ほんの少しの目覚めの悪さ……私の原動力なんて、そんな安っぽいものですよ」
探索者は、夜風に吹かれながら少しだけ遠くを見つめた。その瞳は、冷徹なプロのそれでありながら、どこか「情」という熱に焼かれた者の名残を留めている。
「…ま…そんなふうに言い切れたら良かったんですがね…」
「…期待に応えたくなる……困ったことに、俺もまだ、それくらいには脆い生き物なんだ」
探索者は、自分の胸元を強く掴んだ。その指先が、服の布地を悲鳴を上げるほどに強く引き絞る。
「……僕はね、先生。人の死というものを、それこそ数え切れないほど見てきた。 宇宙の狭間で、神々の気まぐれで、あるいはただの不運で……あっけなく消えていく命を、嫌というほど、文字通り山ほど積み上げてきたんだ」
「……慣れてしまったんだよ。肉が焼ける臭いにも、命が尽きる瞬間の静寂にも、残された者の絶望にも。感覚が麻痺して、死をただの『事象』として処理できるほどに、僕は壊れてしまった」
その声は、もはや突き放すための虚勢ではなく、湿った絶望を含んで震えていた。
「死を見守るだけじゃない……人を、それも救いようのないほどの『善人』を殺すことにだって、もう慣れきってしまったんだ」
その告白は、静寂を切り裂く毒液のように響いた。
「世界の天秤を維持するために、僕が死ぬべきではないと思っている子供の首を刎ねる。因果の帳尻を合わせるために、輝かしい未来を持つ若者の心臓を貫く……それが、私たちが『掃除屋』と呼ばれる所以だ。神の不始末を片付けるってのは、そういうことなんだよ」
男は、自分の両手を見つめた。日に照らされたその手は、歴戦の傷を負っているだけでなく、消えない血の記憶に塗れているかのように見えた。
「最初は吐いた。次は泣いた。だが今は……何とも思わない。ただ、その日の仕事が一つ終わったと思うだけだ……なあ、先生。そんな汚れた手で、君たちの綺麗な物語に触れていいはずがないだろう?」
先生は、探索者が「汚れた手」と呼んだその右手を、拒絶することなく真っ直ぐに見つめて口を開いた。
"それでも君は、目の前の命を救いたいと願った。その事実だけで、十分だよ"
先生の声は穏やかで、けれど迷いのない確信に満ちていた。
"君がどれだけの死を見て、どれほどの善人を手に掛けてきたのか……その地獄を私は知らない。けれど、今こうしてボロボロになりながら、たった一人で世界を買い被ってまで「寝覚めが悪い」と笑う君のことは知っている"
その肯定に、探索者は弾かれたように顔を上げた。
理解されるなど思ってもいなかった。突き放すために晒した己の醜悪さを、目の前の大人は "十分だ" と言い切ったのだ。
探索者は長く、深い溜息を吐き出した。それは憑き物が落ちたようでもあり、あるいは新たな諦念を受け入れたようでもあった。
「……本当、救いようのないお節介だ。あんたって人は」
「…別に君たちの救いが魅力的なわけじゃない。むしろ美しくそれが罠だとしても食いつきたいよ」
男はそこで言葉を区切り、先生の、そして涙を浮かべて自分を見つめる支配人の少女の頭を撫でた
「でもね。こちらにも意地がある」
「……救われて君たちの綺麗なハッピーエンドをバッドエンドに変えるわけにも行かないのさ」
「…だから、救ってほしくない。でも…表面で理解してほしい。それが…僕の出来る…探索者としての最大限の譲歩さ」
「はい!湿っぽい話終わり!」
「いやぁ…こんな
「……は?」
「いやいやいや!?何終わらせようとしてるの!?おじさんちょっと説得考えてたんだけど!?」
それまで神妙な面持ちで男の地獄の告白を受け止め、言葉を選んでいたホシノが、素で素っ頓狂な声を上げた。
「あー聞こえませーん。終わりと言ったら終わりですーこれ以上の俺に関する質問は何も答えませーん」
探索者はこれ以上ないほど綺麗に耳を塞ぎ、文字通りシャッターをガラガラと下ろすような勢いで殻に閉じこもった。
「おい! なんでそこで切るんだよ!慰めを用意してたアタシがバカみてぇじゃねぇか!!」
「知りませんー勝手にバカやっててくださーい」
「テ…テメェ!マジで一発殴らせろ!!」
ネルの額に最大級の青筋が浮かび、バキバキと拳が鳴る。
「あー!良いのかぁ!ヘイロー無くてしかも怪我人に暴力振るっちゃってー!」
「ぶっ殺す!!」
「…ひ…一ついいですか…?」
その声の主はユズだった
「…た…探索者さんのことは駄目でも…あ…のギガンテス?とか…赤い薬について…」
「………拒否します」
「今考えたよね!?説明しなきゃいけないって!!」
「黙れバーカ!うるせぇバーカ!!」
本編で語られなかった縛りについて
縛りとは本来、魔術体系として確立された技術ではなかったが、探索者が他の世界に触れることで「あれこれできるんじゃね?」と想像力を働かせることで作り上げた、唯一の物である。
縛り内容としては
・花園
・煉獄
・地獄
・奈落
の4種類が存在し、破った時のペナルティと縛りをした時のメリットが大きく変化する。
・花園
最も扱いやすい縛り。その名の通り、術者自身の中に小さな「約束」を植えることで成立する。
煉獄や地獄のように己の在り方そのものを変えるものではなく、日常の延長線上に存在する簡易的な縛りである。
最大の特徴は、成立までの時間が短く、条件の変更や解除も比較的容易なことでありその分、得られる効果は限定的であり、大きな奇跡を起こすことはできない。
しかし、失敗時の代償も軽く、戦闘以外の日常的な補助や、一時的な能力向上に向いている。
例:1日、食料を口にしないことで第六感を向上させる
・煉獄
花園より一段階深い縛り。
最大の特徴は、術者自身が「その制約を心から受け入れるまで成立しない」こと。
花園が「条件と代償を設定する技術」であるなら、煉獄は「自分の生き方そのものに制約を刻む行為」である。
作成には長時間の精神集中が必要であり、一度成立した煉獄は簡単には解除できない。
その代わり、術式の安定性と効力は花園を大きく上回る。
例:塩と砂糖を決して間違えないを守り続ける限り、身体能力は向上する。
もし一度でも間違えた場合、48時間その強化は失われ、さらに8時間味覚を失う。
・地獄
煉獄より一段階深い縛り
その名の通り、術者自身が「痛み」や「喪失」を受け入れることで成立する高位の縛りである。
地獄に分類される縛りは、単なる制限や失敗時の罰則では成立せず「何かを失う代わりに、何かを得る」という明確な等価交換の形を必要とする。
それは身体機能、記憶、感情、能力、寿命、あるいは大切な何かであっても構わない。その代償の大きさゆえに、得られる効果は花園や煉獄とは比較にならないほど強力であり、その上、解除する時にはペナルティが存在する。
例:3大欲求を失う変わりに、全ての魔術の難易度を大幅に低下させる
自分の名前を忘れる事で、魔力の効率を大幅に上げる
・奈落
探索者が作り出した縛りの中で、最も深く、最も危険な領域。
それは「何かを失う覚悟」ではなく、「最後には自分自身すら失って構わない」という信念によって成立する。
己を構成するあらゆるものを代償として差し出し、その瞬間だけ、「奇跡」と呼称されるほどの力を引き出す。
奈落は単なる自殺行為ではない。
「死んで勝つ」ではなく、「勝って死ぬ」という狂気じみた確固たる意志と、それに見合うだけの自らの大切な物を犠牲とし、自らが何者でもない存在になったとしても最後まで諦めない者が、辿り着く場所である。
全てを失う覚悟を持ちながら、それでも最後まで生きる希望を求める。その矛盾を抱えたまま死地へ赴く覚悟こそが、奈落には必要となる。
例:なし
奈落とは、自らを失うための縛りではない。
自分という存在を燃やし尽くしてでも、最後に残したいものを守るための縛りである。
だからこそ奈落に至った者は、死を望んではならない。
失う覚悟と、生き抜く意思。
その矛盾を抱えた者だけが、奈落へ到達できる。
なお、上記で挙げた縛りの例は、あくまで理論上のものではない。その全ては、探索者自身が実際に己と結んだ縛りである。
全ての縛りに共通することは、力を得るためだけに存在するものではないという点である。
縛りとは、術者自身が己に課した約束であり、その覚悟を形にするための技術である。
それは死ぬために力を求めるものではなく、最後まで生きるために、最後の瞬間まで自分の意思を貫くために使われる。