予想
「ひ……暇すぎる……」
白い天井を見上げながら、探索者は心底情けない声を漏らした。
カヨコがあの後、本当に嬉しそうに、けれど少し照れくさそうに自分の拙い思い出話に付き合ってくれたあの日から、さらに一ヶ月の月日が流れていた。
全治2ヶ月の大怪我。退院まで、残すところあと一ヶ月
だが……確かに暇であった。
「えぇ……こんなに動けねぇことが暇になるとは……」
死線を潜り抜けることには慣れているし、修行となれば列車に乗って何十時間も精神を擦り減らすような真似だってしてきた。だが何もしない時間だけはどうにも耐えられない。
とはいえ、孤独というわけでもない。
ゲーム開発部、C&C、アビドス、セミナー、便利屋68。 入れ替わり立ち替わり、彼の病室には人が訪れており、お見舞いに来てくれる時間は、この歪な世界において、間違いなく彼の乾いた心を癒やす温かい時間ではあったが…それでも──彼女たちが去った後の静寂は、どうしようもなく暇だった。
左腕のギプスは外れ、リハビリのおかげで少しずつ動くようになってきた。指先をグーパーと動かし、感覚を確かめる。
そんな時だった
ベッドのサイドテーブルに置かれたスマートフォンが、けたたましくバイブレーションを震わせる
「……ま、良いことなんだろうがなぁ……職業病ってやつだな」
画面をスワイプする直前、男は苦笑混じりにそう呟いた。
平和で、賑やかで、お見舞いに来てくれる少女たちの温かさに満ちた日常
それに退屈を覚え、何かが起きる予兆にどこか安堵している自分自身に、心底呆れる。死線を潜り抜け続けることでしか生きている実感を得られない、探索者という因果な生き物の悲しいサガだ。
ふっと息を吐き、男はスマートフォンのスピーカーを耳に当てる
「はいはい、もしもし。こちら、退院まで残り一ヶ月の哀れな無職のベッドの上ですが──」
『もしもし?ちょっと聞きたいことがあってね』
「…どーしたんですか?先生」
『…単刀直入に聞きたいんだけど…トリニティの裏切り者って知ってる?』
「……知らなくはないって所ですね」
『どういう事?』
「それより先に事情を、それによって私の情報の正確性が上がります」
『……はぁ、やっぱり君に聞くのが一番早そうだ』
電話の向こうで、先生が少し疲れたように、けれどどこか切迫した様子で小さくため息を吐くのが聞こえた。
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「なるほど? それで裏切り者の情報がないかと」
『……考えたくはないけどね』
先生から伝えられたのは、補習授業部に潜入している『裏切り者』を炙り出すという任務。その言葉を受け、探索者は頭の中で素早くピースを組み立てる。
「んで、今は無事補習組に入ったけど、皆がそうだとは思えないって所かな。多分近くに聞いている……浦和ハナコか阿慈谷ヒフミ…両方がいますかね」
『えっ!? なんで分かったの?』
「いやぁ、先生。電話の向こうから、妙にこう……『ただ事じゃない優秀な気配』と、『どこにでもいる普通の女の子の気配』が混ざって聞こえてきましてね。先生の隣で、今まさにその話を一緒に聞いてるんでしょ?」
『……君、本当に病院のベッドの上にいるんだよね?』
「ま、正確に言えば微かな呼吸音と……その補習授業部にいて、今このタイミングで先生と一緒にいてもおかしくない人物となれば、その2名に絞られるってだけですよ」
探索者はベッドの背もたれに体を預け、至って軽いトーンで言葉を続けた。
「結論から言いましょうか、本命聖園ミカ、対抗白州アズサ、大穴シスターフッドの長…歌住サクラコでしょうね」
『…………っ』
「対抗、大穴って言っても、本命は1.0倍ですけどね。当然でしょう、あの子のゲヘナ嫌いはヤーバイですから、グレー寄りのクロって所ですね。少なくとも白側に置く理由は薄い」
聖園ミカ
彼女がどれほどゲヘナ学園を忌み嫌っているか、そしてその感情がどれほど苛烈なものか。表向きは天真爛漫なお嬢様として振る舞う彼女の「本質」を、探索者はとっくに看破している。
『……裏を返せば、ナギサの疑いは最初から身内に向くべきだった、ということだね』
先生の声は、驚きを通り越してどこか諦念に似た重みを帯びていた。信じたくない現実を、こうもあっさりと突きつけられたのだから無理もない。
「そういうことです。灯台下暗し、なんて可愛いもんじゃない。ナギサ様は自分が信じたい形に囚われて、足元のぬかるみに気づいていないんですよ。まぁ、身内の犯行なんて一番認めたくないでしょうしねぇ」
「それに」
「……百合園セイアの…友人の死の知らせが届いて、もう一人の友人を容疑者として疑うのなんてさすがに無理がありますよ」
『…………っ!!』
「残された二人のうち、一人は恐怖と哀しみのあまり狂気に逃げて、もう一人はその裏で冷徹に手綱を引いている……残酷な話です。だからナギサには見えないし、見ようともしない。自分の隣にいる、もう一人の大切な『友人』が、全ての糸を引いているなんてさ」
「ってかその状況で友人疑ってたらメンタルヤバいですよ。流石にドン引きです」
「……まぁ、私のオカルト予想が外れてて、聖園ミカがただの『ちょっとゲヘナが嫌いなだけの無害なお姫様』であることを、一番祈ってるのは私なんですけどね」
そう言って、いつものへらへらとしたハッタリの笑みで会話を締めくくろうとする。
『貴方は……何者なんです?』
受話口の向こうから聞こえてきたのは、先ほどまでの先生の困惑した声ではなかった。
おっとりとした上品さの奥に、徹頭徹尾、冷徹なまでの理性を隠し持った、若く、けれど底の知れない少女の響き。
「その声は…あれですね。露出狂として狂人RPをして、人を遠ざけ、自らを孤独にした天才の、浦和ハナコさんですね?」
『…………っ、』
一瞬の、けれど確実にハナコの計算を狂わせた、完璧な沈黙。
自分がトリニティという巨大な檻の中で、どれほどの孤独を抱え、どれほど歪な手段で己の正気を守り続けてきたか。それを、会ったこともない、どこの馬の骨とも知れないベッドの上いる人間に、一言で、それもこれ以上ないほど不躾に暴かれたのだ。
「いやぁ、お噂はかねがね。その頭の良さで全部隠し切れると思ってたなら、ちょいと無理がありますよ」
「…貴方みたいな人がトリニティ来ちゃ駄目ですよ……茶をしばいている下で足しばいてる所ですよ?そこ」
『…………っ』
電話の向こうで、ハナコが息を呑む気配が今度こそはっきりと伝わってくる。
「ってか…あまりにも露骨すぎます。成績が落ちた時期と露出狂になっている時期が重なりすぎてる。トリニティという場所を考えれば割とそういう考えになりますよ」
『……あはは、本当に、とんでもないお方ですね』
受話口の向こうから漏れたのは、降参にも似た乾いた笑いであり、そしてその声は、次の瞬間にはもう“演技”ではなくなっていた。
『……ええ。その通りです。あの箱庭で正気を保つには、何かを“壊すふり”をして誤魔化すしかなかったんです』
「生き残るためのロールプレイってやつですか。まぁ、嫌いじゃないですよ。こっちも似たようなもんですし」
『……似たような、もん?』
「全部を本気で見抜いてるわけじゃない。情報も、推理も、半分は“当てにいってるだけのハッタリ”です」
探索者はベッドの上で軽く肩をすくめる。
「ただ、ハッタリにも“当たりやすい形”ってのはある。人間の行動には、どうしても癖と歪みが出るのでね」
『……』
その沈黙は、否定ではなかった。
むしろ、受話器の向こうの気配が静かに“観察”へと切り替わる音だった。
『なるほど……』
『私は今まで、それを“隠し方の問題”だと思っていました……でも貴方は、“隠し方”じゃなくて“癖そのもの”を見ている』
「まぁ、そうなりますね」
「だから断定じゃない。グレー寄りのクロ……いや、“クロに一番近いグレー”って言い方が正しいですね」
『……ずいぶん、優しい言い方をしますね』
「外すと面倒なので、それに…外れててくれた方が助かる話ですしね」
その言葉に、受話口の向こうでハナコがほんの僅かに息を止める。
『……ああ』
納得でも、反論でもない声。
ただ一瞬だけ、“理解されることの距離感”を測り直すような間が、電波を通じて流れる。
『……本当に……とんでもない人ですね、貴方は』
だがその言葉の奥には、もう先ほどまでの明確な警戒はない。代わりに残っているのは、静かな観察と──ほんの少しだけ、置き場の分からない興味だった。
『……私は今、少しだけ困っています』
「何がです?」
『貴方を“敵として分類できない”ことに、です』
「……私としては、貴方はとてもめんどくさくて困ってますけどね!」
探索者はベッドの背もたれに頭をあずけ、あからさまに大げさなため息を吐き出してみせた。
「こっちは退院まであと一ヶ月、何の憂いもなく天井のシミを数えるだけの、平和で怠惰な生活を満喫するはずだったんですよ。それがどうです? 先生から一本の電話がかかってきたと思ったら、トリニティの最深部のドロドロに片足突っ込まされるわ、現役女子高生の重たいカウンセリングに付き合わされるわ……」
『……ふふっ。あら、それは手厳しいですね』
受話口の向こうで、ハナコが今度は本当に、年相応の悪戯っぽさを含んだ笑みを漏らす。
「敵として分類できない、なんてそんな上等なもんじゃあないですよ。私はただの、自分の生活圏にこれ以上厄介ごとを持ち込まれたくないだけの、しがない怪我人です」
『……ふふっ、あははは!』
『……そういうところなんですよ』
呆れたような、けれどどこか嬉しそうな、ため息混じりの声が電波を震わせる。
「何がです?」
『私が困っている理由ですよ』
「こっちも面倒くさい女子高生の扱い方のトリセツが見当たらなくて困ってますけどね」
『……ふふっ、お生憎様。浦和ハナコの取扱説明書は非売品ですし、なにより、とってもページ数が多くて解読困難ですよ?』
ハナコの声は、もう先ほどまでの冷徹な天才のそれではない。ただの悪戯好きな少女の響きだった。
「じゃあ会うのはご勘弁ですね。説明書が辞書ぐらいありそうなので」
『あら、残念。辞書どころか、トリニティの大聖堂の蔵書ぜんぶをひっくり返しても足りないくらいですよ? 覚悟しておいてくださいね』
「あぁ、あとは先生にセクハラすんのもほどほどに、その人クソボケで、女の子の扱いをわかってない人なので」
『ふふっ、わかりました。それでは、先生に変わりますね』
どこか満足げな、そして僅かに弾んだ声を最後に、受話器の主がハナコから元の持ち主へと戻る。衣服が擦れるような音が響き、次いで聞こえてきたのは、完全にキャパシティをオーバーした先生の、情けないほど困惑した声だった。
『……あ、あの、もしもし? ハナコと何を話してたの……?』
「いやぁ、おたくの娘さん、本当にめんどくさいですねぇ。トリセツがトリニティの蔵書全部とか言われましたよ」
『い、いや、私には二人の会話の半分も理解できなかったんだけど……というか、ハナコが私にセクハラしてるって、なんでそれまで知ってるの!?』
『あっ、ちょっと待って。今ヒフミが何か……えっ? 話したい?もしもし、ヒフミも一言──』
「あー……その子と話すのは、ちょっと……。でも、一言だけ言いたいです」
『え? ちょっと、急に真面目な声になってどうし──』
「お前は出禁だバーカ!!! うちのカジノの敷地を2度と跨ぐんじゃねぇぞ!!」
先生の狼狽した叫びが響くが、それすらも冷徹に遮断して、男は手元のスマートフォンをベッドの上に放り出した。
静寂が戻った病室に、探索者の盛大なため息だけが落ちる。
「……支配人がまたやられたって泣きつかれたからな、一言言ってやらねぇと気がすまねぇ」
「なんであんな『歩く出禁製造機』みたいなのが、あんなめんどくさい天才の隣に平然と座ってんだよ……トリニティの生態系はどうなってやがる……」
「ま、あとはどうにかなるだろ」
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ハナコが、アズサが、コハルが、そしてヒフミが。
ボロボロになりながらも、お互いの手を固く握りしめて、トリニティのどこまでも長い坂道を走っていた。
背後には、先ほどまで命を懸けて激突した聖園ミカの残響
突きつけられた残酷な現実を、彼女たちは「全員で合格する」という意地だけで跳ね除けた。だが、無情にも時間は一刻と迫り、試験開始の鐘の音が遠く大聖堂から響き渡る。
「はぁ、はぁ……っ! ま、間に合わない、ですか……!?」
「そんな……! ここまで、みんなで頑張ったのに……!」
焦燥と絶望が、少女たちの足をもつれさせかけた、その時
キィィィィィッ──!!!!
けたたましいスキール音を響かせながら、トリニティの石畳の坂道を、一台の車が文字通り滑り込むようにして横付けされた。
あまりに乱暴なブレーキングに、白煙がふわりと舞う
唖然として足を止める補習授業部の面々の前で、運転席の窓がウィィィンと滑らかに開いた。
そこに肘をかけ、サングラスを少しだけ指で下げて、いつものへらへらとした、けれどこれ以上ないほど頼もしい笑みを浮かべた探索者が顔を覗かせる。
「ヘイカノジョ!ライン…はねぇか モモトークやってる? ってか──ドライブしない?」
「た、探索者さん!?な、なんで貴方がここに……!? まだ入院中じゃ……!」
目を見開くヒフミに、探索者は不敵に笑って、ギプスが外れたばかりの左手で助手席のドアを内側から勢いよく押し開けた。
「先生から『補習授業部が大変そう』って聞きましてね」
「それだけで来たんですか!?」
「暇だったので」
「あっ!でも担当医には怒られると思います」
「じゃあ来るな!」
「突っ込んでる場合ですか?さっさと乗らなきゃ遅刻ですよ!」
ハナコが、アズサが、コハルが、そして大慌てのヒフミが、雪崩れ込むようにして車内へと転がり込む。ドアが閉まる音とほぼ同時に、探索者はシフトレバーを叩き込んだ。
「さ、11,000までキッカリ回すぜ! シートベルトは締めたか? 神様にお祈りは?」
「えっ、ちょっと待ってくだ──」
ヒフミの悲鳴が途切れるより早く、アクセルペダルが床まで踏み抜かれた。
ギャァァァァァッ!!!
駆動輪がトリニティの気取った石畳を激しく引っ掻き、凄まじいGが少女たちの身体をシートへと縫い付け、メーターの針が跳ね上がり、エンジンの咆哮が車内に狂気じみた振動を伝える。
「ひゃああああああっ!? な、なんなのこのスピードはーっ!?」
「くっ……! この慣性は………!」
「わ、わわわ、私まだ心の準備が、ペロロ様がーっ!」
コハルが窓に顔を張り付かせ、アズサが本能的に身構え、ヒフミがぬいぐるみごと座席でバウンドする中、助手席のハナコだけは、信じられないものを見る目で運転席の横顔を凝視していた。
「……探索者さん、貴方という人は」
「ん、何ですハナコさん? 乗り心地が悪いのは仕様ですよ!」
「ふふっ…本当に、最悪に、めんどくさい人ですね」
「アンタにだけは言われたくないですねぇ」
探索者は不敵に笑い、乱暴にハンドルを切り裂く、上品なトリニティの大聖堂を背景にして、一台の車が爆音を立てて坂道を駆け上がっていくのであった。
補習授業部編完!!ご視聴ありがとうございましたぁぁ!!