コントロールされた風紀委員会の進撃が背後で爆音を奏でる中、探索者はすでに敵陣の奥深くへとトップスピードで潜り込んでいた。
瓦礫を飛び越え、崩落した柱の影を滑るようにすり抜ける。魔力をほぼ使い果たし、魔術が使えない「一般人」に戻っている今の彼にとって、ここは一歩間違えれば流れ弾一つで命を落とす地獄だ。だが、その目は冷徹に周囲の違和感を拾い集めていた。
(どこだ……いないのか?)
探索者は走りながら、焦る思考を無理やり押さえつけて周囲の全景をよく観察する。
キヴォトスの生徒たちはヘイローの加護により、その身体能力も体格も常人の域を超えている者が多いが、基本的には少女のサイズだ。
対して、彼が探している『先生』は、この世界において数少ない「外から来た本物の大人」の一人
(頭一つ分、いや、それ以上だ。周囲の瓦礫や、散らばっているアリウスの連中……他の建造物との比較で、大人のサイズならある程度遠くからでもシルエットを絞り込めるはず……!)
「居た…!」
爆煙の切れ間、崩落した礼拝堂の裏手。他の建造物の対比から導き出した「大人のサイズ」のシルエットが、確かにそこにあった。
(待て……なぜあそこで先生は止まってる? こんな危険地帯、一刻も早く抜け出したいはずだろ)
探索者は走りながら、目を細めてその周囲の状況を脳内で組み立てる。
怪我をして動けないのか? いや、遠目から見る限り、目立った外傷で倒れ込んでいるようには見えない。なら、答えは一つしかない。
(動けないんじゃない、動くと死ぬんだ──敵対勢力がいる!)
おそらく、遮蔽物の向こう側に先生を釘付けにしている「何か」がいる。アリウスの伏兵か、あるいはもっと質の悪いシロモノか。先生が不用意に一歩でも動けば、その瞬間に撃ち抜かれるような、最悪のチェックメイトの手前。
(どうする!? ここから先生までは300メーターちょい!)
今の足で全力疾走しても、到達するまでに1分はかかる。銃弾が飛び交うこの平原を、魔力のない今の身体で直線的に突っ切れば、先生の元にたどり着く前にこちらが蜂の巣だ。
だが、猶予はない。背後では風紀委員会がアリウスの戦線を文字通りゴリゴリと削り削り進んでいるが、撤退戦の為、ここまでの距離を突破してくることはない。
「……やるか」
探索者が芯火から取り出したのは一つの鐘のような黒い手榴弾
(VOG25君の信管作動距離は約2秒!破片数は35!今の魔力で運が良ければギリ耐える!)
300メートルの距離を普通に走れば死ぬ。だが、この大爆発の「推進力」と「硝煙」を盾にして、全盛期に近い加速をこの凡人の肉体に無理やりブチ込めば──1分かかる距離を、一瞬でゼロにできる。
失敗すれば、先生に届く前に自分が35の破片で足が消し飛ぶ。成功しても、足が使い物になるかは不明
それでも、マスクの奥の瞳は一切ブレていなかった。
(さぁ、ダイスの女神!俺とタップダンス踊ろうぜ!
探索者は手榴弾のピンを引き抜くと、迷わずそれを自分の直近の地面へと叩きつけた。
──ドオォォォォン!!!
強烈な閃光と、鼓膜を抉るような金属質な爆音がトリニティの戦場に炸裂した。
「Fooo!!怖ぇぇええ!!!」
凄まじい衝撃波と鉄の破片が、容赦なく探索者の下半身を襲う。なけなしの魔力を全弾注ぎ込んだ『被害をそらす』は、一瞬で限界を迎えてガラスのようにパリンと砕け散った。
だが、その下にはまだ、彼が愛用している特製のスーツがあった。衝撃を極限まで減衰させる『ヌオーヴォ生地』──この最高級の防護機能がなければ、今の一撃で間違いなく肉は裂け飛び、骨は粉々に砕けていただろう。
爆風の直撃を受け、衝撃で視界が真っ白に染まる。だが、探索者が求めたのはその先にある「推進力」だ。
彼はすでに、事前にフェンタニルを服用している。
脳が恐怖に叫ぼうが、今自分の足の骨がどんな形にひん曲がっているのか、肉がどうなっているのかなど知り得ないし、知った風でもない。
痛覚の消え失せた両足に狂ったような電気信号だけを叩き込み、ただひたすらに前へと地を蹴る。
引き絞ったバネが弾けるように、彼の身体は硝煙を突き破って前方へと文字通り「射出」された。
(まだだ……まだ止まるんじゃねぇ……ッ!!)
300メートルという絶望的な平原が、猛烈な勢いで縮まっていく。
視界の端で、遮蔽物の向こうにいる『先生』の姿がみるみるうちに大きくなり──そして同時に、その先生を今まさに狙わんと銃口を動かしている、アリウス…とはまた違う伏兵のシルエットを、探索者の鋭い瞳がはっきりと捉えた。
「先生!!!捕まれ!!!」
突進の勢いのまま、探索者は『先生』の身体を強引に抱きかかえ、遮蔽物の裏へと引きずり込もうと手を伸ばす。
パンッ!
"グアッ……!!"
探索者の腕の中で、先生の身体が大きく跳ねた。
肉を弾丸が貫く、生々しく最悪な衝撃。伏兵の狙撃は、間一髪で先生の身体を捉えていた。
(撃たれた……だが内臓じゃない! 弾道は逸れてる、まだ致命傷じゃねえ!!)
探索者の脳が、抱きかかえた感触だけで瞬時に先生の負傷の深さを弾き出す。キヴォトスの生徒ならともかく、ただの人間である先生にとって、一発の銃弾すら文字通りの致命の危機だ。一刻の猶予もない。
「先生をこちらへ!!」
その時、硝煙を乱暴に割って、見慣れた「動く遺体安置所」が滑り込んできた。ゲヘナ救急医学部の救急車、そしてハンドルを握る氷室セナの姿だ。
「そのまま離脱だ!!振り返るなよ!!」
探索者は自爆突撃の残りの慣性をすべて使い切り、血に染まる『先生』の身体を、救急車の後部ハッチへと滑り込ませるようにして全力で押し出した。
静まり返りかけた視界の端、崩れた遮蔽物の影に取り残されていたのは……探索者と、ボロボロになった空崎ヒナだった。
ゲヘナ最強と謳われる彼女の羽は傷つき、制服破れ、その小さな身体には無数の戦闘の痕が刻まれている。それでもなお、紫の瞳だけは執念深く光を失っていなかった。
「……先生は?」
息を絶え絶えにしながら、ヒナが絞り出すような声で問いかける。自分の傷のことなど、一言も、これっぽっちも気にしていない目だった。
「致命傷じゃない。2人で逃げる」
探索者はマスクの奥から、低く、だが確信に満ちた声で答えた。
「さて……確か、……アリウススクワッド…だよな」
探索者は痛覚の消え失せた足でゆっくりと立ち上がり、銃口の集まる暗がりの向こうへと視線を向けた。
先生を撃ち、ヒナをここまで追い詰めた「アリウスとはまた違う伏兵」──その正体たる、仮面を被った異質な少女たちの集団。彼女たちの警戒心が、ピリピリとした殺気となって肌を刺す。
「……なぜ我々の名前を」
闇の中から、低く、警戒に満ちた声が返ってきた。
秘匿されたはずの部隊名を知る不審な「シャーレ事務員」に対し、彼女たちは明確に銃口の照準を合わせる。
だが、探索者は両手を軽く上げ、およそ戦場に似つかわしくない、軽薄で、しかし絶対の自信に満ちた笑みをマスクの裏で浮かべた。
「話に応じる気があるなら結構。単刀直入……前置きはなしに言うぞ」
ボロボロのヒナの前に、庇うようにして一歩踏み出す。
魔力は底を突き、足はフェンタニルで無理やり動かしているだけの満身創痍。
「俺に雇われないか? 衣食住、そっちよりもいい暮らしと給金は約束しよう」
大聖堂の瓦礫に、探索者の突拍子もないスカウトの声が響き渡った。
「……我々にそれを信じろと?」
数巡の後、闇の中から、冷徹極まりない拒絶の色を孕んだ声が返ってきた。
裏切りと憎悪の中でしか生きられず、常に誰かの駒として扱われてきた彼女たちだ。戦場の真ん中で突然現れた素性の知れない男の甘い言葉など、罠か、さもなくば質の悪い命乞いにしか聞こえないのは当然だった。
「信じるか信じないかはどっちでもいい。ビジネスの話をしてるんだ、お互いの信用の話じゃない」
探索者は痛覚の消えた足を踏み締め、マスクの奥からくつくつと不敵な笑い声を漏らした。
「お前らが今従ってる『雇い主』は、どうせお前らを使い潰す気満々の、クソみたいな大義名分を掲げた奴らだ。だが俺の提示は違う。純粋な労働への対価だ」
彼はゆっくりと、アリウススクワッドが潜む闇へと片手を広げて見せる。
「衣食住の保証。安全な身分。そして、誰の命令も聞かずに飯が食える自由……どうだ? お前らが死ぬ気で戦って手に入れたい未来ってのは、せいぜいその程度のもんじゃないのか?」
張り詰めた沈黙。引き金にかかった指が、いつでも肉体を撃ち抜く準備を終えている。
「命乞いにしか聞こえんな」
「ま、だーよね」
探索者はあっさりと肩をすくめて、マスクの奥で苦笑した。
ハッタリが通じるほど、目の前の少女たちが甘い環境で育っていないことくらい、百も承知だ。
「こっちとしては頷いてくれたらすごくありがたいんだけどねぇ……」
おどけた調子で、やれやれと大げさに両手を広げてみせる。
「でも薄々勘づいてるんだろ? 自分たちに提示されてる大義名分だか復讐だかが、どれだけ都合よく切り売りされてるかってことにさ」
「……ッ、」
闇の向こうで、誰かの息が小さく詰まる気配がした。
探索者は一歩も退かない。両足で地面をしっかりと踏み締め、アリウススクワッドの仮面の奥にある、歪んだ瞳を正面から見据える。
「理解した上で、それでもそこにしがみつくしか生きる方法がないから引き金を引いてる……健気で、最高に反吐が出るね。だからこそ、俺の『衣食住と給金』って提示は、お前らにとって一番欲しい取引のはずだ」
「vanitas vanitatum, et omnia vanitas……全ては虚しいんだ! お前に何がわかる!!」
闇の向こうから、悲鳴にも似た、激しい憎悪を孕んだ叫びが叩きつけられた。
アリウスの根底に流れる、呪いのような教義。この世の全てに価値などなく、何を成そうとも虚無へと帰す。その絶望を肯定することだけで、彼女たちは辛うじて己の存在を繋ぎ止めているのだ。
「わからねぇさ」
「全てが虚しいだの、この世の全てが無意味だの、そんな高尚で頭の痛くなるような哲学は、俺の専門外だ。お前らが背負ってる小難しい絶望なんて、知ったこっちゃねえよ」
彼はマスクの奥で鼻で笑うと、懐から煙草を引っ張り出し、火もつけずに口に咥えた。
「だがな、そんなお前らが今、空腹を抱えてボロボロの服を着て、他人の用意した虚しい戦場で使い潰されかけてるってことくらいは、見てりゃ分かる──全てが虚しいなら、腹が減るのも、撃たれて痛いのも、死んだら終わるのも、全部等しく虚しいはずだろ?」
探索者の言葉は、哲学という名の盾を容赦なく剥ぎ取り、彼女たちの眼前に「生々しい現実」を突きつける。
「だったら、その虚無の中で野垂れ死ぬ前に、俺に雇われて美味い飯でも食って、ふかふかのベッドで寝る方が、まだマシな虚しさなんじゃないか?」
探索者は突きつけられた虚無の銃口を前に、あっさりと、だが心底つまらなそうに言い放った。
「……」
大聖堂の残骸に、痛いほどの沈黙が走る。
アリウスの少女たちの仮面の奥で、何かが激しく揺らぎ、そしてそれを必死に抑え込もうとする不穏な空気が張り詰めていく。
「難儀だな。生まれ持った呪いというものは」
探索者が哀れむでもなく、ただ冷淡にそう呟いた瞬間
「もういい、黙れ」
サオリの冷徹な声が、探索者の言葉を鋭く遮った。これ以上の問答は無用。彼らの間に横たわるのは、言葉では埋められない絶対的な断絶だ。
「断るなら、それで結構。商談決裂だ……だがなぁ、アリウススクワッド」
探索者の指先には銃も、ナイフも、魔術の触媒すらも握られていない。ただの、血に汚れた人間の手のひら。
「マジックの基本を教えてやる──」
不敵に、そして楽しげにマスクの奥の口元が吊り上がった。
「『観客が一番見てほしいところ』にタネを仕込む奴はいない。みんな、派手なハッタリに目を奪われて、本当に致命的な手元を見落とすんだよ」
探索者の言葉で瞬時に周囲を俯瞰したサオリ。だが、その時にはすでに、そこにあるべき空崎ヒナの姿は消え失せていた。
「っ! 空崎ヒナはどうした!」
サオリの鋭い声が響くと同時に、アリウススクワッドの銃口が一斉に探索者の背後──ボロボロのゲヘナのトップがいたはずの虚空へと向けられる。誰もが「ゲヘナ最強の排除」という最大の戦果に意識を奪われ、その実態を見失っていた。
「残念、そっちもハッタリさ」
探索者はニヤリと笑う。
パンッ!!
その瞬間、彼の袖口から滑り落ちた円筒が、地面に激突して乾いた音とともに炸裂した。
「くっ、煙幕……!? 散れ! 盲目的に撃つな、誘い込まれるぞ!空崎ヒナを連れて行かせるな! 追え!!」
サオリの鋭い怒号と、焦燥に駆られたアリウススクワッドの足音が真っ白な壁の向こうへと遠ざかっていった。
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「悪いね助かった」
「……無茶しすぎ」
真っ白な煙の向こう、探索者は腹に回された小さな腕に体重を預けていた。
サオリたちが交渉という「ハッタリ」に気を取られ、さらに背後のヒナに意識を向けた瞬間には、足を限界まで駆動させ、ヒナの元へ向かい、ヒナはヒナで探索者の身体を掠め取るように抱きかかえていたのだ。
「あそこから二人逃げるにはこれが一番だからねぇ」
煙幕の防壁に守られながら、ヒナはボロボロの探索者を抱えたまま、あらかじめ頭の中に叩き込んでいた退路へと全力で滑り込む。背後ではアリウスの少女たちが混乱し、激しく怒号を上げているのが聞こえる。
「ってか逆だよなぁ……普通こういうのって、お姫様抱っこする側が俺だろ……?」
満身創痍のくせに減らず口を叩く探索者に、腕の中のゲヘナ最強は、呆れたように、けれどどこか安心したように紫の瞳を少しだけ細めた。
「黙ってて、舌噛むよ」
「おーこわ…ってかちょい限界だわ…一瞬意識とぶ…」
探索者の口から、カサカサに乾いた苦笑とともに、掠れた声が漏れ出た。
咥えていた煙草がポロリと指先からこぼれ落ち、急速に遠ざかる意識の境界線で、視界がぐにゃりと歪み始める。
「ちょっと…!しっかりして…!」
ヒナの焦ったような声が、まるで水の中に沈んでいくように遠のいていく
「だいじょぶ…たぶん…しなない…」
「さすがに…むり…だなこれ……」
消え入りそうな声で、探索者は弱音ともつかない呟きを漏らした。
ボロボロの肉体を酷使し続けたツケが、一気に限界を超えて押し寄せてきている。心臓の鼓動が不気味に遅くなり、視界の端から真っ黒な闇が侵食していく。
「いしゃには……きょくど……のひろう、あとぜっか……うがたのふぇんた……にる……ふくさよう……はも…だいない……つかう……やくざい……だけち……うい……して」
「え……? ぜっか……? ふぇんた……?」
それを最後に、探索者の首がガクリと力なく折れ、今度こそ完全に意識が深い闇へと落ちていった。
意味の分からない単語の羅列。けれど、それがこの男の命を繋ぐために絶対に忘れてはならない言葉だと、ヒナの鋭い直感が告げていた。
「分かったわ…正確に伝える」
男の身体をさらに強く抱きしめ、速度を緩めることなく瓦礫の荒野を駆け抜ける。
遠ざかる硝煙の街。背後でくすぶる戦火の音を置き去りにしながら、ヒナは、信じた退路の先へとただ一心に突き進んでいった。