あまりにも出来すぎた、物語の舞台装置のような美しい七色の架け橋。
降り注ぐ陽光と、空に架かった虹の光が、泥にまみれた少女たちを、そして立ち尽くすアリウスの軍勢を等しく照らし出す。
「あ、雨雲が……」
「気象の操作……? いや、これは…」
「き、奇跡、ですか……?」
「ッ、奇跡なんて無い! 何これ……! まさか、戒律が……?」
アリウスの兵たちが、そしてスクワッドの面々が、にわかには信じがたい天の変貌に動揺の声を漏らす。だが、その混迷を切り裂くように、今度は満身創痍の「先生」が、その手に携えた条約の証明書を高く掲げた。
“ここに宣言する”
“私達が、新しいエデン条約機構"
「なっ……!?」
先生の宣言に、サオリが今日一番の衝撃に目を見開いた。それと同時に、周囲を埋め尽くしていたユスティナ聖徒会のミメシスたちの様子が、目に見えておかしくなっていく。
「……リーダー、ユスティナの統制がおかしくなってる」
「!!」
「こ、混乱してますね……エデン条約機構を助けるというのが戒律、しかし今はETOが二つあって……」
ミサキが即座に異変を察知し、ヒヨリが引きつった声を上げる。
「知った事か!!!!」
サオリが絶叫する。世界がどれだけ狂おうが、目の前の少女たちが紡ぐ眩しすぎる光だけは認められない。
「ハッピーエンドだと!? ふざけるな! そんな言葉で!」
「あーオモロ。腹ねじれすぎて動けねぇ……」
激昂するサオリの声をかき消すように、少し後ろから、地面に転がらんばかりの乾いた笑い声が響いた。キーボードを床に突き刺したまま、お腹を抱えてケラケラと笑う探索者だ。
「……主、いったい何をされたのですか?」
そのあまりに不自然な天候の「確定」と、それによってもたらされた盤面の完全な崩壊。その裏にあるロジックを察した騎士が、小声で問い詰める。
「簡単な話よ。俺はゼロをイチにする力は無い。だけど99を100にするくらいなら出来る。俺はただ、アイツが起こした" 奇跡"に虹が出るかどうかの確率をちょいとお父様にお願いして弄っただけさ」
探索者は涙を拭いながら、事も無げに言ってのけた。
世界そのものである「お父様」の夢をほんの少しだけ突っついて、数分後にほぼ確定していた『雨上がりの青空』に、『虹』という、存在するかもしれないものを出しただけ。世界そのものを書き換えるような無からの創造ではない。だからこそ──
「代償ほぼなしとは言え……こんなオモロイ光景が見られるとは……やっぱ魔術は馬鹿げたことに使うぐらいがちょうどいいな」
「…主」
ジト目で見下ろしてくる騎士──従者と王と女王の鋭い視線に気付き、探索者は急にバツが悪そうに肩をすくめた。
「……はい。すいません…今度からは相談します…」
「…さて、露払いだけすれば後はどーとにでもなる。別に関与しなくてもいいとは思うが…」
これ以上のシリアスな盤面は完全にひっくり返った。あとはヒフミがアズサに、自分の『我が儘』を突きつけるだけだ。大人の役割としては十分すぎるほど帳尻を合わせてやった。
そう言って踵を返そうとした探索者だったが、隣に立つ魔法少女達の目が、ギラギラと好戦的に輝いているのを見逃さなかった。
彼女達は目の前の人を守ることが仕事。ならば今この現状で、目の前に傷つけられようとしている少女を放置して帰ることなど、最初からその思考にないように見えた。
「…やっぱやりたいか。んじゃあの三人以外なら暴れていいぞ」
「さっすが! 主ちゃんわかってるー!」
「…主…申し訳ありません」
「いいって。薄々感じていたことだから」
「あはは…でも、やっぱり、元とは言え私たちは『魔法少女』なんだなって思っちゃうね」
「ま、自分の欲に忠実でいいじゃん?」
「はぁ…変わってるのか変わってないのか…」
「んー?変わってないよ♡主ちゃんに染められてからはね♡」
「…」
「無視!?ねぇ!?」
探索者が呆れたように、けれどどこか嬉しそうに鼻で笑うと、魔法少女たちは一斉に不敵な笑みを浮かべた。
「んじゃあほどほどに暴れてこい。我が友人たちよ」
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硝煙と泥に塗れた戦場。その中央には、息切れしているものの、自らの足でしっかりと立ち銃を構えている補習授業部と、満身創痍の状態で地面に膝を突いているアリウススクワッドの姿があった。
あれだけ周囲を埋め尽くしていたユスティナ聖徒会のミメシスたちも、今は綺麗に消え去っている。どうやら先生の行なった新たなエデン条約機構の宣言によって致命的なバグでも発生したのか、あの忌々しい無限増殖は完全にナーフされたらしい。
それでも単体としての戦闘力は健在であり、なおも残党が牙を剥いていたが、それらも魔法少女たちが生徒たちの援護をしながら、片端から消し去っていく。
「ふざけるなっ!!」
サオリの絶叫が、晴れ渡り始めた大聖堂の跡地に響き渡る。その瞳には、世界の不条理に対する怒りと、目の前の光景を受け入れられない拒絶が混濁していた。
「どうして、どうしてお前だけ……!!」
「私達は一緒に苦しんだ、絶望した! この灰色の世界に! 全てが虚しいこの世界で、お前だけが意味を持つのか! お前だけがそんな、青空の下に残るのか!」
それは叫びであり、同時にアリウスの地獄に置き去りにされた少女の、血を吐くような羨望の裏返しでもあった。同じ泥を啜り、同じ「虚無」を教え込まれたはずのアズサが、今や眩しい虹の光に照らされている。それが、サオリには耐え難かった。
「全て否定してやる! お前がトリニティで学んだ事、経験した事、気付いた事! 全て、その全てを!! 全ては虚しいのだから!」
「いえ、そんな事は出来ません」
「!」
狂乱に近いサオリの言葉を、ハナコはいつもの飄々とした、けれど寸分の揺らぎもない一言で一蹴する。
「私達が合格したのも、そこまで頑張ったのも、無かった事にはならない!」
ハナコに続くように、コハルが顔を真っ赤にしながら、されど確固たる意志を込めて叫んだ。彼女たちが補習授業部として積み重ねてきたドタバタな日々も、あのバカバカしい試験の合格も、アリウスの掲げる重苦しい絶望ごときで塗り潰せるほど、安いものではないのだ。
「……例え虚しくても、私はそこから足掻いてみせる。サオリ……私は、もう負けない」
アズサがしっかりと銃を構え直す。その隣には紙袋を脱ぎ捨てて凛と立つヒフミ、そして、満身創痍ながらも生徒たちの前に立ち、指揮権を執る「先生」の背中があった。
そうして、先生が指揮する補習授業部と、未だ複製ミメシスで数の利を辛うじて保っているアリウススクワッドとの、本当の「最後の戦闘」が始まった。
(…さて、これでアリスクにアズサが勝ってしまいかなぁ…)
そんな時、探索者は戦況を俯瞰しながら、芯火から取り出した黄金に輝く蜂蜜酒を煽っていた
(……ん? 妙に諦めねぇな…まだあるの? えぇ……もう帰りたいんだけど)
しかし、高級な酒の甘みが喉を通り過ぎるのとほぼ同時に、探索者の優れた『直感』が微かな違和感を捉えた。
数の利があり、ユスティナ聖徒会の残党がいるとはいえ、新機構のバグで統制を失ったアリウス側は明らかに劣勢だ。勝負の天秤は完全に補習授業部側に傾いている。それなのに、錠前サオリの瞳に宿る執念の「色」が、どうにも腑に落ちない。
(…こっから何がある? 向こうの手は……)
探索者は蜂蜜酒のボトルを傾けたまま、細めた目でサオリの手元、そして大聖堂の奥の闇へと視線を走らせた。
(んー……ヘイロー破壊爆弾はもうない。普通に考えれば…撤退だよな)
(……撤退…アリスク……傭兵?)
(………傭兵なら…逃走ルートに罠かける)
パチ、と脳内の算盤の珠が噛み合った。
彼女たちはただの狂信者ではない。アリウスという地獄で泥水を啜りながら、ゲリラ戦と暗殺の技術だけを叩き込まれてきたプロの「傭兵」だ。
(待て…あいつ──)
(あぁ!クソ!地下通路か!)
思考を巡らせた刹那、サオリが弾かれたように後方へと地を蹴った。その身体が崩れた床の亀裂──地下へと続く暗がりの向こうへ吸い込まれるように消える。
ヒフミたちも即座にその異変に気付き、逃がすまいと足を動かそうとした。しかし、それを阻むように、執念深く残っていたユスティナ聖徒会のミメシスが新たな影となって行く手を塞ぐ。
「しまっ……!?」
そのせいで一瞬足止めを食らう補習授業部。だが、阿吽の呼吸でヒフミ、ハナコ、コハルの3人が銃を構えて残党を引き受け、その僅かな隙を突いて「先生」と「アズサ」がサオリを追って暗い地下道へと飛び込んで行った。
(待て待て待て! あいつら完全に頭に血が上ってやがる!)
このまま追えば、傭兵が仕掛けた「撤退用の罠」に正面から突っ込むことになる。子供の危機に盲目になる悪い癖が出た先生と、因縁の決着に焦るアズサ。あの二人では、足元の地雷は見えない。
「チッ……本当に手がかかる!」
(杞憂ならそれでいい!走れ!)
探索者は手にした蜂蜜酒のボトルを芯火の空間へと放り込み、まだ女王たちが残党を蹴散らしている戦場を置き去りにして、急いでその地下通路へと走り込んだ。