探索者の目に飛び込んできたのは、力なく跪くサオリと、先生に支えられながら荒い息を吐いているアズサ。そして──戦いの衝撃で仮面が割れ、素顔を晒した「姫」ことアツコの姿だった。
「ケホッ……姫! どうして逃げなかった……」
「……私たちの負けだよ。アズサ」
「だ……駄目だ姫……喋ると……彼女が……」
「もう大丈夫。全部終わり。どうせ彼女が私を生かしておくつもりは無かったはず」
諦めたような、けれどどこか憑き物が落ちたようなアツコの言葉。
すべてを背負い、破滅へと突き進んでいたサオリは、その言葉にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「……もう辞めよう。サオリ」
「や……める……?」
「やめて、どうする? アリウスに帰還するとでも云うのか……? こ、こんな状況で帰還しても、きっと……」
「殺されるだろうね、私達は……」
「……だから、皆で逃げよう……一緒に」
「………」
「え……?」
「に、げる──?」
「この場から……アリウスから」
「この憎しみを、私達は習った、それしか習わなかった、だからそういう風にしか生きられなかった──でも」
「そうじゃない生き方もあるんだって、アズサを見て思ったの」
「アズサは外の世界で色々な事を学び、様々な経験を得た、良い大人に出会えたんだね、アズサ」
「──うん」
「サオリ、アズサは私達の所じゃない、自分の居るべき場所を見つけたんだよ」
「っ……」
「だからサオリ、皆で逃げよう──この場所から」
「いつの間にか植え付けられた、私たちのじゃない憎しみから」
「逃げるだなんて……」
「素晴らしい……」
突如、冷たいカタコンベの空間に、場違いなほど芝居がかった絶賛の声が響き渡った。
先生たちのいる場所よりも一段高く、離れた上層の足場。そこにある暗がりの奥から、ぬるりと一つの歪な影が姿を現す。
「知性と品格、礼儀と信念。そして培ってきた経験と知恵」
見た目は、豪奢なタキシードを着た、頭部が二つある不気味な木製のマネキン人形。
そいつが一つ一つの動作をするたびに、ギチ、ギチと乾燥した木同士が擦れて軋む耳障りな音が地下に反響した。
「やはり、そなたならば……私の【崇高】を理解してくれるに違いない……!」
「これは……まさか……あの教義が完成した……?」
アズサの顔が引きつり、恐怖に染まる。
そう云って、彼女が見上げる視線の先。其処には中央区を封鎖していた強固な瓦礫の山、それを紙切れのように吹き飛ばし、不気味に中を覗き込むように佇む巨人の姿があった。
長く、弛む赤い布地──ユスティナ聖徒会の外套を模したような、血の色のマント。本来顔のある場所には真っ暗な空洞があるだけで、まるで透明な何かがフードを内側から押し上げている様にも見える。
その大きさは、巨大な空洞となっている中央区画の半ばにありながら、地上にすら頭が届いてしまいそうなほど圧倒的で、おぞましい質量を誇っていた。
「あれが……『教義の証明』……!!」
アズサの悲鳴のような声が、巨人の威圧感に押し潰されそうになる。
「マズイ……逃げないと! 先生!」
アズサが血相を変えて叫ぶ。
だが、生徒たちの前に立ちはだかる「先生」の瞳に、逃走の選択肢はなかった。傷つき、追い詰められた生徒たちをこれ以上脅かす存在を、大人の責任として見過ごすわけにはいかない。
先生は静かに、自らの懐へと手を伸ばした。
"これは……どうやら反則みたいだね"
「先生……?」
"出来れば使いたく無かったけど……"
取り出されたのは、あまりにも奇妙な、けれど絶対的な「大人の特権」。
取り出された瞬間から、カタコンベの薄暗い闇を暴力的なまでの光で塗り潰していく、一枚の【大人のカード】
「おお、おおおおっ……! そうか、あれが例の【カード】……!」
上層のマネキンが、二つの頭を狂ったように小刻みに揺らしながら歓喜の声を上げる。
「人生を、時間を代価として得られる力……その根源も限界も、私達ですら把握出来ない不可解なもの……!!」
「嗚呼、ゴルコンダならあれをどう呼称しただろう……何か高次元的な表現をしてくれたのであろうか……」
「見せてくれたまえ、先生。そなたが払ってきた代価を……」
カードの光は徐々に輝きを増していく。
先生が自らの「命」そのものを削り、奇跡を顕現させようとした、まさにその刹那。
「そうして手に入れたものの輝きを……!」
「ハイだめー」
"へっ?"
しかし気付くと、今まさに光を放とうとしていた先生の手にあったはずの【カード】が、綺麗に消え失せていた。
声のする方に全員が目を向けると、そこには、僅かに光っている先生のカードを人差し指と中指の間に挟み、ひらひらと弄んでいる探索者の姿があった。
「なーに使おうとしてるんですか。約束すーぐ破ろうとするんですから」
"えぇ…ここは使いどころだと思うんだけど"
あまりに鮮やかな手癖の悪さで特権をスられた先生が、未練がましそうに手を伸ばしながら情けない声を出す。
「探索者ぁ!!不純物がぁ!! 余計な真似をするなぁ!!」
上層の足場で、最高潮の盛り上がりを文字通り「手品」のように台無しにされた二つ頭のマネキンが、木を激しく軋ませながら怒号を上げた。
「黙れバーカ!」
探索者はマネキンの方を見向きもせず、中指を立てて一蹴する。
指示通り、手の中のカードの輝きを親指でパチンと弾いて完全に収めると、それを自分の上着のポケットへ容赦なく放り込んだ。
「おい, そこの不燃ゴミ」
探索者の声が、カタコンベの空気を一瞬で絶対零度へと叩き落とす。
「他人の人生の輝きを特等席で見物しようだなんて、いい身分じゃねぇか」
「こちとら折角クソおもろい物語を目の前にいい気分で酒飲んでたのによぉ!!神もどきの前にスクラップにしてルルイエ沈めんぞ!!美化じゃゴルァ!!」
その恐ろしい剣幕に、横にいる「先生」が引きつった顔で探索者の袖をそっと引っ張った。
"…大丈夫なの?"
「大丈夫です。私もね。最近出番なかったですから。そろそろ」
「俺もやる事やらないと空気になっちまう」
「それに、俺のせいでカード何度か使ってるでしょう?それの精算とでも思ってください」
そう言いながら、探索者は太もものバックから一つの小さな刀を取り出す。
「来い『
探索者がその名を呼ぶと、掌に収まるほどだった小刀は、空間の歪みを引き裂くようにして、身の丈を超えるほどの大太刀へとその姿を変化させた。
ずしりとした神話的な質量を湛えるその刃へ、探索者は自らの芯火を当てながら──静かに、しかしカタコンベの全域を震わせるトーンで詠唱を紡ぎ始める。
「『深き芯火に当てられて、2つの時は混ざり合う』」
「『沈まぬ陽は黄昏に染まり、尽きぬ夜は終わりを知る』」
「『されど暗き闇に耐えし時』」
大太刀の周囲の空間が、まるで陽炎のようにぐにゃりと歪む。
「『来光は祝福となるだろう』」
詠唱を終えた瞬間、カタコンベの空気が完全に圧搾され、探索者の背後に爆発的な風の奔流が吹き荒れた。
「
そして、その背に「一対の翼」が猛然と広がる。
だが、それはおよそキヴォトスのどの生徒とも、あるいはどの神秘とも異なる、あまりにも歪で異質なデザインだった。
片方は、思わずひれ伏したくなるほどに神聖な、純白と白銀の羽毛に包まれた美しい天使の翼
しかし、もう片方は──光をすべて吸い尽くすような漆黒の闇の翼。しかもその闇の表面には、まるで生き物のように不気味に蠢き、黄金色に輝く「目」がビッシリと敷き詰められ、こちらを凝視している。
「な、何だそれは……!? その調和の欠片もない不気味な【崇高】は……!!」
「晴天流、始ノ形」
上層へと跳ね上がった探索者は、マネキンの狂乱に近い叫びなど一切耳に入っていないかのように、ただ極限の集中をもって大太刀『六花月』の鞘に触れ、抜刀の構えを取る
「断風」
──刹那
カタコンベの闇を、黄金と銀の閃光が真一文字に奔った。
それは文字通り、大気を、空間を、そして吹き荒れる戦場の暴風すらも一瞬で両断する、音も置き去りにする神速の一閃。
ドン、と極大の衝撃波が遅れて地下墓地に轟き渡る。
天を衝くほど巨大だった『教義の証明』の身体が、その一閃の軌跡に沿って綺麗な直線を描き、黄金の芯火を噴き出しながら真っ二つに裂けた。
「ガ、あ……!? 空間ごと……、斬ら、れた……っ!?わ…私の傑作が……!?」
「ハイ、いっちょ上がり!」
「変に神のなりかけ作るからこーなるんだよバーカ」
真っ二つになって光の塵へと還っていく巨人の残骸を見下ろし、探索者は大太刀『六花月』を器用に一回転させてから、再び手のひらサイズの小刀へと戻して太もものバッグに収めた。
「さて、粗大ゴミ君、どうする? ここで全ての情報をゲロってから俺に大人しく切られるか…撤退するか」
ポケットに手を突っ込んだまま、探索者は上層でガタガタと木を軋ませている二つ頭のマネキン──マエストロへ、冷え切った、けれどどこか楽しげな視線を向ける。
「首差し出してくれるなら痛みなく現世からサヨナラできるぞ? そこは安心しな。師匠達にばっちし仕込まれてる」
「な……な、何という不条理……何という野蛮……! 私の、私の美しい【崇高】の証明が、このような計算外の暴力で上書きされるなど……!!」
二つの頭を狂ったように小刻みに揺らし、デカルコマニーは屈辱と恐怖に身を震わせた。
「あんなのが崇高?よく言うわ。あんなダゴンにも満たないようなゴミみたいな出来で?モノホン見たら失神するぞお前」
「ダゴン…?何の話だ…?」
「お前らによく分かるように言えば……歴史上神に近い存在になろうとしたアホは大量にいる。だがそいつら全員今じゃ墓の中だ。こんな事するより水銀でも飲んで神になったらどうだ?」
「さて、産業廃棄物君。そろそろ返答を聞かせてくれないか?」
『大人のカード』の輝きを観察するはずだった特等席は、今やいつ首を撥ねられてもおかしくない処刑台へと変わっている。
「おのれ……おのれ、不純物め……! 今日は、今日のところはここまでだ……! だが、私の探求は、証明は決して終わりはしない……!!」
「負け犬のテンプレみたいなセリフすぎて草。今どきの三下でもそんな事言わねーぞ」
「価値観昭和で止まってますか?もうちょっとオリジナリティ出したらどうです?今令和ですよ?そのノリまだやる?」
負け惜しみのセリフをカタコンベの闇に響かせながら、マネキンの身体が歪にねじれ、ずるりと影の中に溶けるようにして急速に気配を消していく。
「……ふぅ…」
探索者はため息混じりに肩をすくめると、パチンと指を鳴らして完全に戦闘態勢を解除した。背後に漂っていた異界の残滓が、今度こそ綺麗さっぱり消えていく。
探索者は上着のポケットから、先ほどくすねた『大人のカード』を取り出すと、無造作に先生へと渡した。
「はい、先生。大事なもんすーぐ懐から出そうとするんじゃないよ。これはもっと、本当にどうしようもなくなった時の最後の最後にとっておきな」
"う…うん…でも助かったよ"
「はいオッケー!お疲れサマンサ!後のことはウチのコに聞いてね!あとついでに謝っといて!はい、私寝マース!」
──ドサリ、と。
あまりにも緊張感のない宣言と共に、探索者はその場にバタリと倒れ込み、あっさりと意識を飛ばした。