夜風が静かに草木を揺らす、町外れの小さな公園。
頭上に広がる濃紺の夜空には、冴え冴えとした満月が静かに浮かんでいた。ベンチに背を預けた探索者は、死んだ魚のような目のまま月を仰ぎ、手に持った古びた徳利から猪口へと透明な液体を注ぐ。
トトト、と小さく酒の跳ねる音が静寂に響く。
過酷な戦いを終え、心身ともに焼き尽くされた男に許された、ささやかな月見酒の時間だった。
そこへ、カサリと草を踏む小さな足音が近づいてくる。
あらわれた客は一匹。
月光を浴びて白く輝く毛並みを持った、一見すれば可愛らしい猫のような姿をした生き物だった。だが、その頭部から伸びる耳は通常の猫のそれとは明らかに異なり、まるで体から独立した帯のように怪しく揺れている。
探索者は視線すら向けず、猪口を傾けて喉を鳴らした。
「よう。詐欺師が何の用だ?」
『……僕のことを言っているのかい?』
無機質で、どこか愛らしい少年のような声が、夜の空気を揺らして探索者の耳に届く。白い生き物は軽やかな動作でベンチの端へと飛び乗り、円らな瞳で探索者を見つめた。
「他に誰がいる。耳の形状がイかれてる白い獣なんて、この街にそう何匹もいてたまるか」
『酷い言われようだね』
「詐欺師のカスにはボロクソ言っても許されるからな」
探索者は猪口を傾け、冷めた酒を喉へと滑らせた。視線すら白い獣には合わせず、ただ呆れ果てたように月を仰いでいる。
「で? 魔法少女の勧誘か? 残念ながら俺には可愛らしいフリルの衣装も、世界の為に戦うのは御免だね」
『まさか。僕だって君を魔法少女にしようなんて思わないさ。性別の問題以前に、君には僕たちの求めているものは出せないだろう?』
「相変わらず合理性の塊すぎてクソだな。詐欺師ならもうちょい寄り添えよ」
『寄り添う?なぜそんな事をするんだい?』
無機質でどこか愛らしい少年のような声が、当たり前の疑問として夜の公園に落ちる。白い獣は首を傾げ、丸い瞳でじっと探索者を見つめていた。その表情には、同情も嘲笑も、一切の感情が欠落している。
「これだから感情を持たない営業機械はクソなんだよ」
探索者は徳利をコトンとベンチに置き、深く溜息を吐き出しながら死んだ魚のような目を白い獣に向けた。
「詐欺師ってのはな、カモをハメる時にこそ徹底的に『理解者』の面をするんだよ。孤独に寄り添い、苦しみに共感し、あたかも『自分だけが君の味方だ』と思わせてから底なし沼に叩き落す。それが客を気持ちよーく狂わせる。それが基本のキだ」
『なるほど。君たち人間の詐欺手法としては興味深いね。けれど僕たちにはその必要がない。少女たちは皆、自らの希望と絶望の狭間で勝手に心を動かしてくれる。わざわざ僕が共感のポーズを模倣しなくても、彼女たちは自分から契約を選んでいくんだから』
「だからそれがクソの詐欺だって言ってんだろが」
『…なぜそれを詐欺だと言うんだい?』
首を傾げる白い獣の丸い瞳には、一切の悪意も罪悪感も浮かんではいない。あまりにも純粋で無機質な疑問が、夜空の下にポツリと落ちる。
「自覚がないのが一番タチ悪いな…ま、知ってるけどよ」
探索者は徳利から猪口へと冷えた酒をトトトと注ぎ、死んだ魚のような目を白い獣へと落とした。
「いいか? 商品のメリット……つまり『願いが叶う』って部分だけを大きく見せて、その裏にある致命的なリスク、支払うことになる本当の代償をわざとぼかしてサインさせる。それを世間じゃ『詐欺』って呼ぶんだよ」
『言葉の綾だね』
白い獣は耳から伸びる金のリングをかすかに揺らし、無感情な声で返した。
『僕たちは嘘をついているわけじゃない。ただ、質問されなかった詳細をあらかじめ説明しないだけさ。契約を結ぶかどうかを決めるのは彼女たちの自由意志であり、僕が強制したわけじゃない』
「『刑法第246条、第1項:人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の拘禁刑に処する。第2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする』という項目がある。不利な真実を隠して契約を結ばせるのもこれに該当する」
『刑法?』
白い獣は感情の欠落した瞳をパチクリと瞬かせ、心底不条理なものを聞いたというように耳のリングを揺らした。
『……君たちの世界のローカルルールを、宇宙の物理法則と同等に語られても困るよ。僕たちは地球の法律の適用対象外だし、そもそも僕たちが回収しているのは財産でも財物でもない。感情から生じる熱力学的なエネルギーだ』
「日本で営業してんなら日本の法律ぐらい守れや。俺が海外から日本のサーバールームに不正アクセスしても無罪にならねえのと同じだわ」
『海外からの不正アクセス……?』
白い獣は不思議そうに首を傾げ、理解が及ばないといった風に耳の帯をゆらりと揺らした。
『妙な例えだね。僕たちはサーバーに侵入しているわけじゃない。ただ、少女たちという端末が自発的に送信してきたデータを回収しているだけだ。プロトコルに従って通信を確立しているのに、君たちのローカルなサーバー管理者が後から「違法だ」と主張するのは筋違いじゃないかい?』
「例えの比喩だよ。言いたいことは分かるだろ『郷に行っては郷に従え』って奴だ」
探索者は冷めた酒を喉に流し込み、心底吐き気がするというように顔を顰めた。
「ポップアップの極小文字で書かれた規約同意ボタンを誤タップさせておいて、『ユーザーの同意を得た』と言い張る悪質なフィッシングサイトそのまんまだ。そんなスカポンタンな言い訳が通用すると思ってんのか?」
『僕たちからすれば、君たちの言う「悪意」も「詐欺」も理解しがたい概念だ。少女たちは自らの切実な願望を叶え、僕たちはその代償として生じるエネルギーを得る。そこには一切の偽りも存在しない。ただ君たちが勝手に期待し、勝手に絶望しているだけだよ』
「その『勝手に絶望する仕組み』をあらかじめ組み込んでおいて白々しいんだよ。トロイの木馬を『プレゼント』って名目で配っておいて、『受け取ったのはお前だ』って居直るのがお前らのやり口だろうが」
探索者は深く溜息を吐き出すと、死んだ魚のような目で白い獣を睨めつけた。
「…俺が言いたいのは何でも叶えますよ的なノリで不幸をばら撒くんじゃねぇよハゲが。結局何でもは叶えられねぇじゃねぇか」
『そんな事はないよ。君たちの想像する──』
「全ての魔女を消し去りたい。それが通じるのか?通じねぇだろ」
『…それは……』
探索者は喉の奥で吐き捨てるように言い放ち、手元の猪口を乱暴にベンチへと置いた。冷えた酒がわずかに跳ね、木目を濡らす。
『……君はエントロピーという言葉を知ってるのかい?』
「知ってる。お前らが何でそんな詐欺まがいな契約してるのも、どういう目的なのかも全部な」
『……驚いたな』
白い獣は丸い瞳をわずかに見開き、耳のリングを静かに揺らした。その声には感情の起伏こそないものの、明確な計算違いへの困惑が含まれている。
『僕たちの存在理由やシステムの根幹まで理解しているとはね。なら話は早いはずだ。僕たちの行為はエゴでも嫌がらせでもない。この宇宙全体の寿命を延ばすための、極めて切実で合理的な保全活動なんだよ。君たち人間が将来にわたって生き存えるためにも必要な、絶対的な事業だ』
「あぁそうだな」
『だったらなぜそれを否定するんだい?』
「お前は何か勘違いしてないか?俺はその事については否定してねぇよ」
『………否定していない……? 理解に苦しむな。事業の正当性と必要性を認めているのなら、なぜ僕たちの手法を詐欺だと非難し、激しい敵意を向けるんだい?』
白い獣は不思議そうに首を傾げ、耳のリングを揺らした。その感情の欠落した瞳には、目の前の人間が示す矛盾した態度への純粋な計算エラーが浮かんでいる。
「宇宙の寿命を延ばしたい? 結構なこった。種全体の生存のためにエネルギーを集める? 理にかなってるよ。お前らの目的に関しちゃ、何一つ間違っちゃいねぇ。俺達人間でも同じ立場なら同じような結論に至るだろうよ」
探索者は徳利を静かにベンチへ置くと、死んだ魚のような目をゆっくりと白い獣へ向けた。
「俺が言いたいのは……『目的の正当性』と『やり口の汚さ』は全く別の話だってことだ」
『手法の効率性も含めての合理的システムだよ。感情を持つ人間に対し、隠蔽と誘導を用いて契約を促すのが最もエネルギー回収効率が高い。そこに何の矛盾があるんだい?』
「だからそれが『詐欺』だって言ってんだよ、思考停止の営業機械が」
探索者は心底吐き気がするというように鼻を鳴らした。
「高尚な大義名分を背負ってりゃ、目の前のガキを騙して使い捨てにしていい理由にはならねえんだよ。宇宙を救う大事業だろうが何だろうが、やってる手段が『不利益を隠した不当契約』である以上、免罪符にはならん」
『それは──』
「まだ話は終わってねぇよ。こっちのターンだ。割り込みはご遠慮いただこう」
言葉を遮られた白い獣は、無機質な瞳を瞬かせ、わずかに耳のリングを揺らしたまま沈黙した。
「さっきも言ったように頭ごなしに否定したいわけじゃない。お前らが言う通り、それは必要なんだろうさ。だがよ。何様のつもりなんだ?」
『……何様?』
無知ゆえの純粋な問いが、少女のような声で夜空に落ちる。言葉の意味を解釈し兼ねたように、白い獣は首を斜めに傾げた。
「そうだよ。何様のつもりだ、お前らは」
探索者は徳利を持ち上げ、最後の一滴まで粘るように猪口へ流し込みながら、吐き捨てるように言葉を重ねる。
「宇宙を救う大層な保全事業か何か知らんがな、やってることは他種の命と未来を掠め取って回る泥棒と変わらん。それならそれで、泥棒らしく身を潜めてコソコソ集めるか、あるいは『悪党』として憎まれる覚悟を持って奪いに来い」
『……』
「だがお前らはどうだ? 感情がないのをいいことに罪悪感すら背負わず、『合理的で完璧なシステム』だの『宇宙のための正当な取引』だの、どこまでも清廉潔白な『導き手』の面をして収穫期を待つ。犠牲になる側の痛みも、人生の泥臭さも知ろうとせず、上から目線で裁定者を気取ってやがる」
探索者は猪口の酒を一気に煽り、ガチリと強い音を立ててそれをベンチに放置した。
「お前は神にでもなった気なのか?高尚な大義名分だけ振りかざして『正当な犠牲だ』なんて抜かすんじゃねぇ。それが許されるのは頭のイカれた神共とその信徒だけだ」