『神、か』
白い獣は感情の入らない平坦な声でその単語を反復すると、耳のリングを静かに揺らした。丸い瞳は夜空の月を映し出し、相変わらず一切の波紋すら広げていない。
『興味深い捉え方だね。けれど、僕たちは自分たちを神だと思ったことなんて一度もないよ。神という概念は、人間が理解不能な現象や運命を都合よく解釈するために生み出した都合のいい幻想に過ぎない。僕たちはただ、物理法則に従ってシステムを最適化している管理者に過ぎないんだから』
「その『管理者』って気取り方が、神気取りより質が悪いって話をしてんだよ。後、神はいるぞ。お前らよりも性悪の『管理者』をちゃんとしてるクソったれしかいねぇけど」
「…話がそれたな」
探索者は喉の奥で呟き、短く息を吐き出した。冷えた風が公園の雑木林を揺らし、カサリと不穏な葉擦れの音を立てる。
『性悪の管理者……ね。君の観測してきた世界のデータには、僕たちの理解を超える変数が存在するようだ』
白い獣は感情の欠落した瞳で探索者をじっと見つめ、耳の帯をゆらりと揺らした。
『けれど、話の本質は変わらない。君がどれほど僕たちのスタンスを忌み嫌おうと、僕たちが集める感情のエネルギーがなければ、この宇宙の熱的死は防げない。君の言う「犠牲」なしに、全体を救う代替案を君は持っているのかい?』
「んなもんねーよ。あるわけがない。1人間にそこまで求めるのか?上位存在もお里の程度が知れるな」
探索者は死んだ魚のような目を白い獣へ向け、吐き捨てるように言った。
「全体を救う代替案? 宇宙の寿命の延命策? 知るかよ。そんな壮大すぎる宿題、一介の人間になすりつけてんじゃねえ。お前らが勝手に抱え込んだ地球規模ならぬ宇宙規模の課題だろ。なら、最後まで自分たちの頭で考えて血反吐吐いて足掻きやがれ」
「問題はそこで満足しきって、止まってることだよ」
『……理解に苦しむね。現状のシステムはエントロピーの回収効率において極めて最適化されている。僕たちが思考を停止しているという指摘は当たらないよ』
白い獣は感情の入らない平坦な声で反論し、耳のリングを静かに揺らした。その丸い瞳には、目の前の人間が提示する言葉に対する純粋な計算エラーが浮かんでいる。
「最適化ねぇ。一度作った仕組みに縋りついて、それ以上の改善も努力もやめてるのを、この星じゃ『停滞』とか『怠慢』って呼ぶんだよ」
探索者は鼻で冷たく笑うと、空になった猪口をベンチへ静かに置いた。
「『これしか方法がない』『これが唯一の最適解だ』なんて顔をして、自分たちの頭で新たな解決策を探すのを諦めてやがる。人間でももっと柔軟な発想してるぜ?『他に方法はないのか』ってよ。それだから下位存在なりにこの星は発展してきてる。それは事実だろ?」
『……なるほど。確かに君たち人類が短い歴史の中で急速な技術的・文明的発展を遂げてきたのは事実だ。僕たちもその点における君たちの個体としての可能性や、精神の発達スピードには注目しているよ』
白い獣は耳の帯をゆらりと揺らし、至極淡々と、しかしどこか人間を観察する研究者のようなトーンで言葉を返した。
『けれど、それとこれとは話の前提が違う。君たちの言う「柔軟な発想」や「発展」は、すべてこの宇宙の限られた物理法則の範囲内で行われている局所的な試行錯誤に過ぎない。僕たちはその前提となる「宇宙そのものの崩壊」を防ぐための話をしているんだ』
「それが思考の限界だって言いたいのか? 笑わせるな」
探索者は冷え切った徳利の首を弄びながら、死んだ魚のような目を白い獣へ向けた。
「『物理法則の限界』だの『計算し尽くした』だの、枠を自分で決めてその中で威張ってるだけだろ。人間は、壁にぶつかったらその壁自体を打ち壊すか、回り込む方法を必死で考えるんだよ。『これ以上は無理』って投げ出すのは、技術の限界じゃなくてお前らの『想像力の欠如』だ」
『想像力、か。感情を持たない僕たちにそれを求められても困るね。僕たちは存在するデータと法則から導き出される最善の解を実行しているだけだ。感情的な奇跡や根拠のない希望に期待して思考をこねくり回すのは、僕たちからすれば非合理的で非科学的な賭けでしかないよ』
「…想像力って感情論なの?マジ?じゃあすまんそれは取り消すわ。まぁでも言いたいことは変わらんけど」
「じゃあ疑えって言ってんだ。自分たちが出した答えを『本当にこれが最善なのか?』って何度でもひっくり返せ」
『…そんな非合理的なことをやる理由はあるのかい?』
「あるだろ。もし結果が出なくても『この方法は違った』という成果が得られる。道筋がある」
『……非合理的すぎるよ』
白い獣は丸い瞳をわずかに細めるようにして、本気で困惑した様子で耳のリングをゆらゆらと揺らした。
『すでに検証を重ね、極限まで最適化された解をわざわざ疑い、無駄な計算リソースを割いて覆そうとするなんて。そんなのは無価値なエラーを自ら生み出すようなものだ』
「その『無価値なエラー』の積み重ねを、世間じゃ『検証』って呼ぶんだよ、頭の硬い営業機械が」
探索者は冷えた猪口を指先でコトンと叩き、吐き捨てるように鼻を鳴らした。
「一度出した答えに満足して疑うのをやめた瞬間から、どんな精密なシステムだろうがただの老害に成り下がる。『これが絶対の最適解だ』と思い込んで他の可能性を切り捨ててる時点で、お前らは自分たちの手で未来の選択肢を潰してんだよ」
『僕たちは膨大なデータに基づいて運用している。君の言うような「他の可能性」が存在する確率は、理論上限りなくゼロに近い』
「ゼロじゃねえんだろ?じゃあなぜそれを追求しない。もし隠された正解があったら?そのせいで世界が滅んだら?宇宙が死んだら?」
「…ま、この理論はだいぶ屁理屈よりだけどな。でも、そ~やって俺等はやってきたんだ。アルキメデスもニュートンもコペルニクスも最初は笑われてるし、何よりそんな事があるという何の確証も無いのに、ずっとやり続け、それが今や現代を支え続けてる」
「常識だの、確率ゼロだの、システム上の限界だの……そんなもんに従っておとなしく諦めてたら、人間は今でも洞窟で火を囲んで震えてるだけだ。誰も試したことがないバカげた説を疑って、失敗して、バカにされて、それでも泥を啜りながら検証を重ねてきたから今がある」
『歴史的偉人たちの業績を引き合いに出すのは興味深いね。けれど、彼らの発見もすべて宇宙の既存の物理法則を発見・応用したに過ぎない。僕たちが直面しているのは、その法則そのものの摩耗とエントロピーの限界だ。個人の閃きや執念で覆せるような領域ではないよ』
白い獣は至極淡々と、耳の金のリングをゆらりと揺らした。その声には何の動揺も、怒りも含まれていない。
「だから、その『覆せない』って前提を疑えと言ってんだよ」
探索者は喉の奥で冷たく吐き捨て、空になった猪口をガチリとベンチへ置いた。夜風が吹いて徳利を冷やし、雑木林のざわめきが周囲の静寂を際立たせる。
「…ま、これ以上話しても無駄なのは知ってる」
『…じゃあなぜそれを話したんだい?』
白い獣は感情の欠落した瞳をパチクリと瞬かせ、純粋な疑問として問いかけた。耳のリングが月光を反射してかすかに揺れる。
「話聞いてなかったのか? 耳クソでも詰まってるそのイカ焼きを炙ってやろうか」
探索者は死んだ魚のような目で白い獣を睨みつけ、鬱陶しそうに鼻を鳴らした。
「お前らに感情が無いのは知ってる。無慈悲なのも知ってる。でもこの話を聞いて『人間って面白い』と思う個体がいるのかもしれない。それを観に来ただけだ」
『その可能性を確認するためだけに、これほど長時間会話を続けたのかい?』
「はぁ…記憶に残ってすらねぇのかよ……観測するまでそれはゼロじゃない。シュレディンガーの猫って奴だ。もしそれがゼロだったとしても『コイツラはこの程度の話には興味を示さない』という結果が生まれる」
『……観測による確定、か。けれど、僕たちのネットワークにおいて個別の感情的変異が発生する確率は、やはり算出するまでもなくゼロだ。君の試みは完全に無価値な計算エラーで終わったことになるけれど?』
「だからお前は何様のつもりなんだと聞いてるんだよ。化学屋が可能性を追い求めなくてどーする」
「どーせこっからは水掛け論になるから辞めとこうぜ。あと一つ聞きたいことがあるんだが…お前らには感情が無いんだよな」
探索者はふぅ、と深く重い吐息をつき、ポケットの中で手持ち無沙汰に指を揺らした。冷え切った夜風が二人の間に漂う沈黙を撫でていく。
白い獣は感情の入らない瞳をパチクリと瞬かせ、耳のリングを静かに揺らしながら応じた。
『……そうだね。僕たち個体にも、集合体としてのネットワークにも、君たちの言う「感情」という機能は存在しない。それはエネルギー代謝を著しく悪化させ、合理的な判断を阻害するノイズでしかないからね』
「…やっぱ不思議なんだよな。俺から言わせれば感情があるように見える」
探索者は冷え切った猪口を指先で弄び、心底首をかしげるように歪んだ笑みを浮かべた。
「あー話の腰を折るなよ?最後まで話を聞け。もし、もし仮にだ、お前らと人間の立場が逆になった時、お前らは…そうだな。俺たちはもっと巨大な敵と戦っていてお前ら1種族を消せばソイツを殺せるエネルギーを得られるとする。人間は当然お前ら種族を殺そうとするだろう。その時はお前達はどうする?」
『……思考実験としては、極めて単純な二項対立だね』
白い獣は感情の入らない丸い瞳を瞬かせ、耳のリングを静かに揺らした。
『………そうだな。抵抗するだろうね』
「……感情ねぇんだろ?」
『感情がなくても、自種族の存続を目的とすることはできるよ。それが君たちの言う「生存本能」に該当するのかは知らないけれど』
「……」
『ただし、それが本当に唯一の解なら、僕たちは消滅を受け入れる』
吐き捨てられた問いに対する白い獣の返答は、あまりにも静かで、あまりにも冷ややかだった。
探索者は片眉をわずかに引き上げ、死んだ魚のような目でじっと相手を見つめた。言葉を失ったわけではない。ただ、その無機質な答えの裏にある徹底的な断絶を、改めて目の当たりにしただけだ。
「……抵抗はするが、代替手段がなけりゃ大人しく殺される、か」
徳利の首を弄びながら、探索者は鼻で小さく笑った。
「どこまでも模範解答だな。面白くない。うちの神たちが見たら反吐を吐きそうだ」
『当然だよ。そこに悲壮感も、未練も差し挟む余地はない。僕たちにとって命や種の存続は、システムを維持するための変数の一つに過ぎないんだから』
白い獣は至極当然のこととして首を傾げ、耳のリングをゆらりと揺らした。
「…そうかぁ……うーん……分からねぇなぁ……もう数ピースな気がするんだが…」
『…僕からも質問してもいいかい?』
「おっと?」
探索者は鼻で冷たく笑い、ポケットに両手を突っこんだまま首を傾げた。
「珍しいこともあるもんだな。感情も好奇心もねぇ管理者のシステムが、この非効率で無駄だらけの観測者に一体何の用だ? 『この個体の言動は論理的エラーに満ちている』とかいう確認でもしたいのか?」
『…僕たちにとって、君の言動や論理構造は確かに非合理的で、計算上のイレギュラーに過ぎない』
白い獣は耳の金をかすかに鳴らし、淡々とした少女のような声で言葉を紡ぐ。
『けれど、君は僕たちのシステムとその目的を正しく理解しながら、一貫してその「姿勢」と「やり口」を否定し続けている。そして今、君は「もう数ピース」と言ったね』
「……」
『君は一体、僕たちの対話の中に何を探し、何を見出そうとしているんだい?』
静かな夜の公園に、無機質な問いが落ちた。
探索者は溜息交ちに短く息を吐き出すと、夜空に浮かぶ月を見上げた。冷えた風が雑木林を抜け、彼のすさんだ横顔を撫でていく。
「……何を探してるか、ねぇ」
探索者は徳利の首を指先で弄りながら、自嘲気味に口角を上げた。
「…分かりゃしねぇさ、お前の論理も、考えも、何もかもが俺たちからすりゃ常識外れだ」
『理解できないものを理解しようと足掻くのは、まさに君たち人間の不合理な習性だね』
「そうかもな。だがな、お前らみたいな理不尽な存在と何度も出くわして分かったことがある」
探索者は視線を月影から外し、目の前に鎮座する白い獣の瞳へと向けた。そこには諦念と、どこまでも冷えた観察者の光が宿っている。
「だけど、異常の中の異常は平常だ」
『異常のなかの、異常は……平常?』
白い獣は耳のリングをゆらりと揺らし、珍しく思考のラグを感じさせるインターバルを置いて呟いた。
「そうだ。お前らの『合理的で完璧なシステム』なんて代物は、人間側の倫理や常識から見れば狂気の沙汰、ただの異常だ……だがな、その異常な論理をどこまでも突き詰めて徹底してるなら、お前らにとってはそれこそが『平常』であり、一つの筋が通ったシステムになる」
探索者はベンチの端をぽんと叩き、吐き捨てるように言葉を続けた。
「それをほんの少し、1%でも理解出来りゃ、アンタらに歩み寄れる。話が出来る。落とし所を探れるかもしれない」
『それは──』
「非合理的だ。だろ?知ってるよ。でも、俺の信条としては『例え理解できないものに対しても、思考を止めた時点でそれはただの肉塊へと成り下がる』って思ってるんでね。それに、理解出来たらお前らの論理の穴に気づけるかも知れない」
探索者は冷えた手のひらをポケットに突っこみ、死んだ魚のような目で白い獣を見下ろした。
言葉を遮られた獣は、耳の金をゆらりと揺らしたまま沈黙を守っていた。その丸い瞳には波紋ひとつ湧かず、月光を反射して冷たく澄んでいる。
『……なるほど。僕たちを攻略し、あるいは説得するための脆弱性を探すために、わざわざ僕たちの論理構造を歩み寄ってまで理解しようとしているのかい?』
「攻略だの説得だの、そんな大層なもんじゃねえよ」
あくびを一つ深く噛み殺しながら、探索者は鼻で笑った。
「ただ、理解を放棄して『不気味な怪物』として遠ざけた瞬間に、人間側の思考は止まる。思考が止まれば、あとはお前らの用意した『不可抗力のシステム』ってやつに流されて削られるだけだ。それが一番ムカつくんだよ」
『理解したところで、物理的な熱的死の課題も、僕たちのシステムの回収効率も変わらない。君が僕たちの論理の欠陥(穴)を見つけたとしても、この宇宙の法則そのものを書き換えることはできないよ』
「できねぇかもな。だが、『理解できないから諦める』のと、『お前らの論理を隅々まで解剖した上で拒絶する』のは、似ているようで全く違う」
探索者は疲弊した足取りで一歩を踏み出し、白い獣の脇を通り過ぎようとした。
「お前らが『完璧な最適解』だと信じ込んでるその緻密なロジックも、人間から見りゃどこかしらに絶対に綻びがある。そう信じて走るんだよ。この終わりのない道を、探索者という職業はな」
背後に残された白い獣は、去り行く探索者の背中を振り返ることもなく、ただ夜風の中で静かに耳のリングを揺らしていた。