寂れた旧市街の廃墟、激しさを増す雨が視界と足音を遮る中、3人は息を潜めて前進していた。
時折、物陰から現れるアリウスの追っ手。だが、それらが声を上げる前に、探索者が音もなく背後に肉薄した。包帯の巻かれた手が容赦なく顎を跳ね上げ、首筋へ強烈な打撃を叩き込んだり、デザートイーグルのグリップで首筋を正確に強打し、一瞬で意識を刈り取り、崩れ落ちさせた。
「……ふぅ。これで3人目。流石に警戒されてますね」
"…なんか慣れてない?"
「忍殺は探索者の基本ですから」
"殺してないよね!?"
「まさか、この程度で死んでたらびっくりですよ」
探索者が冷徹に死角へ身体を隠すのと、サオリが前方の崩れた壁の隙間に「それ」を見つけたのは、ほぼ同時だった。
「ヒヨリ、大丈夫か!?」
「り……リーダー……?」
瓦礫の隙間で、ずぶ濡れになりながら怯えていた少女──ヒヨリが、弾かれたように顔を上げた。
「どうしてここが…」
"ヒヨリ、無事で良かった"
「……」
「……え、ええ!?シャーレの先生がどうしてリーダーと一緒にいるんですか……!?」
「ヒヨリ…それには理由が」
サオリが宥めようと言葉を紡ぐが、パニックを起こしたヒヨリの耳には届かない。
ヒヨリは観念したかのように肩をがっくりと落とす。
「そ…そうですよね。よくよく考えれば先生は私たちをアリウスから取り戻したいですよね……自らの手で処罰したいでしょうから……。うわぁぁぁあん! もう終わりです……! まだやりたいことも、読んでない雑誌も沢山あるのにぃ!」
「ヒヨリ、落ち着け。話を──」
「……待ってください。仮にそうだとして、リーダーと先生が一緒にいる理由はなんでしょう……? あぁ、私、完全に理解しました……!」
涙目でハッと何かに気づいたように顔を上げるヒヨリに、サオリが不穏な気配を察して「ヒヨリ……」と声を詰まらせる。
「リーダーは先生に脅されてるんですね!? ひどい、ひどすぎますぅ! リーダーもこんな大人の陰謀に巻き込まれて、苦痛だらけの人生の末に処分されるなんて可哀想に……!」
「酷い言われようで草」
"笑ってないでちゃんと説明してよ!"
先生のジト目の抗議を、探索者はどこ吹く風で受け流す。そして懐から重厚な包みを一つ取り出すと、ひょいとヒヨリの足元へ投げ届けた。
「とりあえず、敵じゃないですよ。ほら、四の五の言わずに飯を食いなさい」
「…えっ?も…もしかして記憶喪失とかですか…?私たちが誰か分からないとか……?」
差し出された食料を恐る恐る見つめながら、ヒヨリはさらに見当違いな方向へと思考を飛ばした。自分たちを許すはずがない、ならば「自分が撃たれたこと自体を忘れてしまっているのではないか」と
「まぁ……そうなりますよねぇ」
探索者はヒヨリのぶっ飛んだ推測に深く頷き、大袈裟にため息をついてみせる。
「私も同じ事思いましたが、うちの先生はアホなので数日前に銃弾受けた事すら忘れてるらしいですよ。ダチョウもビックリの記憶能力です」
"ちょっと! 忘れてるわけないでしょ!"
"事情は聞いたよ。一緒にアツコを助けよう"
「…そうだ、姫ちゃん…」
先生がすかさずツッコミを入れ、それから真摯な瞳でヒヨリを見つめて手を差し伸べた。その言葉に、ヒヨリはハッと息を呑む。
「……は…果たして助けられるのでしょうか」
「…」
「わ…私は…リーダーの居場所を知らせればアリウス自治区へ戻れるように彼女に便宜を図ると言われました」
「…っ!?」
「わ、私はリーダーの命令に従っただけだから情状酌量の余地があるって…」
「…そうか。ならばそうするといい」
「えっ?」
「私の居場所を彼女に教えてそのまま自治区へ戻れ、そうすれば少なくともヒヨリには、迷惑をかけない」
サオリの静かな、けれど有無を言わせぬ言葉に、ヒヨリは間抜けな声を上げた。サオリは諦めたように、どこか哀しげに目を伏せる。
「は…はい!?わ…私は」
「いつか…こんな時が来ると思っていた。今までよく付き合ってくれた」
今までの苦難を思い返すように、サオリはすべてを受け入れる覚悟で背中を向けようとした。だが、そんな切ない決別の空気を、ヒヨリの涙声が完全にぶち壊した。
「あ…あのぉ…もう断っちゃったんですけど…」
「……」
すん、とサオリの動きが文字通り凍りつく。
「……あっはっは! ヒヨリって言ったか! 案外状況見えてるじゃん!」
張り詰めていた緊張感が一瞬で霧散し、探索者が大爆笑しながらヒヨリの肩をバシバシと叩いた。
「その選択は正解だ、少なくとも裏切られた雇い主の復縁メールほどきな臭いものはない」
涙目で肩をさするヒヨリをよそに、探索者は実感を込めてやれやれと首を振る。
「世の中にはなぁ、都合のいい時だけ『やり直そう』だの『君が必要だ』だののたまうクソみたいな組織や人間がごまんといるんだよ。戻ったところで、待ってるのは都合のいい肉壁か鉄砲玉の扱いだけ。突っぱねたアンタの生存本能は正しい」
「う、うぅ……褒められてる気が全然しませんぅ……」
「ま、まぁ…でも、姫ちゃんを助けられるのならその方が良いですし…それはリーダーも一緒ですよね?だから私を探しに来たんじゃないですか?」
「……あぁ、そうだ。詳しい話は全員揃ってから話そう」
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降りしきる雨の中、ヒヨリの案内で移動した一同は、やがて旧市街をまたぐ巨大な高架上へと足を運んでいた。
コンクリートのそこかしこには亀裂が走り、所々に赤黒い錆や、手入れされていない不気味なツタ植物などが執拗に巻き付いている。
"目眩がするような高さだね……"
先生が恐る恐る手すりの外を覗き込み、身震いする。
「ざっと7〜8メートルって所ですね」
「……それに下の川は水深五メートルはある」
不意に、すぐ近くから低い声が響いた。
驚いて視線を向ければ、錆びついた橋の手すりに危ういバランスで腰掛けていたのは、虚ろな両眸を向けた少女──ミサキだった。
「流れも速いし、落ちたらそのまま水底へ沈むだろうね」
「ミサキ」
「ミサキさん…」
「…リーダーにヒヨリ、そしてシャーレか…」
ミサキは手すりに腰掛けたまま、感情の消えた瞳で一同を見つめた。特に、サオリと先生が並んで立っているその光景に、彼女の視線が固定される。
「……そっか、そういう選択なんだね。リーダーがまさか…その選択するとは…先生もそれを受け入れたんだ」
「どっちにしろ予想外だったかな」
「…でもね先生。私たちは先生を始末すれば自治区へ戻れる。そこにいるリーダーもヒヨリも同じ話を聞いたはず。だよね」
「わ…私はちょっと違いましたけど…」
蚊の鳴くような声でヒヨリが補足するが、ミサキはそれを無視して言葉を続けた。その声音には、諦念と、どこか試すような響きが混ざっている。
「…あぁ、言われたな。先生を始末すればすべてを許すと」
サオリが重く口を開き、その事実を肯定した。ミサキは自嘲気味に口元を歪め、手すりを指先でトントンと叩く。
「…いつ後ろから引き金を引くかもわからない相手を…信用出来るの?」
"…サオリがその気なら私は無事じゃないよ"
先生がまっすぐにミサキを見つめ、迷いのない声でそう告げた。すでに命を狙われた過去がありながら、それでもサオリを信じているという揺るぎない確信。
「それいいブラックジョークですね。面白い」
"…そんなつもりはないんだけど?"
先生のジト目混じりの抗議に、探索者はクスクスと肩を揺らした。
「いや、だってそうでしょう。当の本人が『その気なら無事じゃない』なんて涼しい顔で言えちゃうのが最高に狂ってます……なぁお嬢さん。いつ後ろから撃たれるか、なんてそんなの、この先生に限っては最初から気にしてないんですよ」
探索者は呆れたように息を吐き、手すりに腰掛けるミサキへと視線を戻した。
「ただ目の前の生徒を助けたい。この先生にある物はそれだけです」
「……なにそれ、バカじゃないの」
「えぇ、私ですらバカだと思います」
ミサキは心底吐き捨てるように、冷ややかにそう呟く、
探索者はあっさりとミサキの言葉に同意し、どこか遠い目をして肩をすくめた。
「でもね」
一拍置いて、包帯の隙間から覗く鋭い眼光が、まっすぐにミサキを射抜く。
「そんなバカにしか開けない場所がある。例えば人の心とかね」
「……もっとバカみたい」
ミサキは呆れたように視線を外し、吐き捨てるように呟いた。雨に濡れた前髪の隙間から覗く瞳は、頑なな冷徹さを保とうとしながらも、わずかに微動している。
「えぇ」
探索者は否定もせず、ただ気のない返事を返して肩をすくめた。
「自分でも少々似合わないようなロマンチストが過ぎる台詞だとは思いますよ。ただね、お嬢さん。そういう『バカげた現実』が今、目の前に転がってるのも事実だ」
彼は顎でサオリと先生を指し示す。
「君たちがどんな地獄を這い回ってきたかは知らないが……少なくともその先生は、今さら裏切られる程度で折れるようなタマじゃない。裏切りが怖いなら、最初からこんな雨の中に手ぶらで飛び込んできやしませんよ」
「……でも、だからといって私は変わらないよ」
そう告げると、ミサキは手すりからひらりと身を翻した。
そのまま、激流が渦巻く奈落の真上──橋の外側の細いフチへと足場を移す。ほんの少し重心を傾けるだけで、瞬時に7メートル下の水底へ沈んでいくような、あまりにも危うい境界線。
「ミサキ……っ!」
サオリが血相を変えて手を伸ばしかけ、ヒヨリが「ひゃぅっ!? ミサキさん、ダメですぅ!」と悲鳴をあげる。
「……ヴァニタス・ヴァニタータムだったか。アンタがどんな絶望を感じて、この世界に希望を感じてないかなんて、私にはさっぱりわからん」
そんな切迫した空気に割り込むように、探索者は一歩、また一歩と躊躇なく距離を詰めた。銃口は下げているものの、包帯の隙間から覗く双眸は、死の淵に立つ少女を冷徹に、けれど確かな質量を持って射すくめている。
「だがな、今お前の力が必要だ。死ぬのはその後にしろ。世界が虚無だというなら、その命の使い道くらい、今ここで差し出していけ」
綺麗事ではない、あまりにも泥臭く現実的な「引き留め」の言葉が、激しい雨音を突き抜けてミサキの耳へと叩きつけられた。
「…」
ミサキは言葉を失ったように、ただ激流を見下ろしたまま硬直する
「それに、死ぬのならここはあまり好ましくない。ここは全然生き残れる。たったの7メートルしかないからな。本気で死ぬなら15メートルは欲しい」
「生存本能ってのは厄介でね。その高さと水深じゃ、下手に受け身を取っちまって五体満足で這い上がってくるのがオチだ……死に損ないたいなら止めやしませんが?」
「……は?」
ミサキの口から、困惑と不快感が混ざり合った声が漏れた。
「…この高さで死なないとか適当なことを──」
「飛び込みのプロは高さ10メートルから日常的に飛び込む。素人でも5~6メートルの飛び込みはヘタをうったとしても少なくとも死には至らない」
探索者は淡々と、まるで教科書でも読み上げるかのように専門的な事実を並べ立てた。
「ましてやアンタはアリウスの厳しい訓練を生き抜いてきた身だ。無意識の内に体が衝撃に備え、水面を捉える。ヘタに後遺症で動けなくなり、死ねなくなる可能性すらある。だったらこんなところよりももっと優れた場所があるって言いたいんです」
「……優れた、場所……?」
ミサキの眉間の皺がさらに深くなる。死を肯定されているのか否定されているのかすら曖昧な、不条理な選択肢。
「アリウス地区に突っ込んで、お姫様を引っぺがす戦場。あそこなら、死ぬ気で戦わなきゃ一瞬で消し飛ばされる。アンタのその命の使い道としては、薄汚い川にド沈むより何百倍もマシな使い所だと思いませんかね?」
「……」
ミサキは返す言葉を失い、ただ口を真一文字に結んで探索者を睨みつける。
あまりにも理不尽で、あまりにも現実的。だが、これ以上ないほどに核心を突いたその言葉は、激しい雨の冷たさすら忘れるほどの熱量を持って、彼女の頑なな心を激しく揺さぶっていた。
「……何それ。結局、私を都合よく利用したいだけじゃない」
「ええ、大正解。お互い様でしょう? そっちが世界をどうでもいいと思っているなら、その使い古された命、都合よく買い取らせていただきましょうって話です」
探索者は悪びれもせず、むしろ愉快そうに両手を広げてみせた。
「すべてが虚無で、何の意味もないって言うなら…最後にこのクソったれの世界のド真ん中に、風穴空けて嘲笑いながら消えた方が、いくらかマシな暇潰しになると思いませんか?」
「…確かに、それは最高に笑えるかもね」
ミサキの口元に、フッと自嘲気味で、けれど今までで一番生々しい、好戦的な笑みが浮かんだ。