カタコンベの扉を開き、一同は堂々と通路へと入り込む。
完全に視線が届かない通路の曲がり角まで来ると、探索者は小さく息を吐いて肩の力を抜いた。ガスマスクの排気弁がシュコー、と気の抜けた音を立てる。
「……何とかセーフですね……」
「…」
"…"
「…」
「なんですかその養豚場の豚を見るような顔」
"いやぁ……ねぇ?"
「何か言いたいのならハッキリと」
"手口が明らかに信用詐欺だなって"
「教職が言う言葉じゃないっすね」
"ハッキリと言えって言ったのは君だよね!?"
「貶していいとはひと言も言ってませんよ」
お互いにガスマスクを被っているせいで表情は見えない。見えないはずなのだが、先生だけでなく、サオリ、ミサキ、ヒヨリの4人から注がれる「言葉にできない泥を凝縮したような眼差し」が、探索者へと注がれる
「……本当に何なんだお前は。南区などという区分はアリウスに存在しない。聞いていて私の胃のあたりが冷たくなったぞ」
サオリがようやく得体の知れないものを見る目をやめ、片手で額を押さえる
「大雑把にも程がある。というか、詐欺師というよりはほとんど脅迫の類」
ミサキが呆れたようにため息をつき、銃の安全装置をカチリと戻す。
「酷い言われようで笑える。これでも立派な交渉術ですよ。戦場で本当にパニックになって、命からがら逃げてきた兵士が、ガチガチの軍事用語を正確に喋れると思いますか?」
「…まぁ確かに…?」
探索者のもっともらしい弁明に、ヒヨリがガスマスクの奥で「一理あるかも……」という風にコクコクと首を縦に振る。
「ヒヨリ、納得しちゃ駄目。本当に信用できない」
すかさずミサキが冷徹なツッコミを入れ、ヒヨリの肩を掴んで現実に引き戻した。
「マジで容赦ねぇな。こちとらガラスのハートぞ?」
「どこがですかぁ!? あんな心臓に悪いハッタリを平然とかませるメンタルがガラスなわけないですぅ!」
「まぁとりあえず関門は突破できましたね。これで大量の敵とは相対せずに体力を温存出来たわけで……」
軽口を叩きながら通路を歩いていた探索者が、突如として言葉を切り、ピタリと足を止めた。ガスマスクの奥の鋭い視線が、暗い通路の先ではなく、今しがた通り抜けてきた背後の闇へと向けられる。
「……どうかしたのか?」
その異変にサオリがいち早く気づき、即座に銃身を低く構え直した。
「……サオリ、このカタコンベは横路にそれることは可能か?」
「いや、一度ルートを外れると構造が複雑すぎて戻れなくなる……しないほうが良いな」
「………とりあえずこのカタコンベは走りますよ」
探索者の声から一切の余裕が消え失せ、冷たく張り詰めたトーンへと変質する。
「えっ?ど、どうしてです……?」
ヒヨリが怯えた声をあげる。
「入り口付近で銃声が聞こえた。何者かがこの内部へと侵入しようとしている可能性が高い、敵か味方か分からない以上、とっとと突破して隠密に移行したい」
「銃声……!? クソ、追っ手か!?」
サオリが即座に振り返る。しかし、探索者はその肩を強く押し、無理矢理に前を向かせた。
「走りますよ。 さっきの門番が気まぐれに上層部へ無線を入れて、さっそく『そんなものはない』とバレたのかもしれないし、本当にただの乱入者かもしれない。どちらにせよ、ここで挟み撃ちにされるのだけは御免なので」
「わ、わかりましたぅ……! 走ります、走ればいいんですねぅー!」
ヒヨリは泣き言を叫びながらも、巨大なリュックを抱えて猛然とダッシュを開始する。
"聞こえたのは本当なの?"
「ええ、少なくとも聞き間違いの線は薄いです。どちらにせよ、挟まれる可能性が高いここで接触するメリットは無いですね。マスクも勿体ないが破棄だ、とにかく迅速に突破を目指す」
探索者は走りながら防護服の接続部を緩め、視界を狭めていたガスマスクを無造作に剥ぎ取って通路の隅へと投げ捨てた。サオリたちもそれに倣い、顔を覆っていたマスクを外して本来の鋭い視線を闇へと放つ
一同は薄暗い地下通路の奥へと一斉に疾走し始めた。
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「だ、大丈夫です! 上がってきてください!」
地上からのヒヨリの呼び声に導かれ、探索者と先生はカタコンベの息詰まる暗闇からようやく這い上がり、出入り口から少し離れた物陰へと移動する。
「ここなら警備の手が薄いはず……正解だね」
ミサキの言葉通り、辺りには人の気配が全くなかった。所々が不自然に崩落し、静まり返った廃墟が広がっている。
"ここが……アリウス自治区?"
周囲を見回した先生の呟きに、ミサキが力なく首を振った。
「……昔はそうだったけど、今はただの跡地だよ。本当の自治区は、このもう少し先」
「確かに。結構寂れているというか、誰かが頻繁に訪れている雰囲気ではありませんね……サオリ?」
隣を歩いていた気高き戦士の足取りが、目に見えて乱れた。
「ふっ……ぐっ……」
「っと! どうしたサオリ、しっかりしろ……っ」
前のめりに倒れ込みそうになった彼女の身体を、探索者が間一髪で抱きとめる。
"サオリ!? 何かあったの?"
すぐ傍で先生が駆け寄る。抱き起こしたサオリの肌に触れた探索者は、伝わる異様な温度に目を鋭くした
「……酷い熱だ。マズイな、完全に焼き切れてる」
「……リーダーは4日近く休んでない。負傷している上に、睡眠不足と疲労が重なってた。今まで気力だけで我慢していたのも、限界だったんだと思う」
ミサキが苦しげに視線を落とす。限界なのは最初から分かっていた。それでも、ここまで平然と自分たちを率いてきた彼女の超人的な精神力が、逆に限界のサインを隠してしまっていたのだ。
「あ、あわ……ど、どうしましょう、お薬なんて持ってないですしぅ……!」
オロオロと涙目になるヒヨリ。その横で、先生がジャケットの懐から手早く小さなシートを取り出した。
"これを。解熱剤を飲ませよう"
「く……薬!? なんで先生がそんなものを……っ」
「…持ち歩いてるんだ」
驚くミサキに、先生は少しだけ安心させるように微笑む。
"コンビニとかでも普通に売ってるからね。それに…ほら、私の隣にもっと医療品を常備してる専門家がいるし"
「備えあれば嬉しいなの権化。探索者と申すものです」
そう言って探索者は、懐から、手際よく携帯用の水筒と清潔な脱脂綿、そして先生とはまた違う薬を取り出した。あまりの淀みのなさに、ミサキとヒヨリは一瞬だけ呆気に取られる。
「先生のそれアセトアミノフェン由来でしょう?ならイブプロフェンと…はい。口開けて……扁桃腺も焼けてますね。トラネキサム酸、あとはカルボシステインぐらい飲ませておけば良しですね」
「……え、えっと……?」
呪文のように並べられた専門的な薬品名に、ヒヨリが完全に目を白黒させる。
探索者は手際よく錠剤を切り分け、水筒と共にサオリの手元へと差し出した。
「ほら、サオリ。噛まずに水で一気に流し込みなさい」
「……あ、あぁ……すまない、恩に着る……」
サオリは熱で朦朧とする意識の中、促されるままに数錠の薬を喉の奥へと押し込み、水を一気に煽った。
「……即効性は期待しないでくださいね。いくら薬を飲んだところで、肉体が熱を下るまでには最低でも数十分はかかります……本来であればこんな雑な診断による薬剤の投与は良くないですけど……無い物ねだりしてもしょうがないですね」
「とりあえずは休息としましょう。まだ時間はある。経口補水液と缶詰でもいいですが…MREもあります。食べましょうか」
"チョコバーとかもあるよ"
そう言って探索者は、奪ってきたバックパックに手を突っ込み芯火へと手を翳し手際よくいくつかのパッケージを取り出した。
瓦礫の影に腰を下ろしたサオリの前に、味気ないアルミパウチの数々が並べられる。
「MRE……? それに、この奇妙な味の水分は……」
ミサキが経口補水液のパウチを怪訝そうにつまみ上げ、成分表示を凝視した。
「わぁ…こんな物初めて食べます!」
「こんな物…いいの?」
「元よりこういう非常時のための食料です。私が監修なので味は保証しますよ」
「……は? あんたが監修?」
ミサキがパウチから視線を上げ、心底不審そうな目を探索者に向けた。どこかの配給会社か、あるいはコンサルタントか。この怪全貌がますます見えなくなる。
「色々と縁がありましてね。そういう会社の開発部にいたことがあって、色々口出しさせてもらった物です。その結果材料費が高くなって文句言われたこともありましたけど」
「カロリーと塩分、そしてある程度の味は保証します……さあ、サオリ。チョコバーでも何でもいい、少しでも腹に入れて、目を閉じなさい」
「……あ、あぁ。感謝する、先生、探索者……」
サオリは重い身体を壁に預け、小さく息を吐きながら補水液のストローを咥えた。熱で乾ききった身体に、冷たい水分が染み渡っていく
"ゆっくりでいいからね。誰も急かしたりしないから"
先生の優しい声が、暗く冷たい廃墟にじんわりと広がる。ヒヨリが恐る恐る口にしたチョコバーの甘さに頬を緩めるのを横目に、探索者はさらに芯火の中を探った。
「あとは……はいこれ」
"なんだい? アルミシート?"
先生が尋ねる。探索者の手には、薄く折りたたまれた銀色のきらめくシートがあった。
「ただのアルミシートじゃないですよ。保温と遮熱、両者に優れた宇宙でも使われるシートです。軽くて頑丈、非常用としてはとても優秀なんですよ。これをサオリの体に巻いておいてください」
カサカサと軽い音を立てて広げられた銀色のシートが、サオリの細い肩へと掛けられる。
「……暖かいな。不思議な素材だ……」
シートに包まれたサオリが、微かに緊張を解いたように深く息を吐き、ゆっくりと瞼を閉じた。
「さて、私は一応周辺地形の調査と追手が誰なのかを確認してきます」
"休まなくていいの?"
「ええ、食事も問題ないです。
「…本当、何者なの?アンタ」
その様子をじっと見届けていたミサキが、再び視線を探索者へと戻した。
常識では測れない奇妙なハッタリを涼しい顔でかましたかと思えば、実用的な医療知識を並べ、軍用物資の開発にまで関わっていると嘯く。その底の知れなさは、敵意とは別の意味でミサキの警戒心を刺激していた。
「……そうですねぇ……表すのなら」
探索者は曇天の空を見上げ思考する。分厚い雲に覆われた、光の射さないアリウスの空。そこから視線を落とし、おどけたように軽く頭を下げた。
「準備しかできない卑劣な凡夫。探索者と言います。以後お見知りおきを」
「…なにそれ、その知識、その判断力、その経験で凡夫なの?」
「ええ、本当の英雄や王、主人公と呼ばれる存在は、慢心していても世界をひっくり返せるような化け物ですから……かの御仁も『慢心せずして何が王』ともいってますし」
「どれだけ油断しようが、どれだけ無策で突っ込もうが、最後には『才能』や『血統』、あるいは『運命』という理不尽で全てを強引に解決してみせる。それが私の知る『本物』です」
一拍置いて、探索者は自らの両手を見つめ、自嘲気味に肩をすくめる。
「それに比べて私はどうです? 事前に調べて、予測して、用品を揃え、挙げ句の果てには騙さなければここまで来ることすらできなかった──ほら、ただの凡夫でしょう?」
「……歪んでる。アンタのその思考、相当ね」
「えぇ、どっかの主とその妹に歪められたのでね」
そう言うと探索者は足音ひとつ立てず、溶けるようにして瓦礫の向こうへと消えていく
「……どっかのバカ、か」
ぽつりと、ミサキが呟く。
歪んでいる。確かにあの女の思考はどこか壊れている。だが、その歪みは決して生まれつきのものではなく、誰かとの、あるいは何らかの「経験」の果てに獲得してしまったものなのだろうということだけは、今の言葉で理解できた。
「ミサキちゃん……あの人、なんだか、凄く寂しそうな背中をしてましたぅ……」
チョコバーを咀嚼する手を止め、ヒヨリがMREを抱えたまま、探索者の去った暗がりを見つめていた。
「さあね。大人の考えてることなんて、私たちが分かろうとするだけ無駄……それより、今は食べるよ。言う通り、体力を戻さないと」
"……ふふ。みんな、大丈夫だよ。あの人はひねくれてるけど、あれでいて結構、責任感の強い人だからね"
先生の、全てを見通しているような、そして少しだけ悪戯っぽく微笑むような声。その声に、ミサキはほんのわずかだけ、張り詰めていた肩の力を抜く
冷たい風がアリウスの廃墟を吹き抜ける中、アルミシートに包まれたサオリの寝息だけが、静かにその場を支配していた。