探索者は軽く周囲を警戒し、異常がないことを確認すると、自身が出てきたカタコンベの入り口を見張りつつ物陰へと隠れる。
(……全速力ならそろそろ出てくる。普通に歩いたとしても1時間も張り込めば来るだろ)
デザートイーグルの安全装置に指をかけ、冷たいコンクリートの壁に身を寄せる。視線はカタコンベの暗い口へと固定されたままだ。
先ほど耳にした銃声──その響きから察するに、追っ手の戦闘力は侮れない。
(……しかし、アリウス生徒は強いな……恐ろしく……深き者とかよりもよっぽどやり辛い……ベアトリーチェの教育の賜物って言えばその通りだが……何か引っかかる……)
これまで対峙してきた、おぞましい神話の被造物たち。それらは純粋な狂気と暴力の塊であり、生態や弱点さえ見極めれば「対策」を立てることができた。
だが、アリウスの生徒たちは違う。
彼女たちにあるのは、徹底的な軍事教練によって叩き込まれた、冷徹で無駄のない「戦術」だ。兵器としての統率が取れており、こちらの出方を窺うだけの知性がある。
なにより、死を恐れぬその戦い方は、信仰というよりはもっと根深い、逃れられない呪縛のように見えた。ベアトリーチェが彼女たちをどう歪めたのか、その片鱗を思い知らされる。
(単なる私兵の訓練度を超えているのはまだ理解できる。そう育てられるしか無かったんだろう…だが……戦闘中と平日の差が激しすぎる…アドレナリンだけでは説明がつかない……条件付けか、洗脳か、それとも薬理的な何か……まるで
銃を構え、引き金を引く瞬間のあの、異常なまでに研ぎ澄まされた殺意。かと思えば、先ほど目の当たりにした門番たちのように戦闘から離れた途端に露呈する、年相応の脆さと飢え。
戦場に身を置くことでしか精神の均衡を保てないのか、あるいは戦う瞬間だけ脳内に別の何かを強制的に分泌させられているのか。歪んでいる、の一言では片付けられない不気味な「落差」が、探索者の観察眼に不快な違和感を残していた。
(……ま、何にせよ、まともな育ち方をしていないことだけは確かだな)
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そのとき、カタコンベの奥から、微かに空気の流動が変わる音がした。砂利が擦れるような、極めて微小な足音──
(──来たな)
探索者は思考を瞬時にクリアにし、脳内の雑音を完全にシャットアウトする。呼吸を殺し、銃口を闇の境界へと静かに向けた。
(……ウッソだろ……マジかよ……ここでか……)
カタコンベの暗がりから、カツ、と硬いローファーの音が響く。
ゆっくりと姿を現したのは、アリウスのヘルメットを被った兵士でも、ベアトリーチェの差し向けた不気味な刺客でもなかった。
場違いなほどに純白の、しかし今は埃と煤に汚れたトリニティの制服。
暗闇の中でも淡く主張する、ピンク色の柔らかな髪と、その背に広がる大きな翼。
探索者の目線の先、そこに立っていたのは、彼がよく知る人物──美園ミカだった。
だが、その目は過去会った時のように囚われのお姫様というよりも、完全に復讐に飢えた猟犬のようになっている。虚ろでありながら、底暗い殺意だけがぎらぎらと燃え盛るその瞳は、アリウスという存在そのものを噛み殺すためだけにここへ来たことを物語っていた。
(……最悪だ。マズイ…マズすぎる…恐らく今、アイツは話の通じる状態じゃない…戦闘になれば普通に死ねる)
(……恐らくは、復讐だろうな。それがスクワッドに向けられたものか、アリウス全体に向けられたものかは分からんが)
(クソッ…面会の時に釘刺しときゃ良かった!こんなにメンタルよぇぇのかよ!)
(…落ち着け、焦っても状況は変わらない)
深く、極めて静かに、探索者は気づかれないよう静かに息を吐き出した。パニックは生存確率を最も下げる悪手だ。脳細胞をフル回転させる。
(この調子じゃあ隠れてる場所には行かない。だが、多分向かってるのはアツコがいる場所だと仮定するのが自然だ)
ミカの視線は、サオリたちが身を隠した瓦礫の陰とは別の方向──アリウス自治区のより深部、ベアトリーチェが儀式を進めているであろう中心部へと向けられている。
(サオリを狙うにせよ、アリウスそのものを叩き潰すにせよ、行き着く先はアツコが囚われている祭壇だ。あそこに直行されたら、ベアトリーチェの思惑ごと盤面がグチャグチャになる。それだけならまだしも、サオリが確実に後を追って死ににいく)
ミカという規格外の戦力が乱入すれば、アリウスの防衛線など紙切れ同然に突破されるだろう。だが、今の彼女は完全に正気を失った猟犬だ。アツコを人質に取られたり、ベアトリーチェの奇妙な術式に嵌められたりすれば、その圧倒的な力すら最悪の形で利用されかねない。
(…どうする…一番最悪なのは…ミカがサオリ、引いてはアリスクのみに憎悪を向けており、ベアトリーチェには我関せずの場合…だな。それが一番死ぬ)
もしミカの目的が「アリウスという組織の壊滅」ではなく、ただ「サオリたちへの復讐」の一点特化だった場合。
ベアトリーチェが何を企もうが、アツコがどうなろうが知ったことではないとばかりにスクワッドの首だけを狙い、その結果としてベアトリーチェの儀式を無傷で成立させてしまう──あるいは、サオリを殺すためならベアトリーチェの手助けすらしかねない。
(………ここで急襲か?いや、戦闘は最後だ。一番確率が低い…というか、ミカと戦った後に、アツコを助け出せる余力が残っているとは思えねぇ…)
(マジで…どうする……)
刻一刻と、ミカのローファーが冷たい地面を蹴る音が近づき、そして通り過ぎようとしている。
脳細胞が焼き切れるほどの速度で、手持ちのカードをシャッフルする。
──直接の戦闘は論外
──隠れてやり過ごすのは、未来の全滅を確定させるかもしれない負け筋
(……ならば、やる事は一つ!)
「美園ミカが居たぞ!!囲め!!」
探索者は精一杯の声を張り上げる。
すると、その叫び声に呼応するかのように、廃墟の奥からバタバタと無数の軍靴がコンクリートを打ち鳴らす、本物の大量の足音が聞こえてき。
(あいつらじゃミカは止められない。だが十分だ。俺に必要なのは撃破じゃない――時間だ。それに、ミカが恐らく負けることはない。だが、楽勝というわけでもないだろう)
探索者がわざと出した大声は、周辺を警戒していた本物のアリウスの巡回兵たちを確実におびき寄せた。
「……あ」
ミカが、ゆっくりと声のした方へ顔を向ける。
その顔に浮かんだのは、恐怖でも動揺でもない。
「アハッ……見ぃつけた……」
ゾッとするほどに歪んだ、狂気的な笑み。
獲物を見つけた猟犬の瞳が、暗がりから現れたアリウス兵たちを完全にロックオンする。彼女にとって、目の前に現れたアリウスの制服を着た者たちは、すべて自分の大切なものを奪った「憎むべき敵」でしかなかった。
「総員、構え──」
「──お邪魔虫は、どいててよ!!」
アリウスの指揮官が叫びきる前に、ミカのローファーが爆音と共に地面を文字通り爆砕した。
(…ハハッ…ヤバすぎて笑えてくるな。一人だけやっぱ世界観刃牙だろ)
(…これで時間は稼げる。サオリの薬もそろそろ聞いて熱が引いてくる頃だ。とっととアツコ取り戻して、ミカへの説得にだけ、思考を回せるようにしなくては…!)
激しい銃撃戦の音が廃墟に響き渡る中、探索者は気配を完全に消したまま、その圧倒的な戦闘の嵐から距離を取って行く
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サオリたちが身を隠している廃墟の奥。
アルミシートに包まれたサオリの隣で、ミサキとヒヨリが銃を構えて警戒を強めていた。遠くから響くあまりにも異常な戦闘音に、二人の表情はこわばっている。
そこへ、足音もなく溶け込むようにして探索者が戻ってきた。
「……ッ、探索者! 今の音は一体──」
ミサキが鋭く声をかけようとしたが、探索者はそれを手で制した。
そのまま崩落した柱の影にどさりと腰を下ろすと、「フーッ……」と重苦しい、心底疲れ果てたような吐息を漏らしながら両手で頭を抱え込んだ。
「……ハァー……クソ、最悪だ。計算違いにも程がある……」
「え、えぇっ!? あの、何があったんですぅ!? もしかして、すっごくヤバい追っ手が来ちゃったんですか……!?」
ヒヨリが半泣きになりながら顔を揺らす。
「追っ手というか、なんというか……結論から言うと、このエリアのカタコンベの出口に、トリニティの美園ミカが単身でエントリーしてきた」
"……え?"
先生の目が点になり、次いで信じられないものを見るように見開かれた。
"なんで…ミカが……み、見間違いってことは…ないみたいだね……でもどうして"
「さあね。詳しくは本人か、あるいはトリニティのガバガバな警備体制に聞いてください」
「ただ、今のアイツは完全に目が据わってた。囚われのお姫様なんて上等なもんじゃない、文字通り、アリウスの全てを噛み殺すためだけにここまで来た『復讐の猟犬』だ」
探索者は頭を抱えたまま、低く、しかし冷徹に現状の整理を口にする。
「戦闘になればこっちの命がいくつあっても足りない。だからわざと大声を張り上げて、近くの巡回兵どもをアイツの前に誘導しました」
「……薬の効き目はどうだ。サオリは動けそうか?」
探索者は頭を上げ、アルミシートの中でかなり呼吸が安定してきたサオリへと視線を向けた。
「あ…あぁ。薬のおかげでだいぶ動ける」
「……アイツが巡回兵を片付けたら、まっすぐベアトリーチェのいる祭壇へ向かうはずだ。アツコを取り戻すにせよ、あの狂犬を止めるにせよ、猶予もなくなった……急ぐぞ」
──────────────────────────
「……これでクリアかな」
最後の角にいたアリウスの歩哨を音もなく絞め落とし、床に転がした探索者が、低く息を吐いた。
ミカが派手に暴れてくれたおかげで、このルートの警備は完全に薄くなっている。それでも、プロとして訓練されたアリウスの生徒たちの隙を突き、迅速に無力化していく探索者の隠密手腕は、凡夫の言葉とは裏腹に徹底して無駄がなかった。
その時、同行していた先生の目が、通路の脇の瓦礫に投げ出されていたある「袋」で止まる。
"これは……ねぇ、確かこれって持っていなかったっけ?"
先生が指差したその袋の破れ目からは、サラサラと不気味な黒い粉が漏れ出ていた。
「──ッ、先生、触るな!」
探索者の声のトーンが、それまでの冷静なものから一転して張り詰めたものに変わる。彼は鋭い動きで先生の手を遮ると、その目を黒い粉へと近づけた。
「全員近寄るなよ!……あぁ…クソ…!こんなもんまであるのかよ…!あんのクソババア…!アーティファクトは回収できていると思い込んでしまった……!どこからこれを仕入れやがった…!」
"えっ?"
先生が戸惑いの声を漏らす中、探索者は目を血走らせ、ギリ、と奥歯を噛み締めた。そのただならぬ殺気に、ミサキとヒヨリ、そしてまだ顔色の悪いサオリが身を固くする。
「……なぁ、3人はこれ知ってるか」
低く、地を這うような声で、探索者は漏れ出た黒い粉を指差した。
「あ、あぁ、軽くだが…確か彼女が言うには『戦闘に集中できる様になる薬』と、私たちは配布されなかったが、アリウス生徒なら持っている人は多い」
サオリが微かに息を切らしながら、記憶をたどるように答える。
そう答えた瞬間、探索者の顔に
剥き出しの般若が宿った。
その瞳が、限界突破した絶対的な「怒り」と「嫌悪」で血走る。
"ど…どうしたの?"
「クソッタレ……!そこまでの外道かよ…!」
"…この黒い粉は…一体…"
「……黒い蓮…通称ブラックロータス。巷では悪魔の灰と評される物です…」
探索者の口から漏れ出た悍ましい単語に、サオリが微かに眉をひそめた。
「……薬なのか?」
「そんな生易しいものじゃない」
探索者は這い出すような低い声で、サオリの言葉を撥ね退けた。
「本来はさまざまな補助に使われる代物です。触媒であって、人間が直接吸い込むことなんて…ヘイローを持つ人でさえ本気で死ににいってるとしか思えない」
"…っ'
「直接吸い込めば、吸い込んだ者のマイナスの感情に強く作用する。そして、その感情が求める『強さ』を強制的に実現させる。復讐なら、それを成すだけの圧倒的な力を。殺意なら、氷すらヌルいほどの冷徹を」
探索者は漏れ出た黒い粉を忌々しげに睨みつけ、慎重に全てを回収しながら吐き捨てるように言葉を繋いだ。
「だが、その代償として脳を壊す。本来、人間は自分の身体を壊さないように無意識に力を制限している。それを、このブツは強制的に解除するんだ」
「……っ」
「……筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋み、内臓は耐え切れず、それでも身体だけは命令通り動き続ける…一種のハザード状態と言っていい……しかも、この黒い蓮そのものにも強い毒性がある。少量でも身体を蝕み、繰り返せば確実に命を削るだろう。いくら君たちの頑丈な肉体とは言え、これは明確な致命傷だ」
「それを薬代わりに兵士へばら撒く?……正気じゃない」
探索者の口から語られるグロテスクな真実に、サオリ、ミサキ、ヒヨリの3人は言葉を失い、ただ足元の黒い粉を見つめることしかできなかった。
「…幸い、摂取さえしなければこの毒性は治まっていく、自然分解はされる。だが…とてつもない時間がかかる」
そこで一度、探索者の言葉が途切れた。
深く息を吐き、自らの焦燥を無理やり押し殺すように目を閉じる。それでも握り締めた拳は白くなり、声の端々から滲む怒りだけは隠しきれなかった。
「そして一度、この力を身体が覚えれば……薬から逃げられなくなる……だが、この薬の一番最悪なところはそこじゃない」
その場にいる全員が、探索者の次の言葉に息を呑んだ。
「知らないうちに吸い込んでしまうことがある」
静かな、しかし有無を言わせない絶対的な恐怖が、廃墟の冷え切った空気をさらに凍りつかせる。
「……粉末は極めて細かく、袋が破れれば風に乗る。本人に使う意思がなくても、気付いた頃には体内へ取り込んでいることがある。だから『自分は使わない』なんて意思は、何の意味もない。これ一つで、国が一つが地図から消えた事もあります」
ただの危険な薬物ではない。それは、生存の意志も、個人の倫理も、人間という境界線そのものを静かに侵食し、やがて社会すら飲み込んでいく――災害だった。
「……本来はかなり便利な道具で、応用が利く触媒なんですけどね……硫酸みたいな物です。正しく扱えば有益だが、ぶっかけられればタダじゃ済まない」
「本来の用途としては精神や構造の固定と増幅を行う高効率触媒で、用途はかなり広く、錬成や補助、精神接続の安定化にも使える」
「……道具に善悪はない。だが、使い方を間違えれば、それは災害になる…それを体現した製作物です」
"…だからあの子達はあんな戦い方を…"
「…」
静まり返る廃墟の通路。全員の心に重くのしかかる絶望と怒りの塊を、探索者は冷徹な一言で、しかし確実な現実の温度を持って切り裂いた。
「……とりあえず行きましょう。ここで憎悪を燃やしてもなんの意味もない」
探索者はデザートイーグルを低く構え、気配を再び鋭く研ぎ澄ます。そして、アツコが囚われ、ベアトリーチェが待ち受ける祭壇への足を向けた。