「……一応聞きますよ、お嬢さん。復讐を辞めてこっち側について全ての元凶を叩き潰しませんか?」
場違いなほどに軽い調子のまま、探索者はその両手を肩の高さまで上げ、銃口をミカに向けたまま交渉を放り投げた。この極限の修羅場で、トリニティの最高戦力を「お嬢さん」呼ばわりして引き込もうとするその度胸に、背後のサオリたちは息を呑む。
だが、聖園ミカは、ただ哀しげに、そして酷く冷ややかに微笑むだけだった。
「ふふっ……やっぱり面白いね。貴方は」
ミカの視線が、探索者の銃口から、その奥に佇むサオリへとゆっくりと移動する。
「でも、ごめんなさい。私、今はあいつのことなんてどうでもいいの。ここに来たのはね……」
ミカが静かに、しかし圧倒的な質量を感じさせる足取りで一歩を踏み出す。その可憐な足が床を踏み鳴らすたび、廃墟の底から地鳴りのようなプレッシャーが五感に叩きつけられた。
「サオリ。君を殺すためだよ……それ以外に、私がここに来る理由なんてないじゃない」
(…クソ、やっぱブラロ入っていやがる)
「まぁでも、先生の指揮するスクワッドに向けていいアイディアがあんまり浮かばなくて…とりあえず一回ぶつかってみようかなって思ってたんだけど…ダメそうだね」
ミカの視線が、サオリから再び探索者の持つデザートイーグル──その微塵のブレもない銃口へと戻る。
「…そいつは光栄だね。そのまま、諦めてもらえればこっちも見逃せる。Win-Winの関係で行こうぜ」
「うーん…それは出来ない、かな」
「だってさ、私だけ不公平じゃん。私もサオリもアリウスも全員不幸にならなきゃ」
「……そうでなきゃ、私には…なんにも残らない」
ミカの目には大粒の、堪えきれなくなった涙が次々と溢れ、その綺麗な顔を濡らしていく。
「もう私には…帰る場所がないの…トリニティにも……どこにも……」
「私はトリニティの裏切り者で…皆の敵で……何度もセイアちゃんを傷つけてしまった魔女だから……」
「学園から追い出されたら…ナギちゃんにも、大切な人たちにも…二度と会えなくなる…」
ミカは言葉を詰まらせながら、血を吐くように独白する。かつてトリニティの「聖女」と謳われ、今や「魔女」と呼ばれた少女の、それが剥き出しの裏側だった。
「私に、これ以上幸せな未来なんか訪れないってこともよくわかってる……わ、私は……悪党だから……人殺しだから……だから…私に残っているのは…こんなものしか、無いの…」
「なのに……貴方達は……どうして!?」
ミカの涙に濡れた瞳が、サオリたちを激しく射抜く。
「私は大切なものを失ったのに!全部奪われたのに!!どうして…どうして貴方達だけ……ッ!」
「貴方達が何の代償も払わずに……!何も支払わずにいるのなんてそんなの……ッ!」
"……ミカ"
先生の痛切な声が響く。しかし、ミカは自嘲気味に笑って、涙を拭おうともしなかった。
「……ごめんね。先生。失望した? 元々話を聞かない悪い子だったでしょう?」
「それは違うな」
遮ったのは、先生ではなく探索者の声だった。
ミカは涙に濡れた目を細め、その黒い銃口の奥を睨みつける。
「……
「いーや、そんなクソみたいな性善論唱えるかよ。その言葉が欲しいなら
「俺が言いたいのは…「それはそれでこれはコレ」だ」
吐き捨てられた言葉の冷徹さに、ミカは一瞬だけ、きょとんとしたように目を丸くした。
「アンタの復讐心が正しいか間違ってるかなんて、俺の知ったことじゃねぇ。自分がどれだけ泥を被って不公平だと泣き叫ぼうが、そいつはアンタの取り分だ。勝手に一人で抱えて溺れてろ」
「それでむしゃくしゃして、復讐が無意味なものと知りながら、それでも続けるというのなら好きにすればいい」
どこまでも突き放した、救いのない言葉。
だが、それは同時に、聖園ミカという一人の少女が抱えるドロドロとした醜い感情を、否定も肯定もせず、ただ「そこにあるもの」としてそのまま認める言葉でもあった。
「……え?」
ミカの口から、呆然としたような声が漏れる。
『そんなことはやめなさい』と止められるか、『君は間違っている』と断罪されるか。そのどちらかしか予測していなかったミカにとって、探索者の放った言葉はあまりにも規格外だった。
「俺が言いたいのは、『自分が不幸なら相手も不幸でなければいけない』という思想を辞めろ」
探索者はため息混じりに、しかしドスの利いた声でミカの「心中論理」の矛盾を突き刺した。
「無意味だから何だ。空虚だから何だ。神話の深淵に比べりゃ、人間のやる営みなんて最初から全部無意味で空虚だよ。それでも、腹が立って眠れねぇから、ムカつくあいつのツラをぶん殴る……復讐なんて、その程度の一方的なワガママで十分なんだよ」
「だが…復讐の全てを背負う覚悟もない奴が復讐を語るなど笑止千万」
──冷徹な、しかし絶対的な『経験則』が混ざったその弾丸が、ミカの胸の奥底を容赦なく撃ち抜いた。
神話の狂気、人間の命など一瞬で消し飛ぶ不条理の底を見てきた探索者だからこそ放てる、あまりにも重い言葉。
「自分のワガママを他人に薄めてもらおうなんて、そんな都合のいい話がある訳ない。サオリを殺すってことは、その先にあるトリニティとアリウスの全面戦争も、先生の失望も、自分の手が一生洗えない返り血で汚れることも、全部ひとりで背負うってことだ」
探索者は一歩、ミカの方へと踏み出す。
「それができない、全員を道連れにしなきゃ耐えられないって言うなら……お嬢さん、アンタのそれは復讐ですらねぇよ。ただの『駄々こね』だ」
そう言った探索者の目は、驚くほど静かに、潤んでいた。
──なぜ、この人間がそんな目をしているのか
ミカには分からなかった。サオリたちにも、そして隣に立つ先生にすら、その涙の本当の理由は分からない。
ただ、その瞳に浮かぶ涙は、決してミカを責める者でも憐れむのものでもない
それは、あまりにも多くの「取り返しのつかない選択」を知る者だけが浮かべる、静かな哀しみだった。
「…っ!」
その瞳を見てしまったミカは、弾かれたように一歩後退り──次の瞬間には、その場からいなくなっていた。
トリニティの最高戦力が、まるで何か恐ろしい怪物から逃げ出すかのように、その場に一陣の風だけを残して消え去った。
「さぁ、行きますか」
「…お前は…本当に…何者なんだ……」
サオリがポツリと、心の底から恐れを孕んだ困惑とともに呟く。
あの聖園ミカを、暴力ではなく、ただ言葉と──その瞳の奥に宿る「何か」だけで完全に圧倒し、敗走させ、ベアトリーチェの用意した儀式すら笑い飛ばしたイレギュラー
サオリにとって、そしてアリウススクワッドにとって、目の前に立つこの存在は、すでにキヴォトスの如何なる常識の枠をも超えていた。
「んー? 何者って言われてもねぇ」
探索者はデザートイーグルをゆっくりとホルスターに戻すと、目元に溜まっていた涙を無造作に袖で拭った
「ただの旅人であり、不条理によく巻き込まれるような…そんなちょっと運の悪いだけの普通の人間さ」
デザートイーグルをホルスターに収めると、背を向けて目的地へと足を進める。その背中はあまりに大きく、同時に、どこか壊れそうなほど危うげな空気を纏っていた。
「さ、時間ももう無いです。あのストーカーの襲撃はあるかもですが、気にしていればタイムアップですよ」
探索者は振り返りもせず、曇天を見据えたまま、事もなげに言い放った。
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一同はアリウス分校の旧校舎から回廊へと入り、アツコがいるバシリカへと向かっていく。
かつて聖堂として使われていたのであろうその場所は、今はただ不気味な静寂に支配されていた。左右を崩落した壁と不揃いな柱に挟まれた、逃げ場のない一本道。遮蔽物も少なく、もし前方から伏兵が現れれば一網打尽にされかねない。
「……一直線か。この地形は危ないね」
周囲の構造を一瞥したミサキが、低く警戒を促す声を漏らす。
「……危険性はありますが、進むしかないですね」
探索者が神妙な面持ちで同意し、ヒヨリも銃のグリップを握り直す。
「待ち伏せの可能性は私も考えているが…一直線ならむしろ、こちらの火力を集中させやすい。警戒しつつ突破するぞ」
サオリが戦術的な判断を下そうとした、その時だった。ミサキがふっと視線を落とし、冷徹な声で遮る。
「いや。美園ミカの話」
「……何?」
「私が彼女ならどうするか…考えててたの。彼女にとっての一番の障害は多分、先生の存在。怪我させたくもないし、指揮も厄介」
「なら…」
ミサキの言葉が言い終わらないうちに、探索者の耳が異音を感知する
ガガガガ、と頭上の梁が軋む異音が回廊に反響する。
上空からの奇襲──いや、違う。これはただの待ち伏せではない。この見通しのいい一本道の天井を支える、巨大な石柱の根元が、信じられない質量によって「一撃で粉砕された」音だ。
死角からの崩落。上からの圧殺。
直撃すれば、耐久力のない人間など一瞬で肉塊に変える巨大な柱が、重力に従って一同の頭上へと倒れ込んでくる。そのラグを、探索者は見逃さない。
「走れ!! 振り返るな!」
鼓膜を破らんばかりの探索者の怒号が、静寂の回廊を切り裂く
叫ぶと同時に、探索者は迷わず隣にいた先生の腕を、脱臼せんばかりの勢いで強引に引っ掴むと、その身体を少しでも前へと、瓦礫の落下予測地点の外へと全力で押し出した。
"うお、っ──!?"
地面を転がるようにして前方へ吹き飛ぶ先生。
直後、すべての光を遮るようにして、質量そのものが視界を埋め尽くした。
──ドォォォン!!!!
鼓膜が物理的に破壊されたかと錯覚するほどの凄まじい質量爆音。
旧校舎の堅牢な石柱が床に激突し、爆発的な衝撃波と、視界を一瞬でゼロにするほどの濃密な粉塵が回廊を吹き抜ける。床が激しく波打ち、一歩遅れれば確実にペシャンコになっていたという恐怖が、スクワッドの面々の背筋を凍らせた。
「げほっ、ごほっ……! 先生!?」
サオリが煙の中に飛び込み、前方へ転がされていた先生の身体を抱き起こす。
"わ…私は大丈夫……っ、それより、皆は……!?"
先生が慌てて振り返った先──崩落した巨大な石柱と瓦礫の山が、回廊を完全に二つに分断していた。
目の前にはアツコの元へと続くバシリカへの道。だが、完全に退路を断たれる形に積み上がった瓦礫。
「…先生聞こえてますか?」
"こっちは怪我人なし!そっちは!?"
「何とか無事ではあります…が…これを退かすのは少々しんどいですね」
遠くから聞こえる探索者の声は、いつも通りどこか気怠げで、しかし周囲を警戒するような鋭さを孕んでいる。
"すぐに迂回路を探してそっちに向かう!"
「……いや、先生。そいつは辞めといたほうが良さそうだ」
探索者の声のトーンが一段と低くなる。同時に、カチリと彼が愛銃のセーフティを解除する金属音が冷たく響いた。
「…ご到着だな」
もうもうと立ち込める白い粉塵を割って、ゆっくりと、しかし圧倒的な存在感を伴って、一つのシルエットが立ち現れた。
薄汚れた白い翼。返り血を浴びた制服。
その手には、先ほど床に向けていたはずのサブマシンガンが、今度は明確な殺意を宿して握られている。
「…よう。答えは出たか?」
「…」
ミカは答えない。ただ無言で、冷徹に探索者を睨むばかりだった。
先ほど彼の瞳に見た「本物の地獄」への恐怖を、彼女は自らの内にあるドロドロとした憎悪と、すべてを終わらせたいという破滅願望で無理やり塗りつぶしてきたのだ。
「……先生、悪いですが『ここは任せて先にいけ』ってやつです。迂回路を探している内に本命が抜かれる可能性が高い」
"そんな無茶な……!"
「スクワッドを遊ばせておく余裕は、1秒たりとも無いはずだ。今ここで止まる方が、ベアトリーチェの思う壺ですよ」
瓦礫の向こう側で、先生が息を呑むのが分かった。
サオリたちも、この状況の恐ろしさを誰よりも理解している。キヴォトスにおいて、神秘を持たない「ただの人間」が、本気になった聖園ミカと一対一で対峙することがどれほど絶望的なことか。
「俺のことは心配しなさんな」
探索者はいつもの気怠げな調子のまま、どこか楽しげにさえ聞こえる声で笑った。
「怪物の処理は日常だ。世界が滅びるよりもよっぽど気楽に出来る」
「……行くぞ、先生」
瓦礫の向こう側で、サオリが引き絞るような声で先生を促す。拳を血がにじむほど強く握りしめながらも、彼女は探索者が命懸けで作ったこの千載一遇の「最適解」を無駄にするわけにはいかないと理解していた。
"……すまない、頼んだ……ッ!"
先生の悲痛な叫びと、それに続くスクワッドたちの足音が、瓦礫の向こう側へと遠ざかっていく。アツコを救うため、彼女たちは前へと走り出した。
完全に静まり返った回廊。
残されたのは、積み上がった瓦礫の山と、その頂に立つ聖園ミカ。そして、地に足をつけ、黒い銃口を斜め上へと向けた探索者の二人だけ。
「…さて、戦闘に行く前にちょっとお話でも?」
どこか調子外れな探索者の問いかけに、ミカは答えない。
それどころか
ただ、涙を流すだけだった
「……ぁ…こ……し…て」
ミカの小さな唇から漏れ出たのは、狂気でも怒号でもない、掠れた、消え入りそうな呟きだった。
「……っ!そうか!ああ、クソ!!読み違えた!!」
探索者は突如、自らの額を派手に叩き、回廊に響き渡るほどの罵声を上げた。その顔に張り付いていた現実主義者の余裕が、一瞬で驚愕と焦燥へと塗り替えられる。
甘く見ていた。
探索者は、彼女がそこまで致命的に塞ぎ込むことはないだろうと予想していたのだ。
キヴォトスには先生がいる。 仲間がいる。 戻る場所がある。
あの世界とは違う。 神話だけが支配する、救いのない世界とは
だからブラックロータスに飲まれても、最後の一線だけは踏み越えないと、そう思い込んでいた。
……違った。
希望がある世界だからこそ、それをすべて失ったと思い込んだ少女の絶望は、想像以上に深かった。
(ブラックロータスの副作用だ……!)
ブラックロータスは、負の感情を増幅するだけの薬じゃない。
心の奥底に押し込めていた感情へ無理やり光を当て、そのすべてを表へ引きずり出す。
憎しみだけで突き進んでいる間はまだいい。 人間は一つの感情だけなら、まだ自分の意思で身体を動かせる。
だが、一度でも迷いが生まれれば話は別だ
「殺たい」と「殺したくない」 「生きたい」と「終わらせてほしい」
相反する感情が同時に表へ浮かび上がった瞬間、薬はその矛盾ごと増幅する。
思考は後悔を叫び、身体は復讐を遂げようと動き続け
理性と肉体が切り離される。
「…どっちかに振り切れて戦闘か仲間入りだと読んでたんだけどな!あぁクソ!あいも変わらず詰めが甘い!」
完全に敵として襲いかかってくるか、あるいは先生たちの手を取るか。その二択のどちらかだとばかり予測していた。
(恐らく、自らの思考で身体を動かせちゃいない……! 『殺して』という言葉が何よりの証拠だ!!)
ミカの歪んだ瞳の奥に見えたのは、世界への憎悪よりも強い、自分のすべてを終わらせてほしいという悲鳴だった。