爆音と爆煙が至聖所を包み込み、激しい衝撃波がステンドグラスを粉々に砕く。
大人のカードによって極限まで跳ね上がったスクワッドの銃弾は、ベアトリーチェの「崇高」なる肉体を容赦なく引き裂き、その傲慢な野心を木っ端微塵に打ち砕いた。
「あああああああああッ!?!?!? 私の、私の世界がァァァァーーッ!!」
断末魔の叫びと共に、悍ましい異形の姿が崩壊していく。キヴォトス外の不吉な色彩は霧散し、あとに残されたのは、もはや自力で立ち上がることすらできない、ボロ雑巾のように地を這うゲマトリアの残骸だけだった。
「……終わった、のか……」
サオリが硝煙の上がる銃口を下げ、呆然と呟く。ヒヨリやミサキも、信じられないといった様子で、ただ地に伏せるかつての支配者を見つめていた。
静寂が戻った至聖所に、探索者の足音がコツコツと冷たく響く。
探索者は這いつくばるベアトリーチェの前に立つと、感情の失せた瞳で見下ろし、短く吐き捨てた。
「……皮肉だな、ベアトリーチェ」
神に成ろうとし、すべてを支配しようとした女の、あまりにも惨めで無様な結末。
探索者はコートのポケットから手を抜くと、まるで事務手続きを始めるかのような冷徹さで、背後にいる少女たちと先生へと振り返った。
「はーい申し訳ないけど、こっから先は尋問するから。見たくなかったらここから出てねー」
その軽い口調とは裏腹に、探索者の目の奥には一切の容赦がない「拷問官」の光が宿っている。これから始まるのは、綺麗事の通じない、情報を引きずり出すための凄惨な「大人の仕事」だ。
「……探索者。すまない、感謝する」
サオリはアツコを抱きかかえたまま、一度は退きかけた足を止め、決意を秘めた瞳で探索者を真っ直ぐに見据えた。
「だが、この女の最後は……私たちでつけさせてくれ」
それはアリウススクワッドが今日まで背負わされてきたすべての憎悪、すべての涙、そして狂った宿命を完全に断ち切るための、彼女なりの「ケジメ」の要求だった。自分たちの手で引き金を引かなければ、本当の意味で終わらないのだと、サオリの銃を握る手が微かに震える。
「嫌だ」
探索者は一秒の躊躇もなく、冷淡に、そしてあまりにもあっさりとその願いを撥ね退けた。
「なっ……!?」
予想外の即答に、サオリの息が詰まる。拒絶されるとは思っていなかった少女の顔に、驚愕と、裏切られたような動揺が走った。
「あんたらみたいな子が人を殺すとかしちゃ駄目」
探索者はため息混じりに、けれどサオリの反論を一切許さない絶対的な拒絶を込める。
「命のやり取りだの、殺し合いの戦場だの、そんな泥沼に今まで片足突っ込んでたのは……百億歩譲って大目に見よう。そういう環境だったんだろ……でもな、完全に無抵抗になった生ゴミの息の根を止めるのは、それとは全く別種のクソだ」
男はゆっくりとベアトリーチェの前に立ち塞がり、少女たちからその無様な姿を隠すように影を作った。
「だから、一線を越えるのはオススメしない。そんな薄汚い一歩を踏み出すために、ここまで苦労してアツコを助けたのか? 割に合わねぇだろ」
「……」
「……その心遣い感謝する。だが……こいつの最後だけは見させてくれ」
サオリの言葉は頑なだった。引き金を引くのは諦める。大人の言い分に、泥を被ろうとする覚悟に、一歩を譲る。
だが、自分たちの人生を、未来を、青春を徹底的に蹂躙し尽くしたこの女がどんな最後を迎えるのか。それだけは、この目で見届けなければ、自分たちは前へ進めない。
縋るような、同時に絶対に退かないという鉄の意志を孕んだサオリの視線を、探索者は真っ向から受け止めた。
「……はぁ。本当に、どいつもこいつも頑固ばっかだな、この街は…ヤバかったら退室しろよ」
それが、最低限の妥協だった。その警告を最後に、探索者は背後の少女たちから完全に意識を切り離し、床に転がる肉塊へと歩を進める。
「さて、ベアトリーチェ。いくつか聞きたいことが……あ?」
声をかけようとした探索者の足が、ピタリと止まった。
怪物の残骸──ベアトリーチェだったモノの姿が、不気味な脈動と共に、内側から徐々に膨れ上がり始めている。
それは、先ほどまで彼女が使っていた「色彩」の力によく似ていた。しかし、決定的に何かが違う。
何より異様だったのは、その崩れかけた肌が、命を失うのとは違うベクトルで、悍ましく黒くくすんでいくことだった。
まるで、さらに深い深淵の底から、別の「何か」が彼女の肉体を依代にして這い上がってきているかのような──
「……そこまでかよ。ベアトリーチェ」
探索者の声から、完全に温度が消え失せた。
「終われる……ものですか!! 私は……まだァ!!」
醜く膨れ上がるベアトリーチェが、狂った笑みを浮かべる。その口元には、悍ましい『黒い粉』がべっとりと付着していた。自分を負かした者たちを道連れにするため、あるいはこれ以上の屈辱から逃れるためか、彼女は「ブラックロータス」をその身に無理やり喰らったのだ。
「……そりゃ悪手だろ。適合出来ずに死ぬのが……マジで?」
冷徹な目が、彼女の肉体で起きている事を瞬時に見抜く。それはただの自爆ではない。世界の外側のナニカと、彼女の浅ましい執念が、あり得ない確率の奇跡で噛み合い始めていた。
女神は微笑む相手を選ばない。
どれほど邪悪で、どれほど身勝手な絶望であろうとも、キヴォトスという歪んだ神秘の舞台の上では、その狂気すらも一時的な『奇跡』として成立してしまう。
「アハ、あはははは! 見なさい! これが、これが私の……ッ!!」
黒くくすんだ肌の割れ目から、どろりとした漆黒の泥と、見たこともない黒い粉が至るところから吹き出し身体の周りを舞う。
至聖所の空間をパキパキと物理的に噛み砕き始める。尋問の余地など、文字通り一瞬で消し飛んだ。
「…マジか」
探索者は即座に地を蹴り、急いで距離を取る。
先ほどまでの異形化とは次元が違う。物理的な破壊だけでなく、空間そのものがその『黒』に侵食され、崩壊していくのが肌に刺さる精神的プレッシャーで理解できた。
「……野郎……ふーっ……」
呼吸を整えながら、探索者の脳細胞が限界以上の速度で回転を始める。思考の海に深く潜り、手持ちの札を冷酷に数え上げる。
(……どうする。このままじゃ全員お陀仏……六花月を使う体力は正直言ってギリギリ。かと言って芯火は使いたくないし、何よりコイツが今どんな立ち位置かが分からない)
あの神話の狂気、ダゴンを相手にした時以上の、明確な『破滅の気配』が目の前で肥大化している。
下手にリソースを節約して、そこらの平凡なアーティファクトで茶を濁せる段階はとうに過ぎていた。出し惜しみすれば、自分だけでなく、背後にいる先生も、せっかく救い出したアリウス共に、全員まとめて消し飛ぶ。
(……だが、適合できずに崩壊するだけの自爆特攻か、それとも外宇宙の『何か』と完全に対話しちまったのか……いや違う。今はそれじゃない……六花を使ったら…持って30秒だな。芯火も多分同じぐらい…なら芯火はまだ切れねぇ……)
(だが…なんだ?この違和感は……ヤツはバグではない。それは確実……だが…)
黒い粉を撒き散らしながら、空間ごと世界を噛み砕いていくベアトリーチェ。その圧倒的な破滅のエネルギーを前にして、探索者の直感が、冷徹なまでの違和感を告げていた。
狂っている。世界の理を超えている。
だが、これはシステムのエラーや、予測不可能な『バグ』の類ではない。この悍ましい変異の根底には、歪んではいるが、明確な「この世界のルール」が通底している感覚がある。
(……いや、違う。適合できていないのは確かだ。だが、崩壊するだけの自爆でもない。これは──)
探索者の目が、舞い散る黒い粉の軌道、そしてベアトリーチェの黒くくすんだ肌の亀裂から溢れるエネルギーの周期性を捉える。
(無理やり、破綻しかけている理屈を、
(…狂ってるが……これ以上コイツを生かせば世界の破綻に繋がる…かと言って、今の俺では対処が出来ない……)
「……使わざる得ないな」
そう言った探索者はあの時と同じように、指輪へと手を伸ばす。
決して回してはならない禁忌の方向へと、ダイヤルが静かに、確実に回りかけた──
その時だった。
──Amazing grace, how sweet the sound…──
ノイズ混じりの、けれど圧倒的に澄み渡ったソプラノの歌声が、至聖所の天井に設置されたスピーカーから降るように響き渡った。
「これは……?」
サオリたちは思わず銃を下ろしかける。
戦場にはあまりにも場違いな、祈りにも似た歌声だった。
"アメイジング…グレイス…?"
先生が呆然と呟く
ベアトリーチェの黒い粉が空間を噛み砕く悍ましい音、空間が軋む悲鳴。そのすべてを、優しく、けれど絶対に侵されない聖なる旋律が包み込んでいく。
「私の……領地で…与えられた恵みを語るとは…!?楽器や蓄音機は全て…破壊したというのに……!」
ベアトリーチェの声に、明らかな動揺と畏怖が混じりはじめる。己が支配し、絶望で満たしたはずのアリウスの地に流れる聖歌。それが何を意味するのか、彼女の歪んだ知性すらも理解を拒んでいた。
「なりません…!!生徒は憎悪を…嫌悪を……呪いを謳わねばなりません!!!」
「互いを騙し傷つけ合う地獄の中で私達に搾取される存在であるべきなのです!!!」
至聖所に響き渡る、ベアトリーチェの醜悪で身勝手な本音。少女たちの青春と尊厳を踏みにじり続けてきた女の狂叫に対し、静かな、けれど絶対の拒絶が突きつけられた。
"黙れ"
「なに……!?」
"私の大切な生徒に…友人に話しかけるな"
先生の静かな一言が、至聖所の重苦しい空気を一瞬で塗り替える。その瞳には、かつてないほどの激憤と、生徒を守る大人としての揺るぎない覚悟が宿っていた。
"あなたは偽りの教えで子どもたちを奈落の底へと落とした。貴方を絶対に許せない"
「よくもそんな……」
「言葉をぉおおお!!!」
絶叫するベアトリーチェの姿を見つめながら──
「…ははっ」
思わず、探索者の口から乾いた笑いが漏れた。
緊迫で限界まで張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていく。
その歌声に、聞き覚えがあった。
囚われの自己肯定感の低いお姫様。自分の価値を信じられず、ただ静かに絶望を受け入れようとしていた彼女が、それでも最後に絞り出したような──そんな、あまりにも優しく、健気な歌声。
(……狙うはやっぱり全取りだよなぁ!!!男ならシャキッとせんかい!!旦那に殺されるぞ!!)
(それに、こんなゴミに負けたんじゃあ──)
探索者の手が、指輪からゆっくりと離れる。
回されかけた禁忌のダイヤルは静かに元の位置へと戻り、至聖所を包み込もうとしていた絶対零度の気配は、霧が晴れるように消えていった。
「探索者の名折れだな」
自嘲気味に呟いた瞳に、再び冷酷で鋭利な挑戦の光が宿る。
「やってやろうじゃん。それこそがヴォーパル魂だろ。『六花月』」
その呟きと共にタクティカルバッグから小刀が現れ、大太刀へと変化を遂げていく
「『深き芯火に当てられて、二つの時は混ざり合う』」
「『沈まぬ陽は黄昏に染まり、尽きぬ夜は終わりを知る』」
「『黄昏の刻、三つの翼は一つへ還り、森は永き宵へ沈み、罪は天秤を傾け、裁きは牙となり、灯火は空を覆う』」
「『されど暗き闇に耐えし時、なお希望を捨てず、進み続ける』」
「『止まらぬ時は、人に絶望と希望を等しく与え、鐘は鳴り響く』」
「『だが、罪を心から懺悔すれば、止まりし時は再び巡り始める』」
「『汝、過去を恐るることなかれ。汝、未来を恐るることなかれ』」
「『尽きぬ夜を白夜へ』」
「『沈まぬ陽を黄昏へ』」
「『終わりを越え、始まりを迎えよ』」
「『さすれば、来光は祝福となるだろう』」
「誰時」
その背に「一対の翼」が猛然と広がる。
片方は、思わずひれ伏したくなるほどに神聖な、純白と白銀の羽毛に包まれた美しい天使の翼
しかし、もう片方は──光をすべて吸い尽くすような漆黒の闇の翼。しかもその闇の表面には、まるで生き物のように不気味に蠢き、黄金色に輝く「目」がビッシリと敷き詰められ、こちらを凝視している。
見覚えがある姿。変貌はそれだけに留まらない。
探索者がいつも身に纏っていた、あの見慣れた緑色のスーツが、まるで世界の境界線を体現するように白と黒の意匠へと姿を変えていく。そしてその正面には、すべての始まりと原罪を告げるかのような、赤い「蛇」と「林檎」の紋様が不気味に浮かび上がっていた。
「が、は……あ、ああああああッ!!」
「…あーなるほど。女神は微笑む相手を選ばないか……クリったな」
適合できずに自滅しかけていたベアトリーチェの狂気と、自分が引きずり出したこの力が、図らずも噛み合ってしまったことへの強烈な皮肉。望もうが望むまいが、このキヴォトスという舞台は、今この瞬間に『奇跡』の依代として、この人間を選び、微笑んでしまったのだ。
そして、その身からは探索者が何よりも嫌悪してきた神威が溢れ出す。
かつて自ら否定し、背を向け、ただの人間として生ていれば一生宿すことのない気配、人が決して届いてはならない領域。
至聖所を圧迫するその存在感は、皮肉にもベアトリーチェがどれほど渇望し、どれほど足掻いても辿り着けなかった、「崇高」
「…今なら出来る気がするな」
溢れ出す神威の濁流の中、探索者は静かに、けれど世界のすべてを決定付けるような声で呟いた。
「晴天大征」
大太刀の刃に、白銀の光と漆黒の闇、そして『アメイジング・グレイス』の旋律が一本の線となって収束していく
「流転と、手向けを、以って終極と至る」
一歩、踏み出す。
白と黒の翼が激しく明滅し、赤い蛇と林檎の紋様が血のような輝きを放つ。
「
大太刀が上段へと振り上げられる。その刹那、至聖所の天井を突き破り、キヴォトスの空にすら届くほどの巨大な光の柱が立ち昇った。
「我が窮極の一太刀」
「我、運命をも断つ……!!!!」
己が嫌悪するすべてを、己が背負うすべての覚悟を、そして目の前の醜悪な因縁のすべてを受け入れ、断ち切るために
「【
ただ一閃、それだけが、ベアトリーチェに振り下ろされた。