「【天晴】」
神聖なる白銀の羽毛が舞い散り、悍ましい黄金の瞳がすべてを見開く。光と闇、祝福と原罪、そして己が何よりも忌むべき神の神威──そのすべてを受け入れた探索者の刃は、己の切るべき物のみを切断する。
至聖所の建造物も、砕け散ったステンドグラスの破片も、背後で息を呑む先生やスクワッドの少女たちも、その刃は一切傷つけない。ただ、世界を破滅へと導こうとしたベアトリーチェの肉体を蝕んでいた理不尽──その「悪因」だけを的確に選び取り、世界から綺麗に切り離していく。
パリィィィィン……!!!
まるで硝子が砕けるような澄んだ音が響き渡り、ベアトリーチェの体内から取り込まれた黒い粉が光の塵へと還っていく。彼女が渇望し続けた『崇高』にも比肩する刃は呪いを解く祈りのように静かで、圧倒的だった。
「……あ、あ……」
最後に残ったベアトリーチェの影が、何かを乞うように虚空へ手を伸ばし──そして、完全に掻き消えた。
「……ふぅーーーーっ……」
探索者は大太刀をゆっくりと引き戻し、静かに息を吐き出す。
背後に広がっていた白と黒の二面性の翼が、光の粒子となってハラハラと空間に溶けていく。
溢れ出ていた神威は急速に収束し、男の身を包む衣服も、いつもの見慣れた、少し草臥れた緑色のスーツへと戻っていった。
大太刀はいつの間にか元の小刀の姿へと縮み、滑り落ちるようにタクティカルバッグへと消える。
「……さて、ベアトリーチェ。質問に答えてもらおう」
コツ、と静かな足音が至聖所に響く。
探索者は冷酷極まりない光を宿した瞳で女を見下ろした。
「……あの黒い粉……ブラックロータスはどこで手に入れた」
その声には、先ほどまでの神威は微塵も残っていない。ただただ低く、脳髄に直接刃を突きつけるような、逃げ場のない大人の拒絶だった。
「…私も……探究…者の端く…れ……」
「研究成果を……そう簡単に明かす探究者が……どこにいますか……」
「チゲぇよ。あの薬の原材料をどうやって入手してるかを聞いてるんだ。お前の成果物には興味がない」
「どこで種を手に入れ、どうやって育成した」
その重苦しい問いかけに、至聖所の空気が完全に凍りつく。探索者の背後に控えるサオリたちも、ただ事ではない気配に息を呑んでいた。
「…くたばりなさい」
ベアトリーチェは床を血で汚しながら、最期の最後まで呪詛の言葉を吐き出す。その目には、対話による解決を拒絶する底黒い意固地さだけが残されていた。
「…面倒くせぇ…余計な手間かけさせんなよ。こっちにリョナの趣味はねぇってのに」
探索者は心底うんざりしたように息を吐く
そんな時だった。
至聖所の歪んだ時空の隙間から、まるで舞台の幕が上がるかのような唐突さで、もう一つの異質な気配が染み出してきた。
──ゾクッ、と探索者の肌が危険信号を発する。
探索者は即座に動く。地を這うベアトリーチェの身体の襟元を無理やり掴み上げて起き上がらせると、盾にするように引きずりながら、新たに現れた影へと鋭く銃口を向ける。
その銃口の先に佇んでいたのは──頭のない人間。
仕立ての良い上質なコートを身に纏い、その手には、自らの「頭」の代わりであるかのような肖像画を恭しく抱えている異形。
「デカルコマニー……!?」
拘束されたベアトリーチェが、絶望の淵から這い出るような驚愕の声を上げた。ゲマトリアの同胞であり、自分を見限ったはずの男の登場に、その歪んだ瞳が激しく揺れ動く。
探索者は銃口を微動だにさせず、冷徹な視線でその首無しの紳士を射抜いた。
「悪いが止まれ、さもなくばコイツの頭が同族になるぜ」
銃口をベアトリーチェの眉間に押し付けたまま、探索者は低く警告する。その指先は引き金にかけられ、一切の躊躇がないことを示していた。
「…あぁ、落ち着いてください。驚かせたのなら申し訳ありません。私は『ゲマトリア』のデカルコマニー」
首無しの紳士──デカルコマニーは、向けられた銃口にも全く動じることなく、ただ抱えた肖像画を少し傾けるようにして、恭しく一礼した。その仕草は洗練された紳士そのものだが、存在の不気味さを際立たせるだけだ。
「…挨拶は省略するとしましょう。もしかしたら私たちは以前お会いしたのかもしれませんから」
「哲学的な話か?悪いがそんな話に付き合ってる暇はねーんだ。とっとと帰りな」
探索者は冷たく突き放す。かつて別の世界や概念の狭間で交差したかもしれないという含みを持たされても、今の男には一歩も退く理由がない。
「私は戦いに来たわけではありません。マダムを連れ戻しに来たのです」
「悪いがコイツは貴重な情報源だ。手放すことはできないな」
「貴重な情報源、ですか。なるほど、確かにマダムが抱え込んだ『外』の残滓は、知的好奇心を大いに刺激するテキストでしょう」
デカルコマニーは抱えた肖像画を微かに揺らし、まるで男の執着を肯定するかのように静かに肯いた。その声音には敵意も焦燥もなく、ただ舞台の進行を見守る評論家のような平穏さだけがある。
「ですが、それは既に破綻した物語の断片に過ぎません。彼女の言葉はあまりにも主観的で、歪みすぎている」
首無しの紳士は一歩も踏み出さず、ただその場に佇んだまま、滑らかな口調を続けた。
「彼女が起こした事件、葛藤、過程の数々…それらは既に、「知らずとも良いもの」へと格下げされました──これ以上の無様な幕引きを演じさせる前に、私たちが回収せねばならない」
「…そっちの事情なんざ知らねーよ」
探索者は銃口を向けたまま、ベアトリーチェの襟元を掴む手にさらに力を込める。
「この馬鹿を連れ戻したきゃ、俺が満足するだけの『対価』を今ここで置いていきな」
「…対価、ですか」
「あぁ、取引ってやつだ。俺が求めるのは……そうだな。テメェら、ゲマトリアが行っている研究内容その全て、ならびにその解説と対処法だ」
「……ふむ。知的好奇心が旺盛なのは結構ですが、些か強欲が過ぎるのでは? 天秤が釣り合っていませんよ」
「話の主導権を握ってんのはこっちだ。交渉が決裂してコイツを殺すことになってもこっちは構わねえんだわ。時間をかければ、死体から記憶を読み取る術くらいは持ち合わせてる」
「……なるほど死体から記憶を読み取る術、ですか」
デカルコマニーは抱えた肖像画をわずかに傾け、感心したかのような、あるいはその傲慢さを楽しむかのような、奇妙な含み笑いの気配を漂わせた。その声音には、探索者から突きつけられた冷酷な脅しに対する恐怖など微塵もない。
「肉体を失った精神、あるいは物言わぬ脳細胞からテキストを引き出す。確かに貴方のような『探索者』であれば、それすらも可能なのでしょう……」
「ですが、ゲマトリアとは個人が集まりできた物」
デカルコマニーは淡々と、しかし絶対的な一線を引くように言葉を続ける。
「他者の研究を勝手に語る。それは探究者にとって最も下劣な禁忌です。たとえ同胞であれ、他者の
「…そもそも個人の集まりだからほかの奴らの研究は知らない。だから語ることは出来ない…って感じか?もっと簡潔に話せよ」
探索者の身も蓋もない要約に、デカルコマニーは抱えた肖像画をわずかに揺らした。まるで、無粋な観客に舞台の解釈を台無しにされた演出家のような、かすかな苦笑の気配が漂う。
「ふむ……情緒に欠ける表現ですが、要約としては概ねその通りです。私たちは研究の成果を共有する互助会ではない。それぞれが独立した探求者なのですから」
「……なら条件を変えようか、デカルコマニー」
探索者は銃口を向けたまま、冷徹に次のカードを切り替えた。
「ブラックロータスはどこにある?生息地と、保管してあるその全ての場所を教えろ」
「……ブラックロータス、ですか…生息地は知りません」
デカルコマニーは淡々と、しかし嘘偽りのない口調で肖像画の奥から答える。
「少なくとも私は、野生で咲いているものを見たことはない。私が知るのは、マダムが"既に種子を所有していた"という事実だけです」
「あぁそうだろうな。だからコイツから聞き出せ」
「…なんと」
これにはデカルコマニーも、意外そうに抱えた肖像画をわずかに動かした。
「確かに俺は死体から記憶を読み取る術は持っている。だが、そんな真似には時間がかかる。その間にブラックロータスが他の悪意ある連中の手に渡れば、この街は今度こそ混沌に沈む」
「――それは、お前らも望んじゃいないだろ」
「……ふむ、一理ありますね」
デカルコマニーは抱えた肖像画をゆっくりと頷かせるように傾けた。
「我々ゲマトリアは、この世界の神秘と恐怖の裏側にある『崇高』を愛する探求者です。しかし、ただの無秩序な崩壊や、理性のない悪意によって観測の舞台そのものが粉砕されることは、私たちの本意ではない……貴方の言う通り、それはあまりにも『無粋』な結末だ」
「そうだろうな。だからこそ、コイツから聞き出し、お前らの力を使いその場所を見つけ出せ」
「…なるほど。マダムから情報を引き出すだけでなく、その痕跡を我々の知見で追え、と」
デカルコマニーは面白そうに肖像画を傾け、探索者のさらなる要求を吟味するように言葉を反芻した。その首無しの身体からは、嫌悪ではなく、むしろ舞台の予期せぬ展開を楽しむかのような奇妙な高揚感が漂っている。
「……面白い。貴方は我々をただの敵ではなく、このキヴォトスにおける効率的な『システム』として利用しようというわけですね。実に見事な大人の算段だ」
「褒められてる気がしねぇな」
「……良いでしょう。我々ゲマトリアも、その『ブラックロータス』がもたらす予定調和の崩壊には興味がありません。マダムが隠した“不協和音の種子”の位置──我々のネットワークをもって、追跡のバックアップを約束しましょう」
「種子隠したり嘘ついて一箇所だけ無事とかは無しだぜ?」
「おや、手厳しい。ですが、買い被らないでいただきたい」
デカルコマニーは可笑しそうに肩を揺らし、抱えた肖像画をわずかに傾けた。その声音には、詐欺師のそれではなく、あくまで純粋な観測者としての淡々とした響きがある。
「我々にとって重要なのは、真実の探求とその結末です。このような泥泥とした隠蔽や、小細工に塗れた『予定調和の破壊』など、我々の美学には反する。探すとなれば、この街に遺された不純物は、その最後の一粒に至るまで徹底的に炙り出してみせますよ」
首無しの紳士はそう言って、再びベアトリーチェへと肖像画を向けた。
「それでは、そちらを返してくれますか?」
デカルコマニーが差し出すように手をわずかに動かす。ベアトリーチェの身柄を引き渡し、ゲマトリアの管理下でその限界まで情報を絞り出そうという提案だ。
「あぁ、勿論…と言いたいところだが…すまんな。少し待ってくれ」
探索者はデカルコマニーに一つ断りを入れ、銃口はベアトリーチェに向けたまま、背後に控えるスクワッドへと目線を向けた。
そこには、一連の異常なやり取りを息を呑んで見守っていたサオリたちの姿があった。
ゲマトリアという異形の存在、そして自分たちを道具のように扱ってきたベアトリーチェの無惨な凋落。彼女たちの瞳には、困惑と、割り切れない複雑な感情が入り混じっている。
探索者はサオリと視線を合わせると、低く、だが彼女たちだけに向けた声音で語りかけた。
「スクワッド……コイツの処遇について、お前たちに言いたいことはあるか? こいつのせいで狂わされたお前たちにもその権利は十分にある」
「正直な所で言えば、アリウス全体に聞きたい所ではあるんだが…それは流石に厳しいからな」
サオリはゆっくりと歩み出た。
その手にある銃は下ろされているが、握り込まれた指先は白くなるほどに力が入っている。歪んだ笑みを浮かべたまま探索者に縛られているベアトリーチェを、サオリは冷徹な、しかしどこか哀れむような目で見下ろした。
「……正直に言えば、今すぐその息の根を止めてやりたい」
サオリの声は低く、微かに震えていた。それは憎悪ゆえか、あるいは長年の呪縛から解き放たれた反動か。
「この女のために流されたアリウスの血を思えば、万死に値する……だが」
サオリは視線をベアトリーチェから外し、正面から探索者を見つめ返した。その瞳には、確かな意志の光が灯っている。
「その女のために、これ以上私たちの未来を汚す必要もないのだろう?それに……その『ブラックロータス』がこの街にさらなる悲惨をもたらすなら、それを防ぐ方が先決だ」
サオリの後ろで、ミサキはフンと鼻を鳴らして視線を逸らし、ヒヨリは怯えながらも小さく頷いた。アツコはただ静かに、探索者の行動を見守っている。
「処遇は一任する。その代わり、この因縁だけは……ここで終わらせてくれ」
「…だ、そうだ。二度と表舞台に出さないようにすること。それぐらいなら飲めるだろう?」
「……おや。私をただの処理業者か何かとお思いですか?」
デカルコマニーは可笑しそうに、しかし値踏みするような声音で肖像画をわずかに揺らした。
「ですが、彼女たち『当事者』がそう望み、貴方がそれを保証するというのなら……良いでしょう。元より、一度破綻した物語の登場人物が、再び舞台に上がることほど退屈なことはありません」
「そういうこった!」
急激に放たれた少しだけ大きな声に探索者はぎょっとし、怪訝そうに絵画に注視する
「……喋るんだな、その肖像画」
「ええ、彼はゴルコンダ。私の大切な相棒ですよ」
ゴルコンダが紹介すると、肖像画は嬉しそうに声を張った。
「そういうこった!」
「……もしかして、そいつの喋れる言語ってそれだけか?」
探索者のジト目に、肖像画は胸を張って即答する。
「そういうこった!」
「……結構、苦労してそうだな。お前も」
探索者が心底同情を込めた目を向けると、デカルコマニーはほんの少しだけ、気まずそうに肖像画を傾けた。
「まぁそういうことだ。契約はちゃんと履行してくれよ」
「ええ。彼女の残された時間をすべて、その『ブラックロータス』の回収へ投資することを約束します。二度と彼女が光の当たる場所で、不協和音を奏でることはありませんよ」
「あぁ、契約成立だ」
そう応じると同時に、至聖所の重苦しい空気が一瞬だけ弛緩した。探索者はベアトリーチェに向けられていた銃口を下げ、その場を離れる。
「……最後に一つだけ。これは取引ではなく、純粋な知的好奇心です」
デカルコマニーはコホンと小さく、芝居がかった咳払いをひとつ挟み、先ほどの気まずい沈黙を強引に上書きするように探索者へ疑問を向ける。
「貴方は何を信じ、何のために生きるのですか?」
注がれる純粋な知的好奇心の視線
探索者はそれを鼻で小さく笑い飛ばした。迷いも、飾り気すらもないその答えは、冷たく、けれどどこまでも現実的だった。
「…俺はなんにも信じてない。この世のは全てが当たり前に不条理でクソだ」
そう吐き捨てる声には、冷徹な諦観と、幾度となく理不尽な地獄を這いずり回ってきた者だけが持つ独特の凄みが滲んでいる。
「何かを盲信すれば、全部持っていかれる。だからといって、全部を拒絶していたら、舞台にすら立てない」
誰かに縋るでもなく、世界を呪うでもなく。ただ、その理不尽さを受け入れたまま、そこに立っていた。
「そんなクソがこの世界。そしてそれが俺の人生だ」
一瞬の静寂
「だけど」
静かに、けれど確かな熱を宿した声で言葉を継いだ。
「…受け取っちまったもんを、返せなくなった。生きる理由なんてそんなもんさ」
「だから今日も足掻いてる…それに」
「やられっぱなしは性に合わん。黒幕が苦い顔してるのを肴に地獄で一杯やりたいからな」
「……なるほど。実に、実に素晴らしい」
満足気に頷いたデカルコマニーは、手にした仕込み杖を床にコツンと突き鳴らした。
その音を合図にするかのように、漆黒の影が渦を巻き、ベアトリーチェの体を飲み込んでいく。
「それでは少々お時間を頂きます。行きますよ、マダム」
芝居がかった一礼を残し、彼らはあざ笑うかのように、静かに闇の彼方へと消えていった。
その瞬間、探索者は至聖所の崩壊する瓦礫を飛び越え、狂ったように足をもと来た道へ動かし始める。
「えっ!?ど…どうしたんですかぁ!?」
ヒヨリの困惑の声には目もくれない。語ることもない。
(悪いが…声を上げる一瞬すらも惜しいんだ)
意識が遠のくのを気合で耐え、ふわふわとした頼りない浮遊感に襲われる身体を、狂気的なまでの意志の力だけで前へと進める。
限界だった。
ベアトリーチェとの死闘、そしてゲマトリアとの息詰まる神経戦。張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、蓄積していたダメージと精神的疲労が一気に津波となって探索者の肉体を飲み込もうとしていた。
だが今、ここで倒れるわけにはいかない。
(ここで、寝られねぇ……!)
彼女たちが、あいつが、まだ戦っている。傷つきながらも耐え難い運命に抗っている。
背中を任せてくれた、あの頼もしい『友人』のもとへ一刻も早く戻らなければならない。
こんなところで寝ている暇なんて、あるわけがない。
もう意識はほとんど残っていない。
それでも彼女たちの援護へ――ただその目的だけを胸に、自らの信念だけを頼りに走り続ける。
気配も何も感じない。
でも
ただ、そこにいると思った。
「巫山戯るなよ。亡霊ども」
言葉が勝手に紡がれる
「僕の物に誰が触れていいと言った」
思考も何もできないはずなのに
「その蛮行…万死に値する」
身体だけはしっかりと動いた。