探索者が次に目を覚ましたのは
どこまでも白く、清潔で、ひたすら退屈な──白い天井
(…もはや実家のような安心感だけど様式美として…やっとくか)
「…知らない天井だ」
ボロボロの意識の中、お約束のテンプレ台詞を唇で呟いてみる。
「そろそろお得意様としてサービスが出てくる頃だな」
「……次からはスタンプカードでも用意しましょうか?」
その呟きに呼応するように、病室の扉が静かに開いた。
「……鷲見さん。お疲れ様です」
探索者がゆっくりと向けた視線の先――そこに立っていたのは、額にこれでもかと見事な青筋を浮かべた、救護騎士団の鷲見セリナの姿だった。
手にしたカルテを握る指先が、みしみしと微かな音を立てているようにすら見える。
「あの状況から生還されたこと自体は、奇跡であり、救護に携わる者としてこれ以上ない喜びです。ええ、本当に良かったです……ですが」
一歩、また一歩とベッドサイドへ近づいてくるセリナの笑顔は、完全に目が笑っていなかった。
「満身創痍の状態でアリウスの学び舎を全力疾走し、担ぎ込まれておきながら、目覚めて最初の言葉が『サービス』ですか? 随分と余裕がおありのようですね?」
「……いや、その、色々と事情がありまして……」
「というか、怒るのなら病人を危険地帯に呼び出した先生に全責任があると思うんですけど」
「その呼び出しに気絶から目が覚めて数時間、ましてや絶対安静の時に飛び出したバカはどこのどいつですか?」
「……そこら辺にいるドイツ人ですかね」
「~~~っ!!」
セリナの額の青筋が、今度こそ限界突破してピキピキと音を立てる
「……面白い冗談ですね」
「そりゃどうも。ユーモアとブラックジョークが取り柄ですので」
「皮肉です」
「知ってます。すいませんでした」
探索者は即座に両手を少しだけ上げ、神妙な顔で全面降伏の意を示した。
そのあからさまな態度に、セリナは深いため息をひとつ。肩の力を抜くと、額の青筋をすっと消し、呆れたように、目を細めた。
「…無事で、本当に良かったです。貴方に救護騎士団として感謝を伝えたかったので」
「先生から事情はある程度伺っています。でも、どんな理由があろうと、あなたの命より優先されるべき物なんて、どこにもありません……それだけは、忘れないでくださいね?」
諭すような、けれど絶対に譲らない強さを持った天使の眼差し。
探索者はその温かさに、ただ苦笑いを浮かべて小さく頷くことしかできなかった。
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「さて、私何日寝てました?」
「……5日、ですね。驚異的な回復力ですが、それでもまだ立ち上がるには程遠い状態ですよ」
セリナはそう言うと、ベッドの脇に置かれたバイタルモニターの数値を厳しくチェックし始めた。
「5日、か……」
探索者はその言葉を噛み締めながら、そっと自分の体を動かしてみる。
鉛のような重さはある程度抜けたものの、全身の関節が錆びついたように軋む。
「えっ?………5日って言いました?」
「ええ、何か問題でも?」
探索者はは何かを思い出したように眉をひそめ、少し迷ったように視線を泳がせる。やがて覚悟を決めたようにセリナへと話しかけた。
「……美園ミカの傍聴会って何時からでしたっけ」
「行かせませんよ」
探索者の問いに対して、セリナは食い気味に答える。その目は一切笑っていなかった。
逃げ道を塞がれた探索者は、しかし諦めることなく、なおも真顔で言葉を紡ぐ。
「……ちなみに、最近巷で噂の怪談なんですけど。この病棟の564号室に入院している患者が、一時間だけ忽然と姿を消すっていう神隠し事件があって──」
「聞いたこともありませんし、第一号の実例にさせる気もありません。大人しく寝ていてください」
セリナは冷たい視線のまま、てきぱきと体温計やカルテを片付け始める。その鉄壁のディフェンスを前に、探索者はベッドの上でじりじりと身悶えしながら、なおも食い下がった。
「……同伴」
「駄目です」
「…車椅子」
「駄目です」
「…ストレッチャー」
「駄目だと言っているでしょう」
セリナの返答はすべて即答だった。
ストレッチャーの提案に至っては、もはやただの不審な搬送である。セリナは片付けの手を止め、はぁ、と今日一番の深い溜息をつきながら、ベッドの脇で両手を腰に当てた。
「あのですね、そんな風に『一言なら通るかも』みたいな交渉の仕方はやめてください。同伴だろうが、車椅子だろうが、寝台ごとだろうが、あなたがこの救護室の敷居を跨ぐことは私がいる限り絶対に許しません」
「…つまり隠れてやれと?」
不敵に口角を上げてみせた探索者だったが、直後、病室の温度が急速に氷点下まで下がった。
セリナは表情を一切変えず、ただスッと片手を点滴のチューブへと伸ばす。
「もう一度眠りたいのならはっきりおっしゃってください」
「医療従事者とは思えない発言で笑えない…」
「誰のせいだと?」
底冷えする声と、一切の光を失ったその瞳。
彼女から放たれる、絶対的な威圧感の前に、探索者は一瞬で両手を上げてベッドに沈み込んだ。
「はい。すいません…でも、行かなきゃならないんです」
「……理由だけは聞きましょうか」
セリナは伸ばしていた手を点滴のチューブから静かに離し、腕を組んだ。威圧感こそ少し和らいだものの、その瞳に宿る真剣な光は、探索者がこれから口にする言葉の重さを品定めしようとしているかのようだった。
「……彼女が、ちゃんと生きたいと、そう願った。でも、だからって生き直す権利まで奪っていい理由にはならない。贖罪の機会を奪うことは誰にも出来ない」
「第三者から見れば、彼女のしたことは間違いなく大罪だ」
「でも、人間は罪を犯した瞬間に終わるわけじゃない…反省して、受け入れて、償って…そんな風に必死に生きようとしている奴の生き直す権利まで奪う資格が誰にもない」
「…それに、会話した人間を見捨てれるほど私は薄情にはなりきれない」
静かな、けれど熱を孕んだ探索者の言葉が、白い病室の空気を震わせる。
セリナは何も言わず、ただまっすぐに探索者を見つめている。
組まれた腕の指先が、わずかに衣服を強く握りしめる。トリニティの平穏を脅かしたミカの罪の重さも、彼女が背負うべき非難の大きさも、救護騎士団であるセリナには痛いほど分かっていた。
「……私は、彼女が嫌いです」
ポツリと、救護騎士団の一員とではなく、一人の少女としての本音が漏れ出た
「……トリニティを裏切り、私たちの日常を壊し、多くの仲間を傷つけた。どれだけ裏に事情があろうと、彼女のしたことは許されることではありません。救護騎士団としてではなく、この学園に通う一人の生徒として……美園ミカという人を、私はどうしても好きにはなれないんです」
セリナは視線を床に落としたまま、静かに、けれど震える声で言葉を重ねる。
「彼女がいなければ、怪我人はもっと少なく済んだかも知れない。正義実現委員会の皆さんも酷使しなくて済んだかも知れない。そもそも、この襲撃が無かったかも知れない」
「……だから私、あの人のことを『魔女』と呼んで蔑む人たちの気持ちが、痛いほどよく分かるんです」
病室を支配する、重苦しい静寂。
セリナは一度、深く、深く息を吐き出した。胸の奥に沈殿していた泥を、すべて吐き出すように。
「……ですが」
ゆっくりと顔を上げたセリナの瞳には、けれど、暗い憎しみは宿っていなかった。
「……あなたが言うように、彼女自身が償おうとしているのなら。その機会まで奪われるべきではないとも思ってしまうんです」
セリナの言葉は、そこで一度途切れた。
視線は床に落とされたままで、きゅっと結ばれた唇が、彼女の胸の内でせめぎ合う複雑な葛藤を何よりも雄弁に物語っている。
「……本当に、矛盾していますよね。嫌いなはずなのに、それでも救われてほしいなんて思ってしまうなんて」
セリナはふっと自嘲気味に微笑むと、ゆっくりと顔を上げた。
「全然?むしろ普通じゃないですか?自分の気持ちが2つや3つあることなんて普通でしょう」
あっけらかんとした探索者の言葉に、セリナは弾かれたように目を丸くした。
「嫌いだから助けちゃいけないなら、医者も看護師も消防も全員失業ですし、そんな奴らならその職業に就こうとも考えない」
「あなたは矛盾しているんじゃない。意味がわからないぐらいに、不合理な行動をし、自分の気持ちを割り切って動かせない。それが人ってものじゃないですか」
その言葉は、まるでセリナが自分自身にかけていた見えない呪いを、優しく解きほぐしていくようだった。
「割り切って、動かせない……」
セリナは探索者の言葉を反芻するように呟き、そっと自分の胸に手を当てた。
「…ある名医がこう言った。「人の生き死にをどうにかしようなんて... おこがましいとは思わないかね」と」
「それでも医学は長い時間を掛けて進歩し続ける。それは人が死を恐れているというのもあるが、数秒でも、数時間でも長い時間を過ごしたい。そんな想いが、人にはあるからだと私は思う」
「それでなきゃ、その医者は名医とは呼ばれていないはずですから」
嫌いという感情を抱く自分は、救護騎士団として失格なのではないか。
被害者に寄り添いながら、それでも加害者の未来を案じてしまう自分は、不誠実なのではないか。
そんな風に、自分自身を責め続けていた心が、探索者の「それが人だ」という一言で、ふっと軽くなる。
「……ふふっ、あはははっ!」
セリナの口からこぼれ出たのは、病室の重苦しい空気を一瞬で吹き飛ばすような、鈴の鳴るような笑い声だった。
一度溢れ出した感情は止まらず、彼女はカルテを抱えたまま、お腹を押さえて楽しそうに肩を揺らす。それは看護師としてではなく、一人の少女として浮かべる笑顔だった。
彼女はしばらく笑っていたが、やがてふぅ、と小さく息を吐いて涙目を拭った。
「…おかしすぎて…笑っちゃっいました……本当に、ずるい人ですね」
セリナは愛おしそうに、そして心からの親愛を込めて探索者を見つめた。
「『嫌いだから助けちゃいけないなら全員失業』だなんて……そんな風に言われたら、私が一人で悩んでいたのが、なんだか急に馬鹿馬鹿しくなっちゃいました」
「人間の行動なんて八割が馬鹿みたいな行動ですから」
「じゃあ、残りの2割は?」
「馬鹿だと自覚しながらやってるだけですよ」
セリナは呆れたように、けれどさっきよりもずっと楽しそうに苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「つまり、今のあなたも、自分がこれからやろうとしていることが『馬鹿な行動』だと百も承知で動こうとしているわけですね?」
「当然。全身がこれだけ悲鳴を上げてるんですから、自覚がない方が怖いです」
「なら、大人しく寝ていてくださればいいのに……」
そう言いながらも、セリナの手はすでに次の行動へと移っていた。ドアノブにかけていた手を一度離し、ベッドの脇に置かれたサイドテーブルから、あらかじめ用意されていた二台のノートパソコンをそっと手に取る。
「……そこまで言うのなら、私もその『残りの2割』に付き合ってあげます」
セリナは探索者のベッドテーブルに、それらを静かに置いた。
一台はこの世界における探索者の生命線とも言える、あらゆる機密情報が詰め込まれた完全オフライン専用の端末。そしてもう一台は、普段の事務作業で使っているお馴染みの端末だ。
「彼女達が言ってましたよ。「あの人にはこれが必要だ」と、わざわざシャーレまで取りに行っていたらしいですから」
「車椅子を持ってくるまでの間、頭を冷やしておいてください……あなたの言う『生き直す権利』を求める女の子が、今どんな気持ちでいるのか、ちゃんと確かめるために」
今度こそ、セリナは廊下へと歩き出す。その足取りは、先ほど病室に入ってきた時よりもずっと軽やかだった。
「…全く、アイツらはどこで嗅ぎつけたのやら…先生にも言ってないんだけどな。このパソコンの存在」
苦笑混じりに呟きながらも、探索者の手はすでに迷いなく動いていた。
パソコンを開き、手慣れた様子でパスワードを入力していく。
虹彩認証、指紋認証、生体認証
幾重もの認証を終え、ようやくデスクトップ画面が立ち上がる。
彼にとって、考えることは休息であり、戦うための準備でもあった。
「…そうか…あー面倒くせぇな」
不意にポツリと独り言が漏れ出る
「……よし、もう色々面倒くせぇし開き直って改竄すっか」
痛む体に鞭打つように首の骨を鳴らし、探索者の口角が獰猛に吊り上がった。
画面の向こうで蠢く、トリニティ内外の執拗な悪意と、このタイミングで自分の喉元に突きつけられた最悪の状況。真面目に手順を踏んでいては、車椅子で公会議場に辿り着いたとしてもすべてが終わっている。ならば、ルールそのものを書き換えてしまえばいい。
カタカタカタ、と病室に響く打鍵音がもう一つ増える
「あー久々だな。忘れてる所、多杉田玄白」
緊迫した状況に似合わない、あまりにも緊張感のないボケが口から滑り落ちる。けれど、キーボードを叩く指先の速度は、その軽口とは裏腹に狂気的なまでに変わらない。
「んーまぁこの状況なら減刑狙うのが一番楽か。なら証拠作って〜履歴消して〜ミカの端末にはウイルス仕込んでるから〜変化させて〜俺のにもつけ足して〜音声編集して〜」
「あとは、まぁ、トリカス共にひと言いわねーとまーたやらかすだろうし〜」
「……よし、そうだな。事実ベースでチクチクしてやろ」
画面の冷たい光に照らされた探索者の顔に、極悪極まりない笑みが浮かぶ。指先はさらに滑らかに、そして容赦なくキーボードを叩き続けていた。
「えーっと?あーミカにこんなことしてんのか。うわぁ…水着ズタズタにするとか普通に犯罪じゃねぇか」*1
「他には?はいはい。いつものスプレーによる器物損壊と名誉毀損。あとは…コハルに対しての暴行もか」
次々と発掘される陰湿な嫌がらせのログに、探索者は心底呆れたように目を細めた。
美園ミカが犯した罪の重さは言うまでもないが、それに対するトリニティ生徒たちの「私刑」という名の鬱憤晴らしもまた、一線を越えている。正義の味方を気取った加害行為のオンパレード。しかも、その刃はミカだけでなく、彼女を護衛・監視していたコハルにまで向いている始末だ。
「こんなもんありゃ、余裕で心神耗弱の材料になるな」
ぽつりと、誰もいない病室に冷えた声が落ちる。
「あとは〜あの人に連絡しとくか」
そういいながら探索者はある人物に電話をかける。何度かのコールの後、カチリと回線が繋がる音が静かな病室に響いた。
「私。久しいな」
「ん?あぁ仕事というかお願いというか…とにかく犯罪の片棒を担いでほしい」
「モモトークのデータセンターに侵入して私が改編したログの辻褄だけ合わせてくれ」
「……余裕だろ?アンタなら」
「それじゃ頼むぜビックシスター」
短い言葉で通話を切ると同時に、パタンと二台のパソコンを同時に閉じる。
その直後、廊下からガラガラと車椅子を引く音が聞こえ、病室のドアが静かに開いた。
「お待たせしました……」
「どうかしましたか?」
セリナは返事をする代わりに、じっと探索者の顔を見つめた。
「……すっごい悪い顔していたので」
ベッドの上で何食わぬ顔をして座っている探索者を、怪訝そうなジト目で睨みつける。
「酷いですねぇ…私の顔はずっと胡散臭いってことですか?」
「……本当に、絶対に無理はしないでくださいよ?」
疑いの目を隠しようともしない救護の天使に苦笑いを返しつつ、探索者は完全に自分の手の中に引き寄せた「戦場」へ向けて、静かに車椅子へと身体を移すのだった。