よくよく考えたら、出久は妖怪について何も知らなかった。
[No side]
朝方の暖かな日差しが、大人二人は優に寝れるだろうベットを優しく照らしている。その光に照らされて、深緑色の太く柔らかなくしゃくしゃな髪が輝いている。
「ん……」
その髪の主は少し身じろぎすると、体をゆっくり起こした。髪と同じ深緑色の、特徴的な大きな目はまだ寝ぼけ眼ではあるものの、彼は辺りをじっくりと見渡して呟いた。
「そうだ、ここは僕の部屋じゃない……。でも、僕のための部屋だ。」
少し高めのテノールボイスが広い部屋に浸透した。彼の目の前に広がるのは、高級ホテルのスイートルームかどこかの貴族の寝室のような、広く豪華でしかしながら派手過ぎない程度に飾り付けられた統一感のある空間。そして整理されているが故にどこか生活感に欠ける、綺麗なはずなのにどこか寂しさを感じさせるもの。彼の自室とは何もかも異なっていることもあって、彼は呆然としていた。
着替えることもせず窓の方を見る。窓から見える景色は、見慣れたものではない。"超人社会"などと謳われる現代、一人一人が特殊能力を持ったが故に事故事件が絶えない物騒な世の中。しかし、目の前の光景は至って平和。"個性ある人間"に負けず劣らず混沌な姿形の者が存在するが、その者たちも平和に生活している。この光景が、彼の知る世界とはかけ離れていた。
「本当に、異世界に来たんだ……。」
彼はその景色を見ながら呆然と呟いた。
彼の名は緑谷出久。ここ、妖魔界において唯一の人間。訳あってこの世界に保護された、ヒーローを夢見ていた少年である。今は心に傷を負う出来事が重なったせいで夢から目をそらしているものの、まだ夢への執着を無くなっていない。いや、彼の性格からして一生なくなることはないだろう。
閑話休題。
「食堂ってどこだったっけ……。」
ちょっと情けない腹の虫の音を聞きながら、出久はそう呟いた。そのタイミングで、部屋の広さに匹敵する扉が軽くノックされた。出久は声を上げると豪奢な観音扉がゆっくりと開き、その隙間から10歳ほどの子供と背丈の変わらないコウモリと、朝食が盛り付けられたカートが姿を覗かせていた。
「おはようございます、出久様。」
「お、おはようございます。……ヒキコウモリさん」
出久は”様呼び”されたことに驚きつつも、親切な家主に声を掛けた。取り憑かれると引きこもりになってしまう妖怪:ヒキコウモリ。実は富豪上位の0.1%に属するお金持ちで、”メス”—女の子である。しかしそのような事は、妖魔界に来たばかりの出久は知る由もないことである。
「朝ご飯はこちらに用意してあります。ゆっくり召し上がってください。」
そう言ってヒキコウモリが指をさすのは、部屋に備え付けられたテーブル。テーブルの上には、いつの間にかカートから降ろされた朝食が綺麗に配膳されていた。昨日のリムジンで供された物とは打って変わり、白米と味噌汁、焼き鮭といった、日本の伝統的な和定食だった。正直、運んできたカートの形状から洋食だと思っていただけに、出久は本格的な和の朝食を見せられて固まってしまった。
ちなみにメニューは、ヒキコウモリなりのおもてなしだった。妖魔界の王たる”閻魔大王”の御二人が認めた、人間界側の問題を解決し得る存在。少しでも夢へのやる気を取り戻してほしい、そういう思いからのものだった。
「ありがとう。いただきます!」
何とか現実に帰ってきた出久は、そんなヒキコウモリの思惑はいざ知らず、ヒキコウモリにお礼を言うと早速箸を取った。パクっと白米を一口。炊きたてらしい温かさが、口の中に優しく広がっていく。
「わぁ……美味しい!」
出久は思わず破顔した。昨日のリムジン内で供された洋食に引き続き、料亭で出されるレベルの味付けで全体に程よく出汁が効いている。人間界で同じレベルのものを食べようと思うと、一人当たり1万は下らない。それでも惜しげもなく提供できるのは、流石富豪の上位0.1%に属するだけあり、”妖魔界を知った人間”という貴重性を分かっているためである。
「ごちそうさまでした!」
全て食べ終わり非常に満足した様子の出久を見て、ヒキコウモリは嬉しそうに笑みを浮かべた。そして、妖怪家政婦・メイド協会から派遣された家政婦妖怪やメイド妖怪が朝食の片づけをしている中、ヒキコウモリは着替え途中の出久に声を掛けた。
「出久様。身支度が終わったら、声を掛けてください。出久様に渡したいものがあるのです。」
出久は唐突にそう言われ、首を傾げた。
[出久side]
僕はヒキコウモリさんが運転するリムジンで、大きな建物の前に来ていた。ヒキコウモリさんに促されるまま降りたけど、その大きさには言葉が出なかった。恐らく、アメリカにもないような大きな建物だった。全面の殆どがガラス張りで、昨日見ていた町のような派手さはない。意思があるように揺れ動くものもない。何も言われなかったら、元の世界の大企業の本社って言われても納得がいくくらいだ。
「やぁ、君が緑谷出久君だね。ヒッキーと大王様から話は聞いてるよ。」
余りの大きさに呆然としていると、目の前からシャチが歩いてきた。背中側が水色で茶色いアフロ髪があるけれど、どう見たってシャチだ。
「しゃ、シャチ?シャチと言えばギャングオルカがいるけれど、彼は見た目は完全にシャチだった。けれど目の前の彼は違う。色がシャチにしては明るいし頭?に何故か髪の毛もある。手と腕の色が違うのも不自然だ。身長だって、ケー君くらいしかない。そう言う”個性”なのか?いや、個性にしてはおかしすぎる……。異形系個性、特に人間以外の動物に似ている場合は、その特徴を引き継ぐことが多い。彼はそうじゃない。まるで人間とシャチの中間をとったような感じだ。」
「話に聞いていた通りだなぁ。ヒッキー、彼を止めてくれないか?話が進まないよ。」
「ヒキッ!」
バシッという音と共に、思いっきり頭を叩かれた。後ろを振り返ってみると、リムジンの中からハリセンを出しているヒキコウモリさんがいた。呆れ気味にいつもの癖を咎められ、僕はつい苦笑いを浮かべていた。
ヒキコウモリさん達と共に中に入ったけれど、外見と同じように”元の世界のオフィス”と言われて違和感のない内装だった。ただ、社員と思われる人たちが全員”二本足で立って歩く魚”だったことで、元の世界とは違うんだと改めて理解した。どう考えても、”個性”では説明のつかない姿の人達ばかりだったから。
「僕は、マーク·シャッチーバーグ。ここ、ヨップル社の副社長だよ。」
そう言って、目の前の彼—マークさんは、名刺入れから一枚の名刺を取り出し僕に渡してきた。そこには、僕が知らない会社名が載っていた。
「ヨップル社?」
「妖魔界における通信機器の生産・販売を行っているんだ。うちで作った商品は、妖魔界の隅から隅までに届いている。君に伝わるように説明するなら、××社があるだろ?アレのこの世界バージョンだよ。」
「××社?!世界の通信機器の最大手じゃないか!!」
マークさんの例えに、僕は驚きで大声を上げてしまった。××社と言えば、サポートアイテム等ヒーロー関連アイテムを取り扱わずに成功を収めている企業。ヒーロー相手に商売した方が儲かりやすいにも関わらず、そこに一切手を付けずに創業当時から売り上げを伸ばし続けていることで有名だ。しかも、××社の現社長は狙われやすい立場にありながら積極的にメディアに出ているため、僕でも顔を知っているくらいだ。ヒーローに頼らずとも世界最大手になれる、まさに凄まじい企業と言えた。それと同レベルって……
「そんなすごい企業だなんて……」
「分かりやすい例えだろう?さてと、せっかく来てもらったんだし、ウチの工業見学と行こうか。”例の件”は、スティーブと一緒の方が話が早いしね。」
また聞き慣れない名前が出てきて聞き返そうとしたけれど、マークさんはあっという間に先に行ってしまった。ヒキコウモリさんも違和感を持っていないみたいだったから突っ込めないまま、慌ててマークさんの後を追った。
一通りの見学を終えて、僕達は小さな会議室に通された。僕とヒキコウモリさんは、促されるがまま会議室の椅子に腰を掛けた。工場内はシンプルだったけれど、この世界の通信機器を一手に引き受けていることもあって迫力が凄かった。完成品が流れ出てくるベルトコンベヤーは十数台が整然と並んでいて、そこに完成された端末が隙間なく並べられていたのは、圧巻だった。
「少し待たせちゃったね。」
一息ついたところで、マークさんが誰かを連れて戻ってきた。今度は……
「サメ?」
マークさんと同じように、”二本足で立つ眼鏡をかけたサメ”だった。マークさんとは雰囲気が違って、職人気質というか少し気難しそうな感じがある。
「ヨップル社社長、スティーブ・ジョーズだ。」
「おいおい、スティーブ。それはあんまりじゃないか?」
その予想通りというか端的な自己紹介で終わってしまい、マークさんが突っ込んでいた。何か言い返した方がいいかと思ったけれど、ここで口を挟むのは難しいと思ったので黙っていた。ここで下手なことを言って、相手の反感を買ってしまってはいけない。けれど、二人のやり取りを見る限り、悪い人ではなさそうだ。
「無駄話をしても、効率的ではないだろう。わざわざ俺と君、ヒキコウモリ君と緑谷君の四人だけの環境を作ったところで、何を話したいのかは想像に付く。……”例の件”、だろう?」
「流石はスティーブ、察しが良いね」
二人のやり取りに置いてきぼりになるが、ヒキコウモリさんの反応を見る限り変なことではないらしい。けれど、僕が関係する何かがあるってことだ。気になって仕方がなくて、居ても立っても居られなかった。
「あの、僕に関係すること、ですよね……?何でしょうか?」
僕がそう言うと、二人とも顔を合わせて笑った。その笑い方は思ったより似ていて、不思議な感じがした。ジョーズさんは、懐からスマホのような機会を取り出すと、僕の前に置いた。
「ヒキコウモリ君に頼まれていた、君の妖魔界専用通信機器・YフォンModel.Iだ。基本的な機能は、妖魔界で販売しているYフォンとは変わらない。しかし、とある機能がついている。」
「とある機能?」
「それを説明するには、君には理解し選択してもらう必要がある。」
その言葉に、僕は息を飲んだ。今まで知らなかった”ナニカ”を知ることになる、何故か直感でそう感じた。そして”ナニカ”を知るのが怖くもあり興味深くもあって、
「な、なにをですか?」
気付かず声がう上振っていた。
その返答を待っていたかのように、スティーブさんとマークさん、ヒキコウモリさんが顔を合わせると、改めて僕に向き直って”少し笑いながら”言った。
【今回の妖怪大辞典】
マーク・シャッチーバーグ
妖魔界で通信機器を販売しているメーカー・ヨップル社の副社長。名前から分かるように、シャチの妖怪で髪は茶色で小さなアフロ型。様々な妖怪との交友関係を持っている。その中でもヒキコウモリとは友人であり「シャッチー」「ヒッキー」と呼び合う仲。水中で泳ぐのを好むという普通のシャチらしい一面もある。スティーブ・ジョーズとはライバル兼親友。
原作では、ケイゾウが開発した妖怪ウォッチ零式を、自分のものとして販売した責任を追及されて社長を辞任したスティーブ・ジョーズの後任として登場した。
スティーブ・ジョーズ
妖魔界で通信機器を販売しているメーカー・ヨップル社の社長。名前から分かるように、サメの妖怪であり、眼鏡をかけている。今代妖魔王との距離は近いが、他の妖怪との交友関係は広くない。息子がいるが、仕事にかかりきりになりがちで余り顔を合わせられていない。交友関係を一任しているマーク・シャッチーバーグとはライバル兼親友。
原作ではケイゾウが開発した妖怪ウォッチ零式を改良して初代妖怪ウォッチを生み出し、ウィスパーが片時も手放さない妖怪パッドを発明した。妖怪ウォッチ零式の盗作疑惑を受け社長を辞任した。
【今回の妖怪広辞苑】
ヨップル社
原作では、妖怪ウォッチの製造・販売を行っている企業。妖魔界のニュー妖魔シティの外れに、工場併設の本社を構えている。
本作では、妖魔界におけるアップル社のような立ち位置で、yフォンや妖怪パッド、及びそれの付属品等の製造·販売を手掛けている。
Yフォン
本作オリジナルの設定。ヨップル社が販売している、スマホのような端末。基本的な機能は妖怪パッドと変わらない。
妖怪家政婦·メイド協会
本作オリジナルの設定。家政婦妖怪やメイド妖怪が所属する協会で、妖怪執事協会と並ぶ存在。