愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
要は頭を抱えたい衝動を歯を食いしばって抑えていた。
両肩にのしかかる重さが、物理的な圧として感じられる。
(……公に、活動するのかどうか)
考えようとするたび、思考が霧散する。
何が起こるかが分からない。
いや――分からなすぎて、『どうなるか』を想像するための材料すら揃っていない。
トラブルか。
犯罪か。
政治か。
あるいは、もっと理不尽な“何か”か。
確かに、エイシムの軍事力は高い。
だが、この世界の“基準”が、それを上回っていたら?
胸の奥で、鼓動が不自然に跳ね上がる。
血の流れが耳の内側でざわつき、ひどく落ち着かない。
(……せめて、もう少し考える時間がほしい)
そう願いながらも、沈黙を続けることは許されないと分かっている。
要は、散らかった思考のまま、言葉を絞り出した。
「え……ええと、もし、目立つのを承知で活動した場合……なにが良くて、なにが……悪いんだろう?」
自分でも情けないほど、輪郭のぼやけた問いだった。
水面へ息継ぎに浮かび上がるように、要はツァンへと視線を向ける。
助けを求める眼差しだった。
ツァンは、その視線を正面から受け止める。
瞳の色は変わらず、真摯で、逃げも飾りもない。
「良きことと申せば――物資の補給が容易くなり、生活の立て直しが早まることじゃろうな」
一呼吸。
余韻を置き、次を告げる。
「悪きことは……取り返しがつかぬ、という一点に尽きる」
声は静かで軽かった。だが、言葉は重い。
「一度、世に知られれば。知られなかった頃には、決して戻れぬ」
淡々と、現実を並べる。
「王権、貴族、宗教、商人……すべてが嗅ぎ回るやもしれん。そして必ず――“エイシムは危険か?”という議論が起こるじゃろう」
ツァンは、可愛らしい仕草や婉曲な言葉で包もうとしなかった。
事実を、事実のまま――それが主に対する誠実だと知っているからだ。
「まあいずれにせよ、ここに滞在しておれば遅かれ早かれ、公に露見する」
机に描かれた地図へ、ちらりと視線を落とす。
「されど――露見の“速さ”が肝要じゃ。数週、あるいは数月……こちらの情報を伏せたまま、相手だけを探れる“猶予”……それを、自ら手放すことにもなろう」
ツァンは、ふう、と鼻で短く息を吐いた。
「……つまりの。あまり、旨味の多い選択ではない」
その言葉を継ぐように、黒い犬耳をぴんと立てクルルが低く口を開いた。
「とはいえ……いつまでも隠れ続けていては、立て直しに時間が掛かりすぎる」
こくり、と。
ツァンが静かに首肯する。
――ああ。
要は、唇を強く噛みしめ、肺の底から息を吐き出した。
悩みも、緊張も、一緒に吐き切ってしまいたかった。
だがそれらは、溶けた鉛のように、重く肺の奥に沈んだままだ。
どれを選んでも、それが正解か不正解かは――賽を転がし、結果が出るまで分からない。
今、自分は。
そういう決断を求められているのだと、はっきり理解した。
こめかみから、じわりと汗が伝う。
「……ど、どうしようか」
視線は机に描かれた地図へ落ちている。
だが、何一つ見えてはいなかった。
小刻みに揺れる視界で見ているのは、ただ一つ。
“判断”。
そして、その判断が引き起こす、あらゆる“責任”。
――後回しにしたい。
来週の幹部会で皆で決めよう。そんな言葉が喉元までせり上がる。
だが、それはできない。
もしかしたら。
この決断一つで、エイシムの――愛しい少女たちの命が、左右されるかもしれない。
(……今、決めなきゃいけない)
分かっている。分かっているのに。
要の口は、半開きのまま。
言葉は、まだ形にならなかった。
「――郊外へ退く、というのはいかがでしょうか」
張り詰めた沈黙を切り裂き、まるで要に覆い被さるかのように、クーが声を張り上げた。
彼女は、今、誰よりも近くで要を見ていた。
体温、匂い、呼吸数――彼女の高感度の感覚が、主の迷いと苦心を察知したのだ。
「視線が多く、想定外の接触が増え、摩擦が高まるのであれば……一度管理しやすい場所へ退くという判断も――」
その差し伸べられるように垂らされたロープを、ツァンは静かに断ち切る。
――いや。あるいは、さらに複雑に絡め上げる。
彼女に悪意はない。
あるのは、ただ事実を積み上げる意志だけだ。
「――街はの、“既に出来上がった装置”じゃ」
言い切る一言。
それは比喩であると同時に、彼女の確信めいた評価だった。
ツァンは再び地図へと視線を落とし、指先で都市の輪郭をなぞる。
「水、食料、人、情報、技術、廃材……これを捨てて、一から拵え直すかえ?」
問いかけでありながら、その声色には答えが滲んでいる。
ここには嘲りも、冷笑もない。
年長者が静かに諭すような調子だった。
クーは、何も言わず眉間にわずかな皺を刻む。
「無論、山奥や荒野へ移る道もあろう……じゃが、それは問題の姿が“軍事”に変わるだけよ」
ツァンは小さく肩をすくめる。
「正体不明の武装組織が、街中に拠点を構える場合と……山奥に巣食う場合とを、比べてみよ」
翡翠の爪が、地図を、かつりと叩いた。
「山には、住民もおらぬ。商人もおらぬ。税も流通も止まらん――文句を言う相手が、誰もおらぬのじゃ」
その意味が、要の胸に遅れて落ちてくる。
誰にも困られない存在。
それは、排除する側にとってあまりにも都合がよい。
「そう、山に隠れれば、山ごと焼かれる未来が来ぬとも限らぬ」
一瞬、声が低くなる。
「――しかし、街に居れば、街を焼く覚悟が王都にあるかが問われる」
沈黙が落ちる。
重たい静けさだった。
その空気を、唸るような声が切り裂いた。
犬歯をわずかに剝き、クルルが低く言い放った。
「侵略など……エイシムなら容易く踏み潰せよう」
力への絶対的な自信。場の空気がさらに張り詰めた。
だがツァンは、微塵も動じない。
むしろ、どこか満足げに小さく頷いた。
「ふむ……その自信があるならば、なおさらじゃ」
視線を上げ、要をまっすぐに見据える。
「街中におる方が、よほど得策よ。知らぬ間に“身中の虫”となり、いざとなれば、いつでも“はらわた”を食い破れる――今のこの優利を、わざわざ手放すのは惜しかろう……わらわはそう思うのじゃ」
そう締めくくる声には、策を弄する者の狡さと、長く生き、幾度も選択を見てきた者の静かな確信があった。
手を口元へと運び、ぺろり、と口の端を舌でなぞる。
上品な笑みのはずなのに、その仕草は、獲物を呑み込む前の蛇のように見えた。
「そう、“宝主がどこにいきたいか”」
透き通った橙色の瞳が、要を射抜く。
真摯で、懸命で、しかし逃がさない視線。選択を乞う純粋な期待。
「――それで全て決まる」
一つの問い。
一つの答え。
それらが全て数珠つなぎとなって、未来のすべてへ波及していく――ツァンは、そう告げていた。
要は、すべてを聞き終えた瞬間、足元から、ずぶずぶと沈んでいく感覚に囚われた。
底の見えない沼。もがくほど、ゆっくりと身体が引きずり込まれていくような。
(……どうしたいか、って言われても)
眼前に広がるのは、光の差さない暗闇だった。
未来の形が見えない。
ただ、鼓動だけがやけに大きく、耳の内側で時を刻んでいる。
(安全で……誰にも迷惑をかけずに……みんなで、穏やかに過ごせたら……それでいいのに)
そんな願いが、ひどく幼く、現実離れして聞こえてくる。
(でも……どうしたって、外の世界と関わることになる……)
思考は、油を差していない歯車のようだった。
回らない。
噛み合わない。
無理に動かそうとすれば、ぎりぎりと嫌な音を立てるだけ。
頭痛が、執拗にこめかみを叩く。
(……だったら、逃げ続けるか?)
一案が、泡のように浮かび――すぐに、弾けた。
(逃げる? この子たちを、宥めすかして? ――この、俺の、誇り高い最強のエイシムが?)
胸の奥で、何かがはっきりと否定の音を立てる。
これだけは譲れない、そういった見えない線。
要は、虚空を睨んだまま、沈黙した。
クーも。
クルルも。
ツァンも。
三者三様の表情で、ただ待っている。
沈黙を破らない。
だが――逃がしもしない。
(……いや、待て)
要は、必死に思考を引き戻す。
(問題を広げすぎて……脱線してる。結局、問われてるのは――運搬だろ?)
彼女たちは、頭が良すぎる。
すべてを蜘蛛の巣のように繋ぎ、同時に考えられる。
だが、要の頭脳はそこまで高性能じゃない。
(……ブレークダウンしないと)
そう思った瞬間、別の絶望が顔を出す。
分解したところで正解が出るわけではない。
もし自分が機械だったら、今ごろ頭部からもくもくと黒煙を上げていただろう。
脂汗が、じわりと額を濡らす。
それを拭う余裕すらない。
一拍。
二拍。
数十秒。
要は、三人の視線を一身に浴びながら、なおも黙り込んだ。
クーが、心配そうに眉を下げる。
何か言葉を選び、口を開こうとした――そのとき。
(――あ)
ぎちぎちと噛み合わない歯車を、無理やり回し続けた末に。
――ぱちん、と。
頭の奥で、何かが弾けた。
真っ暗な部屋。
カーテンの隙間から、突然差し込む車のヘッドライトのように。
過去の記憶が、唐突に照らし出される。
考えるより先に、要は口を開いていた。
「――飛ばしたら?」
あまりにも唐突な一言。
ツァンは、きょとんと小首を傾げ、柔らかく、しかし慎重な声で問い返す。
「それは……飛行の才ある者に、少しずつ運ばせる、という意味かの?」
要は、まだ空の上を見るような視線のまま、首を振った。
「あ、いや……違う違う」
思考より先に、言葉が零れ落ちる。
「バリスタだよ」
一呼吸。
「魔動バリスタで――山から飛ばす」
「――ほえ?」
ツァンが、ぽかんと口を開ける。
それはまるで、子供が初めて手品を見たときのような表情。
理解が追いつかない。
気づけば知らぬ間に、常識がひっくり返されていた。そんな顔だった。
「…………あぁ!!」
遅れて、だがはっきりと。
クーとクルルが同時に目を見開いた。
それは、忘れていた宝物を突然思い出したような顔。
あるいは、長い間使っていなかった筋肉が不意に痛んだような表情だった。
「ど、どういうことじゃ……?」
状況についていけず、ツァンが珍しくおろおろと声を上げる。
その様子に、クーが静かに補足した。
「ツァンさまは、ご存じないかもしれませんが……エイシムの立ち上げ当初――まだ“エイシム”という名すらなかった頃の話です」
一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せる。
「ご主人さまの指示で。中距離の物資運搬に、バリスタを用いて“射出”していました」
クルルはまだ、雷に打たれた犬のように固まったままだ。
クーは、なぜか少し申し訳なさそうに付け加える。
「あの……効率が、非常に良いんです。一つ一つ運ぶよりも……」
――それは、現実離れした発想。
ゲームとしてのテクニックでしかありえない転換。
ツァンは、目を見開いたまま、思わず声を荒げた。
「い、いやいや……! 何を言うとるのじゃ。そんな乱暴なことをすれば……落着の位置など、分からぬであろう!?」
その言葉に、要はまだ、空の一点を見つめたまま答えた。
その顔は、判断を求められる苦しい責任者でなく、智慧を誇る“ゲーマー”のそれだ。
「その頃は……物資が多少壊れるのも、着弾がばらつくのも、全部承知の上でやってた」
視線が、ゆっくりと動く。
まるで、空中に見えない数式を書き連ねているかのように。
「けど……今なら……今のエイシムなら、精度は問題ないと思う」
その瞳は、もう現実を見ていなかった。
エイシム。
構成員。
スキル。
装備。
成長曲線。
それらを、細かく、冷静に、空中で組み上げていく目だった。
「バリスタ装置の“品質”。魔動力を付与する魔法スキルの“知力”。操作者の射撃スキルの“練度”」
淡々とした口調で、ただの独り言のように小さな声で続ける。
「確か内部計算は……全部が、狙点を中心とした誤差半径に影響して……誤差は二乗和の平方根で合成されるから……」
そう言って、要は視線を地図へ落とした。
先ほどまでは絵画か絵空事のように見ていた地図だったが、今の要には、地形データを映し出した“マップ”ウィンドウのように見えていた。
フェルマが描いた縮尺。
エイシムの拠点。
山の位置。
指先を当て、距離を測る。
「……今の成長したエイシムでこの距離なら、大きくても一メートルもズレないと思う。それに、バリスタのような原始的な装置なら、周りの環境資源とエンチャントだけで賄える」
ツァンは、その様子を呆然と見つめていた。
「……は……ほえ……?」
確かに、要はただの一般男性だ。
特別に頭の回転が速いわけでもない。
経営戦略を学んだこともない。
――しかし。
こと、エイシムを操ることに関してだけは。
何千、何万時間と向き合ってきたこの男に、並ぶ者などいない。
「作製はマルタに任せよう。エンチャントは、ラズ。撃つのは……ドロッセルが一番いい」
思考が、止まらない。
「受け止める側は……まあ魔法で、なんとかなる……か」
そこでようやく、ツァンが慌てたように問いを投げる。
急に走り出した馬車を、声だけで止めようとするような響きだった。
「ほ、宝主よ……ほんに、当たるのかえ……?」
再起動したクルルも、やられた、とばかりに頭を押さえながら頷く。
「砲撃と置き換えて考えれば、確かにこの距離を外すとは思えぬ……その、夜間に撃ったとしても問題なかろう」
クーが、まだ動揺を隠しきれない顔のまま、それでも実務的に口を開いた。
「あの……でしたら、一度、試射を……」
「そ、そうじゃな……」
ツァンが、ようやく息を整える。
要は額の汗を拭いながら、申し訳なさそうにツァンを見た。
「ごめん、ツァン。運搬は置いといて……これからどうするか、だけど……そりゃ俺の考えもあるけど」
一拍。
「……みんなで、ゆっくり決めていけないかな……その、はっきりしなくて、ごめん」
苦々しい笑み。
それを見て、ツァンは――小さく、舌を巻いた。
(……やはり、宝主)
確かに大きな問題としては先送りかもしれない。
しかし実務で己の知恵と判断を大きく斜めに上回った、その理解度と解像度。
下腹部が熱くなるような、感服と、敬意。
(エイシムを作り上げた、わらわの宝……)
***
ツァンは、まだ扉の据えられていない木枠をくぐり抜け、眼下に広がる仮拠点群を見下ろした。
エイシム職員の少女たちの声が、熱気を帯びて渦を巻く。
笑い声、呼び声、資材のぶつかる音。
未完成であるがゆえの、騒がしさと生命感。
短い坂を下り切ったところで、ツァンは龍尾をひと振りし、ゆるりと振り返った。
そこにあるのは、大きな建てかけの館。
まだ途中。豪奢でも、堅牢でもない。言ってしまえば――ただの大きな木と石の箱。
だが。
我が、愛しき主君のおわす場所。
ふと、ツァンは窓を仰いだ。
そこに、小さく映る主の姿を見つける。穏やかに笑っている。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
思わず、はっと息を呑んだ――その刹那。
……視界に、ぬっと割り込む小さな背。
艶やかな金の髪。
犬の耳と尾。
巫女装束めいた、和風の戦装束。
ツァンは、舌打ちが喉元までせり上がるのを、ぎり、と噛み殺した。
代わりに、吐息混じりの独り言を零す。
「……なるほどのう」
声は低く、どこか愉しげ。
「千里眼を失えば……宝主とて、迷われるか」
にまぁ、と。
口の端を、ゆっくりと三日月のように歪ませる。
それは、嘲りでも、失望でもない。
――歓喜だった。
ツァンにとって、それは千載一遇。
運命が、指先に細い糸を垂らしてきた瞬間。
「……よい、よいぞ。かか……」
喉の奥だけで低く笑う。目元が、猫のようにゆるく細められる。
その表情は、蜜を味わう者のように甘く――毒を秘めた花のように危うい。
「宝主は、誰を脇に置くかも“迷える”ようになったということじゃ」
透き通った、琥珀に閉じ込められた炎のような瞳が、再び窓の奥を捉える。
そこには主の傍で、甲斐甲斐しく世話を焼くクーの姿。
その光景を映したまま、ツァンの笑みは――抜き身の刀のように、ゆっくりと、鋭さを帯びていく。
「――我が宝主は、犬どもの狭き忠義に縛られるには……」
一拍。
そして乾いた笑いと交ぜながら、言い切る。
「あまりにも惜しい御方」
ツッコミどころには多少目をつぶってくりゃれ