愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
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要がいまだに身体が慣れきらない、豪奢かつ異様に座り心地のいい椅子に座る。
人を堕落させることに一切の躊躇がない座り心地だ。
その動きに反応したのか、床で丸くなって眠っていたベルがうっすらと瞳を開けた。
焦点の合わないまま、要をじっと見上げる。
「……んぅ……ぱぱ……?」
小さな手で目元を、うにゅ、うにゅと擦る。
夢と現実の境目を指先で確かめるような仕草だ。
それから、ぐっと両手を天に突き出した。
「……んっ……!」
小さな眉間にきゅっと皺が寄り、全身で力を込める。
力んだ表情。顎には梅干しのような皺ができた。
――ふわり。
ほんの一拍遅れて、ベルの身体が、ゆっくりと浮き上がる。
床からじわじわと離れていくその様子は、まるで張り付いたスライムを慎重に机から剥がすかのようだ。
「パパぁ……」
宙に浮いた彼女は、ほけっとした顔で両手を大きく広げる。
そして、ひらり。
雪片が舞い降りるような速度で、要の懐へ近づき――ぽとり、と落ちた。
向かい合う形で、要の膝にすとんと座り込む。
小さなお尻が太ももに触れ、ふに、と柔らかく形を変えた。
現実的で、確かな重み。
「ああ……ベル。いらっしゃい」
要は思わず苦笑しながら眼下にあるベルの頭頂部を見る。
ふわりと漂うのは、ほのかに甘いハチミツを溶かしたような匂い。
大量の白い綿毛のような髪が自然と要の膝を覆い、即席の膝掛けになる。
ぬるくて、やわらかくて、妙に安心する温度。
ベルは眠たげな目をゆっくりと持ち上げ、要の胸元で小さな口を開いた。
「……パパ……すきぃ……」
とろとろに溶けた声。
言葉というより、感情がそのまま零れ落ちた音だった。
要は胸の奥をぎゅっと掴まれたような気分になり、自然と笑みを浮かべる。
父性という名のスイッチを連打された気分だった。
「ありがとう。俺もだよ」
ベルはその返事に満足したのか、瞳をさらにとろんと蕩けさせぎゅっと要に抱きついた。
むふっ、と小さく息を洩らす。
そして、そのまま――。
すとん。
一切の前触れもなく、眠りに落ちた。
じわり、と体重が増す感覚がはっきりと要に伝わってくる。
眠りへの移行速度だけは秒速だ。
要はすっかり慣れた様子で、ベルを猫でも扱うように片手で撫でながら、静かに視線を上げた。
――ちょうどそのとき、コン、コン、と控えめなノック音が響いた。
壮麗なドアの向こう側から、びりっと空気を一枚裂くような、妙に違和感のある声が届いた。
「“情報”班、班長のフェルマです。報告のため、入室許可を求めます」
声そのものは淡々としている。
感情の起伏も、緊張もない。
なのに、なぜか耳の奥に薄く残るざらりとした残響。
クルルが、ちらりと要へ視線を投げた。
要は小さく頷く。
それを受けて、クルルは低く、吠えるように告げた。
「――入れ」
「はい」
きい、とドアが開く。
蝶番が軋む音が必要以上に響いた気がした。
そこに立っていたのは、黒と白の少女。
漆黒の長いストレートヘア。
身にまとった黒の裾が余るロングコート。
床に垂れた髪やコートの端から――ほつれるように、黒い粒子が零れていた。
少女は無表情のまま一歩だけ進み口を開く。
その動きすら、わずかにズレているように見えた。
「ごきげんよう、マスター」
要は反射的に、言葉を返していた。
「ああ、こんにちは」
その瞬間。
フェルマは、にこり、と笑みを貼り付けた。
まるで誰かの表情筋を正確に再現しただけのような不自然さ。
部屋の空気が、ほんの一瞬だけ冷えた。
しかし正体を知っている要は警戒もなく、どこか満足げな微笑みでフェルマを眺めている――その刹那だった。
――びゅんっ。
空気を裂くような音とともに、ドアの隙間から白い人影が弾丸のように飛び込んでくる。
一瞬の反射。
クーとクルルが同時に身構え、瞬時に腰の剣に手を添えた。
だが、すぐさま。
侵入者の正体を見極めたのだろう。
二人はほぼ同時に、すっと手を下ろした。
軽やかな音を立てながら、その影は要の横でびたっと止まり――ふわりと宙に浮く。
――それは、白かった。
要が思わず目を見開いていると、その少女は、待ってましたとばかりに弾む声を上げる。
「あるじ~っ! やっと会えた!」
ふわふわと宙に浮いたまま、全身で喜びを表現している。
薄い。
この少女を形容するなら、それが一番しっくりくる。
薄手の白いワンピース。
布というより、光の膜のような質感で――下の肌と、体の輪郭が透けて見えるほど。
いたいけであどけない“少女”であっても、目のやりどころに困ってしまう。
その上からエイシムの真っ白な特別制服を羽織る。まるで、所属を主張するように。
髪は淡いプラチナブロンド。
首元あたりで揺れるショートカット。
右目を覆い隠す長い前髪。
その隙間から覗くのは、猫のように悪戯っぽいアーモンド形の碧眼。
――その少女へ、クルルが鋭く声を飛ばす。
「おいイナ! いきなり主に近づくな!」
名を呼ばれた少女――イナは、空中でぴたりと動きを止めると、むすっ、と幼く頬を膨らませた。
「ふんっ! ボクに命令するな! 命令していいのはあるじだけ!」
「次は斬りつけるぞ……!」
「あっそ! どうぞご勝手に~。
イナはわざとらしくニヤリ、と笑い、挑発するように舌を出す。
ぎり、と奥歯を噛みしめる音がクルルから聞こえる。黒い尻尾がぴんと張る。
だが、結局それ以上は紡がなかった。
イナは興味を失ったように、くるりと要へ向き直る。
表情は一瞬で切り替わり、太陽みたいな無邪気さがぱっと咲いた。
「あるじっ! ねえねえ、ボクあるじのためにいっぱい頑張ったよ!」
宙に浮いたまま胸を張る。
視線は完全に要だけを捕らえていて、『見て』、『褒めて』と全身が訴えている。
要は、その温度差に少し苦笑しながら、答えた。
「ああ……イナ、今日も元気そうだね」
その一言で、イナの周囲の空気がさらに一段明るく弾んだ。
「うん! あるじに会えたらね、ボク、いっつでも元気だもん!」
幼くて未整理な言葉。
理屈より感情が先に走る声色のまま、イナはさらにふわりと距離を詰めた。
――その動きが、ぴたりと止まる。
まるで初めて“そこに異物がある”と認識したように。
イナの冷たい視線が、要の懐へ落ちた。
要の膝の上。
白い毛玉のように丸まって、すやすやと眠るベル。
その瞬間、ぱちり、と。
スイッチを切り替える音が、確かにした。
さっきまでの無邪気さは跡形もなく消える。
そこに残ったのは苛立ちと無関心を雑に混ぜた、氷水みたいな表情。
「なにこれ……邪魔……」
声に感情が乗っていない。
ただ事実を処理するような乾いた音。
そして次の瞬間。
――どん。
要が反応するより早く、イナの手が動いて無造作に突き飛ばした――刹那、バチッ、と小さなアーク放電のような光が弾ける。
ベルの体が、要の膝から弾き出される。
抵抗は一切ない。
まるで衝突実験用のダミー人形のように、首も体も力なく衝撃に曲げ、床へ落下する。
ごどん。
鈍い音が、広い室内に重く転がった。
落ちた瞬間、首がひやりとするほど不自然な角度まで曲がる。
衝撃を吸収しきれなかった体が、そのまま転がり仰向けになった。
「あ、ちょ――!」
要は思わず必死な声を上げたが、体が追いつかない。
視線だけで必死にベルを追った。
ベルは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「んにゅ……ぱぱ……?」
それは、驚いたというより。
暖かかった場所が急になくなったことに、眠りの底で気づいたような声色。
とろけた灰色の瞳が、きょろりと彷徨い――要を捉える。
「むにぅ……」
それだけ。
要の姿に安心したのか、抗議も恐怖も痛覚もなく――ぽとり、と再び意識が眠りのしじまに沈んでいった。
呼吸は穏やか。
顔色もまったく変わらない。
……全然、平気そうだ。
要は胸の奥に溜まっていた息をそっと吐き出す。
そうして改めてイナへ向き直った。
「イナ。突き飛ばしちゃダメだよ……可哀想でしょ?」
叱るには弱く、諭すには焦りが混じった声。
それでもちゃんと向き合おうとする調子だった。
イナは一瞬、びくっと肩をすくめる。
だがすぐに頬を膨らませ、視線を逸らした。
反抗的で、幼くて……どこか必死だ。
潤んだ瞳が、ちらりと要を盗み見る。
「ボクの方が可哀想だもん……」
声が、少しだけ泣きそうに震える。
「ボクだって……あるじと、ずっと一緒にいたいもん……」
反省はしたくない。
理由を理解してほしい。
そんな叱られた子供のような、反発と悲しみ。
要はその顔を見て、言葉に詰まった。
ベルには役割を与えていない。
一方で、目の前のイナには明確な“仕事”を与えている。
確かに存在する差。
それが喉元に引っかかり、二の句を告げなくなった。
「それにソイツ……こんなことでどうにもならないよ。エイシムで一番
言い切るその声はどこか投げやりで、開き直りの響きだった。
要は喉から小さくため息を抜く。
「……それはそうだけどさ」
言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。
「急にああいうことをしたら、やっぱり良くないよ。びっくりするし……謝ってあげよう?」
「ヤダっ!」
即答。
イナは勢いよく顔を背け、ぷくっと頬を膨らませた。
だが――完全に逸らしたわけではなく、背けた顔のまま視線だけがちらちらと要の方を盗み見ている。
本気で怒られないよね。
まだ、嫌われてないよね。
そんな確認の色が、まばたきの隙間に透けて見えた。
(まあ……)
要は、ショボショボと目を細める。
(謝ったところで、ベルは聞きもしないし……というか、起きもしないよな)
床で丸くなって眠るベルを横目に見る。
呼吸は規則正しく、夢の底に沈みきっている。
そんな事件など最初から無かったかのように穏やかだ。
要は苦笑を含ませて、念のため、という調子で付け足した。
「じゃあ……また今度、一緒に謝ろうね」
「つーん」
返事は可愛らしい擬音、それだけ。
それでもイナは離れなかった。
顔を背けたまま、むしろ要のすぐ傍にぴたりと居座り、距離だけはきっちり保っている。
その様子が可笑しくて、要は小さく笑った。
――しばらくして。
怒りの熱が抜けたのか。それとも別の衝動が勝ったのか。
イナはそっと顔を戻し今度は何も言わずに要へ向き直った。
そして恐る恐るといった様子で、ためらいがちに指先を要へ伸ばした。
見えない緊張がぴんと張る。
そして、つう、と。
要の二の腕を、指先がなぞった。
微かな静電気。
冬の夜、金属に触れたときの、くすぐったい違和感。
要は身じろぎもせずただ待つ。これがイナなりの確認作業だと、もう分かっている。
イナは一度指を引き、次は意を決したように。
ぺたり、と。
手のひら全体で要に触れる。
それを確かめた瞬間、安堵が堰を切ったように溢れる。
――ぱあっ、と、曇っていた空が一気に晴れるように、イナの顔が輝いた。
「あるじぃ……!」
声が弾み、喜びが抑えきれなくなる。
宙に浮いたまま、ぴょんと跳ねるように身体を弾ませ、そのまま要へ飛び掛かった。
そして弾むような動きで、すとんと要の膝に降り立った。
向かい合う格好のまま、自然な動作で太ももにまたがる。まるでそこが最初から自分の定位置だったかのように迷いがない。
むにゅ、と柔らかなイナのお尻の感触が布越しに形を変え、ぴたりと密着する。
不思議なことに、軽い。
ベルよりもずっと。
けれど、確かにそこに“重さ”があり、体温があり、存在がある。
「んん~♪ あーるじぃ」
甘える声と共に、イナはためらいなく身体を預け、両腕を要の首に回して絡みついてきた。
ふにゅ、と押し付けられる柔らかさ。
彼女の着ているワンピースは、布としての役割を半ば放棄しているのではと思うほど薄く、ほとんど肌同士が触れ合っているのと変わらない。
要は一瞬、どう反応すべきか分からず、無意識に背筋をこわばらせた。
細く、華奢な体つき。
けれど確かに少女特有のしなやかな柔らかさがあり、その感触が遠慮なく伝わってくる。
さらに、ベルよりも背が高いぶん顔と顔との距離が近い。
イナの鼻先は要の首元すれすれまで上がり、甘える猫のように首筋へ頬を寄せてくる。
さらりとした髪が頬や耳に触れて、くすぐったい。
やろうと思えば口づけさえできる距離で、アーモンド形の碧眼が真っ直ぐに要を見つめた。
そこに含みも計算もなく、ただ“くっつきたい”という純度の高い欲求だけが宿っていた。
「んへへ……」
少女の柔らかさと、カラメルを焦がしたような甘く香ばしい匂いが、逃げ場なく要を包む。
ぐいぐいと、無遠慮に体を押し付ける――そのたび、ふにゅ、と薄いながらも柔らかな肉感が伝わる。
無垢な衝動で腰や体を揺すり、要とできるだけ密着しようと試みる。イナにとってはただ隙間を埋めたいだけ――しかしその行動は、知らず要のデリケートな部分を刺激しまくる。
要は内心で『ヤベっ』と、危機感を覚え、そっと彼女の肩に手を添えながら声をかけた。
「イナ……ごめん、もう少しだけ離れようか」
「ヤダっ! ヤダぁ~!」
鼻にかかったような甘えた声。
むくれた顔で、ぶんぶんと首を振る。
その動きに合わせて、短いプラチナブロンドの髪先が、容赦なく要の首筋を撫でる。
彼女はむしろ抵抗に反応するように、密着はさらに強まった。
しがみつく力がぎゅっと増す。香りが濃くなる。
イナは本気で甘えているだけだ。ただ主に触れていたい。それだけ。
だからこそ加減がない。
要はどうしたものかと焦りながら、イナの背に触れたまま、頬が引き攣る。
当然説明は難しい。というかできない。
そんな葛藤など露知らず、イナは満足そうに要の首元へ顔を埋めうっとりと目を細める。
まるで、やっと自分の居場所に辿り着いたかのような、安心しきった表情だった。
さすがに見かねたのか、傍らに控えるクーが、忠誠と苛立ちを半分ずつ混ぜたような声でイナへ呼びかけた。
「イナさま、ご主人さまにご迷惑が掛かっていますよ?」
その言葉が耳に届いた瞬間、イナの表情がすっと冷えた。
つい先ほどまで要に擦り寄っていた温度が嘘のように氷点下へ沈む。
「は? キモ……ボクに話しかけないでくれない?」
声音まで鋭く変わる。
「――イナさま?」
クーの声は更に苛立ちの純度が上がるが、イナは完全に無視した。
「ねえ、あるじっ。迷惑じゃないもんね」
くい、と要の首元に頬を寄せたまま、超至近距離から上目遣いで見上げてくる。
その視線は、もはや暴力だった。
潤んだ瞳が、アクアマリンを光にかざしたようなティールブルーに輝き、きらきらと反射する。
要は、抗う暇もなく、反射的に首を縦に振っていた。
「ああ、うん。もちろん迷惑ではないよ。……ごめん、クー、大丈夫」
心配そうに見つめるクーへ、なだめるように手のひらを向ける。
イナはその返答にぱっと顔を明るくし、跳ねるように体を縦に小さく揺らした。
その動きがまた、無遠慮な感触としてダイレクトに伝わってくる。
要は内心で小さく悲鳴を上げる。
こりゃマジでヤバい、と半ば強引に、視線を前へ向ける。
別のことを考えなければならない。今すぐに。
「ああ、それで……何の用なんだろう」
視界の端はイナの淡い髪で占拠されている。
それでも無理やり焦点をずらし、もう一人の来訪者へ視線を向けた。
ここまで読んでお気づきでしょうが、私はうすほそが大好きです。