愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
場が、しんと凍った。
相対したままのクーとクルルは一歩も引かず、ベルの寝息だけが妙に響いている。
(……これ、俺が仲裁しないとだよな)
……実を言えば、この二人が衝突するのは初めてではない。
大体は言い争いのあと、空気は修復不可能なほど壊れ――最後に残るのは沈黙だけ。
今も、まさにそうだった。
要は小さく息を吸った。
「……クルル。ちょっと、こっち」
そう言って、ちょいちょいと手招きをした。
クルルは悔しさと怒りを混ぜた壮絶な表情をしていたが、主人の声が届いた瞬間、びくり、と肩が跳ねる。
「あ、主……」
すっと、平静を取り戻そうとする。
けれど、紅潮した頬と、わずかに潤んだ赫い瞳は、すぐには誤魔化せなかった。
要は、近づいてきたクルルを迎えるように一歩踏み出す。
そして、出し抜けに――ぱたりと伏せられていた犬耳をきゅっとつまんだ。
「ふにゃ……!?」
素っ頓狂な声。
そのまま、くに、と揉む。
びくびくびく、と。
犬耳が細かく震え、漆黒の尻尾が光速で揺れ始めた。
ばたばた、と服を叩く音が響く。
いつもは難しげな表情だが――ふにゃ、と力が抜けたその顔は、クーとそっくりだった。
「……あ、あ、あ、ある、あるある、主っ……!!?」
驚きと、気が抜けたふにゃり顔とを忙しなく行き来させながらクルルは固まった。
その百面相を眺めつつ、要は内心で思う。
(なんで毎回、ボコボコにされるのに噛みつくかな……)
そう。
クルルは、大抵の場合クーに言い負かされる。
理屈は互角なのに、どうしても感情が先に立ってしまうのがそもそもの敗因だろう。
ぐったりしたクルルの“メンタル回復”まで含めて要の今の仕事だった。
(……まあ、可愛いけど)
まるで小型犬が一声吠え返されただけで慌てて懐へ逃げ込んでくるような。
そんな風に見えて、逆に愛嬌になっている。
要は、黒くふさふさした大きな犬耳を指先で捏ねる。
外側は、高級なマフラーのようにふわふわで、内側――親指が触れている部分は、つるりとしていて、少し冷たい。
心地いい触感を堪能しながら。
ぽつり、と要は床に置くような声で喋り出す。
「……クルルはさ、別に間違ってないと思うよ」
その一言で。
クルルは何かが決壊したように、赫い瞳がうるりと水気を帯びる。
すん、と軽く鼻をすする。
しかし、ごくりと唾と一緒に感情を呑み込み、それ以上表情を崩すことはなかった。
「……もちろん、クーもだけどね」
クーは無表情のまま――ほんの少しだけ、ぷくっと頬が膨れているようにも見えた。
それに気づいて、要は慌てて言葉を足したのだった。
苦笑しながら、わざと明るい声で続ける。
「二人とも、いいこと言ってるんだからさ。ちゃんと向き合おう。ね?」
クーはほんの一瞬だけ『だって、こいつが……』と、言い訳めいた色を滲ませる。
けれど、それも刹那。
すぐに表情を引き締め、反省の色を浮かべた。
「……申し訳ありません、ご主人さま。お見苦しいところをお見せしました」
ぺこりと頭を下げる。その先は当然――要だった。
「あ、ある……じ……」
一方のクルルも、反省の言葉を口にしようとする。
が。
要の、犬耳を扱う“手管”の前に、完全にたじたじになっていた。
ムスッ。
ふにゃ。
ムスッ。
ふにゃ。
矜持と照れ、誇りと甘え、それらを忙しなく往復する。
その様子があまりにも分かりやすくて、要はつい少しだけ面白がってしまった。
――さすがに、やりすぎか。
そう思って、ぱっと手を離す。
「……あ」
クルルが思わず小さく声を洩らす。
上目遣いで、どこか名残惜しそうに要を見上げた。
「そ、その……申し訳ありません、主。……お目汚しを。大変、失礼しました」
ついさっきまで排水溝に詰まったマグマのような表情をしていたのに、すっかり火照りの残るホクホクとした雰囲気になった。
要は、その変わり身を眺めながら内心で思う。
(……まあ、また喧嘩するだろうな)
二人には悟られぬように、胸の奥でだけ小さくため息をついた。
で、結局のところ。
クーとクルルの二人は、きゅっと口を結び、驚くほどよく似た表情でじっとこちらを見据えていた。
――待っている。
言葉は発さない。
しかし、赫と蒼の瞳は『どちらを選ぶのですか』と、雄弁に語っていた。
要はすぐさま再び見えない壁の前に立たされていた。
(……どうしよ)
今になって、ようやく思い出す。
――あのときだ。
ツァンに、組織編成の一時的変更を提案されたとき……あの場で、もっと後先を考えるべきだったのだ。
どうなれば元に戻すのか。
期限なのか。成果なのか。
――その“基準”をあの場で議論すべきだった。
ここにきてそれが痛いほど分かるが――今となっては、後の祭りだ。
要は引き結んだ口の奥で、固唾を飲み込んだ。
じっと下から突き上げてくる二人の視線を受け、じわじわと背中に汗がにじみ出てくる。
――そのとき。
ぴくん、と。
ほぼ同時に、二人の犬耳が小さく跳ねた。
音に反応するように、クーとクルルが一斉に扉の方へと視線を向ける。
その数秒後だった。
どたどた、と廊下を踏み鳴らす足音が壁越しに伝わる。
慌ただしく切迫している。
来る。
そう理解した瞬間、ゆらり、と。
クルルとクーはほとんど反射のように身体の向きを揃え、侵入者を迎え撃つ体勢へと移っていた。
――バタン。
荘厳な扉が、静寂を壊すような音を立てて開け放たれる。
扉が空いた瞬間に、クルルは剣を抜いていた。
鞘から解き放たれた瞬間、部屋の温度が一段落ちたように錯覚するほどの威圧が濁流のように広がる。
「――貴様ッ!!」
怒声が炸裂した刹那――クルルは入室したばかりの一人の少女の眼前に立っていた。
黒く、重厚で。
悍ましさと、美しさとを矛盾なく宿した黒鉄の剣。
それが少女の首元へと吸いつくように据えられている。
赫い瞳が燃え上がった。
「許可なく御座所に飛び入るとは――命が要らぬと見える!!」
「ひ、ひいぃ……!!」
少女は、叩かれたヒヨコのように甲高い悲鳴を上げ、全身を強張らせた。
疲労の色が滲む顔立ち。
さらりと肩に流れる、薄いグレーのロングヘア。
エイシムの黒と白の標準制服の上に、真っ白なフード付きのミリタリーコートを羽織っている。
先進的で、どこかサイバーパンクめいたテックデザイン。
一方で随所に施された金の刺しゅうが、不釣り合いなほど荘麗で厳粛な気配を纏わせていた。
――少女は顔を真っ青に染め、深々と頭を下げる。
こちらにまで風圧が届きそうなほどの勢いだった、
「も、申し訳……ありませ……っ、ゴホ、ゴホ!!」
焦りが先走り、舌が縺れ、思わず咳き込んだ。
要は、顔の前でぱたぱたと手を振る。
「だ、大丈夫……! 全然、大丈夫だから……その、落ち着いて」
――言いつつも、無理な話だろうなと要は思う。
あの“剣”が空気に解き放たれている……それだけで要の立っている位置からですら、肌が粟立ち、頬がひくり、と勝手に痙攣するほどの威圧。
それを真正面から浴びた。
そう思うと、少女への同情がじわじわと濃くなった。
要の“赦し”を受けクルルは剣を収めると、職員の少女は大粒の涙を溜めながらその場にへたり込んだ。
要はゆっくりと歩み寄った。
そして少女の前で膝を折り、視線を合わせるように屈み込んだ。
できるだけ柔らかい声を届ける。
「……ゆっくりでいいから、話してくれるかな?」
その瞬間、少女は堰を切ったようにぼろぼろと嗚咽を零しながら泣き出した。
「さ、サルヴァトリア閣下……っ!」
その表情は――遠く離れた海上で奇跡的に船を見つけたかのような、壮絶と、安堵が、ぐちゃぐちゃに混ざり合った顔だった。
一方で、要は内心「なんて?」と、違和感で固まった。
その背後――要には見えない位置。
クーとクルルは腕を組み、鋭い視線を少女に突き刺し続けている。
その殺気を、肌で感じ取ったのだろう。
思い出したかのように、ずばっ、と跳ね起き、つま先立ちで背筋を伸ばす。
そのまま直立不動の姿勢で叫んだ。
「しょ、所属――社会福祉広報庁! 医療支援課! ポエヤマであります!!」
見開かれた瞳は焦点が合わないまま中空を見上げている。
どこを見ているのかもはや本人にも分かっていなさそうだ。
(……あ、ポエヤマか)
要は、遅れて腑に落ちた。
個性的な名前だ。
すぐに脳内から該当データが引っ張り出される。
(ああ……あの)
と、ほんの少しだけ、妙な感動。
一方で、クーがまるで冷水を浴びせるように問いかける。
「……そのコートは、例の?」
短い一言。
その曖昧な質問を正確に汲み取り、ポエヤマは即座に声を張り上げる。
「はっ! 聖護免疫向上学会、第一階梯の
その名称を耳にした瞬間、クルルの表情が、壁に得体の知れない虫でも見つけたかのように鼻白んだ。
低く、吐き捨てる。
「ふん……ということは、公私ともにノインの下か」
「は、はい! その通りであります!!」
――で。
と、空気を断ち切るように、クーが告げた。
「用件は?」
要の視界の後ろにいるのをいいことに、その蒼い瞳は容赦なく鋭い。
「こ、この度はノイン・エリス・アウクトリア卿のご指示により――至急、サルヴァトリア閣下にお伝えすべき事案がございまして……」
要の頭の中に、疑問符が泡のように浮き上がった。
知らない単語だ。
――その違和感はどうやら同じだったらしい。クルルが切り裂くように問いを投げる。
「……さっきから何だ、その名前は」
赫い瞳が、鋭く細まる。
「ケアラーだの、サル、何とかだの……“ノイン・エリス”……奴の名は、それだけだろう」
要は、心の中で何度も頷いた。
ゲーム知識を持っているはずの自分ですら、聞いたことのない単語のオンパレードだ。
(よく聞いてくれた)
と、内心でクルルを褒める。
そんな三人を前に、ポエヤマは『あれ?』という顔をした。
純粋に『知らないの?』という驚きだ。
「あの……階梯、です」
沈黙。
空気が、ぴたりと止まる。
極寒の視線をクルルとクーから同時に浴び、ポエヤマは慌てたように言葉を継ぎ足した。
「ご、護疫学会の……その……階級、ということで……」
声が、だんだんと小さくなる。
「ノイン・アウクトリア卿から……その……通達が……」
――再び、沈黙。
クーも。
クルルも。
そして、要ですら。
ぽかん、と口を開けていた。
ポエヤマは、三人の顔を、右へ左へと何度も見比べている。
要は、困惑でいっぱいになった頭のまま、思った。
(……設定が、生えてきた)
世界がまた一段、勝手に広がった。
奇妙で間の抜けた沈黙が、しばらくのあいだその場を支配していた。
一章終了まで毎日更新に戻ります!
あわせて第1話~第20話の改稿も不定期ではありますが順次行っていく予定です。
感想でいただいたご意見やアンケートの結果を踏まえつつ、物語全体の流れを考慮し、展開そのものは変更せずに、表現面の整理や読みやすさの向上を目的とした調整を行うと判断いたしました。
よって内容に大きな変更はありませんので、読み直していただく必要はございません。
これに伴い、一部エピソードの統合で予告なく話数が前後する場合がございます。ご不便をおかけいたしますが、何卒ご容赦いただけますと幸いです。(忽ち、現時点で旧1話と旧2話の統合を実施しています)