愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話   作:フォン・デ・ペギラパギラ

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23話:大変恐縮ですが

 夕闇が降りる。

 

 橙と群青が溶け合い、世界が昼でも夜でもない曖昧な境界に立っているようだった。

 

 ここ、スラムにも平等に黄昏は訪れる。

 

 崩れかけた廃墟も、歪んだバラックも、煤けた布切れの屋根も、すべてを等しく包み込みながら、黒紫の闇がゆっくりと侵食していく。

 

 その中を――。

 

 何百人もの少女たちが、音もなく練り歩いていた。

 

 秩序。

 無数。

 美貌。

 無機質。

 

 そして――異様。

 

 人は、未知を恐れる。

 

 スラムの住人たちは息を呑み物陰へと身を滑らせる。

 柄の悪い無頼漢でさえ目を合わせることなく道を譲り、舌打ちひとつ残さず消えていく。

 

 狭い路地が、まるで初めから彼女たちのために設計されていたかのように静かに開かれていく。

 

 その中央に、要がいる。

 

 左右をクーとクルルに固められ、さらに職員たちが前後を層を成して囲む。

 優しげな顔立ちはそのままだが、口元の柔らかさとは裏腹に瞳の奥には怒りと緊張が沈んでいた。

 

 上空では黒い霧が薄く広がり、覆い被さるように追従している。

 

 ――進軍。

 

 足音は静かだ。

 威圧はあるが喧騒はない。

 

 その行進が数十分続いた。

 

 やがて先頭が、ひとつの建物の前で止まる。

 

 周囲より一回りだけ大きい、しかしやはり老朽化した建物。

 

 荒い石壁と黒ずんだ木材で組まれ、長年の風雨が刻んだ傷跡が幾重にも走っている。

 屋根は低く沈み、苔が不吉な絨毯のように貼りついていた。

 吊り鎖にぶら下がった看板、そこに描かれた絵は色褪せてよくわからない。

 

 ――酒場。

 それも、ひどく寂れた。

 

 入り口の段差に、柄の悪い男が腰を下ろしていた。

 

 粗暴そうな顔つきとは裏腹に、服装だけは妙に小綺麗だ。

 安物ながら整えられた上着と靴。

 

 門番か、あるいは用心棒か。

 

 その男は異様な気配に気づき、ゆっくりと立ち上がった瞬間――その表情が固まる。

 

 視界いっぱいに広がる無数の少女たち。

 整然と並び、音もなくこちらを見ている。

 

 そして――その最前列。

 

 薄黄緑に蛍光する眼。ニタニタと笑う――ノイン。

 空間が歪んで見えるほどの威圧――アーティフェル。

 縦に裂けた金の瞳孔と、剥き出すギザギザの牙――グラオルディア。

 

 男の喉が、ひくりと鳴った。

 

 立っているだけで心臓が縮み上がる。

 男は出鼻どころか、威勢さえへし折られた。

 

「な……なんだ、てめぇら……」

 

 声が裏返る。

 

 アーティフェルが、一歩も動かず答えた。

 軍帽の銀の帽章が月光を弾く。

 肩にかけた襟の高い軍服めいた外交礼服が風で翻る。

 

「貴様の頭に用がある。取り次いだ方が身のためだ」

 

 声音だけなら、ぶっきらぼうなだけの命令だ。

 

 だが――ぞくり、と。

 冷え切った手で心臓を直接握られたような錯覚が走る。

 

 男の額から汗が噴き出す。膝がわずかに震える。

 そして混乱する。

 

 年端もいかない少女だ。

 普通なら威張り散らして追い払える相手のはずだ。

 

 なのに。

 

 どうして、こんなにも――本能が逃げろと叫ぶのか。

 

「こ……ここが、どこだか分かってんのか……」

「分かってたら、どうなる?」

 

 一層小柄な体躯。

 ぶかぶかの龍刺繍が輝くスカジャンを纏い、大きな角を揺らすグラ。

 

 その姿は少女のはずなのに、どこか爬虫類のような風貌と化していた。

 

「……呼んで来いと、そう言ったであろう」

 

 裂けた頬の奥で、異様に整列した牙がずらりと光る。

 ぎょろりと開かれた金眼が瞬きもせず男を射抜く。

 

「出来ぬなら――()ね」

 

 ――その瞬間。

 

 空気が圧縮されたかのような重圧が、男を押し潰した。

 

 風圧すら感じる。

 太古の捕食者に睨まれた小動物の感覚。

 

「ひぃ……ば、化け物……!」

 

 尻餅をつきそのまま這うように後退る。

 立ち上がる余裕すらなく――転げるように路地裏へ逃げ込んだ。

 

 その背を、ノインがくすくすと愉しげに見送る。

 白のミリタリーコートのフードの奥で、薄黄緑色の瞳光が三日月の形に細められる。

 

「……逃げ足、早い……ですね」

 

 目配せひとつ。

 

 白いコートの職員数名が無言で動いた。

 音もなく路地裏へと滑り込んでいく。

 

 グラは前触れなく、すうっと可愛らしい少女の外見に戻る。

 

 裂けた頬も、牙も、異様に光る瞳も、まるで幻だったかのように消え去った。

 見慣れた小柄で愛らしい少女の姿。

 

 彼女はくるりと踵を返し、背後の職員へにこやかに声を掛けた。

 

「ううむ、下等生物は案内(あない)もできんか……まあよい。そなたよ、つがいに伝言して参れ!」

「は、はっ……!」

 

 小さな手を腰に当て、にかっ、と笑う快活な姿。

 

 指名された職員は一瞬、思考が追いつかなかったらしい。

 しかし直ちに敬礼し、慌てて行列の中央へ駆け出した。

 

 

 ***

 

 

 室内は広いが、天井は低い。

 太い梁がむき出しのまま横たわり、そこには黒い煤や蜘蛛の巣が何層も積もっている。

 

 石張りの床はひび割れ、石と石の隙間に汚れが詰まり黒く湿っていた。

 

 長テーブルが何本も並び、木は傷だらけ。

 椅子は揃っておらず、三本脚のもの、樽を切っただけのもの、板を釘で留めたものまである。

 

 酒場――のはずだった。

 

 だが、活気はない。

 

 いるのは似たような服装のガラの悪い男たち。

 あるいは死んだ目をした娼婦が数人、壁際でぼんやりと座っているだけだ。

 

 笑い声はあっても、温度はない。

 

 酒と金と、何かを搾り取る匂いだけが充満していた。

 

 その奥。

 

 半個室のように仕切られた席で、数人の男が低く笑っている。

 

「例の粉、評判いいらしいですぜ。ものの数分で効くって噂だ」

 

 客――いや、この地を牛耳るベルン組合の連中だ。

 

 静まり返った店内に、不穏な会話が染み出す。

 

 蛇のような顔をした男が、コートの襟を指で整えながら言う。

 

「効きすぎるのが難点だな。消耗が早え」

「薬のですかい?」

 

 蛇の男は鼻で笑い、酒をひと口含む。

 

「バカかテメエ……客の、だ」

 

 一瞬の沈黙。

 それから、どっと笑いが弾けた。

 

 下卑た、湿った笑い。

 誰も良心を疑わない。

 

 ――その時。

 

 がらん、と。

 

 ざらりと錆びた音を立てて、ベルが揺れた。

 外から夜の匂いの風が入り込む。

 

 組の誰かだろう――その場の全員が気にも留めない。

 

 だが。

 

 こつり、こつりと、ゆっくりと歩みを進める足音に数人が眉をひそめる。

 

 入ってきたのは――ただの青年。

 

 珍妙だが、地味な服装。

 威圧も迫力もない。

 

 要だった。

 

 男たちは一瞬で理解する。

 堅気だ、と。

 

 入り口近くのカウンターに座っていた若い衆が椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

 威圧を作ろうと顔を歪め、道を塞いだ。

 

「あ? てめえ誰だコラ……」

 

 対して、要はゆるりと微笑む。

 眉を少し下げ、どこか困ったような表情で答えた。

 

「すみません……こちらにいらっしゃる方に、少し用事がありまして」

 

 若い衆は一瞬ぽかんとし、次の瞬間。

 

「……あ、そう。じゃ、死ね」

 

 前触れなく拳が振り抜かれる。

 

 だが。

 

 ――止まった。

 

 空中で。

 

 真っ白な、作り物めいた細い腕がぬっと伸び、男の腕を掴んでいる。

 

 クルルだ。

 

 小柄な背。

 美しいかんばせ。

 漆黒のボブヘア。

 同色のドレス。

 

 その赫い瞳は、深い闇を仄暗く映している。

 

 細く小さな指先が、男の腕に食い込む。

 無数の釣り針が刺さっているかのように痛々しく。

 

「――な、てめえ」

 

 戸惑い。

 まるで万力で固定されたかのように、一寸たりとも動かない。

 

 そして、クルルは眉ひとつ動かさず――その男を蹴り飛ばした。

 

 爆風にでも叩かれたかのように吹き飛び、椅子を巻き込み、テーブルに激突し――やがて動かなくなった。

 

「なんだてめえゴラァ!」

「やんのかオラ!!」

 

 ごろつきたちが反射的に立ち上がり、吠える。

 

 その間にも、背後の扉からぞろぞろと数名の少女が入ってくる。

 

 無表情。

 整然と。

 人形のように。

 

 場の空気が、目に見えて沈む。

 威勢を張っていた男たちがわずかに言葉を詰まらせた。

 

 要は、一歩も動かない。

 

 柔らかな笑みを崩さず、ただ視線を奥へ向ける。

 

「こちらに、ケルヴァンさんはいらっしゃいますか?」

 

 若々しく高めの声。

 あまりにも場違いで、静まり返った店内に気味が悪いほど澄んで響いた。

 

 ごろつきたちの視線が、一斉に一点へ集まる。

 

 襤褸のコートを羽織った男が、据わった目で要を見据えていた。

 

「お前、誰だ……?」

 

 ぎろり、と刺すような視線。

 

 だが要はそれを真正面から受けながらも、まるで市井の青年が知人を見つけたかのような安堵の笑みを浮かべる。

 

「よかった……いらっしゃったんですね」

 

 そして、無造作に歩き出す。

 立ち尽くすごろつきを縫うように、コートの男へと。

 

 あまりにも不用意で、自然で。

 

 ――それ故に不思議と、誰も咄嗟に止められなかった。

 

 やがて男の席の前で立ち止まり、要は背筋を伸ばして軽く目礼する。

 

「突然の来訪、大変申し訳ございません。……お忙しいところ恐れ入りますが、少しお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」

 

 柔和な笑み。

 商人からも聞いたことのない言葉選び。

 背後にぴたりと控える、金と黒の双子の獣人。

 

 コートの男――ケルヴァンは、率直に気味が悪いと感じた。

 

 しかし、当たりはついた。

 

 無数の女。

 最近湧いた、目障りな勢力。

 

 噂と符合する。

 

「……座れ」

「ありがとうございます。失礼いたします」

 

 要は素直に対面の長椅子へ腰を下ろす。

 そしてちょい、と小さく手招き。

 

 複数の職員の陰から、ひとりの子供が歩み出る。

 

 ――リュネ。

 

 恐る恐る、要の隣へ腰を下ろす。

 

 その背後を、クーとクルル、そして数名の職員が静かに固める。

 

 要は、微笑みを崩さず口を開いた。

 

「エイシムの代表を務めさせていただいております、要と申します。突然にもかかわらずご対応いただき、感謝いたします」

 

 一拍。

 

「――早速ですが。この子について、見覚えはございませんか?」

 

 ケルヴァンはすぐに答えない。

 酒をひと口含み、舌の上で転がす。

 

「……そのガキが、なんだってんだ」

「うちで傷害事件を起こしまして、事情を聞いたところ――」

 

 うすら笑い。

 しかし、要の瞳は一切笑っていない。

 

「ベルン組合……つまり、貴方の命で動いたと」

「は、は、は……!」

 

 ケルヴァンは腹を抱えるでもなく、ただ肩を揺らして嗤った。

 

 周囲の手下たちもつられて嘲笑する。

 わざとらしく、大きく。

 

 ……だが、すんと。

 

 急に無表情になる。

 その落差が空気を冷やした。

 

「……と、そのガキが言ってると」

「はい。率直に申し上げます。この子――リュネを我々の一員として迎えました。しかし内通者として送り込まれた可能性が浮上しましたので、事実確認のため本日お伺いした次第です」

 

 しらり、と値踏みするようにケルヴァンがリュネを見る。

 

「ああ、知ってるぜ」

 

 顎をしゃくる。

 

「うちのジェイクがよぉ、そいつに階段から突き落とされたって話だ」

 

 ぺろり、とまた酒を呷る。

 

「だから……あんたらのとこに逃げ込んで、さも俺たちが悪者みてぇに虚言吐いてる。――そういう筋書きじゃねぇのか?」

 

 周囲から、くつくつと笑いが漏れる。

 

 リュネの肩が小さく震え、弾けた。

 

「オマエ……っ! ぬけぬけと……」

 

 すっ、と。

 要の手が静かに伸び、優しくリュネの背に添えた。

 

 小さく身じろぐ。

 

 その手の温度に、リュネはそれ以上言葉を吐かなかった。

 しかし瞳の奥では炎が荒れ狂っている。

 

「なるほど。つまり――関係はない、と」

 

 要は、穏やかに頷く。

 

 ケルヴァンは鼻で笑った。

 

「で、今日はよぉ……」

 

 身を乗り出す。

 

「今はてめえが預るガキが、ジェイクに働いた“傷害事件”のツケを払いに来た――そういう理解で合ってんだよなぁ?」

 

 さらに厚かましく重ねた。

 

 周囲のごろつきが、慣れた拍子で吠え立てた。

 

「舐めてんのかゴルァ!!」

「二目と帰れると思うなよ!」

「覚悟できてんだろうなオラ!!」

 

 筋書き通り。

 

 ケルヴァンは、その様子を満足げに眺める。

 まるでガラス玉を掌で転がす子供のように。

 

 その中心で、要は笑みを崩さない。

 だが、机の下で指先がわずかに震えていた。

 

 恐怖か、緊張か――それとも決断の前触れか。

 

 要は隣を見た。

 

 リュネは奥歯を噛みしめ、怒りを飲み込むように小さく頷く。

 それで十分だった。

 

「なるほど……仰る通りです。では、まずはお話の前に――」

 

 そう言って要は視線を背後へ流す。

 その合図でクルルが一歩前に出た。

 

 何が起きるのかと、ごろつきたちは思わず口を噤む。

 

 そしてクルルが、なんの前触れもなく腰の剣を――ずるり、と抜き放つ。

 

 その音は決して大きくない。

 だが刃が鞘を擦る金属音は、酒場の濁った空気を一瞬で凍らせるには十分だった。

 

 黒鉄の剣。

 

 薄暗い室内でもなお、ぬらりと悍ましい光沢を返す刃。

 儀礼用の美剣を闇に溶かし込んだかのように、荘厳と暴虐が、違和感なく同じ器に同居している。

 

 目に見えぬ暴威が走る。

 

 ごろつきも、ケルヴァンでさえも。

 背筋に氷水を流し込まれたかのような悪寒が走り、たじろいだ。

 

「……てめえ」

 

 低く唸る。

 

 だがその声に被せるように、要が静かに手のひらを向けた。

 

「いえ、お待ちください」

 

 ――クルルは顎をわずかにしゃくり、リュネへ合図を送る。

 

 背後から職員がリュネに素早く布を噛ませる。

 そしてリュネは迷いなく左腕を差し出した。

 

 血走った瞳。

 荒い鼻息。

 恐怖――しかし退かない。

 

 とたんに。

 

 何の前触れもなく――クルルは上段から剣を振り抜いた。

 

 身構える時間すら与えないのは、彼女なりの慈悲だったのか。

 

 姿勢は乱れず。

 刃筋は狂わず。

 空気すらほとんど揺れない。

 

 とん、と。

 

 木片でも断ったかのような軽い音。

 

 理想的な軌跡が、リュネの左腕を正確に断ち切った。

 

「ん、ぐううううう……ッ!!」

 

 布越しに、押し殺された絶叫。

 

 苦悶。

 大量の冷や汗と、涙と鼻水が混ざる。

 噛み締めた唇の端が裂け、赤が滲む。

 

 血を撒き宙を舞う小さな腕をクルルが掴み取る。

 

 クーが滑り込むように切断面を縛り上げ、止血と応急処置を施した。

 

 一連の動作は――まるで稽古を重ねた舞台劇のように寸分の狂いもなく進行した。

 

 酒場は沈黙していた。

 怒号も嘲笑もない。

 

 ただ血の匂いだけが、静かに広がる。

 

「――お話ができなくても困りますので……ジェイク様の件につきましては、まずはこの“落としどころ”でご辛抱いただけますでしょうか?」

 

 整った言い回し。

 

 要は机の下で震える指を握り込んだ。爪が掌に食い込む。

 だが顔に浮かべた微笑は崩さない。

 

 ケルヴァンも取り巻きも、理解が追いつかないまま一瞬言葉を失った。

 沈黙が――承諾の形を取ってしまう。

 

 要は、にこりと笑う。

 瞳だけが氷のように冷えている。

 

「……よろしいようですので、お話の続きを、させていただきますね」

 

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