愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話   作:フォン・デ・ペギラパギラ

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31話:自分で脱ぐから!

 スラムの、とある奥。

 

 曲がりくねった細路地を幾つも越えた先に、その建物はある。

 

 周囲のバラック群や板張りの平屋は雨露をしのぐだけで精一杯の佇まいをしているのに。

 

 対して、その建物は。

 石造りの壁には隙間一つなく、屋根に腐食の跡もない。

 

 派手さはない。

 

 ――ただ確かに違う。

 

 泥と煤に塗れたこの界隈で生きてきた人間なら、一目で嗅ぎ分けられる。

 力のある人間の住処だと。

 

 部屋の中は質素だ。

 木の机。二脚の椅子。棚の隙間という隙間を埋め尽くした帳面の束。

 

 壁際には数名の部下が石像のように立ち並んでいるが、誰も口を利かない。

 呼吸の音すら、この空間では余分なものに思えた。

 

 その部屋の主が、椅子に深く座っていた。

 

 白髪の老人。

 穏やかな目元。

 そして、誰にも阿らない人間の顔をしている。

 

 ただ、静かに時間が流れている。

 

 老人の指が帳面のページをめくる。

 その、ぺらり、という乾いた音だけが、部屋を支配していた。

 

 ――こん、こん。

 

 ドアが鳴った。

 

「失礼しやす」

 

 ドアが開く。

 入ってきたのは三十代ほどの男だ。

 

 敷居を跨いだ瞬間、迷いなく膝をついた。

 頭が下がる。

 

 それは考えて行う動作ではないように見えた。

 体の深いところに刷り込まれた、長年の反射に近い所作だった。

 

「……カシラ、ご報告申し上げます」

 

 床に向かって落とすように、言葉を置く。

 低く、鈍い声が床板をかすかに揺らした。

 

「最近興された組織が、ベルン組合を潰しました」

 

 一拍。

 

「――そして」

 

 男は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「商業地区にも、接触を図っているようです」

 

 老人は返事をしない。

 ただ静かに、視線を窓の外へ投げた。

 どこか、遠い場所を見ている目。

 

「このまま根を張られると、みかじめの網が――」

 

 男は最後まで言わなかった。

 しかしその言葉に込められた危機感は、沈黙よりも雄弁に部屋へ広がった。

 

 緊張した面持ちのまま、男は老人の判断を待つ。

 

 長い静寂のあと。

 

「――ふむ」

 

 老人は、それだけを言った。

 

 そして、ゆっくり立ち上がる。

 

 椅子から体を起こす動作さえ、急がない。

 急ぐ理由がこの人間にはないのだと思わせる動作だ。

 

 そうして、窓際まで歩く。

 

 眺める先、窓の外には路地がある。

 

 雨が染み込んだまま乾かない泥濘の地面。

 竿に引っかかった襤褸の洗濯物が、風にだらりと揺れている。

 痩せた猫が一匹、足元を気にしながら歩いていく。

 

 老人は、見下ろした。

 

 そこに、子供が二人いた。

 

 骨が透けそうなほど細い腕が、何かを奪い合っている。

 パンの切れ端かなにかだろうか。

 キイキイと甲高い声を上げながら、二人はもつれ合っている。

 

 老人は、その光景に目を細めた。

 

 何を思っているのか。

 幾重にも刻まれた皺の奥にある表情は、柔和とも冷酷とも取れて、読めない。

 

「……のう」

 

 振り返らぬまま、老人が口を開いた。

 

「あの子らは、なぜあそこにおると思う?」

 

 唐突な問いだった。

 男は一瞬だけ戸惑い、しかし迷わず答える。

 

「……スラムで生まれたから、かと」

 

 老人は、その答えに一瞬だけ目を閉じた。

 ゆっくりと、鼻から息を吸う。

 それから、静かに言った。

 

「違う」

 

 断じた。

 部屋の空気が、少しだけ変わる。

 

「確かに、そういう面もあろう。……王国が、あの子らをそこに置く。貴族が、騎士団が、法律が――全部、あの子らに届かんのは事実じゃ」

 

 ゆっくりと少しだけ老人は振り返る。

 その無表情な顔が、窓から差し込む灰色の逆光を受けて翳る。

 

「じゃが飢える本当の理由は――弱いからよ」

 

 一拍。

 

 窓の外で、キイキイという声が続いている。

 

「弱い者が苦しむのもまた、弱いからじゃ。弱いものは淘汰される。それが自然の摂理」

 

 老人はまた、窓の外を見やる。

 

 窓の外では、体格の小さな方の子供が押しのけられた。

 地面に落ち、泥の中に無様に転がる。

 もう一人の子供は、パンの切れ端を握ったまま悠々と路地の奥へと消えていく。

 

 老人は、その一部始終を見ていた。

 

 見ていただけだった。

 

「弱い者は強い者が守ろうとせねば、飢えて死ぬのみ。じゃからのう、守られる側は守る側に全てを捧げる。そして――いざ喰われる時は、惜しみなくその身を捧げる」

 

 窓を向いたまま、老人の表情は誰にも見えない。

 

「それが契約であり、秩序であり――愛情じゃ」

 

 部屋の中が静かになった。

 

 未だ膝をついたまま、男は静かに頭を下げた。

 

「……はい」

 

 疑問のない声だった。

 

 この言葉は、おそらく男にとって初めて聞くものではない。

 

 何度も聞いた言葉だ。

 何度も聞いて、その度に自分の場所を確かめてきた言葉だ。

 

 最初にこれを聞いた時――彼は、救われたのだろう。

 

 壁際に立つ部下たちも、微動だにしない。

 誰も口を挟まない。

 老人の言葉を、黙って受け取っている。

 

 彼らもまた、かつてはあの子供と同じ場所にいたのだから。

 泥の中に転がされ、何も言えずに、ただ痛みを飲み込んできたのだから。

 

 だから今、この部屋に立っていられる。

 それが彼らにとって――契約の証明だった。

 

「わしはな、この街で生まれた子供が強くなるようにしてきた」

 

 静かな声だった。

 穏やかな、老人の声だった。

 

「弱きものを喰う方法を教えた。それでも弱きものは喰われるように諭した」

 

 くつくつ、と喉の奥で笑う。

 愉快そうに、しかしどこか遠くを眺めるように。

 

「それがこの"モルガン"の……ひいては"モルガン総業"の仕事じゃ」

 

 笑い声が、静かな部屋に沁みていく。

 

「その若い頭も、似たようなことを考えておるのかのう……」

 

 声が細まる。

 

 何かを期待するように。

 あるいは、値踏みするように。

 

 表情だけ見ればただの好々爺だ。

 しかしその背中に漂う何かは、禍々しい、という言葉しか浮かばない。

 

 ぱっと、モルガンが向き直る。

 

 ゆるりと歩きながら、机へと戻った。

 

 腰を下ろし、棚から帳面を一冊取り出す。

 ページを捲りながら、独り言のように続ける。

 

「しかし善い顔をしておる人間ほど、力を持った時が怖い。自分の正義を疑わん」

 

 少し、間があった。

 

「……わしも、そういう顔をしておったかもしれんのう」

 

 静かな呟き。

 

 自分に問うような声だった。

 誰かに答えを求めているわけでもなく、ただそこに落ちて、溶けた。

 

「半端者であれば、わしらの邪魔になりかねん。――どれ、一つ、試してこい」

 

 そう言いながら、モルガンは帳面へ目線を落とした。

 もうその話への興味は、どこにもなかった。

 

「……と、いいますと?」

 

 男の声が、わずかに揺れた。

 

 モルガンが顔を上げる。

 そこには感情など無い。

 

「ベルンは喰ったらしいが。真に強きものか、それともただ運が良かったのか――確認せねばならん」

 

 また、帳面へ視線を戻す。

 

「まあ、わしらが動く必要はないわ。なんぼも手があるじゃろう」

「では――?」

 

 はあ、と深いため息が漏れた。

 全部言わせおって、と言わんばかりの息だった。

 

 しかしその色に、失望はない。

 出来の悪い孫の問いを聞く爺さんのような、妙に柔らかい諦めがあった。

 

「あの最近暴れとる貴族の馬鹿をけしかけてみい」

 

 しん、と部屋が静まり返る。

 

 男が、確かめるように顔を上げた。

 

「……デゴール侯でございますか」

 

 モルガンは答えない。

 しかしその沈黙が、『他に誰がおる』と確実に語っていた。

 

 子供に話しかけるような、穏やかな声でモルガンが続ける。

 

「あの馬鹿なら勝手に動く。どっちが死んでも――」

 

 顔を上げる。

 

 皺の深く刻まれた顔が、ニタリと歪んだ。

 

「儲けもんじゃ」

 

 それを告げた表情は。

 スラムを、敵を、全てを喰らい尽くしてきた人間の――般若が破顔したような笑みだった。

 

 ぞくり、と男の肌が粟立つ。

 敬愛する頭だが、その笑みとも取れない熾烈な表情は何度見ても慣れなかった。

 

「承知しました。では――」

 

 モルガンの視線を避けるように、男は頭を下げる。

 返事が勝手に口をついて出た。

 

 立ち上がり、退出しようとしたその時だった。

 

「待て」

 

 低く、静かな声が背中に落ちた。

 

「……その若い頭、名は何という」

 

 男はびしりと立ち止まり、答える。

 

「……カナメ、というそうです」

「カナメ……」

 

 モルガンはその名を、口の中でゆっくりと転がした。

 まるで飴でも舐めるように。

 

「……善い名じゃのう」

 

 そう言って、帳面に何かを書き留める。

 そして、行っていいと言わんばかりに手を振った。

 

 男が小さく会釈し、ドアを閉める。

 

 静寂が戻った。

 

 モルガンは、また窓の外へ目を向けた。

 

 路地に、子供たちはもういなかった。

 泥の上に、小さな足跡だけが残っていた。

 パンを奪われた方の子供の、よれた足跡が。

 

 それをしばらく見つめて、モルガンはまた帳面へ目を落とした。

 ページを、ぺらりとめくった。

 

 

 ***

 

 

 ゆったりとした昼の空気の中、要はいつもの総帥室の椅子に深く腰を沈めていた。

 

 机の上では、ベルが器用に寝ている。

 引っかかるようにして、どこが支点なのか分からない絶妙な体勢で。

 白い綿毛のような髪が、机の上にばさりと乱雑に広がっている。

 

「ご主人様……!」

 

 鈴が転がるような声が響く。

 どこか意を決したような、いつもより少しだけ高い声色。

 

 手元の資料を難しそうな顔で睨みつけていた――その要の視線が、声に引っ張られて上がる。

 

「どうしたの、クー?」

 

 クーは、どこか所在無さげにぽつんと立っていた。

 

 金のボブヘア。

 同じ色の大きな犬耳が、窓から差し込む昼の陽光を弾いて煌めく。

 蒼い瞳は、置き場を探すようにきょろきょろと室内を彷徨っていた。

 

 巫女服めいた和風の軽装が、やはりよく似合っている少女だった。

 

「ええと……その……」

 

 珍しく、クーが言い淀んでいた。

 顔が、かすかに赤い。

 指がもじもじと組まれていた。

 

 そのまま、ちょこちょこと要の真横まで歩いてくる。

 金の尻尾が、ぱたぱたと要の腕にかすかに当たった。

 

「ご主人様の外交礼服について、採寸を……」

「……あっ! そうだった」

 

 要は思い出したように声を上げた。

 

「いや、明日だけど大丈夫?」

「それは、問題ないかと……」

 

 上目遣いでクーがこちらを見てくる。

 何か言いたそうな、言い切れないような目だった。

 

「それで、採寸だっけ」

「はい、その……こちらでは何ですし、ご主人さまのお部屋で……」

「ああ、そうだね」

 

 要は立ち上がった。

 悲鳴を上げる関節を押さえ込むように、ぐっと背筋を伸ばす。

 

 そして、先を歩くクーのあとについていく。

 

 クーが一度だけ振り返り、要を確認してから、総帥室の横の扉を開けた。

 

 ――そこには、何度見ても慣れない大きな部屋。

 

 大きな窓。

 

 品のいい木の机と棚。

 近づいてよく見れば、細やかな装飾が随所に施されていると分かる。

 

 しかしベッドだけは、何時ぞやの仮のまま。

 

 ここに来た最初の日に、あの子が作ってくれたもの。

 素材はバラバラで、見た目の統一感もない。

 それでも組みつけはしっかりしていて、要はすっかり気に入っていた。

 

 色んな思いが、あのベッドには残っている気がして。

 

 ――掃除をしていた二人の職員が、サッと部屋の脇へと避けた。

 

 要は、軽く手を上げた。

 『ありがとう』と言わんばかりに、笑いかける。

 二人は恐縮したように肩をきゅっと竦め、小さく目礼した。

 

「採寸かぁ…………、ん?」

 

 中央に立ったまま、要はそう呟いて――ふと、思い当たった。

 

(自分でするのかな?)

 

 振り返る。

 

 クーの両手に、細い布の巻き尺が収まっていた。

 ちょこんと、両手で大事そうに握られていた。

 

 顔は真っ赤に染められていて、唇をきゅっと結んでわずかに震えている。

 

「ではご主人さま――お召し物を、お脱ぎいただきます」

「はえ……?」

 

 間抜けな声が漏れた。

 

「その……お手伝いさせて頂きますね」

 

 そう言って、遠慮がちにクーが近づいてくる。

 

 ぴとりと、体温が届くほどの距離まで。

 彼女から清涼な香りがふわりと鼻に触れた。

 

 要は一瞬、動けなかった。

 ただその所作を呆けたまま見送った。

 

 クーの指が、要の上着の裾に触れる――。

 

「ちょちょちょ――!!」

 

 我に返って、要は後退った。

 

 クーは動じない。

 桃色に染まった頬のまま、蒼く透き通った瞳を要の真下から、まっすぐに突き上げてくる。

 

 部屋の脇では、控えていた職員が手で目を覆っていた。

 ……指と指の間が、きっちり開いている。

 

「でも……、お脱ぎにならないと……」

 

 ぽそり、と声が落ちる。

 困ったような、しかし一歩も引かない声だった。

 

「わかった……! 脱ぐから、自分で!」

 

 半ば叫ぶように言い放ち、要は自分で手を動かし始めた。

 

 上着。

 ズボン。

 シャツ。

 

 脱ぐことそのものは別に構わない。

 肌を人前に晒すことへの抵抗は、特にない。

 

 ――ただ。

 

 目の前でクーが俯いていた。

 真っ赤なまま、じっと。

 

 それだけで、どうにも落ち着かなかった。

 緊張が空気を伝って乗り移ってくるようだった。

 

 やがて、トランクス一枚だけになる。

 

「ええと……これでいいか?」

 

 改めてクーを見やった。

 

 きゅっと眉が上がっていた。何かの覚悟が滲んでいる。

 

 しかし――鼻が、ひくついていた。

 

 クンクン。

 クンクンクンクン。

 

 鼻血でも出しそうなほど、鼻が揺れる。

 頬が桃色に染まっている。

 尻尾が――バタバタバタ、と忙しなく音を立てていた。

 

 取り繕った覚悟と、隠しきれない昂ぶりが、全身でせめぎ合っていた。

 どちらが勝っているかは言うまでもない。

 

 要は、なんとも言えない気持ちになった。

 

「あの~……」

「あっ!! ハイっ!! 失礼します!!」

 

 ぶん、と頭が下がった。

 勢いが良すぎて、金の髪がふわりと宙に浮く。

 

 それからおずおずと歩み寄ってくる。

 またぴとりと体を寄せて――固まった。

 

 動かない。

 息すら、止まっているかもしれない。

 

「クー……?」

 

 要は、自身の胸元で俯くクーの金のつむじを見下ろした。

 犬耳がぱさりと揺れて、要の顎をかすかにくすぐってくる。

 

 ――ばっ、と。

 

 クーが見上げてくる。

 へにょん、と眉尻が力なく垂れていた。

 

 至近距離で目が合う。

 吐息が届きそうな距離だった。いや、確実に届く。

 

 それからクーが、か細い声で囁いた。

 

「あ、あの……胴回り、ってどこを測れば」

 

 …………。

 

 困り果てたクーの顔を見ながら、要はゆっくりと思い出す。

 

 クーは器用だ。万能と言っていい。

 隙のない、完璧な少女として全てを賭して作り上げた。

 

 しかし――雑多に並ぶ生活スキルを全て体得させることは、仕様上ほぼ不可能だった。

 つまり何が言いたいかというと、裁縫スキルは持たせていない。

 

「……俺も、良く知らない、っす」

 

 つられてテンパった要の口から、妙な語尾が飛び出した。

 

 クーの顔が、桃色を通り越した。

 真っ赤に――羞恥の色に染まっていく。

 

 わなわなと唇が震える。

 透き通った蒼い瞳に、じわりと涙が滲んだ。

 

「ごっ、ごめんなさい! ()()()()、専門家を呼んできますっ!!」

 

 何度も何度も頭を下げて、そのまま――ぴゅん、と飛び出した。

 

 金の尾が空中に残像を引いて、かき消えるように廊下へと消えていく。

 

 呆然と見送った後、要は誰に言うでもなく呟いた。

 

()()()()?」

 

 もしかして。

 

(無理を言って、服飾担当を押しのけたのか? あの子……)

 

 思考がゆるゆると沈んでいく。

 クルルのセリフが、ふと蘇る。

 

『幹部筆頭という立場を不当に濫用していないか、という率直な懸念があるだけです』

 

 ……。

 

 無言のまま。

 ほぼ裸のまま、部屋の真ん中に一人ぽつんと立つ要。

 

 ふと、視線を脇に投げた。

 

 二人の職員が隅で縮こまっていた。

 

 鳥の雛が外敵から身を守るように。

 ぎゅうぎゅうと身を寄せ合うようにして、息を潜めている。

 

 ――目を覆った指の隙間から、しっとりとこちらを見ていた。

 

「……」

 

 要はとりあえず立ち尽くした。

 

 ……もちろん、服飾担当の職員が来てからも幾つも波乱があったが、ここでは割愛する。




テンポについてのご指摘をいくつか頂いていたので、
本筋に直接関係しないパートはなるべく閑話として分ける形にしようと考えています。

が、今回は少し余白ができてしまったため、本編内に挿入する形にしました……!
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