愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
「しかし、先ほどは本当にどんな方法で? あの少女も忽然と消えましたが……門外漢なもので、できれば教えてくだされ。魔術の類ですかな」
細長いグラスを持ち上げながら、中年の商人が問いかけた。このグラス一つとっても、きっと目が飛び出るほど高い代物に違いない。
顔に滲む赤みは、酒のせいか。それとも、好奇心のせいか。
その視線の先に――ツァン。
同じく細長いグラスをつまみながら、手のひらで口元を隠している。
切れ長の橙の瞳が、ほんのわずかに細まった。
「申し訳ありませぬが、部外秘の内容じゃ」
「そうですか、提携する上でぜひと思いましたが……」
「くふふ――」
小さく、柔らかく。
しかしその笑い声には、奇妙な引力があった。
「簡単に手の内を明かす者を信用することなど――出来ぬでありましょう?」
商人はハッとした。
次の瞬間、得心したように小さく頷く。
ツァンは上品に笑った。
じわりと絡みとるような笑みだった。
「重要なのは、我々という
「何とも心強いことですな」
はっはっは、と商人は鷹揚に笑った。
――ここは、別室の立食会場。
正餐のための部屋ではない、と一目でわかる。
並ぶ料理はどれも量が少なく、皿が美しい。
鮮やかな橙色のスープ。
薄く削いだ肉の上に、琥珀色のソースがとろりとかかったもの。
小さな器に盛られた、香草の山。
食べるためではなく、見せるための食事だ。
商人たちは慣れた手つきで杯を持ち、料理にはほとんど手をつけない。
部屋の奥は中庭に面した広間。
扉が開け放たれ、外の光と風が流れ込んでくる。
圧迫感がない。
打ち解けた雰囲気を演出したい――そういう計算が、爽やかな光の中にひっそりと透けていた。
場は和んでいるように見える。
――しかし、商人全員の目の奥に、何かが動いている。
「カナメ殿はどちらから来られたので?」
一見、気さくな問いかけだった。
言葉が軽く投げかけられるせいで、気楽に構えてしまいそうになる。
「ああ、その……」
要は言葉に詰まった。
返したくないわけではない。ただ、答え方が難しかった。
そもそも要には立食パーティーの経験など一度もない。
どう立ち回るべきかの引き出し自体が、根本的に欠けていた。
その目線が、微かに揺れる。
――しかしそのとき、ツァンが一歩前へするりと滑り込んだ。
「総帥は多くを語らぬ方でしてのう。わらわが応対しましょうぞ」
「ほう、あなたは?」
ツァンは優雅に、踊るように礼をした。
「エイシム外界調停局、局長。ツァン・ロンと申すのじゃ。エイシムの対外窓口を務めております……どうぞ、よしなに」
商人の視線が、揺れる大胆なチャイナドレスの隙間へと一瞬だけ吸い込まれる。
見えそうで、しかし見えない角度。
ツァンは気づいている。気づいた上で、そこに立っている。
(助かった……)
要は内心でそっと頭を下げながら、間を埋めるようにパクパクと料理を口に運んだ。
「それで、エイシム殿の現在の資金の出どころは?」
別の中年の商人が、踏み込んできた。
笑顔だ。しかし目は笑っていない。
ツァンが口元に手を当てる。
その下に、ニマリとした笑みが隠れた。
「――ふむ……エイシムに投資する価値があるかどうか、でございますか?」
ツァンは意図を明確に見抜き、そこを刺した。
商人は一瞬、言葉に詰まる。
「……まあ、そういうことです」
くすり、とツァンは笑った。
「率直に申し上げましょう」
声のトーンが、わずかに落ちる。
「エイシムは安定した資金源は持っておりませぬ。現在はご存じのとおり“ベルン”などと申す不心得者どもらを平らげたときの稼ぎをやりくりしておるのじゃ」
一拍。
「しかし――エイシムが売れる、質の良い商品がただ一つある。それは総帥が申した通り、武力」
誰もが、一瞬黙り込んだ。
「先ほどのデモンストレーション。そして“ベルン”がこの世から跡形もなく消えた事実……それが証明になりましょうぞ」
ツァンの瞳が、三日月の形に歪む。
表情が変わった。
交渉のために象られた優雅な笑みではない。
もっと根元の深いところから滲み出るもの――獲物を見定めた蛇のような、静かで冷たい愉悦。
商人でも外交人でもない。
もっと空恐ろしい何かだった。
商人たちはその異様な貫禄に、一人残らず顔を引き攣らせた。
しかし彼らも豪のもの。
気を取り直すのは早い。
「して、エイシムの方々は何名ほどの組織で? どちらから王都においでに?」
三十代ほどの若い商人が問いかける。
その目はまだ洗練されていない。値踏みするような色が、薄皮一枚を透かして見えていた。
「さて、どれほどでしょうのう」
ツァンは薄らと笑みを保ったまま、こてんと首を傾けた。
どこか可愛らしく――指を顎に当てながら。
「わらわも全ては把握しておりませぬ。総帥でなければ分からないことも多くて」
「そうなのですか……?」
「大きな組織とはそういうものでございましょう?」
若い商人が、ころり、と手のひらの上で転がされた。
気づいた頃にはもう、ツァンはすでに視線を外している。
話はもう終わりだとばかりに。
――そのとき、全てをゆるりと聞いていたオズウェルが、満を持して歩み寄ってきた。
「率直にお聞きしますが――エイシムはこの商業地区に、その武力を以て何を成していただけるのか」
静かな問いだった。
他の商人とは違う重さが、言葉の底に沈んでいる。
ツァンがぬらりと老商人へ向き直る。
一つ、呼吸を置いた。
「……更なる秩序を」
「秩序?」
オズウェルはわずかに目を細める。その意図を探るように。
ツァンは笑みを貼り直した。
「今のこの地区には、法の届かぬ場所がある。わらわどもはそこを
オズウェルは細めた目のまま、顎を撫でた。
「……ほう」
その瞳が、初めて変わった。
“探り”ではなく、“興味”の色に。
「しかしそれで言うと、
皺を重ねた頬をゆるりと緩ませ、あくまでにこやかに。
しかし刺してくる。
秩序とやらの基準が一体どこにあるのか。
エイシムの独断ではないのかと、静かに、鋭く。
しかしツァンもまた老獪だった。
狡猾で、強かに、言葉の切っ先を研ぎ澄ませた。
「くっふふ……“潰した”とは、人聞きが悪いのう」
可愛く首を傾ける。
「わらわどもはただ――正当な手続きに従って動いただけのこと」
「……正当な、とは?」
「王国の法に照らして、でございますよ」
細やかな指が口元を隠した。
「あれらの所業を白日に晒すという、誰も成し得なかったことを成した。それが余人の目には少し鮮烈に映るだけじゃて。……詳細は騎士殿に」
ツァンがちらり、とライナスへ一瞥を投げる。
既に公の組織にて合意済みである、と。
ライナスは冷や汗を垂らしながら、遠い壁際で礼をした。
「其方らにも利のある結果になったと自負しておる――秩序を埋めるとは、つまりそういうことじゃて」
指で隠れた口元が、ニタリ、と歪む。
「なるほど……それはいいですな。最近物騒ですからねえ」
オズウェルもまた、老獪な笑みを晒した。
――どこか似た二人だった。
対面しながら互いに笑い、互いに測り、互いに何も明かさない。
それでいて、利害で通じ合った瞬間だった。
要は料理を頬張りながら、その様子をどこか気楽に眺めている。
そして自分の采配の正しさを確信した。
――いつの間にか、ツァンが会話の中心になっている。
彼女の美しさ。
立ち振る舞い、仕草。
そしてそれらを駆使する交渉術。
(ツァンに任せて正解だな……)
心中で胸をなでおろした。
すると――ツァンは要をちらりと見た。
要は意図を察し、小さく頷く。
承諾を得たツァンは、にこりと微笑むと、悠然と告げた。
「――今後、エイシムとの取引はわらわを通してくだされ。窓口はわらわが務めるのじゃ」
「ほう」
オズウェルが目を細める。
「総帥殿ではなく?」
「総帥は繁忙の身。大局を見る方でしてのう。細かい話はわらわにお任せを」
オズウェルがツァンを値踏みする。
一拍置いて頷いた。
「……なるほど」
これが何を意味するか、その場の全員が理解した。
エイシムの実務は目の前の女が握る――そういう宣言だった。
「もちろん、わらわはあくまで総帥の代理じゃ……そこはご理解頂けますかのう」
それを見越したのか、ツァンが静かに釘を刺す。
ギラリと橙色の目線を一巡させた。
その毅然とした風格を醸すツァンの背後で――要が料理を黙々と頬張りながら、よく分かっていないように嬉しそうに頷いている。
「……」
商人たちの間に、静かな謎が生まれた。
これほどの器量と能力のある女が、どこか惚けた様子の男に諾々と従っている。
お飾りなのか。
それとも――擬態なのか。
真相は明かされない。
――緩んだ空気を切り裂くように、オズウェルが軽く咳をして注目を集めた。
「ふぅむ、商業地区側の窓口についてはどうしましょうかな……」
その一言で、商人たちがざわりと揺らいだ。
言葉はない。しかし空気が、確かにざわめいた。
我こそは、と誰もが意気込んだ、その時――。
「あの、一つお願いがあるんですが」
予想外な所から声。
要だ。
彼が口を開くとは思っておらず、場が少し止まる。
要の視線が、商人たちの陰に所在無く立つ、ふくよかな初老の男へと向かった。
「以前、街でお世話になった方なんですが……あの方に窓口をお願いしたいです」
「え?」
その男はびくりと硬直する。
――しかし彼もまた商人。一度見た顔は、忘れない。
外套の奥に見えていた輪郭。
確かに見覚えのある三人。
よもや、とばかりに一歩前に踊り出て、問いかけてきた。
「……まさかとは思いましたが、あのカナメさまですか?」
「ええ! ついこの間はどうも、ルーベンさん」
ルーベンだった。
五十代の前半。
ふくよかで、白髪まじりの短髪と口ひげ。
愛想のいい、親しみやすい顔立ち。
周囲の商人たちも。オズウェルも。
驚いたように少し口を開け、その様子を見送った。
「……しかし、よろしいのでしょうか」
ルーベンがどこか自信無い様子で告げた。
「何かの縁ですし、ダメですかね……?」
要は頭を掻きながら、苦笑を洩らす。
――知っている人がいい。
何より、ルーベンの誠実な
「とんでもございません……精一杯、務めさせていただきます」
ルーベンは深く、深く頭を下げた。
場がざわめく。
末席の。
しかも最近、物騒な噂の絶えない商人が窓口に指名された。
『以前お世話になった』と要は告げた――つまり会議の前から繋がっていたのだ。
「……ほう、存外やるではないか、あの男」
誰かが小声で洩らした。
賞賛と嫉妬を混ぜ合わせた、複雑な声色で。
周囲もまた、似た顔をしていた。
***
そのあとは、終始和やかな空気で進行した。
あらゆる質問や追及をツァンは上手く回し、躱し、あるいは刺した。
彼女に制された場と空気。
しかし商人にとってはそれは敗北でもなんでもない。
――それこそが重要な情報だったのだ。
この者は小娘ではない。
決して侮れない協業者であり、故に信用に足る、と。
それを彼らが理解してから先は、もうスクラムを組んでいるようなものであった。
これからの未来を見据えた一体感が生まれ、そこかしこで雑談の声が弾んでいる。
緊張が溶けた空気の中で――矛先が
「……しかし、よく気の利く方ですな。先ほどから場の空気をよく読んでいらっしゃる」
赤らんだ顔の商人が、要の隣の少女に言った。
歯の浮くようなお世辞であった。
実際のところこの少女は、会合の間中ずっと要の隣で借りてきた猫のように肩を強張らせ、じっと硬直していただけだ。
それでも商人にとっては愛らしく映ったのだろう。
セラフィエル。
純白の翼がぱたりと跳ねた。
「……え? えと」
――気が利く。場の空気を読んでいる。
その言葉が耳に届いた瞬間、セラの顔が一気に赤くなった。
もじもじと指先をこねる。
口元がむにゃ、とほぐれていく。
役に立てたかもしれない。ちゃんとやれたかもしれない。
嬉しさが、胸の内からじわりと滲んだ。
「え、えへへ……!」
混じり気のない、ぱあ、と綻んだ笑み。
商人はその無垢な表情に絆されてしまった。
父性をくすぐられた彼は、もっとその笑顔が見たくなり、ちやほやとおだてあげた。
「秘書の方ですかな。まこと、美しい……!」
「そんな……」
謙遜しつつも、セラの口元はだらしなく緩んでいる。
頬を桃色に染めながら、要と目を合わせた。
あはは、と要が笑った。
よかったね、と言うかのように。
――セラは舞い上がってしまった。
セラがわざとらしく要にしなだれかかる。私もまたエイシムの重鎮であり、要の右腕なのだ、とでも言わんばかりに。
しかし勢いが完全に計算外だった。
要が支えようとするも――。
「おわ、ちょ……」
間に合わなかった。
二人で、傾く。
「あいたぁ!」
「きゃあ!」
――どしん、と。
テーブルが揺れた。
料理の皿がかしゃり、とずれる。
共に倒れ込む形になったが、咄嗟にセラの腕が、羽が滑り込み、要には痛みはなかった。
むしろやわらかい感触が全身に。
くらくらするような甘い匂いが、一層濃くなった。
要の胸元に収まった彼女の小さな顔が、茹でたタコのように真っ赤に染まっている。
……しんと静まり返る、会食の場。
……。
二人を――いやセラを見下ろすツァンの目が、死んでいる。
たっぷり数秒。
要がセラを腕で抱いたまま、床から顔を上げた。
そして頭を掻きながら笑う。
「あはは……すみません」
その気取らない笑顔が。
愛嬌のあるアクシデントが。
多少の至らなさが。
“異様な組織の総帥”という印象と完全にズレていた。
落差に一人が吹き出す。
それが伝染して、どっと笑いが起きた。嘲笑でも乾いた笑いでもない――本物の声だった。
オズウェルまで微笑ましそうに口元を緩めている。
セラが素早く立ち上がった。
顔面を蒼白に染め、ぺこぺこと頭を下げる。
「し、失礼しました……!」
しかしあどけない少女の起こした珍事に目くじらを立てるような、狭量な者は商人の中にはいなかった。
「あっはっは、大丈夫ですかな? お気をつけくだされ」
場は穏やかな笑いに包まれ、談笑に戻っていく。
――でもセラだけが、笑えていない。
俯いたまま、自分の手をじっと見ている。
羽が、腕が、まだ微かに震えていた。
「大丈夫?」
要はセラを覗き込むように聞いた。
セラがハッと顔をあげ、元気良く答える。
「はい!」
「怪我は……まあ、してないよね。庇ってくれてありがとう」
セラはしゅんと俯く。
しなり、と羽が沈んだ。
「そんな……! そもそも、わたしのせいで……」
「逆に受けたじゃないか。気にしないで」
要はくすりと笑って、そう軽く告げた。
彼自身、別段、些細なことを大仰に捉えるような、恥と思うような歳でもなかった。
だからこそ。
彼女の僅かな表情の翳りには、気づかなかった。
天使は何もない所で転ぶ系ドジっ子であるべき。
それが私のスターリーヘブンズ。