愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
クーの見立て通り、ライナスは戦慄していた。
いや、もっと生理的で、もっと根源的な――気持ち悪さに近い感覚だろうか。
指先ひとつで勢力図を書き換えられる。
そんな力を手中に収めている存在が、あまりにも自然にやさしさを纏っている。
――それが逆に、異常に不自然に映ったのだ。
ライナスの顎から、ぽたり、と汗が床に滴った。
一方その張本人である男は、立ったままライナスに向き直った。
「すみません……ええと、ライナスさん」
申し訳なさそうに、少しだけ眉尻を下げて告げる。
「この子たち、今ちょっと過敏になってまして……失礼な対応になってしまいました」
仕事で、やんちゃな後輩の尻拭いをした時の記憶がふと脳裏をよぎる。
男は頭を軽くかきながら、ごく自然な調子で続けた。
「後で、またちゃんと言い聞かせます。……すみません、楽に構えてください」
(……楽に、だと?)
ライナスは、内心で呻いた。
今この場で首を刎ねられても何一つおかしくない。
むしろその方が“分かりやすい”。
そんな状況で告げられる『楽にしろ』という言葉は、まるで王の御前での社交辞令のようなものだ。
無礼にならず。
しかし過剰に畏まりすぎず。
どこか“余裕を取り戻したように見える”態度。
「は、はっ……ありがとうございます」
その矛盾した姿勢を保つために、ライナスは精神をすり減らして必死に探った。
ライナスの様子を気付かず男は続ける。
「そういえば、こちらの紹介が遅れましたね。私は、真藤 要と言います。よろしくお願いします」
そうしてぺこりと軽くお辞儀をした。
(シンドー……カナメ)
ライナスは、心の中でその響きを反芻する。
(不思議な名だ。異国人か……それとも偽名か?)
思考しながら、ふと、視線を横にやる。
男の傍らに控えていた少女たちがわずかに目を見開いている。
――彼女たちも、その名を聞くのは初めてのようだった。
それに気づいた瞬間、ライナスの胸にまた一つ得体の知れない嫌悪感が湧いた。
いや。
もうどうでもいい。
聞きたくも、考えたくもない。
ライナスはとっとと終わらせるために、恭しく口を開いた。
「総帥閣下――いえ、カナメ殿。まずは突然の来訪、改めてお詫び申し上げたい」
そう切り出したライナスの声はよく研がれたものだった。
治安騎士として何百回と繰り返してきた型。
こんな状況でも淀みなく口が回ることを、ライナスは自分で褒めたくなった。
「いえいえ。職務でしょうし、大丈夫ですよ」
要は、気の抜けた調子でそう返した。
へらり、と。場違いなほど。
――不気味だ。
ライナスは内心でそう吐き捨てる。
しかし、その感情が一切表に滲まぬよう一層慎重になる。
「失礼に当たると申し訳ありませんが……」
前置きを投げかけ、一拍、間を置く。
「こちらの廃墟に、大勢の人間が集まっているとの通報を受けまして。確認のため、参上いたしました」
要はその言葉を聞くと、少し考え込むように眉間に皺を寄せた。
「ああ~……まあ、そうなるよな」
ひどく納得したような、軽い相槌。
頭を押さえたままのコミカルなその仕草が、逆に彼の異常さを際立たせる。
ライナスは、その隙を逃さず問いを重ねた。
「差し支えなければ――カナメ殿の率いるこの集団は、いったい……?」
記憶の片隅を探る。
先ほど迎えにきた少女――ライナスたちを瞬時に絶望の淵に叩き落とした存在。
彼女が何気なく零していた単語。
(確か……管理機構、だったか)
要は、少し重たそうに息を吐いてから口を開いた。
「あー……説明、難しいですね。すみません。ただの民間団体、って思ってもらえれば」
――ただの民間団体なわけがあるか。
喉元までせり上がった本音を、ライナスは無理やり飲み込む。
その代わり、引き攣りかけた笑みを貼り付けた。
長年の経験がどうにか“社交辞令”の形に留めてくれた。
「……そう、でございますか。 では、なぜこの場所に?」
「それも……説明しづらいです。すみません」
言えない、ではない。
言っても通じない、と要は判断しただけ。
しかし、ライナスは異なる理解をした。
――この男は、意図的に黙っている、と。
(一体、何なら話せるんだ)
心の中で悪態をつきながらも頭を回転させる、が――。
詳しく、聞きたくない。
思考の中でその感情がはっきりと胸に芽生えた。
責務として踏み込むべき場面だ。
しかし、ライナスは一も二も無く自身の欲求に従った。
「……なるほど、そうですか」
ライナスはいかにも相手の事情を汲んだかのように、芝居がかった物憂げな表情を作った。
顎に手を添え、視線を落とす“理解者の顔”。
(――なるほど、とは何だ)
その外見とは裏腹に心の内で自嘲する。
何一つ理解などしていない。
自分自身がひどく空虚に思えた。
「困りましたね……」
そう呟くと、場にわずかな静寂が落ちた。
その空気を、ためらいもなく切り裂いたのは要だった。
「――それで、何か問題でも?」
感情の乗らない、平坦な声。
無表情。
要は、ただ事実確認でもするように視線を投げかけた。
本人にとっては、極めて単純な疑問。
問題があるなら教えてほしい――それだけの意味。
それ以上でも以下でもない。
だが、ライナスの耳には別の意味で届いた。
――何も問題はないよな?
そう言外に断じられた、と。
喉元に見えない剣先を突き付けられた錯覚。
足元が、ふっと遠のく。
(……殺される)
思考が言葉になるより早く、身体が結論を出していた。
ここで言葉を誤ればすべてが終わる、と。
ライナスは必死に呼吸を整え、言葉を探した。
「そ、その……」
声が掠れる。喉が乾き、舌が重い。
「こちらは私有地となりますので……王都の法に照らしますと、不法占拠、という扱いになってしまいます」
言い終えた瞬間、ライナスの心臓が嫌な音を立てた。
要が一瞬、瞠目したからだ。
本人はただ『あ、マジか』と純粋な納得をしただけだ。
それだけだったが――。
(マズい)
ライナスの脳裏を想像が駆け抜ける。
次の瞬間、自分は床に倒れている。
そんな映像が、やけに鮮明に浮かんだ。
「が――!」
倒れる体を支えるように、足を踏ん張るように続ける。
思わず声が裏返る。
このまま引き下がるわけにはいかない。
ライナスは、魂を喉から絞り出すように叫んだ。
「我々治安騎士隊の権限において、一時的な滞在を認めようと思います!」
一息に吐き切る。肺が空になり、視界が白む。
要は、心底意外そうに目を丸くした。
思わず、というように身を乗り出す。
「え? いいんですか!?」
その反応に、ライナスはかろうじて笑みを作る。
引き攣り、筋肉が悲鳴を上げているのが自分でも分かった。
「ええ、もちろんです」
声を整える。
感情を削ぎ落とし、平静を装う。
「何かご事情があるようですし……現地を拝見した限り、直ちに問題があるとも思えませんでしたので」
――問題がない訳がない。
と、ライナスは自分の言葉に自嘲を重ねる。
しかしそうも言っていられない、これで終わりではない。
責任は残る。
しかし、自分の逃げ道を作らなければ。
「――ただし」
指先が、かすかに震える。
「私有地である事実に変わりはありません。ですので……後日、正式な管理者の方とお話しする場を設けさせていただいてもよろしいでしょうか?」
身振りを交え、あくまで事務的に。
感情を押し殺し、機械的に、制度の話として。
「最終的な結論は、その場で改めて――そうしていただければと考えております」
――責任は、次へ。
判断は、別の誰かへ。
臆病な選択だと分かっている。
だが今は、それしか選べなかった。
「……いかがでしょうか」
その言葉を受け、要は思わず口元に手を当てた。
考え込む仕草でほんの少しだけ視線を伏せる。
表情は無。
だが内側では、重要な選択を迫られ、思考がせわしなく跳ね回っていた。
(ううむ……)
一瞬、隣に立つクーの姿が脳裏をよぎる。
目を向け、助言を求めたい衝動が喉元までせり上がるが、それをぐっと飲み込んだ。
――今は、自分が決める場面だ。
総帥という肩書きの重さが、ずしりと背中にのしかかる。
逃げたい気持ちを、持ち前の責任感で無理やり押さえ込んだ。
「……わかりました」
そう答えるまで、数秒。
しかし要の中では、いくつもの思考が交錯していた。
――冷静に考えれば、条件はかなり良い。
そもそも今この場で立ち退きを命じられても、反論できる材料は何一つないのだ。
時間をもらえる。
体制を整え、状況を把握し、準備をする猶予が生まれる。
(……正直、かなり助かる。よな……?)
そもそも現状の整理すらままならない状態だ。
やるべきことが山積みで、早く手を付けたいという焦りが胸の奥で燻っている。
それに、これ以上この騎士を足止めするのも申し訳ない。
迷いを引きずったまま、要はそれでも明言した。
「むしろ、こちらにとっても良いと思います。とても助かります」
そう言って、要は肩の力を抜くようにやわらかく微笑んだ。
――勝った。
その瞬間、ライナスは内心で固く拳を握りしめた。
これは勝利だった。
少なくとも今日という一日は、生きて帰れる。
その安堵を胸の奥で密かに噛み締めていると、要が続けて問いを投げてきた。
「それで……管理者とは、どなたになるのでしょうか? あと、どれくらいここにいても大丈夫ですか?」
その口調は落ち着いていて、少し晴れやかで、どこか前向きだ。
しかしライナスは油断はしない――最後まで、言葉は慎重に選ぶ。
「管理者につきましては、現在やや曖昧な立場でして……この商業地区を取り仕切っておられる商人の方々、という形になります」
わざと歯切れを悪くし、肩をすくめる。
「期間については確約できませんが……二週間ほど、お時間をいただくかもしれません。皆さま非常にお忙しい方々でして」
言いながら、わざとらしく渋い表情を作る。
苦労人を演じるのも彼の得意分野だ。
「……もう少し、急がせましょうか?」
要は慌てて首を振り、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
手のひらをひらひらと振る。
「いえいえ! 全然、急いでいただかなくても大丈夫です。本当にありがとうございます」
本音ではある。急がれても困る。
だがそれ以上に、日本人として染みついた遠慮が反射的に口を突いた結果でもあった。
ライナスは、ほっとしたような、取り繕った笑みを浮かべる。
「さようでございますか! では、段取りが整い次第、改めて後日お伺いするということで……」
「はい、よろしくお願いします」
にこやかに言ってから、ライナスは自然な流れで右手を差し出した。
――あ。
癖で手を出してしまった、と一瞬だけ後悔する。
正直、こんな相手と触れ合いたくはない。だが、今さら引っ込めるわけにもいかない。
そして要も握手文化に慣れていない。
同様に一拍遅れ、ぎこちなくその手を取った。
力加減も距離感も、微妙に噛み合わない握手。
(……うわ、手、ぬるっとしてる)
要は内心で、そんなことを考えていた。
「さて……では、これ以上はお邪魔でしょうから」
そう言い残し、ライナスはそそくさと踵を返す。
部下たちを引き連れ、まるで脱兎のごとくその場を後にした。
(……あ)
穏やかで話の通じそうな人物だ。
要は、できれば土地の詳細や周囲の状況についてもう少し話を聞きたかった。
だが声をかける間もなくライナスの背中は遠ざかっていく。
わざわざ呼び止めるのも悪い。
要は結局、ただその背を見送ることしかできなかった。
***
建物に入ったときと、何一つ変わらない。
少女たちは相変わらず隊列を乱さず、微動だにせず、その身で“道”を作っていた。
人の形をしているはずなのに、美麗すぎて生き物と思えない。
まるで石像が整然と飾られた回廊だ。
――通っている間、眼球だけが、視線だけが無遠慮に、執拗に追ってくる。
数え切れない視線が、背中に針のように突き刺さる。
ライナスたちは、青ざめ、言葉を失ったまま、その道を引き返していく。
誰一人、振り返ろうとしない。
無心で、靴底が地面を叩く感触だけを頼りに、ただ通り抜けることだけに意識を集中させていた。
――やがてその異界めいた空間から離れ、大柄な建物が増え、景色が雑然とし始める。
看板が乱雑にぶら下がり、景色が急に現実味を帯び始めた。
商業地区のメインストリート。
人の声、荷車の軋む音、値段を叫ぶ呼び込み。罵声、笑い声。雑踏が波のように流れている。
その瞬間――ようやく肩肘に入っていた力が抜ける。
周囲の視線を気にする余裕など、もう残っていなかった。
誰からともなく、路上の段差に崩れ落ちるように腰を下ろす。
騎士としての体裁も、どうでもよかった。
ライナスは、深く――深く息を吐いた。
肺の奥に溜まっていた何かを、全部吐き出すようなため息。
精根尽き果てた、という言葉がぴたりと嵌まる顔だった。
その様子を見て、同じように血の気を失った分隊長が、それでも職務を思い出したように、遠慮がちに口を開く。
「その、良かったんでしょうか……? 本来、浮浪者はスラムに押し込めと……」
――じゃあ、お前が言ってこい。
その言葉が、反射的に喉元までせり上がる。
だがライナスは、それを歯で噛み殺した。怒鳴る気力すらもう残っていない。
代わりに、疲れ切った声で、できるだけ落ち着いた声で答える。
「確認しただろう――統制や規律から見て、あいつらは無秩序な不法集団じゃない」
正直ほとんど、口からでまかせだ。
だが今こうなってしまっては、それで押し通すしかない。
「それにだ。治安騎士隊が強制排除を行うには、明確な権利者からの請願が必要だ」
部下は疲れた顔のまま、首を傾げる。
「その請願が……あったのでは?」
「商会連合からな」
「ええと……?」
物分かりの悪さに、ライナスは内心で小さく嘆息する。
だが、責める気にはなれなかった。
建前を、大義名分を理解し、使いこなすにはまだ目の前の青年は年若い。
「商会連合の、どこの、誰だ?」
問い返された瞬間、部下ははっとした顔になる。
「……あそこは、どこの商会が責任の主体か、ずっと曖昧なままだ。なんなら、裏の連中の足場にもなってる場所だ」
そういって、ライナスは商業地区の奇妙なパワーバランスに思い耽る。
商人たちの思惑。
裏社会の暗黙のルール。
貴族たちの圧力。
複雑に組みあがるその構造。
ライナスは、汗を拭いながら、皮肉めいた笑みを浮かべた。
それは笑みというより、長年の鬱憤が形になったようなものだった。
「今まで、あそこの揉め事でどれだけ振り回されてきたと思ってる。介入しろだの、するなだの……正直、もううんざりだ」
一拍置いて、吐き捨てるように続ける。
「今回はな……責任を取ってもらう番だ――どこかの、誰かにな」
ライナスはそう締めくくり、もう一度ゆっくりと、重たい息を吐いた。
そして晴れた空を遠目で見ながら、地面に唾を吐き捨てるように告げる。
「……俺は、もう、知らん」
爽快なバトルとか全くなくてごめんなさい。
趣味丸出し、読んでいただいて本当に感謝です。