愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話   作:フォン・デ・ペギラパギラ

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37話:何してんだよ、あんた

 デゴールの品定めするような目が、セラを舐め回していく。

 

 上から下へ。

 下から上へ。

 二度、往復した。

 

 服の上から。輪郭を。体格を。胸を。尻を。

 値踏みするように。

 

「これはまた……」

 

 デゴールの口角が上がった。

 頬の脂肪が盛り上がり、目がさらに細く埋もれる。

 

「ずいぶんと可愛らしいお嬢さんだなぁ」

 

 にやり、という音が聞こえそうな笑み。

 愉しんでいる。それだけが伝わってきた。

 

「え、あの……わたしは……」

 

 セラの言葉が喉の手前で詰まった。

 

 何を言えばいい。

 何をすべきだ。

 ――どうすれば、失敗しない。

 

「デゴールさま! その方はお客様で……」

 

 ソフィエが庇うように前に出た。

 細い背中が、セラの前に割り込む。

 

 次の瞬間。

 

 太く弛んだ手が、ソフィエの肩を押しのけた。

 

「どけ、邪魔だ……」

 

 ゴミ箱を足でずらすような、無遠慮で厚かましい手つきだった。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「きゃっ」

 

 ソフィエの足がよろめく。

 

 デゴールはもう見ていない。

 振り返りもしない。

 

 あれほど気にかけていたソフィエがどうなったか、確認する気もないようだった。

 

 ――歩いてくる。

 

 自分が止まらなければならない理由を、これまで一度も学ばなかった人間の歩き方で。

 

 セラは思わず一歩、二歩と下がる。

 背中の羽が棚の角に当たった。

 もう逃げ場がない。

 

 影が、覆い被さった。

 

 肩に手が回される。

 太い指だ。

 ずっしりと重く、べっとりと熱い。

 

 指一本一本の存在感が、気持ち悪いほど明確だった。

 布地越しに、じわりと体温が滲んでくる。

 

 もう片方の手で顎を撫でられた。

 

 ぬるりと粘りつく感触が、全身を這い上がる。

 

 視線が、セラの開けた胸元へ落ちた。

 

「これは……上玉だなぁ」

 

 感嘆するような声だった。褒めているつもりなのだろう。

 

 腐った卵や生ごみのような、強烈な吐息がセラの鼻をつく。

 思わず吐き気がこみ上げる。

 

「なあ、お前、俺のところに来い。可愛がってやるよ……」

 

 悪い話じゃない、と本気で信じている目。

 

 ――セラは固まった。

 体どころか、その頭の中まで。

 

 必死に夜なべして考えた対処法があった。

 ラズに無理を言って怒られながらも貰った、貴重な羊皮紙に書き出したアイデア。

 

 外交の場での立ち居振る舞い。

 不快な相手への返し方。

 笑顔の、作り方。

 

 ツァンみたいな――頭の中で夢想した、かっこいい切り抜け方。

 

 それが全部すこんと飛んで行って、真っ白になった。

 

(失敗したら、あの人に迷惑がかかる)

 

 それどころか、自分の心の奥から、自らを鈍化させる声がこだまする。

 その声が、彼女を縛る。

 

(どうしたら)

 

 答えが出ない。

 思考がぐるぐると空転し、息が浅くなる。

 

「いやあ、この羽も本物か……」

 

 デゴールが独り言のように言った。

 

「翼人なんて珍しいなあ」

 

 まるでセラが物であるかのような、無遠慮な声だった。

 

 さっき、ソフィエと笑い合っていた羽だ。

 柔らかい、と言ってくれた。

 いい匂い、と言ってくれた。

 

 その羽に向かってデゴールの、ぬらりと粘つく脂ぎった手が伸びる。

 

 ゆっくりと。

 

 思わず身を守るように、セラは胸の前で腕を強く掻き抱いた。

 翼が逃げるように、咄嗟にぎゅっと縮む。

 

 でもそれ以上、何もできなかった。

 

 そんな数センチの抵抗も虚しく、デゴールの太く脂肪を蓄えた指が、にじみ出た不潔な油が、純白なふわふわの羽に触れようとして――。

 

 中空で止まった。

 

「――何してんだよ、あんた」

 

 音もなかった。

 気づいたときには、もうそこにあった。

 

 白く、しかし少し筋張った手が。

 デゴールの手首を、静かに、しかし確実に掴んでいた。

 

 羽まで、あと数センチ。

 

 ぎり、と籠った力に、怒りが滲んでいる。

 

 デゴールが目を瞬かせた。

 ぱちぱち、と間抜けに。

 何が起きたか、一瞬理解できていない顔だった。

 

 ――要だった。

 

 静かな声。

 ただ、その目だけが違った。

 猛禽のように鋭く、冷たく光っている。

 

 セラは反射的に見上げた。

 

 ――要の横顔。

 

 一歩前に出て、自分を庇うように立っている。

 

(……あ)

 

 頬が熱くなった。

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

 さっきまで凍りついていた体に、急に熱が戻ってきた。

 咄嗟に俯くことしかできない。

 

 ……ゆっくりと、デゴールが振り返る。

 

 要と目が合う。

 

 要は表情を変えない。

 手首を掴んだまま、ただ静かにデゴールを見ていた。

 

「な、んだ貴様……」

 

 デゴールの声に、わずかに険が混じった。

 その声色の裏に――まだ飲み込みきれない戸惑いが滲んでいる。

 

 自分の手が止められたという、生まれて初めての事実を、この男はまだうまく処理できていないようだった。

 

 しかし護衛の一人が動く。

 

 ただ、主人の前に立った小僧を排する。

 それだけの理由で、何の警告も、前触れもなく筋骨隆々な腕を振り上げた。

 

 風が唸る。

 

 拳が、要に突き刺さる――その直前。

 

 反射的に。

 

 セラの羽が、わずかに広がった。

 瞳がどよりと沈む。

 

 音より速く。

 思考より速く。

 一寸の迷い無く。

 

 何か、影か錯覚のようなものが走る。

 ――その影はセラの拳。

 

 それが護衛の胸に埋まり、ぼこりと嘘のように凹んだ。

 

 護衛の殴打が動いてから届くまで。

 その僅かな、瞬きほどもない間。

 

 見ることはおろか、予見することすら叶わない神速の突きだった。

 

 ――衝撃。

 

 風圧がぶわりと一陣駆け巡った。

 要の髪が、ばさりと靡く。

 

 気づいたときには、護衛の身体が宙を舞っていた。

 

 弧を描かない。

 まっすぐ、棚に向かって。物理法則を無視するかの如く。

 

 デゴールを巻き込み――二人まとめて棚にけたたましく激突した。

 

 どん、がらがら、と。

 

 重い轟音と、雑多に崩れる音が重なる。

 棚が、いや店自体がぐらりと揺れるほどの衝撃。

 布地や雑貨品、陶器が跳ね、転げ落ち、次々に割れた。

 破片が床に散らばる乾いた音が、ざらりと耳に残る。

 

 ――沈黙。

 

 土埃がゆっくりと舞っている。

 

 その奥に、不自然なまでに胸部が凹んだ護衛の姿があった。

 ゴムでできた人形のように、冗談のようにくしゃりと潰れている。

 不思議そうな顔をしながら、ごぽり、と血泡を口から漏らした。

 

 その下に巻き込まれたデゴールもまた、腕や足が在らぬ方向に折れ曲がっている。

 痛覚はまだ来ていないのか、表情はぽかんとしていて、思考を投げ出しているようだった。

 

 ソフィエが口を開けたまま固まっていた。

 視線が、惨状と、セラとの間を行き来している。

 

 その静寂を、セラ自身が切り裂いた。

 

「あ……っ! ご、ごめんなさい!」

 

 我に返ったように駆け寄る。

 壁際にずり落ちている二人の前にしゃがみ込み――両手に淡い光を灯した。

 

 ぼたぼたと床を濡らしていた吐血が、みるみる止まる。

 折れた肋骨が、凹んだ胸板が、音もなく元の位置に戻っていく。

 ねじ曲がり突き出した骨が、正しい角度を取り戻す。

 

 ――ここまで、一瞬の出来事だった。

 

 護衛が青ざめた顔でデゴールを見る。

 何か、助けを求める目だった。

 

 しかし目を向けられたデゴールは、壁を背にしたまま呆然としていた。

 

 数秒。

 数十秒。

 

 じわじわと、事態が脳へ滲み込んでいったようだった。

 

 よろよろと棚に手をつき、立ち上がる。

 

 外套の金糸がよれて、髪が乱れている。

 頬に棚の角の跡が赤くついている。

 それでも虚勢を張ろうと、声を張り上げた。

 

「な、なにをしたか……貴様、わかっているんだろうな!」

 

 そう吐き捨てる。

 

 あまりの怒りに声が震えていた。

 頬の肉が、怒りでぶるぶると揺れる。

 

「俺がどういう立場か……俺の後ろに誰がいると思ってるんだ……! この街でまともに商売できると思うなよ……! この店も、この娘も、ただでは――」

 

 激昂で思考がまとまらないのか、文脈もはっきりしない言葉がぼろぼろと零れ落ちた。

 真っ白だった顔色が、首でも絞められているかのようにじわじわとピンク色に染まっていく。

 

 控えていた護衛が、咄嗟にデゴールの腕を取った。

 

「デゴールさま……! 一旦治療を!」

「うるさい! 俺はまだ話の途中で――」

 

 ぶるんと贅肉を揺らして護衛の手を振り切る。

 体勢が、崩れた。

 

 覚束ない足元がふらりと揺れ、そのまま倒れ――棚の角に頭を激突させた。

 

 どさり、と。

 そのままみじめに床に崩れ落ちる。

 

「うぐぅ……ころす、ころしてやりゅ……」

 

 頬の肉に押された細い目から、涙がこぼれていた。

 

 視点が定まっていない。

 呻きとも呪詛ともつかない言葉を虚空へ向けて零しながら、胡乱と横たわった。回復してもらったというのに、彼は再び、己の自重で意識を投げ出した。

 

 護衛たちが互いに視線を交わした。

 無言で、退却を選んだのだろう。

 

 四人がかりでデゴールを支え、ずるずると重そうに扉へ向かっていく。

 

 捨て台詞もなく、呻くデゴールを抱えたまま去っていった。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ――しん、と静まり返る店内。

 

 セラが、焦ったように要の元へ駆け寄った。

 

「ああ……あなた、わたしまたご迷惑を……」

「セラが謝ることじゃない」

 

 要はまだ扉を見ていた。

 いつもの穏やかな表情から想像できないほど、鋭い目つきを扉に送っている。

 

「宝主……! 大丈夫かえ!?」

 

 ツァンがルーベンと共に駆け寄ってくる。

 すぐさま要の体に手のひらを沿わせ、状態を確かめた。

 

「すまぬ、わらわとしたことが遅れてしもうた……」

「大丈夫。セラが守ってくれたから」

「……しかし、なんじゃあやつ」

 

 ツァンは虫でも見るような目を扉へ送った。

 

 同じく駆け寄ったルーベンは、ゆっくりと娘を見た。

 

 ソフィエは壁際で固まったままだ。怪我はない。

 青ざめてはいるが、立っている。

 

 ルーベンは目を伏せ、深く息を吐いた。

 肺の底から、数年分の呼気を絞り出すような息だった。

 

 それから要とセラへ向き直り、頭を下げる。

 

 商人の礼儀ではなかった。

 もっと深く、もっと素直な――父親の頭の下げ方だった。

 

「ありがとうございます」

 

 やがて顔を上げる。

 一拍置いて、表情が変わった。

 

 父親の顔と商人の顔が混ざり合った、複雑な面持ちだった。

 

「……しかし、まずいことになりました」

 

 その場の全員がルーベンに目を向ける。

 

「あの方は……商業地区の権益に食い込んでおられる方」

 

 ルーベンは言葉を選ぶように話す。

 感情を抑えた声で、まるで自分自身に整理しながら語るように。

 

「逆らうと、仕入れが止まります。同業者が距離を置く。誰も助けてくれない」

 

 淡々としていた。

 怒りではなく事実として述べている。

 それがかえって、この地区の構造の根深さを伝えていた。

 

「それに……例の“晩餐会”も」

 

 そこで一度、言葉が途切れた。

 

「これまでは、デゴール侯が来るたびに……なんとか、かわしてきましたが」

 

 ルーベンは娘を見た。

 

 ソフィエは黙って頷く。

 まだ身を縮め怯えてはいたが、その表情に驚きはなかった。

 

「今日、カナメ様が止めてくださりましたが」

 

 ルーベンは要へと視線を戻した。

 

「それをあの方が、お許しにはなるか……」

「そうか」

 

 要は短く言った。

 

 まだ、扉を見ている。

 デゴールが出ていった扉を。

 

 穏やかな目だった。

 しかし、寒々と冷えている。

 

 ツァンがそっと、要の隣に寄り添った。

 

「ルーベンさんに迷惑をかけてしまいますね」

 

 要は扉から目を離さないまま、静かに言った。

 

「本日の打ち合わせは、一旦なかったことに……」

「――まさか」

 

 ルーベンがかぶせるように言った。

 さっきまでの、抑えた事務的な声ではなかった。

 

「このルーベン、救われた恩義を返さぬ商人ではありません」

 

 要がようやくルーベンを見た。

 少し驚いたように、目が見開いている。

 

 ルーベンは重い声で続ける。

 

「しかし、このことを商業地区が……オズウェル様がどう判断されるかは――」

「……」

 

 言葉が途切れた。

 予想ができないという論調ではない。

 皆まで言わなくとも、という沈黙だった。

 

 セラは後ろで眉を下げていた。

 肩が引き攣るように、わずかに縮んでいる。

 

 目を落して。

 手が、ぎゅっと握られていた。

 

 ……長い沈黙が続く。

 

 その空気を切り裂くように、鋭い声が落ちた。

 

「店主よ」

 

 ツァンだ。

 

 さっきまでの、要に親身に寄り添う柔らかさとはまるで別の目だった。

 細く、鋭く、何かを狙い定めている。

 

「その“晩餐会”とやら」

 

 一拍。

 

「――詳しく教えてくれんか」




もちろんエイシムが弁償します。
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