愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話   作:フォン・デ・ペギラパギラ

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41話:ふぅん

 エイシム外縁。

 

 その建物はまだ、木の香りが抜けきっていなかった。

 

 白っぽい柱。

 ほとんど削られたままの切り口が、生々しく木肌を晒している。

 窓の枠には硝子がなく、代わりに粗い麻布が垂れていた。

 風が吹くたびに、ふわり、と揺れる。

 

 その隙間から、夕方の光が斜めに射し込んでいた。

 床の一角に、鈍い黄金色の矩形を描く。

 

 建物の中――会議室と呼ぶには、まだ少し早い部屋だった。

 

 今日のために急ごしらえで作られた仮設の部屋。

 

 エイシムの内側にできるだけ踏み込ませたくない人間を迎えるための――応接室の原型が、そこにあった。

 

 天井は低くはないが梁がむき出し。

 床は板敷きで、歩くたびに微かに軋む。

 中央に据えられた長机は、木肌の質感がまだ生々しい。

 

 その机を囲むように、要と幹部たちが座っていた。

 

 誰も喋らない。

 誰も動かない。

 

 ただ、待っていた。

 

 ――空気が張り詰めている。

 

 粗末な建物の中に、不釣り合いなほどの密度と静けさがあった。

 外の風の音さえ、この室内には届かない。

 

「来ます」

 

 クーが、静かに告げた。

 

 感情は乗っていない。

 しかし――黄金色の犬耳が、ぴん、とわずかに立っていた。

 

「観測通り、誤差は有りません」

 

 幹部たちの表情が、更に硬くなる。

 

 情報を補足するように、どこか不協和音染みた声が会議室に響いた。

 

「来訪者数、三十九名。武装率八十九・七パーセント。平均戦闘力は、ASIM職員の〇・三倍です」

 

 フェルマが淡々と読み上げた。

 

 小柄な体躯。

 漆黒のロングヘアが、先端から霧状の粒子を溶かしながら床に垂れている。

 黒いロングコートの裾も同様に、まるでそこから影が溶けているように。

 

 感情の起伏を一切持たないような無表情の中に、わずかに首を傾けたポーズだけが、作りものめいた愛らしさを醸している。

 

 薄く光る銀灰色の瞳。

 その輝きが、データノイズの揺らぎのように、細かく明滅する。

 

「排除工程に移行しますか?」

 

 要に向けて、確認する。

 

 フェルマの声に、他意はない。

 抑揚もない。

 ただ最短経路を示す機械のような問いかけが、この粗末な部屋に落ちた。

 

「……まだダメ」

 

 要が静かに告げた。

 

「了解しました。全工程のカウントダウンを保留します」

 

 フェルマが、こてん、と頭を傾けた。

 

 可愛らしく。

 しかしどこか、関節の可動域を一センチ誤った人形のように不自然に。

 

 やがて。

 

 扉がノックされた。

 次の瞬間、重たい木の扉が大きく開かれる。

 

 ――冷えた外気が、室内に流れ込む。

 

 先導役の職員の少女の礼を浴びながら、彼らが入室してくる。

 

 先頭に、四人の護衛。

 全員が武装している。目は剃刀のように鋭く、室内を測るように目線を走らせた。

 

 続いて――デゴール。

 

 肥えた体躯に、汗ばんだ笑顔の中に埋もれる小さな眼球。

 顎の下に脂肪がたゆんでいる。

 金の装飾が余るほど施された上着が、その体にじっとりと張り付いている。

 指には宝石の嵌まった指輪が幾つも重なり、歩くたびにそれが光を弾いた。

 

 目だけが、ぎらりと貪欲な光を宿している。

 自分が絶対的な立場にいると、信じて疑っていない色だった。

 

 その後ろを、見るからに柄の悪い男たちが埋めた。

 一様に目つきが悪く、室内の隅を本能的に確認しながら歩いてくる。

 

 最後方には、騎士団の一隊が続いた。

 

 騎士の先頭に立つのはライナスだった。

 整った、しかしくたびれた顔立ち。

 隙のない騎士装束。

 その表情には――不本意を通り越した、どこか壮絶な諦念が滲んでいる。

 

 要はその入場を、ただ黙って眺めていた。

 背筋を伸ばし表情を消して。

 

 デゴールの視線が、室内をゆっくりと舐め回した。

 

 まるで陳列棚を眺めるように。

 

 一人ずつ。

 丁寧に、丁寧に。

 

 値踏みをし。

 美醜を判断している。

 

 そしてセラのところで――その目が粘りついた。

 

 セラは気づいていない。

 まっすぐ前を見たまま、幹部としての姿勢を保っている。

 その無防備さが、かえってデゴールの目を剥がれなくさせていた。

 

「……いやあ、素晴らしい」

 

 口の端が、歪んだ。

 

 脂肪の乗った頬が持ち上がり、眼は細まる。

 喜悦の表情のはずだが、目を逸らしたくなるほどあまりにも醜悪で見苦しい。

 

「聞きしに勝る。……これが全部、俺のものになる」

 

 その言葉が落ちた。

 汚水が広がるように、じわりと。

 

 その瞬間。

 

 クーの瞳から、一瞬だけ表情が消えた。

 無表情ではなく、言うなれば真空だ。

 温度も、光も、引力も全て消失した空白が、その蒼い瞳に一瞬だけ生じた。

 

 ツァンの指先が、机の縁の上でわずかに白くなった。

 みしり、と力が入っている。

 

 グラの尻尾が、ぴたりと静止した。

 袖の中で褐色の手が静かに握り込まれているのが、かすかな布の張りから分かった。

 

 幹部たちそれぞれの瞳の奥に、隠し切れない殺気が宿る。

 

 ――だが、隠そうとしている。

 その放たれる圧だけは不自然に抑えられていた。

 堤防が、今この瞬間も必死に保たれている。

 

 そのなかで要だけが。

 

 ほんの少しだけ姿勢を傾けて――疲れたように、眉を下げた。

 

「……はあ」

 

 小さく、息をついた。

 

 怒りと。

 消耗と。

 そして、諦め。

 それらが複雑に混ざった顔だった。

 

 最後方で、ライナスが人知れず目を伏せる。

 

(これほどの場で――よく、そんなことが言えるものだ)

 

 恐れとも、呆れとも取れない感想。

 ただ、この場の空気がこれ以上緊迫しないことを、彼は星に祈る気持ちで願っていた。

 

 デゴールが、我が物顔で歩く。

 

 のしのしと。

 重い足音が、板張りの床を踏み鳴らす。

 

 そして――誰にも言われていないのに、上座に当たる椅子を引き、どっかりと腰を落とす。

 その一連の動作に一切の躊躇がない。

 

 椅子がぎしりと悲鳴を上げた。

 

「私は貴様らに、交渉してやろうとここまで来てやった」

 

 言い放った。

 

「わざわざ、足を運んでやったんだ」

 

 恩着せがましく、しかし本人にその自覚はない。

 確信が、その声には滲んでいる。

 

 その隣に、痩身の男が立った。

 

 萎縮したように肩を縮め、視線を足元に落としている。

 頬がこけている。

 唇の端が、かすかに震えていた。

 

 要は一瞬、目を細めた。

 

 ――見覚えがあった。

 

 商業地区との会合。その場にいた商人だ。

 おずおずと愛想笑いを浮かべ、空気を読みながら座っていた男が――今は、死人のように青白い顔でデゴールの隣に立っている。

 

 何があったのかは分からない。

 しかしその顔色が語っていた。

 彼は来たくてここにいるのではない、と。

 

 デゴールは、誰かに入れ知恵された言葉をそのまま読み上げるように、抑揚なく続けた。

 

「この場所は我々の管轄地域に近い。許可なくここにいられると、こちらとしても困る」

 

 一拍。

 

「だが――私は寛大だ」

 

 口の端が、にたりと上がった。

 

「ここの娘たち全員と、この建物全てを俺に預けてくれれば。……ここにいることを、特別に認めてやろう」

 

 悪意の自覚が一切ない口調。

 施しを与えているつもり、ただそれだけの声だった。

 

 ――室内が、静かになった。

 

 静かすぎた。

 ぞっとするほど。

 

 クルルの赫い瞳がデゴールを真っ直ぐに映している。

 その瞳孔が――獣が獲物を前にしたときのように、じわりと開いていた。

 

 ラズの目が見開かれ、赤いウルフヘアの下、額やこめかみに血管が浮き出ている。

 全身の怒りが、毛細血管にまで流れ込んでいるように見えた。

 しかし……すんでのところで辛うじて耐えている。

 

 ノインのフードの奥、その眼光は真緑色に光っている。

 静かに、しかしこの場の誰よりも狂気的な殺意を孕んでいて、それが隠しきれていなかった。

 

 壁際で佇むライナスが、人知れず目を伏せる。

 

(頼む)

 

 ただ、それだけを念じていた。

 

(頼む。頼む……暴れるな。頼む)

 

 この部屋の張力が臨界を超えれば、自分は塵になる。

 その予見がライナスにはあった。

 

 要が緩慢にかぶりを振る。

 

「……それは、ちょっと困りましたね」

 

 どこか感情の抜けた声だった。

 平坦で、抑揚がなかった。

 

「立場の違いが、分かったか?」

 

 デゴールの顔に笑みが広がった。

 勝ち誇るように、胸を反らす。

 

 指輪が埋もれるようについた太い指が、机の端を軽く叩く。

 

「――ただし」

 

 一拍。

 

「それだけでは不公平だ。お前たちにチャンスをやろう」

 

 芝居がかった口調で、続ける。

 鷹揚に手を広げた。

 

「お前らと、我々とで――決闘をしようじゃないか」

 

 要は表情を変えなかった。

 

「こちらはこの護衛らと、俺も出る。……そっちはあの娘と、お前の二人だ」

 

 セラの方へ視線を流す。

 値踏みするような目。

 しかし計算しているのは価値であって、人間としては見ていない。

 

 セラは気づいている。

 視線が貼り付いているのを感じている。

 

 それでも表情を動かさなかった。

 かわりに、膝の上に置いた手だけが、ぎりりと握り込まれていた。

 

「そのくらいなら、文句はあるまい?」

 

 室内が静まり返った。

 

 要は、少しだけ間を置いた。

 それから――静かに、答えた。

 

「……わかりました」

 

 デゴールの顔が、ぱっと明るくなった。

 

「ほう」

 

 本気で、意外そうだった。

 

「ぴーぴーと泣き喚くかと思ったが……なかなか、賢明じゃないか」

 

 満足げに、頷く。

 

 彼の中では――これは交渉だった。

 

 勝者が敗者を踏みにじる場ではなく。

 上の者が施しを与え、下の者が感謝して頭を下げる。

 そういう、当然の図式。

 

 要が苦しい立場に追い込まれたことも。

 セラが指定されたことも。

 護衛四人と自分まで出ると言い放ったことも。

 

 全部――寛大な自分が、チャンスを与えてやっている。

 

 そう、信じて疑っていなかった。

 認知が根本から歪んでいる。

 

「では、話は終わりだ。精々準備しておけ」

 

 ――用件は、終わった。

 

 やっと。

 あとは退場を待つだけ。

 

 デゴールが椅子から立ち上がる。

 

 しかしデゴールは、名残惜しそうに口を開いた。

 

「しかし……これほどとはな」

 

 ゆっくりと室内を眺め回す。

 幹部たちを。

 職員たちを。

 煌びやかな宝石を見るような目で。

 

 その目が、ゆっくりと細まる。

 

「やはり一人、貰っていくか」

 

 ――要の眉が、ひくりと動いた。

 

 ざわり、と。

 

 幹部たちの間で、空気が揺らめいた。

 音はない。

 動きもない。

 しかし室内を満たす密度が、一段、重くなった。

 

 最後方で、ライナスの額に大粒の汗が伝った。

 袖で拭う余裕もない。

 

 デゴールの隣で、痩身の商人が慌てたように身を乗り出した。

 

「し、勝利で手に入れられれば――喜びもひとしおというものです……! 今日のところは、別を手配いたしますので」

 

 必死の笑顔だった。

 愛想笑いで表面を塗り固め、その奥で焦りが滲み出ている。

 

 しかしデゴールは、その様子に気づかない。

 弛んだ頬をゆっくりと歪めた。

 

「ふん……確かにな」

 

 気を取り直したように、鷹揚に頷く。

 

「いいだろう。――行くぞ。あとは調整しておけ」

 

 護衛たちに何事か指示を飛ばしながら、笑いながら立ち上がった。

 笑い声が部屋に反響する。

 

 我が物顔で、扉へ向かう。

 

 先頭にデゴール。

 護衛たちがその後を固め、ガラの悪い男たちが続く。

 

 武器の擦れる音。

 皮靴の底が板を叩く音。

 それらが重なって、波のように部屋の外へ流れていく。

 

 最後にライナスたちが重い足取りで続いた。

 出口の前で、騎士団の面々だけが振り返り、深々と頭を下げる。

 

 扉が、静かに閉まった。

 

 足音が遠ざかり。

 やがて、消えた。

 

 ……。

 

 …………。

 

 しばらく誰も動かなかった。

 誰も、喋らない。

 

 窓の麻布が、外の風を受けてふわりと揺れた。

 夕の光が、床の矩形をわずかに移動させている。

 

 それから――要が、ゆっくりと息を吐く。

 

 衣擦れの音が響く。

 ツァンが、静かに要の横へ歩み寄ってきた。

 

「……思った通りに、動いたのう」

 

 低く、呟くように言った。

 手のひらに収まったものを確かめているように。

 

 要は答えなかった。

 

 デゴールと、あの商人の背中が消えた扉を、静かに眺めていた。

 

「あの商人――デゴールとの繋がりは、早々に掴んでおった」

 

 ツァンが、続けた。

 

「取引先と、……それに家族も」

 

 にたり、とツァンの口角が上がった。

 橙色の宝石のような瞳が細まる。

 複雑な艶を帯びた表情。

 

「それらを失うことを恐れておりましたゆえ……少し脅しをかけ、今日の場を整えるよう唆した次第じゃ」

 

 優雅な口調だった。

 声に険はないが、どこかひやりとしていた。

 

 要は、ゆっくりとツァンに視線を向けた。

 

 ゾッとした目だった。

 透明な、底が見えない深さを持った目。

 

「――それで」

 

 静かな声。

 

「あの商人は、協力したから……許すと?」

 

 一拍の沈黙。

 

 ツァンは目礼した。

 優雅に。わずかに、微笑みながら。

 

「……価値ある内は、使いましょうぞ」

 

 要はその言葉を聞いた。

 すっと目を細める。

 

 何かを考えるように、少しだけ間を置いた。

 

「……ふぅん」

 

 鼻を鳴らすようにそれだけ言って、立ち上がった。

 ツァンを見ず、振り返らない。

 

 ただ歩き出した。

 怒りのある足音でも、逃げるような足音でもない。

 ただ、前を向いて、次へ向かう足音だ。

 

 ツァンは頭をわずかに下げる。

 そのまま、歩いていく要の背中を、静かに見送った。




そろそろ黙ります。
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