愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
円形に切り取られたステージに、要は立っていた。
足元の石畳は黒ずみ、いくつもの染みが層を重ねている。
長い年月に刻まれた傷なのか、あるいは――それ以外のものなのか。
そのステージを取り囲むように、夜会めいた客席が広がっている。
燭台の炎がテーブルごとに揺れ、艶やかなドレスと高価な礼服が橙色に浮かぶ。
彼らは食事を取りながら、ここを見ている。
硝子の器が触れ合うかすかな音。
低く笑いあう声。
愉しんでいた。
まるで――舞台の幕が上がる前から、もう結末を知っているかのように。
――入場の響きが、その空気を割った。
観客の視線がいっせいに扉へと向く。
デゴールだった。
筋骨隆々の護衛を四人、正確に左右に配して歩いてくる。
歩幅は広く、顎は上がり、視線は会場全体を舐めるように動く。
客席に向けて鷹揚に手を仰ぎ、拍手を享受している。
その恰好は、自身の体躯に合わせて誂えられた甲冑姿。
胴回りを大きく取られたそれは、美しい装飾がこれでもかと散りばめられているが――騎士と呼ぶには歪な輪郭をしていた。
腹の突き出た甲冑に収まり、上機嫌に観客へ応えるその姿は、はっきり言って滑稽だった。
だが客たちは嗤わない。
その滑稽ささえも、静かに、品よく愉しんでいるようだった。
拍手が、波のように広がる。
要はそれを黙って見ている。
隣に並ぶ気配。
ふわりと、羽が舞う。
「……セラ」
小さな声だった。
縋るでもなく、怒るでもなく、ただ平坦に告げる。
「頼んだ」
次の瞬間、セラが前へ出た。
スキップでもするかのように、軽やかに。
クリームベージュ色の髪が弾むように揺れる。
会場がざわめいた。
おお、という驚きや、くつくつと漏れる笑い声。
男が前に出ると思っていた。
それを女が代わりに、しかも弾むような足取りで、とは。
その空気が雄弁に語る。
――よほど死に急いでいるらしい、と。
セラが振り返る。
薄桃色の瞳が、要を捉える。
「あなたの言う通り――本気で行くね」
花の咲くような笑顔だった。
――ただし、目だけが笑っていなかった。
どろりと濁った何かが、その奥に沈んでいる。
その瞳の奥に在るものを要は知っている。
可愛らしい少女でも、善き天使の仮面でもない。
セラの、本質の部分。
彼女の表情や仕草には、やっと役に立てるというような自信がありありと宿っていた。
首輪と鎖で繋がれ、更に鉄柵の中にぎゅうぎゅうに押し込められていた猛獣が、一気に全てから解き放たれたかのような、今にも踊り出しそうな解放感が透けて見える。
そう、今回は。
作業でも。
精緻な手仕事でも。
議論や舌戦でもない。
セラの、最も得意とする部分。
「始めろ」
デゴールが鷹揚に命じた。
勝利を疑う理由が、この男にはない。
不自然に布で顔を覆った護衛たちが、じりじりとセラを取り囲む動きを取る。
セラが仁王立ちのまま、微動だにしない。
怯えでも、構えでもない。
ただ立っている。
護衛たちは知っていた。この少女の腕力を。
先の店での一幕を覚えている。
慎重に、間合いを測りながら、四方から距離を詰める。
セラはその様子を、どこか楽しそうに眺めていた。
――その時。
護衛の一人が懐へ手を差し込んだ。
取り出したのは、小さな革袋。
迷いなく口を開き、中身をぶちまける。
白い粉が、空気に溶けるように広がった。
観客席がざわめく。
期待のこもった乾いた笑い声。
知っている者には、あれが何かわかるのだろう。
白煙がセラを包む。
……。
…………。
たっぷり十秒後。白煙が解け、姿が現れる。
セラが、軽く咳払いをした。手をぱたぱたと煽いでいる。
それだけだった。
何も、起きない。
「……もー」
セラは眉をひそめた。
清楚な顔のまま、眉を顰め、心底不思議そうに。
「なに? 煙たい……」
静寂が、場を満たした。
護衛たちが、互いの顔を見合わせる。
白い粉はまだ漂っている。
効いていない。
なぜ。
セラは首をこてんと傾けた。
「なんなの、これ」
きょとん、と。
何も知らない子供が不思議な虫でも見つけたような顔で。
デゴールが甲冑の下で、顔を歪めた。
「なんだ……? 構わん、やれ」
たちどころに体の自由を奪う“痺れ薬”。
それが効かなかったということに、デゴールはさして気を払わなかった。
重要なことだと言うのに。
セラがにこり、と笑う。
ぱあ、と太陽が射すような笑みだった。
さっきと何も変わらない。
ただ――瞳は、空洞がぽっかりと空いているようだった。
「うん、始めよっか!」
次の瞬間。
背の羽が光った。
一対ではない。
二対でもない。
三対六枚の白い翼が、ばさりと音を立てて展開する。
闘技場に光が奔った。
白く、鋭く、眩暈がするほど純粋な輝き。
観客が思わず腕で目を庇う。
呼吸を忘れた者もいた。
セラはまた笑った。
にこっ、とあどけなく。
そして、いきなり。
――セラの姿が轟音と共に掻き消えた。
一瞬だった。
ほんの僅かな、瞬きよりも短い間。
空間が裂け、空気が歪んで弾けるような甲高い破裂音。
それに、石畳が蹴り砕かれた破砕音が混じった。
石畳の破片が飛び散り、宙を舞っているその僅かな間には既に――セラは護衛の一人の、鼻先にいた。
瞬きをしていた者は見逃しただろう。いや、見ていた者すら自らの目を疑う。
セラの白い衣装が、羽が――残像を残す。
まるで光の筋のように、空間に一直線の軌跡を描く。
もう。
そこにいる。
ほとんど触れるほどの距離で――小さな拳が引かれている。
ぺったりと可憐な微笑みをその顔に貼り付けて。
「……ッ!」
護衛の顔が、驚愕で凍りついた。
逃げようとした。
仰け反ろうとした。
だが全ては反射で、考える余地などどこにもなかった。あろうはずもない。
ほぼ知覚も叶わず。
一瞬の驚きという感情を最期に、彼の意識は永遠の闇に沈む。
――ぱぁん。
小気味のいい音が、場に響いた。
それから少し遅れて、護衛の体が――バラバラに解けた。
腕が。
足が。
首が。
引き裂かれるように。弾けるように。
血風と共に宙を舞う。
濁った赤が、光の残滓の中にとろりと広がる。くるくるくる、とそれぞれの破片がそれぞれの回転で空中に弧を描く。
観客は唖然と、その軌跡を目で辿った。
やがて重力に負けて。
肉片と血が、ステージに降り注いだ。思わず精神が拒絶するような、湿った落下音が断続的に響く。
ぼたぼた。
ぼたぼたぼた。
……。
誰も動かなかった。
デゴールも。
残る護衛たちも。
客席も。
ただ降り注ぐものを眺めながら、浴びながら、立ち尽くしていた。
そして。
血と肉の雨。
その中心で。
セラは、どこか優雅に、色めき立つように佇んでいた。
頬を、赤が濡らしている。
クリームベージュの美しい髪に赤が散っている。
白い衣装に赤が滲んでいる。
それでも。
その顔には、さっきと同じ満開の桜のような、蕩ける微笑みを湛えていた。
可愛らしい、あどけない少女だ。
――なのに。
「やっぱり」
赤い雨はゆっくりと降り止んでいく。水滴状の血雫が、徐々に霧雨じみた血煙に変わる。
それを、名残惜しむかのように全身で浴びる。余さず、翼の先までぴんと伸ばして。
頬の血を、指先で拭う。
それを口に運び、舌先で舐め取った。
ぺろり、と。
「戦いと血の匂いは、格別ね」
うっとりと、目を細める。
天井を仰ぐように。
光を湛える六枚の美麗な羽根が、じわりと、まるでそれぞれが意思を持っているかのように広がる。
はあぁ、と温かな吐息を洩らした。白い蒸気を幻視するほど、しっとりと、ゆっくりと。
「――ああ……、はらわたが、沸き立つわ……」
呟きは柔らかかった。
恋人の名前でも呼ぶような、甘い声色。
――だが。
その言葉と共に、彼女から異常なほどの威圧感が噴き出す。
重い。
熱い。
蒸気のように揺らめく圧力。
戦争と聖光を司る、古代天使の本性。
それが。
本来視認できないはずのオーラじみた貫禄が、少女の輪郭から目視できるほど滲み出ていた。
「――貴方たちも、そう思うでしょ?」
セラはゆっくりと、視線を傾ける。
デゴールたちをその瞳に捉える。
皮膚をじりじりと焼くような濃厚な威圧が、場に満ちて彼らを包み込む。
「うふ、うふふ……」
美しい笑み。
しかし、眼光だけが薄明かりの中で奇妙なほど輝いている。まるで獣が、獲物に飛び掛かる直前のように。
デゴールの顔が歪んだ。
唇が、震える。
「や……やれぇ! 早く始末しろ!!」
会場に震えた声がこだました。
「う、うあぁぁぁッ!!」
護衛の一人が叫んだ。
半ば自棄のように、剣を振りかぶる。
振り下ろす。
セラは――避けなかった。
微笑んだまま、ただ、そこに立っていた。
刃が確かに肩口に当たった。
金属が、ごいん、と岩壁でも打ったような鈍い手応えを返す。
護衛の腕が、痺れた。
疑問が頭に満ちる。
「な――」
その男の声が、形を成す前に。
セラの足が、男の胸を薙いだ。
ぱしん、と。
空気が歪み、一瞬真空を生み、音速を超えた軽い音がこだました。
回し蹴り。
それだけ。
しかし、それをそうと知覚できた者は少ない。
護衛の体は、まるで刃で断たれたように二分された。
上半身と下半身が別々の方向へ、それぞれ別回転で錐揉みしながら飛ぶ。
やがてステージに、ばたばたと落ちた。
胴が、下半身が。
ついでに千切れた腕が。
ごろごろと転がり……臓物を晒しながら、止まった。
会場から、誰かの悲鳴が漏れた。
更にもう一人の護衛が、あたふたとたじろぎ、後ずさる。
剣を構えようとするその手が震えている。
そんな準備の間すら与えられなかった。
セラと目が合った。
その瞬間。
――白光の筋が、奔った。
瞬き一つの間に、セラが通り抜けている。
一瞬遅れて。
護衛の体が――霧散した。
どぱん、と水風船が弾けるような音が響く。
血風が四方に撒き散る。
ステージに。
客席の最前列に。
デゴールの甲冑に。
デゴールは動けなかった。
頬を伝う赤いものを、拭うことも忘れて。
「あ、あああああぁ――――ッ!!」
残る一人が叫んだ。
言葉ではない。
声にならない、恐怖に歪み、裏返った音が会場中に反響して響き渡った。
走った。
転んだ。
転がり、なお這った。
爪が石畳を引っ掻く。
膝が床を打つ。
息が、嗚咽と混ざる。
無様に這いまわる。
床を激しく打つ膝の痛みなど気にならない。早く
足音が、近づいてくる。
軽やかな、足音が。
逃げなければ。
わかっている。
だが足が、思うように動かない。
男が、ゆっくりと振り返る。
――セラがいた。
スキップでもするように弾む足取りで、ゆっくりと近づいてくる。
血を浴びた白い衣装。
頬に散った赤い斑。
六枚の翼が、ばさりと翻るたびに、白い羽根に点々と血痕が踊る。
「ひ……っ!」
男はセラを向いたまま、後ずさる。
――男に影が掛かる。
セラが傍らに辿り着いてしまったから。
見下ろしてくるその微笑みに、影が差している。
血を浴びたその表情は、一枚の狂った絵画のように美しい。
正気を、保てないほど。
セラは、ゆっくりと足刀を持ち上げた。
「ああああああああッ! やめ、やめッ!! や――」
男が最後に上げた叫びは、足刀が首を打った音に搔き消された。
ずぅん。
重い音。
衝撃に会場が揺れる。遠い客席の食器までカタカタと音を鳴らす。
ころり、と血に塗れた男の頭が転がり――顔を上にして止まる。
最後に浮かべていた苦悶の表情を晒した。
静寂が落ちる。
「あは」
ステージの真ん中に、セラだけが立っている。
石畳に突き刺さった足を抜きながら。
返り血に塗れた天使が、微笑を湛え、悠然と佇んでいる。
――静まり返る。
僅か二分にも満たない惨劇だった。
それだけのことが起きたのに、会場には声一つなかった。
息を吸う音すら憚られた。
「な、なんだ……これは」
ただ一人。
デゴールだけが、震えながらその場にへたり込んでいた。
セラが――ゆっくりと振り向いた。
にっこりと、笑っている。
気に入っていた女だった。
しかし今、血の飛沫を頬に散らしたその笑みを見た瞬間――デゴールの腹の底から、冷たい恐怖が這い上がった。
セラが、悠々と歩み寄ってくる。
「く、来るなぁ……! 私の装備はエンチャントを施した最強のもの――壊れることはない……ッ!」
みっともなかった。
唾が飛んだ。
声が裏返った。
それでも必死にデゴールは叫んだ。
へたり込んだまま、後ずさりながら。
血走った目で。
「そうなんだ」
セラは、無垢な笑みで首を傾けた。
「じゃあ、試そっか」
前触れなく。
――また光の筋が奔った。
気づいた時にはもう、セラの手刀がデゴールの胸甲に刺さっていた。
エンチャントを施されたという装備が、張った障子のように容易く貫かれている。
デゴールの口から、ごぼり、と赤いものが溢れた。
喉が塞がれたように、声が出ない。
口だけがぱくぱくと動く。
セラはもう一方の手も躊躇いなく刺し込んだ。
そして――紙袋でも破くように、鎧の胸部をこじ開けていく。
きりきりきり……、と軋みながらいとも容易く裂かれる金属。
同時に、ばきばきとデゴールの胸骨が折れ開かれる音。
まるで情事の前の恋人が丁寧に服を脱がすように、色めく仕草で、装備を強引に裂き切る。
デゴールの胸には大穴が開いていた。
あばらが四方に無残に散り、血肉に満ちている。
デゴールを覗き込む。
清楚な笑顔が、彼のすぐそこにある。
「大丈夫」
優しい声だった。
本当に、心から案じているような声だった。
「治してあげるから」
光が当たる。
肉が戻る。
胸の穴が、塞がる。
「ああっ!? ……ああぁああああぁぁッ!!?」
デゴールは悲鳴を上げた。
何が起きているのか分からなかった。
痛みなのか、恐怖なのか、それすら判別できない。
気づけばセラが馬乗りになっていた。
「心が折れるまで、“えい”ってするね」
邪気のない声。
花の咲く笑顔。
ただし、瞳に色はなかった。
「大丈夫、わたし――これだけは、すっごく得意なんだ♪」
血に濡れた拳を振り上げた。
「や、やめ……」
躊躇は無かった。
脅しや演出のような“溜め”も無かった。
ただただ無造作に――次々と拳が振り抜かれた。
胸が潰れた。
光が当たり、再生した。
顔の半分が消えた。
再生した。
肺が貫かれた。
再生した。
拳が床まで貫通し、嘘のような轟音が何度も何度も響き渡る。
喋る暇も、考える暇もなかった。
ただ潰されて、戻されて、また潰された。
何度も何度も。
デゴールはもう叫んですらいなかった。
叫ぶという行為すら忘れて、ただ限界まで目と口を開いて、恐怖と絶望にただ曝されている。
「アハハハハハハ!」
笑い声が、闘技場に響き渡る。
「争いが、血が! ――わたしを埋める!」
その声は、甘く、恍惚としていた。
観客席が静まり返っている。
――いや、数人だけ。
分からないまま、現実逃避のように喉だけで笑っている。
まだ見世物の延長と信じたいように。
その数人を除いて。
貴族も。
裏社会の顔役も。
誰一人、立てなかった。
蒼白な顔が、ステージに向いている。
向けずにはいられなかった。
要は、そんな観客席を一度だけ見渡した。
ゆっくりと。
品定めでもなく、威圧でもなく。
ただ静かに。
その時。
黒い霧の断片が、ふわりと漂ってくる。
要の耳元を優しくさらりと撫でた。
「うん、わかった」
要は呟いた。
「……じゃあ、始めて」