愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
「ご主人さま、お疲れさまでした」
そう言って、クーが要の傍らにすり、と寄り添ってきた。
金の犬耳がぴこぴこと小刻みに震え、ふさふさと尻尾が感情を映すように左右に揺れる。
へにゃりとした笑み。
しかしその眉はわずかに下がっていて、要の心労をきちんと察しているのが分かる。
それを合図にしたかのように、周囲から少女たちがぞろぞろと集まってくる。
「あ……その、つがいよ……」
声をかけてきたのは、褐色肌の小さな少女だった。
派手なスカジャンの袖は彼女の手指をすっかり隠すほどぶかぶかで、その端をもじもじと握りしめている。
大きな瞳はうるうると潤み、光を溜めた水面のように今にも零れそうだ。
(可愛……)
疲労の溜まった要の脳が、思わずそう思ってしまった。
「すまぬ!」
次の瞬間、がばっと勢いよく頭が下がった。
あまりの勢いに空気が一瞬押し出される。
風圧で、紫のメッシュがかった銀髪がぶわりと舞い上がる。
長いツインテールが鞭のようにしなった。
「出過ぎた真似をしてもうた! 本当にすまぬ!」
深々と、お辞儀する。
言葉と一緒に感情まで床に叩きつけるような謝罪。
「このグラオルディア――覇を握る者が余ではなく、其方であると……まだ、芯から理解できておらなんだ! 許してくれ!」
そう言って、完全に頭頂部を要へと向ける。
クルルも、クーも、思わず目を見開いた。
まさか――この存在が、ここまであっさりと頭を下げるとは、誰も想像していなかったのだ。
要は、そのあまりに清々しい謝罪に一瞬ぽかんとしていたが、はっと我に返ると慌てて歩み寄った。
そっと、その小さな肩に手を置く。
「顔を上げてよ、グラ。俺こそ……人前で叱って、ごめん」
「つがい……?」
恐る恐る、グラが顔を上げる。
声は震え、不安がそのまま形になったようだ。
大きな瞳には、これでもかというほど涙が溜まっている。
今にも零れ落ちそうで、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
――まるで、何百カラットもある琥珀色の宝石だ。
そんな場違いな感想が、要の頭に浮かんだ。
「面目を潰すようなことをしてごめんね。でも……俺の気持ちがちゃんと伝わってよかった」
そう言って、要は穏やかに笑う。
「次から気をつけてくれれば、それでいいから。ね?」
理解を示さない子じゃなくて、本当によかった。
胸の奥に、ほっとした安堵が広がる。
「つ、つがいぃ……!」
次の瞬間だった。
ぽろぽろ、と大粒の涙をこぼしながら――グラが勢いよく飛び込んでくる。
「ぐふっ……!」
ぼすっ、と背の高さの関係で、ちょうどみぞおちに額が直撃。
ごんっ、と巨大な黒巻角が胸板をしたたかに打ちつけた。
――そのまま、ぎゅうううっと、強い力で抱きしめられる。
きっと、グラなりに力は抑えているのだろう。
それでも、要の肋骨がみしみしと抗議の音を立てるほどの怪力だった。
「つ、ちゅがいぃ……!! ひぐっ……! 余、嫌われたのかと思ったぞぉ……!!」
「うぐ……だ、大丈夫……だから……!」
声量がとにかくすごい。
密着しているから、腹の奥まで、びりびりと振動が伝わってくる。
要は平気なふりをしながら、巨大な角を避けて、その銀色の頭頂部をあやすように撫でた。
指先でほどけるような、さらさらの銀髪。
ふわりと、甘くて温度のある香りが鼻をくすぐる。
グラはぴくりと身を震わせると、ばしん、ばしん、と尾骨あたりから伸びる太い龍尾がせわしなく床を叩いた。――そのたび、遠くに積まれた木材がかたかたと揺れる。
「んふぅぅ~……♡」
満足げな吐息。
グラの顔面が密着している腹部が、呼気でじんわりと温かくなる。
(……痛い……けど……くそ可愛い……!)
要は、内心でそんなことを思いながら、どこか満足げだった。
――なお残念なことに。
叱られた理由が“失礼を働いたから”ではなく、“主人より前に出てしまったから”だと勘違いしていることに、当人も要も、誰一人として気づいていなかった。
仕方がない。
グラにとっては、この組織――エイシム以外の存在など、毛ほどの価値もないのだから。
……更に、おずおずと、黒い犬耳をへたりと枝垂れさせながら、クルルもまた要の肩口へと歩み寄ってきた。
いつもは凛と立っているその姿勢が、今は少しだけ丸まっている。
「主……」
声は低く、けれど微かに揺れている。
「私からも……謝罪を」
黒い騎士風のドレスの胸元で、真っ白な手がきゅっと握りしめられる。
指先に力が入っているのか関節がわずかに白くなっている。
赫い瞳は反省の色で満ち、視線を逸らすこともなく、まっすぐに要へと預けられていた。
その姿に、要の胸がきゅっと締め付けられる。
何度叱られても、それでも離れずに近寄ってくる飼い犬の記憶が、否応なく重なった。
「うん……分かってくれたなら、それで大丈夫だよ」
できるだけ穏やかな声で、そう言う。
「俺もさ、ちょっと偉そうなこと言っちゃって……ごめんな」
「な……!」
クルルが、思わず一歩前に出た。
「謝罪など……そのような……! 主が悪いはずがありません!」
必死に否定する声。
近づいた拍子に、真っ白なかんばせがぐっと距離を詰める。
大きな赫い瞳が、間近で揺れる。
まるで磨き上げられたガーネットのように、硬く、深く。信念と忠誠を映してきらめいていた。
長いまつ毛は、その赫い瞳に影を落とすほど濃く、長い。
――近い。
グラのせいで距離感が壊れたのか、それとも元々こういう性質なのか。
クルルの鼻先が、ほとんど要の肩口に触れそうな位置まで来ている。
吐息がかかっているような錯覚。いや、錯覚ではないのかもしれない。
温度を持った存在が、すぐそこにあるという事実。
頭が、ほんの少しだけ、くらりと揺れる。
――オホン。
わざとらしい咳払いが、場の空気を切り裂いた。
クーだった。
金の犬耳をぴんと鋭く立て、クルルとグラへ吹雪のように冷たい視線を突き刺す。
いつもの柔らかな雰囲気はどこへやら、その眼差しは感情を排した“仕事”の顔だった。
「お二人とも、そろそろ離れてください――ご主人さまの負担になりますよ」
その声音は穏やかだが、有無を言わせぬ芯がある。
クルルは、はっと我に返ったように身を強張らせた。
一歩、二歩と軽やかに距離を取り、すぐに平静な表情を取り戻す。
そして、何事もなかったかのように、きちんと一礼した。
一方で。
グラは、なおも要の腹部にへばりついたまま、顔だけを持ち上げた。
潤んだ瞳で、上目遣いに要を見つめる。
「つがいよ……もう少し、こうしておりたい」
頬はほんのりと紅潮し、少し掠れた声色は無防備であまりにも正直だった。
甘えきった仕草がかえって始末に悪い。
グラは要の服越しに腹に唇を寄せて、むずむずと、はむはむと、駄々をこねるように服を軽く噛む。
くすぐったくて、落ち着かない。
要は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくと開閉させた。
何か言わなければ、と思ったその瞬間――。
――ミシィ!
横合いから、細く、たおやかな手が伸びた。
そしてためらいもなく、グラの肩をがっしりと掴む。
天使の少女だ。
「グラちゃん……もういいでしょ?」
声音は静か。
ぽつん、と波ひとつ立たない湖面に、水滴を一つ落としたかのような声。
感情の起伏がまるで存在しない。
その眼は空洞のように澄んでいて、何も映していないようで。
背筋をぞくりと冷やすほどの圧がある。
掴まれたグラの肩から、メキメキメキ! と冗談では済まない音が本当に響いてくる。
「ぐぅおおお! あだだだだだ! セラ、加減せんかぁ!!」
たまらず、という言葉がぴったりだった。
グラは要から力づくで引き剥がされる。
まるで、しがみついていた枝から無理やり引き離されたカブトムシのように、わたわたと手を振り、セラの手から逃れようとしている。
「いいから……さっさと、彼から離れて?」
空洞のようなまなざしのまま、セラはグラに、暗く静かな微笑を向けた。
それは怒りや脅しを通り越して、ただの“事実”を告げる顔だった。
ようやくその握力から解放されたグラは、肩を押さえながら、たまらんとばかりに叫ぶ。
「もう離れとるだろ!! ……ったく、なんという馬鹿力よ。余、古層の龍ぞ……?」
容易く防御を貫通しとる……、とぶつぶつとぼやきながら、セラを軽く睨む。
ヒリヒリと痛むのか、肩を何度もさすり続けていた。
またもや場が騒めき始める、その微かな前兆を嗅ぎ取ったのだろう。
空気が膨らみ切る、その寸前で――クーが声を張り上げた。
「――さて、ご主人さまっ! 色々と、問題が増えてしまいましたね」
場を切り上げるような、しかしどこか明るい声音。
グラやセラの件などさっぱりと無視している。
急に話を振られた要は、目をぱちくりと瞬かせた。
一拍遅れて、現実に引き戻される。
「ああ、そうだね……困ったな」
そう言いながら、無意識に頬を掻く。
その仕草には、責任の重さを測りかねている戸惑いが滲んでいた。
すると、クーが自然に距離を詰めてくる。
「クー、ご主人さまに“他に何が問題か”と問われまして。ずっと、考えておりました!」
へにゃっとした力の抜けた笑みが向けられる。
騎士の来訪ですっかり後回しになっていたが、思い出す。
そうだ――問題は、何一つ解決していない。
現実が脳裏に去来して、どっと肩が重くなる。
「当面、最大の問題は――仰られた通り食糧だと考えます」
クーの声音が、少しだけ引き締まる。
「このままでは水の確保も不十分です。食物を必要とするユニットについては……数週間が限度でしょう」
一拍。
「次に、寝具の不足、インフラの喪失、医療設備の欠如が該当します」
淡々と、だが正確に言葉を積み上げる。
「ただし職員の平均強度レベルを考慮すれば、致命的な問題が生じるまでには、数ヶ月の猶予があると推測されます」
そして最後に、締めくくるように。
「加えて、消耗品の供給が断たれている点です。装備の損耗、銃器使用者の弾薬消費などが考えられますが――」
ほんのわずか、首を傾げる。
「現段階では、優先度は低いのではないでしょうか」
言葉が積み木のように、崩れない順序で積み上げられた。
どっ、と情報が頭の中に流れ込む。
まるで、現実そのものに殴られた感覚に近い。
(……優秀だ)
要は、素直にそう思った。
状況を正確に切り分け、感情を挟まず、優先順位を示す。
クーは、眉を少し下げたまま、柔らかな笑みを湛えている。
誇らしげ、というより――『これで合っていますか?』と、そっと差し出すような表情だ。
まるで、答えを書き終えたノートを教師に差し出す生徒のように。
ぴこっ、と犬耳が小さく揺れた。
「なるほど……よく考えたね」
要は手放しで、率直に褒める。
上から評価している風ではなく、感嘆の吐息を込めた賞賛だ。
その瞬間、クーの顔がぱぁっと明るく弾けた。
花が咲くような笑顔。八重歯がきらりと光る。
「ありがとうございますっ!」
一方で、クルルや他の少女たちの表情が、ほんの少しだけ翳った。
悔しさと、置いていかれたような気配が混じった色だ。
そんな微妙な変化を見せる幹部たちの表情に気づくこともなく、要はクーを称える気持ちを抱きながら、同時に胸の奥で小さく弱音を吐いていた。
(……正直、俺なんかより、よっぽどできるじゃないか)
もう全部任せてしまいたい。
そんな甘えにも似た思考が、ふと頭をよぎる。
――いや、待てよ。
次の瞬間、ひらりと思考が逆転した。
逆方向から光が差し込むような感覚。
(……任せれば、いいんじゃないか?)
それは悪巧みでも、ごまかしでもない。
徹底的に合理的な結論だった。
ゲームの中では、すべてを自分が管理できた。
なぜなら、数値は一瞬で可視化され、全員に同時に指示が出せ、時間を止め、何度でも考え直すことができた。
そして何より――セーブができた。
だが、今は違う。
そんな芸当が現実でできるなら、それはもはや人ではなく、神だ。
当然ながら、要は神ではない。
だが、幸いなことに。
神ではない人間たちが、それでも組織を回す方法を、要は社会経験として知っていた。
混乱は起きるだろう。
思い通りにならないことも増える。
それでも、立ち止まっている暇はない。
既に存在するフレームワークに、全力で乗っかる――これが活路だ。
権限を分け与え、指示系統を一本化し、例外を定義する。
幸いこのエイシムは、要の趣味の産物により大枠の骨組みだけはすでに整っている。
そして何より――。
(この子たちは、きっと俺より、何倍も優秀なはずだ)
そう思った瞬間、胸の奥に奇妙な軽さが生まれた。
そのときだった。
まるで競うように、あるいは置いていかれることを恐れるように、クルルが一歩前へと踏み出した。
恭しく胸に手を当てながらも、思いついた言葉を逃すまいとするようにやや早口で語り出す。
黒い尻尾が、ばさりと大きく揺れた。
「主。クーの指摘も重要ですが、情報の取得も最重要事項として位置づけるべきだと考えます」
赫い瞳が、真っ直ぐに要を射抜く。
「この世界における強者や権力者の基準、政治情勢、通貨体系……それらを把握せずに行動するのは、あまりにも危険です」
一息入れ、続ける。
「それに、騎士らが提案した権利者との会話――つまり二週間後までに、我々が切れる手札も用意すべきです」
その焦りの見える真摯さに、察しの悪い要でも理解した。
(……ああ、競ってるんだ)
クーと。
そして何より、自分の役割を掴もうと。
その健気さがどうしようもなく愛おしくなり、要は思わず手を伸ばしてしまった。
艶のある黒くもさもさとした犬耳を、つい鷲掴みにするように撫でる。
「ふぇ!? あ、主!」
「あ、ごめ!」
びくり、と大きく震えたクルルの様子に我に返って、反射的に手を放す。
(……やべ、今の完全にセクハラだ)
内心で即座に自己批判が走る。
「い、いえ……全然、私は構いません……どうぞ……その、よしなに」
真っ白な頬が、みるみるうちに朱に染まる。
上目遣いでじっと見つめてくる視線は恥じらいと期待が入り混じっていた。
尻尾が千切れんばかりの勢いで左右に揺れている。
眉を吊り上げて睨んでいるようにも見えるが、それはきっと感情が渋滞しているだけだ。
――そして、周囲では。
「は?」
「ボクも、あるじに……」
「ずるい……」
そんなざわめきが小さな波紋となって広がり始めている。
そんな周囲の変化に気づかないまま、要はクルルの意見を受けて、胸の奥で静かに確かな手ごたえを感じていた。
(……俺だけじゃ、無理だ)
それは諦めではなく、ただ現実を正面から見据えた末の、冷静な結論。
要はゆっくりと周囲に視線を巡らせる。
一人ひとりの少女たち。
それぞれが違う表情で、違う温度の忠誠を向けている。
(でも……この子たちの真価が、きちんと発揮されれば)
胸の奥で確信が芽吹く。
(……必ず、前に進める)
だからこそ。
少しだけ声を震わせながらも、要は静かに告げた。
「少し……聞いてほしい」
たったそれだけの言葉だった。
だが、その一言で、場のざわめきは潮が引くように収まった。
全員の視線が、一点に集まる。
要の喉が、わずかに鳴る。
リスクはある。
この言葉が最悪の場合――“排除”されるという結末を迎えてしまう可能性すらあることも、理解している。
だがそれでも何より、要は誠実さを選びたかった。
できないことを、できないと伝える。
それは彼にとっての誠意であり――逃げないという、責任だった。
「俺は……もう、みんなを導くことはできないんだ」
可愛い回。やっぱり天使はゴリラにしてしまいました。
どこかで見た趣向ですが、やっぱりこれが一番かわいいと思います。