愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話   作:フォン・デ・ペギラパギラ

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8話:あれ、なんかピリついてない?

 ――ぱん。

 

 乾いた音が、空気を切り裂いた。

 

 クーだった。

 小さな手で打たれたはずのその一拍は、妙に重く、冷たい。

 まるで氷の板を叩き割ったかのように、場の温度を一気に奪った。

 

 金の犬耳が、ぴんと張り詰める。

 蒼い瞳には、先ほどまでの柔らかさは微塵も残っていない。

 

「みなさん」

 

 低く、静かな声。

 だがその奥には切れ味の鋭い刃が仕込まれている。

 

「私は最初に、確かに申し上げました――“総帥閣下に、失礼のないように”と」

 

 視線が、ゆっくりと円座をなぞる。

 一人ひとりを氷点下で測るような眼差し。

 

「どうやら……自戒が必要な方が、いらっしゃるようですね」

 

 吹雪が吹き荒れるような声色だった。

 感情を排した分だけ、純度の高い冷たさがある。

 

 要は、自分に向けられていないのに思わず背筋を伸ばした。

 あまりに自分に接するときとの温度差が激しく、内心で『そんな顔もできたのか』と驚く。

 

「それに、エイシムの人材配置については、当然ながら――総帥閣下に最終決裁権があります」

 

 断定。

 議論の余地は、最初から存在しない。と淡々と論じる。

 

「ご主人さまの決定に異論がある、ということでよろしいですか?」

 

 そう言って、周囲を睥睨した。

 

 空気が、ぎしりと音を立てる。

 幹部たちは視線を逸らし、肩をすくめ、あるいは咳払いをして、矛を収める。

 

 ――そこまで言ってない。

 

 そんな無言の弁明が、場を満たしていった。

 

 一方で。

 

 当の本人であるベルはといえば、まるで別世界の住人のように、ふらふらと身体を揺らし、再び船を漕ぎ始めている。

 緊張も、怒気も、すべて届いていないようだ。

 

 その存在を呆れるでもなく、完全に“無視”するかのようにクーは振舞う。

 ふっと表情を緩め、いつもの人懐っこい声音に戻った。

 

 まるで、先ほどの冷気など幻だったかのようだ。

 

「さて」

 

 柔らかな声で、要へと向き直る。

 

「まとめますと……やはり、食料や寝所といった“生活”水準の向上。それから、地形や情勢など、“情報”の把握が最優先でしょうか?」

 

 呆気に取られながらクーの立ち回りを見ていると――突然、お鉢が回ってきた。

 

 要は一瞬、肩を強張らせる。

 だがすぐに腕を組み、視線を落として考え込んだ。

 

「うーん……」

 

 短い沈黙。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「そうだな。……その通りだと思う」

 

 一拍。

 

「やっぱり、一番はさ。みんなに、安心して生活してほしいよね」

 

 その言葉が、波紋のように広がった。

 

 幹部たちの表情が、同時に揺れる。

 副幹部たちも、思わず息を呑んだ。

 

 じん、と。胸の奥に染み渡ったように感動を噛み締めている。

 誰かが、静かに息を吸う音がした。

 

 クーは、うんうんと深く頷き、手を合わせる。

 

「……では」

 

 再び、議長の声。

 

「“情報”に関しては、私の直轄である特別近衛保全局が担当いたしましょう」

 

 その言葉は、実質的な案件独占宣言だった。

 

 だが――。

 

「いえ」

 

 ビリビリと、どこか不協和音のような“不自然”な声が割り込む。

 

 黒い髪とコートを大きく床に広げ、黒い霧を立ち上らせる少女――フェルマ。

 その瞳は、感情よりも計算を映している。

 

「その任は、我々“統合基盤維持庁・情報解析課”が統括して実施するのが、最も効率的です」

 

 静かな口調。

 だが、その一言は、はっきりとした“異議”だった。

 

 ――この瞬間、権限と責任が、ゆっくりと形を持ち始めていた。

 

「特に我々は情報保存と演算能力に長けています――あなたよりも」

 

 淡々と。

 それは挑発ではなく、ただの事実を述べただけだという調子だった。

 

 フェルマの表情は一切変わらない。

 無表情。

 装飾も、感情も、悪意もない――おそらく本当に、他意はないのだろう。

 

 だが。

 

 先ほどまで温かく微笑んでいたクーの表情が、じわり、と。

 氷が張るように凍り付いていく。

 

 蒼い瞳が、静かにフェルマを射抜いた。

 それは怒りというより、忠誠を踏みにじられた者の本能的な反応だった。

 

 空気が、ぴん、と張り詰める。

 

 しかしクーは、すぐには言い返さなかった。

 一瞬、湧き上がった感情を噛み殺すように、数秒、深く耐える。

 

 彼女は、利口だった。

 

「……なるほど」

 

 静かな声。

 だが、その静けさは刃を研ぐための静寂だ。

 

「しかし、フェルマ総監の監督される課では、これまで“内部情報”の管理が主だったかと存じますが?」

 

 微笑みは消えている。

 声色は穏やかだが、温度はない。

 

「外部情報を扱うにあたり、その点も含めて――十分なご知見がある、という理解でよろしいでしょうか?」

 

 言葉は丁寧。

 だが、その裏に潜む意味は明確だった。

 

 ――私より優れている理由を、今ここで示せ。

 

 ――さもなければ、刺し殺す。

 

 まるで、喉元に突きつけられた冷たく光る刺突剣のような問い。

 

 一方でフェルマは、そんな緊張をまるで感じ取っていないかのようだった。

 きょとん、と少しわざとらしさを感じるほど首を傾げた。

 

「外部情報は、細かく分類し、特保へ流します」

 

 事務的。

 感情の起伏は皆無。

 

「我々が申し上げているのは、あくまで“現状”において解析課が手空きである、という点を加味した判断です」

 

 一拍。

 

「そのため、この形式が最適であると結論づけました」

 

 その言葉を受けて、クーの中で何かが、すとん、と落ちた。

 

 いや。

 正確には――頭から冷水を浴びせられたような、強制的な冷却だ。

 

「……ええと」

 

 わずかに視線を伏せる。

 

「組織横断的な協力体制を取る、ということですね」

「はい。そのように我々は提案します。最初の受け皿は、我々が担うということです」

 

 淡々とフェルマは言葉を並べた。

 

「……その」

 

 クーが、ほんの少しだけ歯切れ悪く、少し非を感じたように言う。

 

「最初から、そう言っていただけませんか?」

「?」

 

 フェルマは、純粋に不思議そうな顔をした。

 

「言っていた、つもりですが」

 

 ――その瞬間。

 

 くつくつ、と。

 低く、乾いた笑い声が漏れた。

 

 クルルだった。

 暖かみの欠片もない冷笑。

 

 クーが即座にそれに気づき鋭く睨む。だが、何も言わなかった。

 

 その横合いから、今度は鋭い牙のような声が割り込む。

 

「おい、フェルマ」

 

 胡坐をかき、立てた手に顎を乗せた姿の、赤い少女。

 

 パンクな装い。

 三白眼が、ぎらりと光る。

 

「オレら“魔研”にも、魔法関係の情報は逐一流せ」

 

 唸るような声音。

 

「今は研究自体できねえが、どうせ後から全部、精査するだろ」

 

 フェルマは、まったく起伏のない調子で頷いた。

 

「承知しました、ラズ院長」

 

 事務連絡のような返答。

 

「おう」

 

 それだけ言って、ラズと呼ばれた赤い少女は口を閉ざした。

 必要な時だけ爪を見せる獣のようだった。

 

「……ううむ、宝主よ」

 

 低く、湿り気を帯びた声音が、場に落ちた。

 

 そのやり取りを見つめていた、翡翠色の枝分かれした美しい龍角を戴く少女が、思わず、という調子で言葉を零す。

 

 薄い翠色の髪。

 肩口でふわりと柔らかな波を描く。

 前髪は大きくかき分けられて、広い額を惜しげもなく晒している。

 

 身に纏うのは、全裸に前掛けと見紛うほど大胆な意匠のチャイナドレス。

 しかし煽情よりも、古い時代の祭祀装束のような神聖さを帯びる。

 

 露出した白磁のような肌に下卑た印象は無く、彫刻めいた冷たさすら感じさせる。

 

 ゆらり、ゆらり。

 

 同じく翡翠色の、宝石のような鱗を持つ尻尾が揺れる。

 グラの太く荒々しい尾とは違い、それは細く、しなやかで、壊れやすいほど繊細だ。

 

「其方の作った枠組みであるが……」

 

 人差し指をそっと唇に当て、視線を上へと漂わせる。

 

「現状に合わせて……一旦、解体してみるのはどうじゃ?」

 

 思考の途中にこぼれ落ちた提案、という響きだった。

 

 ――だが、その言葉に即座に反応した影がある。

 

 ばさり、と。

 天使の翼が大きく広がり、空気を薙いだ。

 

「ねえ、ツァン」

 

 セラだった。

 眉を吊り上げたその顔には、警戒と苛立ちが混じっている。

 

「それってさ。彼の作った“カタチ”を、批判してるってこと?」

 

 先ほどのクーの叱責がまだ胸の奥に燻っているのだろう。

 強い語気の裏に、どこか拗ねた幼さも滲んでいる。

 

 その言葉を受け、翡翠の角の少女――ツァンは、心底呆れたという様子でゆっくりと嘆息した。

 

「……はあ。おんしは、つくづく短絡的なおなごじゃのう」

「はあ!? それ、わたしがバカだって言いたいの?」

「好きなように、受け取るがよい」

 

 感情を一切上乗せしない返答。

 

「なんですって!?」

 

 ――バァン!

 

 床がびりびりと鳴った。

 セラが前のめりに膝立ちになり、拳を叩きつけたのだ。

 

 床には、拳大の穴がぽっかりと穿たれ――近くに立っていた副幹部の少女が、思わず肩を跳ねさせる。

 

 だがその怒気を、ツァンはそよ風を払うように受け流す。

 

「あくまで、じゃ」

 

 淡々と、言葉を継ぐ。

 

「拠点を失っておらぬ前提で、エイシムの持つ役割ごとに――ちゃあんと、わらわの宝主が“席”を用意してくれておったのじゃ」

 

 そこで、ゆっくりと呼吸を整える。

 

「しかし、今は違うじゃろうて」

 

 するり、と。

 切れ長の瞳が、要へと向けられる。

 

 その視線には、長き年月を生き抜いた古樹のような落ち着きがあった。

 

 細く、繊細で、どこか儚げな印象の強い少女でありながら、同時に、艶やかで、少しだけ淫靡で、抗いがたい存在感がある。

 

 要は不意に胸を打たれ、どくん、と心臓が跳ねた。

 

「今、やるべきことはハッキリしておる――“生活”と、“情報”じゃ」

 

 ツァンは、ゆっくりと場を舐めるように見渡す。

 そして、言い切る。

 

「一旦、この二軸に分けるべきじゃと――わらわから、提案する」

 

 その提案を聞いた瞬間、要は素直に感心していた。

 

 ――なるほど。

 

 自分では思いつかなかった切り口。

 しかも、感情論でも机上の空論でもない。

 現実を見据えた、実務的で、なおかつ柔らかい再編案。

 

 目の前の翡翠の角の少女は、自分よりもはるかに切れ者であるとの確信、そして何より――心強かった。

 

「うん、いいんじゃないかな」

 

 要はそう言って、ツァンを見た。

 

「ぜひ、そうしよう。……また戻せばいいしね」

 

 深く考えた末の言葉ではないが答えた。

 むしろ、軽やかで、肩の力が抜けた判断だった。

 

 確かに、組織構成は戻せる。紙の上で繋ぐ指揮系統の線を描き直せばいい。

 

 ――だが。

 

 一度動かした人と権限が生む“内部力学”は、そう簡単に元の形には戻らない。

 そのことを、要はこの時、まったく理解していなかった。

 

 ツァンは、その返答を聞くなり、ぱあっと花が咲くような笑顔を見せた。

 古樹が春を迎えたかのような、柔らかく、しかし底知れぬ笑み。

 

「うむ!」

 

 嬉しさを隠さず、声を弾ませる。

 ゆらり、と光を返す翡翠の尾が揺れた。

 

「それでは――“情報”は、その道の熟達者であるフェルマに」

 

 一拍。

 

「そして“生活”は、同じくその道に特化した――わらわに、任せてくれぬかの?」

 

 ――ざわっ。

 

 空気が、一斉に揺れた。

 言葉にならないざわめきが、円座を撫でるように走る。

 

 だが当の要はその変化に気づかない。

 むしろ、得心したように、間を置かず即答してしまった。

 

「ああ、ツァンが生活担当か。……たしかに、適任だね! 任せていいかな?」

 

 彼女のステータスや能力を熟知していた故の即答だった。

 

 その一言に、ツァンは少女のような純真さと、老獪な淑女の余裕を同時に宿した笑みを浮かべる。

 

「うむ、わらわの宝主よ、そなたは主。泰然とわらわに『やれ』といえばよいのじゃ。……宝主の期待、必ずや応えてみせよう!」

 

 そう言って、流し目で、ちらりとクーを見やった。

 

 ――こうやるのじゃ。

 

 そんな声なき声が、その視線にははっきりと宿っていた。

 

 一方のクーは。

 

 表情は、冷徹なまでの無表情。

 だが、瞳孔がわずかに開いたまま、凍りついたような蒼い瞳でツァンを見据えている。

 

 怒りではない。

 

 それは、感情を削ぎ落とし、静かに剣を研ぐ者の時間だった。

 

 ――やがて、クーが口を開く。

 

「……なるほど。大変、素晴らしい考えです」

 

 風鈴が鳴るような、澄んでいて、よく通る声。

 

「ですが――」

 

 一拍。

 空気が、ぴんと張る。

 

「ご主人さまの護衛は、絶対的かつ不可欠な機能です。これを外すことは、できません」

 

 その言葉に、ツァンの表情がほんの一瞬だけ歪んだ。『しまった』と、そんな感情が少しだけ表に出てしまったようだった。

 

「それは要人護衛のプロフェッショナルである、私と、その部下が担当いたします」

 

 淡々と、しかし揺るぎなく。

 

「“情報”、“生活”に加え、“護衛”の三軸をもって、一時的な新体制とすることを付け加えさせてください」

 

 そう言って、先ほどまでの冷気が嘘だったかのように。

 へにゃっと。

 含みなど何もありませんよ、と言わんばかりの柔らかな笑みを要へと向けた。

 

 要はその変化にほっとしながら、小刻みに頷く。

 

「ごめんね。そうしてもらえると、すごく助かる」

 

 一拍。

 

「……それは、そうだね。言ってくれた通り、クーに任せてもいいかな?」

 

 その瞬間。

 

 にぱっ、と。

 花が開くように、クーの笑顔が弾けた。

 

「はい!」

 

 だが、その横合いから、低く、しかし鋭い声が差し込む。

 

「主」

 

 クルルだ。

 

「私と、軍部の一部精鋭も護衛に参加させていただけませんか?」

 

 その一言が落ちた瞬間、どこからともなく。

 

 ――ちっ。

 

 小さな舌打ちが、確かに聞こえた。

 

 要は、その水面下の動きに気づかないままクルルへと答えた。

 

「うーん……そんなに人を割かなくても、いいと思うけど……」

 

 軽い。

 あまりにも軽い返答だった。

 

「とんでもございません!」

 

 即座に、クルルが声を張る。

 その声音には、一切の迷いも躊躇もない。

 

「主の護衛は、エイシムにおける最重要項目です。それに――」

 

 ぐっと、正座のまま前のめりになる。

 

「私も近衛筆頭。主の近辺について精通しておくべき立場にございます」

 

 理屈として、建前として、完璧だった。

 反論の余地はどこにもない。

 

「……そっか」

 

 要は、少し考えたあとあっさりと頷いた。

 

「じゃあ……そうしてもらおうかな」

 

 その瞬間。

 クルルは胸に手を当て、まるで叙勲を受けた騎士のように、うやうやしく頭を下げた。

 

「謹んで、拝命いたします」

 

 一方で。

 

 クーはクルルに向けて、まるで無賃乗車を決め込んだ無礼者を見るような、露骨に白けた視線を送っている。

 

 ――そう。

 

 幹部たちにとって、総帥の安全が第一であることは当然だ。

 それは常識、自明の理、大前提――誰もが否定しない絶対的事実。

 

 だから、クルルはそこを“刺した”。

 

 ――主の護衛。

 

 その大義名分のもとであれば。

 いくらでも人を割ける。

 いくらでも資源を投じられる。

 いくらでも優先順位を歪められる。

 

 それが、今この瞬間、正式に認められてしまった。

 

 先ほどの舌打ちは、幹部の誰かがこの理論構造と、それを逆手にとったクルルに気づいた証だった。

 

 そして当然のように。

 この流れに“便乗”しない者など、いなかった。

 

「じゃあ、わたしも!」

 

 女の子座りの天使の少女が、ばたばたと翼をはためかせながら勢いよく手を上げる。

 

「ねえ、あなた! いいよね!?」

 

 床には――先ほど彼女が開けた拳大の穴が、まだ無残な形で残っている。

 

「ノインも……」

 

 今まで、ほとんど発言しなかった少女が、フードを深くかぶったまま、膝を抱えて、ゆるりと手を上げた。

 

「……ぬしさま、守りたい……」

 

 声は小さい。

 だが、そこに宿る意思は重い。

 

「ボクも! ボクも!」

 

 いつもは宙に浮いている透けた白いワンピースの少女が、場が場だからか、今日は珍しくぺたっと床に座り込んでいる。

 

「あるじと一緒に、お仕事したい!」

 

 ぱちぱち、と。

 彼女の周囲で、アーク放電のような小さな電気が弾けた。

 

 場の空気は、再び混沌へと傾き始める。

 

 善意。

 忠誠。

 独占欲。

 承認欲求。

 

 それらが絡まり合い、一斉に要へと押し寄せてくる。

 要は、その中心できょろきょろと目だけを動かした。

 

(……やばい)

 

 喉元まで出かかったその言葉を、飲み込むことしかできなかった。

 

 ――断る理由が、難しい。

 

 その事実に気づいたのは、今になってだった。

 

 ……余談だが、要はこの軽率な了承を何度も思い返しては、総帥人生における『Yes』と『沈黙』の偉大さを学びなおす良き教訓となった。

 




盛大に何も始まってない。
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