愛するNPCが現実化したら勝手にギスギスし始めた挙句バカ重い責任が生えてきた話 作:フォン・デ・ペギラパギラ
――夕暮れはとうに過ぎ、夜のとばりが音もなく世界を覆っていく。
要は椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
窓といっても、ガラスなどない。粗末な木枠が闇を切り取っているだけだ。
気を張っている間は、気づかないふりができていた。
だが、今になってようやく理解する。
――ああ、疲れた。
体の奥に、鉛のような重さが溜まっている。
肩は凝り固まり、思考は粘つく。まるで脳内にもやもやと霧が立ち込めているようだった。
すかすかの建物の中なのに不思議と寒くないのも、ぼーっとする原因の一つでもあった。
膝の上では、眠り姫――ベルが丸くなり、規則正しい寝息を立てている……かわいい。
その体温がじんわりと伝わってくるせいか、余計に気が緩んだ。
結局、要の身の回りの護衛はクーとクルル……それから、どうせ動かないベル。
この三名に任せることにして後は仕事を頑張ってもらうことにしたのだった。
決める際に色々ドタバタしたが、このことについて振り返ると更に疲れるので、要はあえてモヤがかかった思考のまま放っておくことにした。
――風呂、入りたいなあ。
そんな弱い本音、現実逃避が心の奥からふわりと浮かぶ。
急に、ふと考えないようにしていた思考があふれ出す。
本来の自分の世界。
灰色の日常。
任された仕事も、後輩へ教育も、全て半ばでほったらかしだ。
一人暮らしの冷蔵庫の中身は放っておくとすぐに腐ってしまう。
――生来の責任感ゆえに、要はかなり気になってきた。
(手続きとかどうなるのかな……?)
しかしこれらは望郷の念とは異なる。要は忘れようと首を振る。
ちゃんと過去を直視すると寂しさがこみ上げるかと思っていた。
しかし思い出されるのは、仲の悪い両親と、現代の利便さと――あとゲーム“ウルズヘイム”の事ばかりだ。
要は今世で顧みることがそれだけだと言う事実に、少しだけ寂しくなった。
――考え込んでいると、心地の良い声音が耳をくすぐる。
「ご主人さま……ご不便をおかけしております。腰は、痛くありませんか?」
声と同時に、ぴとり、と気配が寄り添ってきた。
クーだった。
へにゃ、と力の抜けた安心する微笑み。
下げられた眉は、はっきりとこちらを案じている。
「ああ、大丈夫……あの、それよりさ」
要はそう言って部屋の隅へ視線を投げる。
そこには、薄目を開け、片手を差し出し、魔力か何かで眩い“光球”を生み出し続けている少女がいた。
そのおかげで室内はしっかりと明るさを保っている。
……申し訳ないことに、要には誰なのか分からなかった。
きっと職員の一人なのだろう。
「あの子……疲れないかな。大丈夫?」
その言葉を聞いた瞬間だった。
その少女はぶんぶん、と勢いよく首を横に振る。
ばさり、と髪が翻り、全身で否定を表現している。
恐縮というより――“こんな光栄な役目を、放棄できるわけがない”。
そう言わんばかりの必死さだった。
「ええ、問題ありません。ラズさまのお墨付きの魔法師です」
クーはそう答え、さらに続ける。
「それに、外にも同様の配置を行っています。結界を張らせ、温度、騒音、虫害などを遮断していますよ」
そこまで言って、少し眉間に皺をよせ、歯切れ悪く零す。
「……その、ご主人さまがいらっしゃることを考慮すれば、及第点には程遠い環境ですが」
要は、思わず目を見開いた。
「えっ!? 外にも立たせてるの!?」
「はい。護衛も兼ねていますので」
あまりにも当然のように告げるクー。
――実のところ、要が知らないだけで建物内の影や死角にも既に多数の職員がクーによって忍ばされていた。
その事実を知らぬ要は、顔をしかめ、ぽろりと本音を零す。
「……なんだか、本当に申し訳ないなあ」
「何をおっしゃいますか!」
クーは即座に声を強めた。
「御身が最優先です。どうか、ご自愛くださいませ」
光球を浮かべた制服の少女も、自身は眩しいのか薄目を開けつつ、遠くでこくこくと無言で何度も頷いている。
クーはそうして、控えめに――けれど確かな距離で、ぴと、と寄り添ってくる。
ふにゃ、と全幅の信頼と笑みを向けてくる。
――やっぱり、こういう仕草は反則だ。
少しだけ心に余裕が生まれた要は、わずかに顔を赤らめ、素直に嬉しく思ってしまった。
近衛筆頭に置いている“お気に入り”なのだから、当然と言えば当然なのだが。
――ゴンゴン。
やや遠慮を欠いた躊躇ないノック音が乾いた建屋に響いた。
要の座る位置からは少し距離がある、開け放たれた玄関口の方角だ。
その音に反応したのは、まるで番犬のように玄関近くの壁へ背を預け腕を組んでいたクルルだった。
彼女は目を開け、無駄のない動きで身体を起こし、わずかに顎を引いた。
空気が一段引き締まるのが分かる。
「……来たか」
低く、短く告げる。
闇の向こう側から、人影がにゅっと現れた。
何かを肩に担ぎ、重量をものともしない足取りで光の中へ踏み込んでくる。
「おいっす! お届けでーす!」
場違いなほど明るい声。
それに対し、クルルは眉一つ動かさず応じる。
「うむ、ご苦労――入れ」
糸目に、揺れるポニーテール。
やけに健康的な雰囲気の少女だった。
要は一瞬、『どこかで見た顔だな』と思いながら目を凝らす。
幹部たちとは違い、きちんと着こなされた制服姿。
幹部の彼女たちは把握しているので、また職員の一人だろう。
少女は、木製のかなり大きな何かを軽々と肩に担いだまま、ずかずかと入ってくる。
その後ろから、同じように反対側を担いだ、やや大人しそうな少女が続いた。
「……おお……なに、これ?」
要が思わず零した疑問に、すぐ隣でクーがへにゃりと笑う。
「ご主人さまのベッドです」
言葉は柔らかいが、内容は無駄がなかった。
そうこうしているうちに、巨大な“それ”を担いだ二人は、要のすぐ前まで歩み寄り、ぴたりと足を止める。
「総帥閣下! 御前、失礼しまっす!」
「あ、……ああ。うん」
要が若干遅れて返事をすると、糸目の少女はにかっと笑った。
次の瞬間。
「よっこいしょーっ!」
掛け声と同時に、音もなく“それ”が床に据えられる。
きしみも、軋轢もない。やけに完成度の高い着地だった。
(……力持ちだなぁ)
一瞬ぼんやりと眺めてから、要はふと現実に引き戻される。
「え、ちょっと待って。すごいね!? これ、どこから見つけてきたの!?」
問いかけると、糸目の少女は腰に手を当て、胸を張った。
「作ったっす!」
即答だった。
その背後で、もう一人の大人しそうな少女が影からそっと顔を覗かせ、恐縮そうにぺこりと頭を下げている。
――改めてよく見ると。
木材は明らかに継ぎ接ぎで、古そうな板も混じっている。
それでも構造はしっかりしていて、最低限の安全性と実用性はきっちり確保されていた。
急ごしらえ。だが、手は抜いていない。
そんな仕事だった。
「あくまで仮っす! スンマセンが、今晩はこれで勘弁してほしいっす!」
その軽さに、クルルの赫い瞳がきらりと細まる。
「――おい。主には、十分に言葉を選べ」
「はっ! 承知っすー!」
糸目の少女は即座に背筋を伸ばすが――にかっと笑い、どこかコミカルにびしっと広いおでこに敬礼を作った。
その様子に、クルルは短く息を吐く。
「……まったく」
そして。
「あの~……」
控えめな声が、再び玄関口から響いた。
暗がりの中、数名の職員たちが所在なさげに何かを抱えたまま立っている。
影の重なり方が妙に多い。
クルルが言葉を投げる。
「許可する――入室せよ」
「は!」
ぞろぞろと入ってくる少女たち。
不思議なことに、全員が制服の上着を着ていない。
その両腕に抱えられているのは、大小さまざまな衣服だった。
(……?)
要が静かに成り行きを見守っていると、少女たちは迷いなく、先ほど設置されたばかりの木肌剥き出しのベッドへと向かい――次々と、その上に衣服を敷き詰め始めた。
重ねて、並べて、広げて。
布地の層が、即席の寝床を形作っていく。
「……なに、してんの?」
要は、完全に理解が追いつかないまま、ぽつりと呟いた。
するとクーが、あまりにも自然な口調で答える。
「ご主人さまの寝具が現在ありませんので、柔らかめの布地の衣服や制服を所持する職員を選定し、一時的に献上。寝具として使用する運びとなりました」
言葉が、要の中へ、ゆっくりと沈んでいく。
一拍。
二拍。
「…………は!?」
要は、思わず瞠目した。
「いやいやいや! ――汚いって!!」
反射的に叫んでいた。
言葉が頭を追い越し、声だけが先に飛び出す。
その衝撃に反応したのか、膝の上で丸くなっていたベルが、もぞりと小さく身じろぎした。
眠りの国の住人はまったくこちら側へ戻ってくる気配はない。
一方で。
クー、ならびに衣服を抱えていた職員たちが、まるで同時に氷水を浴びせられたかのように顔色を変えた。
血の気がさっと引いていく。
「も、申し訳ございませんっ、ご主人さま……!」
焦燥を滲ませ、クーが慌てて一歩踏み出す。
「直ちに代案を用意いたします! すぐに、すぐにです!」
そう言って、深々と頭を下げる。
その勢いに引きずられるように職員の中には今にも泣き出しそうな表情を浮かべ狼狽する者までいた。
要は即座に誤解であると分かり、慌てて首を振る。
「違う違う! そうじゃなくて!」
そう言いながら、自分の服の裾をつまみ、ぱたぱたと振って見せる。
「俺が、汚いの! ――俺が!」
長時間張り詰めたせいで残った、嫌な湿り気。
風呂にも入っていないという文明人として致命的な状態。
「変な汗かいちゃってるし、風呂も入ってないし! みんなの服、汚しちゃうよ!」
クーと職員たちは叱責が飛んでくると身構えていた気持ちがすっぽ抜け、ぽかんとした顔のまま固まっていた。
要の主張を理解していないわけではない。
理解した上で、なお意味が分からないという表情だ。
いや、どちらかというと、『それがどうしたの』と言う顔だ。
そして、クーがぽろりと零した。
「……その。仮に、ご主人さまの香りが付いたとしても……」
一瞬、言葉を選ぶ間。
「それは、とても誉れ高いことです」
スヤスヤ眠っているベル、その子を除く全員が――クルルに至るまで、例外なく、深く頷いた。
――全会一致だった。
要は、さすがに頭を抱えた。
(何言ってんのこの子たち……)
自分が汚れているという後ろめたさもある。
それ以上に――。
(てか、大量の女の子の服の上に寝る成人男性って、絵面がキモすぎるだろ……)
倫理とか常識とか、そういうものが脳内で必死に赤信号を灯している。
要は、すうっと細く息を吐いた。
「あの……」
一度、呼吸と言葉を整える。
不用意な一言だけは、絶対に避けたかった。
「みんなの気持ちは、本当に嬉しい。すごく、ありがたい」
正直な本心だ、決して取り繕いではない。
「でも……本当に悪いから。頼むから、服は持って帰ってほしい」
その言葉を受けて、クルルがわずかに眉尻を下げた。
無理強いする申し訳なさはある。でも――到底、飲めないという顔だ。
「……不躾であることは承知していますが」
一歩、前に出る。
「その……反対します」
赫い瞳で、上目遣いに要を見上げる。
そこにあるのは切実さだった。
「主を、硬い木の上で寝かせるなど言語道断です……健康に悪すぎます」
クルルは真摯な視線を要に送ってくる。真っ直ぐで、曇りがない。
要はその視線を眩しがるように、しょぼしょぼとした目で、それでも食い下がる。
「でもなあ……」
クルルは、うむむ、と短く唸る。
――そして、ふと何かを思いついたように顔を上げ、指を一本立てた。
「――では、セラの羽を毟らせますか」
名案だ! とでも言いたげな晴れた表情だった。
うんうん、と一人で納得したように頷いている。
要はあの天使の少女を思い出しながら、更に目を丸くする。
「いや、ダメでしょそれ! 可哀想だよ!」
「奴なら一秒もかからず回復しますが?」
「いや……そういう問題じゃなくて!」
要は眉をきゅっと吊り上げ、全身で拒否の意思を示す。
言葉以上に、態度が必死だった。
クルルは眉をしょん、と下げる。
「……困りましたね……」
本気で悩んでいる声だった。
その沈黙に耐えかねたように――クーが、非常に言い辛そうに口を開いた。
「あの……」
視線を逸らし、指先をもぞりと動かしながら、ぽつぽつと。
「セラに……その……添い寝、させれば……」
本当は言いたくない。
その葛藤が声色からはっきり伝わってくる。
「羽で包めば……解決するかと……」
要は、『はあ?』という表情のまま、完全に言葉を失った。
――発想が、斜め上どころか別次元だった。
クルルも冷や汗を一筋流し、『あ』と今さら気づいたような顔をする。
そもそも羽の案は自分発だ――言うんじゃなかった、という後悔がじわりと滲みだしている。
「ダメダメダメ! 絶対ダメ!」
要は顔の前で手をぶんぶん振る。
「女の子に添い寝させるとか、ヤバすぎる!」
「……そ、そうですよね! はは……」
その主の否定を聞いて、クルルは久しぶりに顰めっ面を崩し、笑みを浮かべた。
……主の前で初めて浮かべた笑みが苦笑いと言うのは皮肉が効いている。
――シン。
場が静まり返る。
そして誰もが、言葉にせず同じことを思っていた。
じゃあ、どうする?
その沈黙をそっと押すように一人の少女が動いた。
大量の衣服を胸に抱えた、おとなしげな職員。
可愛らしい顔を俯かせたまま、静かに一歩、前へ。
そして、眉尻を下げ、申し訳なさそうに――無言でその服の束を要へと差し出した。
要の背中を、冷や汗がつうっと伝う。
(……女の子の添い寝か、女の子の“服布団”か)
二択。
(……二択なの、これ!?)
幹部たちも、職員たちも、誰一人目を逸らさず、申し訳なさそうに要を見つめている。
その中で、ベルが膝の上で、もぞ、と小さく動いた。
(嘘だろ……)
要は、がくりと肩を落とした。
――マシな方を、選ぶしかなかった。
これ何の話……?