過去、あるいは未練
雄英高校、職員室。
窓から差し込む午後の日差しは暖かく、絶好の昼寝日和だった。
平和だ。少なくとも、この部屋の中だけは。
書類の山に埋もれる同僚たちの荒い呼吸音と、換気扇が回る低い音だけが支配するこの空間は、戦場のような外の世界に比べれば楽園に等しい。
だが、その静寂はいつものように、校庭から響いてくる嬌声――いや、騒音によって無惨にも破られることとなる。
「イェーイ! ショータ! 見てくれよこの新必殺技!」
「……うるさい。鼓膜が破れる」
「まあまあショータ! 山田もテンション上がってんだし、付き合ってやろうぜ!」
窓際で冷めたコーヒーを啜っていた
ジャージのポケットに手を突っ込み、気怠げに背中を丸めるその姿は、およそ生徒の模範となるべき教師には見えない。むしろ、休日のお父さんといった風情だ。
「……あいつら、またやってんのか」
独り言ちた楔の背中に、同僚の教師が苦笑しながら声をかける。
「おや、天土先生。二年の問題児トリオが気になりますか?」
「気になるんじゃなくて、耳障りなだけですよ。……特にあの金髪。あれは騒音公害で訴えられるレベルだ」
楔は呆れたように肩を竦めるが、その視線は校庭の三人に固定されたままだ。
黒髪の陰気な少年、
金髪の騒々しい少年、
そして、その二人の間に立ち、太陽のように笑う少年、
成績も性格もバラバラ。教師陣の中には混ぜるな危険と評する者もいる。一人が暴走し、一人が煽り、一人が止めるフリをして火に油を注ぐ。そんな危うい均衡で成り立っている三人組だ。
だが、楔の評価は少し違っていた。
「……ま、悪くはないバランスですがね」
楔がぽつりと漏らすと、同僚は少し驚いた顔をした。この天土楔という男が、生徒を――それも問題児を褒めることなど、天変地異の前触れのようなものだからだ。
「へえ。あの天土先生が褒めるとは珍しい」
「褒めちゃいませんよ。ただ……」
楔は空になった紙コップを指先で弄びながら、窓ガラス越しに、雲ひとつない青空を見上げる。
その青さは、どこか不吉なほどに澄み渡っていた。
抜けるような青空は、時として残酷なほどに地上の影を濃く落とす。
「陰気と陽気。その間を取り持つ空気。……あの三人は、揃って初めて機能する。一人欠ければ瓦解する脆さがある」
厳しい指摘だった。
個の力が重視されるヒーロー社会において、チームワークは武器になるが、依存は致命的な弱点になり得る。
誰か一人が欠けた時、残された者はどうなるか。二本の脚で立てるのか。それとも、共倒れになるのか。
「手厳しいですね」
「ヒーローなんてのは、長生きしたけりゃ臆病なくらいが丁度いいんです。……あいつらは、ちと青春しすぎてる」
眩しすぎるものは、影も濃くなる。
楔は、はしゃぐ三人の姿に、かつて見てきた多くの折れていった者たちの幻影を重ね、ふいっと視線を逸らした。
自分は教師だ。彼らに技術を教えることはできる。
だが、運命までは教えてやれない。
彼らがこれから直面するであろう理不尽や、喪失までは、肩代わりしてやれないのだ。
だからこそ、楔は彼らと距離を置く。深入りはしない。情が移れば、判断が鈍る。それは合理性を欠く行為だ。
そう自分に言い聞かせているはずなのに、どうしてこうも、あの三人の危うさが目に付くのか。
「……ま、俺の知ったこっちゃないですがね。定時なんで帰ります」
楔はゴミ箱に紙コップを放り投げると、踵を返した。
美しい放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれたコップを見届けることもなく、彼は職員室の出口へと向かう。
背後では、まだ三人の笑い声が微かに聞こえていた。
その声が、いつか悲鳴に変わる日が来ないことを、柄にもなく祈りながら。
「お疲れ様です、天土先生」
「ういー、お疲れ」
気のない返事をして、天土楔は職員室を後にする。
廊下を歩く足取りは重い。
胸の奥に澱のように溜まった予感が、じわりと広がっていくのを感じていた。
かつて自分が失ったもの。守れなかったもの。それらと似た匂いを、あの三人は持っている。
もしも。
もしも、彼らに何かが起きた時。
自分は、ただの傍観者でいられるのだろうか。
工作の時間か、あるいは陶芸か。そんな牧歌的な響きを持つ、平凡で地味な異能
だがその本質は、大地そのものを武器庫へと変える戦略級の異能。
けれど、どれほど強大な力を持とうとも、それでも救えないものがあることを、彼は誰よりも知っていた。