天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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生物兵器、あるいは遅れてきた真打ち

 

 

 緑谷(みどりや)たちが、重傷を負った相澤(あいざわ)を抱えて水難ゾーンの茂みへと退避していく。

 瓦礫を避ける微かな足音や、押し殺した焦燥。

 それらが十分に安全な距離まで離れたことを、背後から伝わる気配の密度だけで確認し、天土(あまつち)(クサビ)は肺に溜まった熱い息をゆっくりと吐き出した。

 

 ようやく、視界から守るべき「背荷物」が消えた。

 これで、周囲の被害や生徒への精神的影響を一切考慮しない、本来の仕事が可能になる。

 もっとも、本来であれば残業などせずに定時で帰りたいのが本音なのだが、目の前の状況がそれを許してはくれない。

 

「……さて。いい加減、飽きてきたんだがな」

 

 楔は視線を前方に戻す。

 目の前には、不気味な笑みを浮かべたまま動かない死柄木(しがらき)(とむら)と、無機質な殺意の塊としてそこに佇む黒い怪物――脳無。

 楔の観察眼は、改めて敵の脅威度を冷徹に再計算していた。

 警戒すべきは死柄木ではない。その横に控える黒い巨体だ。

 

(……近くで見れば見るほど、吐き気がする造形だ)

 

 脳味噌が剥き出しになった頭部。猛禽類のような無機質な嘴。

 そして、異常に発達した上半身の筋肉は、生物としての黄金比を完全に無視している。

 だが、楔が最も危惧したのは、その外見的特徴ではない。「気配」の完全な欠落だ。

 生物なら当然持っているはずの、呼吸のリズム、視線の揺らぎ、闘争心や恐怖といった感情の波動が、こいつからは一切感じられない。

 まるで、スイッチの入っていない重機がそこに置かれているような、生命の温もりを一切拒絶する無機質な圧迫感。

 

(……生物というよりは、部品の集合体か。死体を継ぎ接ぎして、命令を実行する機能だけを詰め込んだガラクタ。……いや、機能にしては出力が高すぎるか)

 

 先ほどのパイルバンカーの一撃。

 コンクリートの壁すら容易く貫通し、鉄骨を飴細工のようにへし折る質量の直撃を、こいつは無傷で耐えきった。

 ただ硬いだけではない。衝撃そのものが吸い込まれて消えたような、物理法則を嘲笑う感触があった。

 

「脳無。……その邪魔なNPCを排除しろ」

 

 死柄木の、ひび割れた声が命令を下す。

 その言葉を合図に、怪物が動いた。

 

 足元のコンクリートが粉砕され、放射状に深い亀裂が走る。

 巨体に見合わない、爆発的な初速。

 物理法則を無視した加速で、瞬きする間に楔の目の前へと肉薄する。

 丸太のような腕が、大気を引き裂く音すら置き去りにして振り下ろされた。

 

「……遅い」

 

 楔は微動だにしなかった。

 地面に手をやることも、身構えることすらしない。

 ただ、気だるげに視線を脳無へ向けただけだ。

 だがその瞬間、彼の意志に呼応して、足元のコンクリートが生物のような速度で再構築を開始した。

 楔の個性因子が目に見えぬ波動となって足元の物質へ伝播し、その定義を書き換えていく。

 

 楔の眼前に、鏡面のように滑らかな傾斜を持つ鋼鉄の壁が、地中から瞬時に隆起した。

 真正面から受け止めるのではない。その運動エネルギーを滑らせ、逸らすための傾斜の装甲。

 

 脳無の拳が防壁に接触した瞬間、大気が圧縮され、耳を劈くような衝撃波が周囲を揺らした。

 だが、その凄まじい破壊のベクトルは、楔が視線一つで大地から形成した計算済みの傾斜によって斜め上方向へと受け流される。

 激しい火花を散らしながら、黒い拳が楔の横を空しく通り過ぎ、後方の地面を粉砕した。

 爆心地のようなクレーターが生まれ、暴風が楔の髪を乱すが、彼自身は一歩も動かず、埃一つ被っていない。

 

「……パワーだけならオールマイト級か。まともに食らえば残業どころか退職だな。……当たらなければどうということはないが」

 

 楔は冷徹に分析しながら、流れるような思考のまま反撃に転じる。

 重心が前のめりになり、脳無の体勢が僅かに崩れた一瞬の隙。

 彼はポケットに手を突っ込んだまま、ただ意識を広場の大地へと向けた。

 

「……なら、質と量で押し潰す。土ならいくらでもあるんでな」

 

 楔を中心として、周囲の地面が一斉に波打った。

 地表のコンクリートのみならず、その下にある大量の土壌が瞬時に鉄へと変換され、脳無を囲むように地中から飛び出す。

 生成されたのは、無数の剣、槍、斧、ハルバード。

 その数、数千。

 しかも一つ一つが、歴史に名を残す名匠が鍛えた業物と同等の切れ味と硬度を持つ完成品だ。

 生成に要する時間はゼロ。彼の思考速度に連動し、大地そのものが鉄の森と化して脳無を貫きにかかる。

 

 楔の瞬きに合わせ、数千の武具が地中から噴水のように湧き上がり、脳無へと殺到した。

 回避不能の飽和攻撃。

 鉄の牙が脳無の巨体を完全に飲み込む。

 鋭利な刃が肉を貫く鈍い感触。

 常人ならば即死、あるいは肉片すら残らないはずの、圧倒的な物量による蹂躙だ。

 事実、脳無の全身には無数の剣や槍が深々と突き刺さり、見るに耐えないハリネズミのような有様となっていた。

 

「……手応えはあるな。だが」

 

 楔は目を細めた。

 致命傷のはずだ。心臓、肺、頸動脈。生物としての急所は、数秒前には全て大地から生えた刃によって貫通されている。

 だが、脳無は痛痒を感じた様子もなく、ただ無表情のまま突っ立っている。

 そして、異常が起きた。

 

 突き刺さった剣や槍が、ひとりでに動き出したのだ。

 肉が押し出している。

 傷口から盛り上がった、泡立つような筋肉の繊維が、異物である刃を体外へと排除しようと不気味に蠕動しているのだ。

 楔が生成した最高硬度の鋼鉄で出来た剣が、肉の再生に伴う圧倒的な圧力だけでパキパキとへし折られ、バラバラと地面に落ちていく。

 僅か数秒。後には傷一つない黒い皮膚だけが残されていた。

 

「……へえ。やっぱり効かないか」

 

 死柄木が、壊れたおもちゃを見るように笑う。

 

「そいつは対オールマイト用に作られた、スーパーサンドバッグだ。ショック吸収だけじゃない。君みたいな小賢しい攻撃のために、超再生も持ってるんだよ。凄いだろ? これならダメージなんてゼロだ」

「……なるほどな。サンドバッグにしちゃあ、随分と多機能だ。書類仕事に追われる俺の身にもなって欲しいもんだが」

 

 楔は作業的に情報を処理し、敵の正体を分析する。

 物理攻撃を無効化するショック吸収。

 そして、受けたダメージを瞬時に無効化する超再生。

 打撃も斬撃も意味をなさない、歩く要塞。

 大地の質量を武器に変える自身の特性とは、この上なく相性が悪い。

 

(……対オールマイト用、か。奴の100%のスマッシュを耐える前提で作られているなら、生半可な火力じゃ通用しないわけだ。……とはいえ、俺がここで投げるわけにもいかんしな)

 

 絶望的な相性差。

 だが、楔の目に焦りの色は微塵もなかった。

 彼は教師だ。そして何より、生き残ることに関しては病的なまでに執着し、技術を磨き抜いてきたプロだ。

 解けない問題が出されたなら、別のアプローチで解法を探すだけのこと。

 再生が追いつかない速度で削るか、あるいは再生不可能な状態まで磨り潰すか。

 

(……細胞レベルでの再生なら、その結合ごと磨り潰せばいい)

 

 楔の脳内で、新たな設計図が組み上がる。

 単発の斬撃が通じないなら、継続的な切断だ。

 それも、数トンの負荷をかけ続ける工業用の切断プロセス。

 彼は視線を巡らせ、足元の大地を自在に再構築していく。

 後輩の相澤をあんな目に遭わせた落とし前だ。

 

「……なら、再生する端から削り取るまでだ。素材はいくらでもある」

 

 彼の思考に合わせ、周囲の地面が隆起し、複雑な機械部品へと再構成されていく。

 それは武器というよりは、巨大な処刑器具に近かった。

 

 左右から迫る、直径二メートルを超える巨大な回転ノコギリを備えた油圧プレス機。

 楔がその場に立ち尽くしたまま、意思の力だけで大地から組み上げた精密機械。

 

 楔の思考に呼応し、二つの巨大な刃が脳無を左右から挟撃する。

 足場を固定されている脳無に逃げ場はない。

 高速回転するダイヤモンドカッター仕様の刃が、脳無の黒い皮膚に深く食い込んだ。

 耳をつんざくような切削音が響き渡り、火花が散る。

 肉が削れ、黒い体液が周囲に飛散した。

 

「……グ、オォォ……」

 

 初めて、脳無が不快そうな声を上げた。

 超再生といえど、物理的な切断と摩耗までは完全に無視できない。

 肉が削ぎ落とされ、骨が粉砕されていく確かな手応えが、楔の脳へとフィードバックされる。

 

「行ける……!」

 

 遠くの水際から様子を窺っていた緑谷が、希望を見出したように身を乗り出す。

 だが、楔の表情は晴れない。

 削れている。確かにダメージは通っている。

 しかし、傷口を見る楔の卓越した動体視力は、ある異常を捉えていた。

 

(……再生速度が、切削速度を上回っている? いや、拮抗しているのか。これだけの負荷をかけて、ようやく足止めか)

 

 削り取られた端から、肉が泡立つように盛り上がり、瞬時に傷が塞がっていく。

 刃が通り過ぎた直後には、もう元通りになっているのだ。

 さらに悪いことに、脳無の筋肉が異常な膨張を見せ、プレス機の刃を内側から押し返そうとしている。

 機械が悲鳴を上げるような、軋んだ金属音が周囲に響く。

 

(……一人の人間に複数の因子を埋め込み、自我を壊して兵器に仕立て上げる。……なんて悪趣味な代物だ。倫理観をどこに置いてきた?)

 

 楔は戦慄した。

 それは強さへの恐怖ではない。

 ただ、人間の形をした悪意を、神聖なはずの教育の場に持ち込み、誇らしげに掲げる死柄木という男の狂気に対しての、深い嫌悪だった。

 

「チッ、ふざけた耐久力だ。給料に見合わんな」

 

 楔が鼻を鳴らした次の瞬間、脳無が腕を強引に広げた。

 地中から生えたプレス機の数トンもの圧力を、純粋な腕力だけで押し返す。

 限界を超えた負荷に回転ノコギリが粉々に砕け散り、鋼鉄のシャフトが飴細工のように捻じ曲げられた。

 大地の仕掛けが、内側から破壊される。

 

「……あーあ。壊しちゃった。君の攻撃、もうネタ切れだろ?」

 

 死柄木が、壊れたおもちゃを見るように笑う。

 拘束を解かれた脳無が、楔に向かって跳躍した。

 距離はゼロ。回避は不可能に思える間合い。

 

「……ワンパターンだな。学習能力はどうした」

 

 楔は微動だにしなかった。

 脳無の拳が楔の顔面を粉砕する寸前、彼の思考が地面に干渉した。

 踏み込んだ脳無の足元が、一瞬で底なしの流砂へと変貌する。個性の応用だ、瞬時に生成し瞬時に解除した、それだけの事。

 重心が大きく崩れ、脳無の必殺の一撃は楔の頬を掠めることすらなく、空を切った。

 

 楔はポケットに手を突っ込んだまま、最小限の動きでサイドステップを踏む。

 崩れた脳無の巨体が、勢い余って地面に突っ込むのを冷ややかに見下ろす。

 暴風にジャージが揺れただけで、彼は一歩も退いていない。

 

「……へえ。避けるね。君、本当にただの地理教師?」

 

 死柄木の目に、明確な苛立ちが混じる。

 ただのNPCごときが、ボスの攻撃を完璧に見切り、あまつさえ余裕を持って回避し続けていることが気に入らないらしい。

 彼は首をカリカリと掻き毟りながら、不愉快そうに楔を睨んだ。

 

「チート野郎だ。先生っていうより、ラスボスを守る中ボスみたいだね。消えろよ、邪魔なんだ」

「中ボスで結構だ。で、次はどうする? その黒いの、ガス欠まで付き合ってやろうか? 俺のスタミナはまだ余裕があるぞ」

 

 楔は挑発的に笑ってみせた。

 その言葉に嘘はない。

 決定打こそないが、負ける要素も見当たらない。

 脳無の攻撃は直線的で、感情がない分、読みやすい。

 熟達した技術と経験、そして無限の地形利用。あらゆる手を使って時間を稼ぐことなど、彼にとっては朝飯前だ。

 

 死柄木が、殺意を込めて手をかざす。

 脳無が再び起き上がり、拳を振り上げる。

 その時だった。

 

 USJの入り口の扉が、凄まじい衝撃と共に吹き飛んだ。

 ただ扉が開いた音ではない。

 空間そのものを揺るがすような、圧倒的な質量の突入音。

 土煙が舞い上がり、施設内の空気が一変する。

 

 ピタリ、と全員の動きが止まった。

 死柄木が、脳無が、そして楔が、入り口の方を見る。

 死柄木の顔から、余裕の笑みが消える。

 脳無ですら、本能的な警戒を示すように動きを止めた。

 

 土煙の向こうに、一人の男が立っていた。

 逆光を浴びて、その表情は見えない。

 だが、その男が纏う圧倒的な「怒り」のオーラは、この広いドームの隅々まで伝播し、肌が粟立つほどのプレッシャーとなって降り注いでいた。

 彼がスーツのネクタイを引きちぎり、重い一歩を踏み出す。

 

「もう大丈夫だ」

 

 その声には、いつもの明るい笑みはなかった。

 あるのは、プロヒーローとしての、そして生徒を危険に晒された教師としての、底知れない激昂。

 

「私が、来た」

 

 平和の象徴、オールマイト。

 ついに真打ちが、戦場に降り立った。

 その姿を見た瞬間、恐怖に凍りついていた緑谷たちの顔に、涙と共に希望の光が戻る。

 

「……遅いんだよ、給料泥棒。さて、これで俺の仕事は終わりか」

 

 楔は噴水に背を預け、服についた僅かな埃をパンパンと払いながら悪態をついた。

 その姿には傷一つなく、呼吸すら乱れていない。

 だが、その口元には、安堵の笑みが微かに浮かんでいた。

 最強の矛と盾が揃った。

 ここからは、一方的な蹂躙の時間だ。

 

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