天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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平和の象徴、あるいは教育者の領域

 

 

 その場にいた全員が、空気が物理的な重さを伴って変質したのを肌で感じていた。

 先ほどまでUSJを支配していた、死を予感させるじっとりとした湿り気のある悪意。それが、入り口の扉を粉砕して現れた一人の男の放つ、凄まじいまでの怒気によって塗り潰されていく。

 

 平和の象徴、オールマイト。

 常に絶やさぬはずの笑顔はそこになく、逆光の中に浮かび上がる筋骨隆々の輪郭からは、触れるもの全てを焼き尽くすような静かな激昂が立ち昇っていた。

 

「……遅いんだよ、給料泥棒。さて、これで俺の仕事は終わりか」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、背後にあった噴水の縁に腰を下ろすような気だるげな動作で、ジャージの裾に付いた砂埃を軽く払った。

 彼の周囲には、先ほどまで脳無を相手に展開していた無数の鉄片や剣の残骸が転がっているが、それらは既にその役目を終え、ただの瓦礫へと戻りつつある。

 楔の呼吸は整っており、肌には傷一つない。生物としての理を外れた怪物と渡り合っていたとは思えぬほど、その立ち姿には余裕と、そして僅かな退屈さが同居していた。

 

「天土くん! 皆を……相澤くんを守ってくれて、ありがとう!」

 

 オールマイトの声が響く。それは労いであると同時に、ここから先は自分の領域であるという宣言でもあった。

 楔は視線だけで、茂みの影に隠れている緑谷(みどりや)たちに合図を送る。

 呆然と立ち尽くしていた彼らが、弾かれたように動き出した。

 

「天土先生! オールマイト!」

「いいから行け。……怪我人を運ぶのが先だ。あとは、あの金ピカの専門分野だ」

 

 楔の言葉は突き放すようでありながら、生徒たちにこれ以上の恐怖を抱かせぬよう、日常の延長線上にある教師としての響きを保っていた。

 緑谷は一瞬だけ、楔の無傷の姿に驚愕の視線を向けたが、すぐに重傷の相澤(あいざわ)を担ぎ直して、入り口側へと移動を開始する。

 

 広場の中央では、死柄木(しがらき)(とむら)が首筋を激しく掻き毟りながら、オールマイトという「予期せぬ障害」を凝視していた。

 ゲームオーバーを突きつけられ、予定を狂わされた子供のような憤怒。

 だが、その濁った瞳の奥には、確かな殺意が宿り続けている。

 

「……来た。来たよ、黒霧。コンティニューだ。……ラスボスの登場だ」

 

 死柄木の呟きと共に、再び脳無(のうむ)が咆哮を上げた。

 楔との戦闘で削り取られた肉体は既に完治しており、剥き出しの脳髄が興奮を反映するかのように不気味に脈動している。

 楔は、それを見つめながら内心で冷静に戦況を分析していた。

 

(……八木の活動限界まで、あとどれくらいだ? あいつがこれほど怒りを見せているのは、生徒を危険に晒されたことへの憤りだけじゃない。時間が、足りない焦燥の裏返しだ)

 

 かつて相澤たちの担任として雄英で教鞭を執り、プロとして八木の後ろを歩んできた楔には分かっていた。

 先ほど自分が相手をして理解したあの怪物の耐久力。ショック吸収と超再生を両立させた、対オールマイト用の兵器。

 まともに打ち合えば、自分より年上の平和の象徴にとって、それは命を削る激闘になる。

 楔はポケットに手を突っ込んだまま、周囲の大地へと意識を集中させた。壁のような構造物は作れないが、戦場を「武器」の供給で支配することは可能だ。

 

 一瞬の静寂の後、爆発が起きたかのような衝撃と共に両者が激突した。

 オールマイトの拳と脳無の拳がぶつかり合い、その余波だけで周囲のコンクリートがめくれ上がり、円形状の衝撃波が空間を薙ぎ払う。

 水難ゾーンから這い上がってきたばかりの低級ヴィランたちが、その風圧だけで吹き飛ばされ、悲鳴を上げる暇もなく壁へと叩きつけられていく。

 

「ははは! いいぞ、脳無! 削り取れ、その平和の象徴ってやつを!」

 

 死柄木の嘲笑が響く。

 脳無の動きは、楔が相手をしていた時よりも遥かに苛烈さを増していた。

 オールマイトの速度に追従し、肉を断たれ、骨を砕かれても、超再生によって瞬時に元通りになりながら反撃を繰り出す。

 

 楔は、その戦いを特等席で見守りながら、大地を素材とした武具を戦場へ提供し続けていた。

 彼が行うのは、単なる補助ではない。

 オールマイトが踏み込むコンクリートの裏側に、瞬時に鋼鉄の補強用プレートを地中から生成して沈み込みを防ぐ。

 脳無が反撃に転じようとする足元の土壌から、微細な鋼のスパイクや有刺鉄線を無数に噴出させ、物理的な摩擦を奪って踏ん張りを阻害する。

 あるいは、オールマイトの連打から漏れた衝撃波を分散させるために、周囲に無数の巨大な盾を地中から直接生やし、飛散する瓦礫を物理的に弾き飛ばす。

 視線一つで、戦場に必要な武具を瞬時に、かつ無限に供給するその手腕は、熟練の職人による兵器廠そのものであった。

 

 だが、黒い影がその楔の意図を察知したかのように、彼の傍らへと出現した。

 ワープゲートの個性を持つ、黒霧(くろぎり)だ。

 

「……先ほどは失礼しました、地理教師。貴方の干渉、実に厄介です」

 

 霧が人の形を取り、懃懃無礼な口調で語りかける。

 その霧の中から、死柄木の手が伸びてくる。

 ワープゲートを利用した不意打ち。死柄木の指が触れれば、楔の身体といえど崩壊の毒牙にかかる。

 

 だが、楔は眉一つ動かさなかった。

 彼は視線すら黒霧に向けず、ただ吐き捨てるように言った。

 

「邪魔だ。仕事の邪魔をするな、霧男」

 

 楔は大地から、一本の無骨な鋼を引き抜いた。

 それは柄も鍔もない、地中の鉄分とコンクリートを素材として生成された、恐ろしく研ぎ澄まされた両刃の直刀だ。

 彼はそれを、まるで慣れ親しんだ筆記用具でも扱うかのように、流れるような動作で振るった。

 

 死柄木の手が楔に触れるコンマ数秒前、その刃はワープゲートの入り口ごと、死柄木の腕を物理的な風圧と鋭利な一閃で弾き飛ばしていた。

 ただの斬撃ではない。刃の表面に微細な鋸歯を瞬時に生成し、接触した霧を強制的に掻き混ぜ、霧の中に潜む実体へと物理的な振動を直接伝導させる近接戦闘術。

 

「……ッ、この速度で、これほどの精度の武装を……!」

 

 黒霧が驚愕と共に距離を取る。

 彼は気づいていなかった楔がこれまで見せてきたガトリングや大砲といった派手な兵器は、あくまで広範囲を制圧するための道具に過ぎないことを。

 プロとして、あるいはかつて相澤たちを導いた教育者として、あらゆる死線を越えてきた楔にとって、自ら大地から引き抜いた近接武器こそが、最も確実で、最も冷酷な手段であることを。

 

 楔は手に持った鋼の刃を、面倒そうに手の中で回転させる。

 その目は、獲物を逃さない氷のようであった。

 

「地形の全てが俺の武器だと言ったはずだ。……霧の中なら安全だと、誰が教えた?」

 

 楔は一歩、踏み出す。

 その歩みに合わせて、足元の大地から次々と鋼の槍が噴き出し、黒霧の本体を守る首のプレートへと殺到する。

 黒霧は必死にワープゲートを展開して回避するが、攻撃は止まらない。

 生成した刀で霧を斬り裂き、生じた隙間に地中から生成したワイヤー付きの銛を絡ませる。

 一度も足を止めず、一撃も受けず、楔は死柄木と黒霧の連携を、たった一振りの自作武器と大地からの武具供給だけで完封していた。

 

「あー……イライラする! なんなんだよ、あの先生! 脳無、脳無! あいつも殺せ! まずあいつを殺さないと始まらない!」

 

 死柄木の絶叫。

 だが、その命令はオールマイトの連打によって遮られる。

 オールマイトもまた、後輩である楔の静かなサポートに気づいていた。

 どんなに激しく動いても足場が理想的な反発を返し、自身の打撃の反動が地中に仕込まれた補強用プレートへと完璧に逃げていくこの感覚。

 かつて、教育者として自分よりも先に雄英の門を潜り、相澤たちを立派なヒーローへと育て上げた男。

 やる気がないと嘯き、面倒だと口にしながらも、有事の際はこの上なく頼もしい背中を見せてくれる、その男の存在を。

 

「ありがとう、天土先生! 後は任せてくれ!」

 

 オールマイトの拳が、脳無の腹部に深く沈み込む。

 ショック吸収を飽和させる、限界を超えた超パワーの連撃。

 楔は、それを見守りながら、右手に持った刃を静かに大地へと還した。

 彼の役割は、オールマイトが全力を出せる環境を整えること。そして、鼠が逃げ出さないよう、戦場を武器の森で封鎖することだ。

 

 楔の周囲の大地が、音もなく変容を始める。

 地中の素材から、巨大な鋼鉄の杭や逆茂木を作り上げていく。

 広場全体を囲い込むように、地中から無数の巨大な刃が競り上がり、物理的な障壁を形成する。

 

「……逃がさんぞ。残業代は、お前らの身柄で払ってもらう」

 

 楔の瞳に宿る冷徹な光が、死柄木たちを射抜いた。

 平和の象徴による鉄拳と、熟達した技術による武具の封鎖。

 侵略者たちは、自分たちが本当の大人の仕事場に足を踏み入れたことを、ようやく理解し始めていた。

 

 空気の振動が激しくなる。

 オールマイトの最後の一撃が、脳無の核へと届こうとしていた。

 その衝撃に備え、楔は一歩も退くことなく、ただ淡々と、次なる武具生成のイメージを大地へと叩き込んだ。

 

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