大気が物理的な質量を伴って悲鳴を上げていた。
広場の中央で繰り広げられた、平和の象徴と人造の怪物による殴り合い。それは個性の応酬という次元を超え、純粋なエネルギーとエネルギーが正面から衝突し、周囲の空間を物理的に削り取っていく天災のような光景だった。
オールマイトの放った連撃は、音速の壁を遥か後方へと置き去りにし、脳無が持つショック吸収の限界値を強引に突き破った。
超再生が細胞の崩壊を食い止めるよりも早く、その肉体を、存在の根源を、圧倒的な質量の拳が磨り潰したのだ。
衝撃波が放射状に広がり、周囲のコンクリートは砂状にまで粉砕され、巻き上がった土煙が視界を白く染め上げていた。
彼の周囲の大地からは、既に無数の業物が林立している。
楔が思考の速度で大地から引き抜いた、微細な鋸歯を備えた直刀や、刺さることに特化した長槍の群れ。
彼の周囲数メートルは、物理的な死が結晶化したかのような静謐な武器の森と化しており、近づくもの全てを拒絶する絶対的な結界の役割を果たしていた。
(……八木の奴、本当に無理をしやがって)
楔は、拳の風圧で激しく揺れる自分のジャージを僅かに押さえながら、内心で舌打ちを隠した。
オールマイトの筋肉が、限界を超えて脈動しているのが、遠目からでも鮮明に理解できた。
蒸気のように立ち昇る熱気は、彼の生命力の残滓そのものだ。あの凄まじい連打は、彼が持つ残り火を無理やり爆発させて生み出している、刹那の輝きに過ぎない。
(……なら、俺がすべきは鼠が一匹も逃げ出さないよう、袋の口を縛り上げることだ。これ以上、あいつの負担を増やすわけにはいかん)
楔はポケットに手を突っ込んだまま、意識を足元の大地へと沈ませる。
彼の個性によって生成された武器は、一度その形を成せば、解除するまで変形させることはできない。だが、放たれた後の操作は、彼の指先や思考一つで自由自在だ。
楔は大地から、最初から鋼鉄のワイヤーと、それを固定するための重厚な杭が一体となった拘束用武具のセットを引き抜いた。
その時、戦場に静寂が訪れた。
脳無の巨体が、くの字に折れ曲がり、ドームの天井を突き破って虚空へと消えていく。
空を裂き、雲を割る、圧倒的な一撃。
人造の怪物が、物理的な退場を強いられた瞬間だった。
「……嘘だろ……。衰えた……? 嘘だろ……完全に気圧されたよ。よくも……俺の脳無を……」
死柄木弔の、ひび割れた声が広場に響いた。
彼はその場に力なく立ち尽くし、信じられないものを見るかのように、脳無が消えた天井の穴を見上げている。
先ほどまでの尊大な態度は消え失せ、そこにあるのは予定を狂わされた子供のような、純粋な混乱と恐怖だった。
「チートがぁ……!」
死柄木は両手で自身の首を掻き毟り始めた。
血が滲み、皮膚が剥がれるのも厭わず、激しい動作で己の苛立ちを叩きつける。
「全然弱ってないじゃないか!! あいつ……俺に嘘を教えたのか!?」
死柄木の絶叫は、誰に対するものか。あるいは彼をここに導いた存在への疑念か。
目の前で起きたあまりに理不尽な力の行使に、彼の精神は崩壊の危機に瀕していた。
土煙の向こう側、オールマイトが蒸気を吐き出しながら立ち尽くしている。
その背中は依然として平和の象徴としての威容を保ち、圧倒的なプレッシャーを放ち続けている。
「どうした? 来ないのかな!? クリアとかなんとか言ってたが……」
オールマイトの挑発的な言葉。
だが、楔には見えていた。その筋肉が僅かに震え、身体を維持するための力が今まさに枯渇しようとしていることを。
八木は、死力を尽くして「虚勢」を張っている。
(……限界だな。これ以上、時間をかければ八木が保たない)
楔は視線を巡らせ、既に戦場に配置していた武器の群れを静かに起動させた。
死柄木が、そして彼の背後に控える黒霧が、少しでも不審な動きを見せれば、大地から生えた数千の刃が彼らを微塵切りにする準備は整っている。
「……定時は過ぎたと言ったはずだ。引き際を弁えない奴は嫌われるぞ、死柄木」
楔の声は、死柄木の耳元で囁かれたかのように明瞭だった。
死柄木はハッと顔を上げ、自身の周囲を囲んでいる武器の森に改めて気づいた。
オールマイトという正門の化け物と、アーセナルという逃げ道すら封鎖する死神。
「黒霧……! 黒霧!!」
死柄木の悲鳴に近い叫び。
その時、USJの入り口から新たな足音が響いた。
「もう安心ですよ! 我々が来ました!」
飯田天哉に率いられた、雄英の教師陣。
校長、ブラドキング、エクトプラズム……そして、最前線で銃を構えるスナイプ。
ついに、雄英の誇る真の援軍が到着した。
スナイプの銃弾が、死柄木の腕や足を正確に撃ち抜いていく。
楔は、援軍の到着を確認すると、短く溜息をついた。
彼の手元にあった長槍が、役目を終えたかのように土へと還っていく。
「……ようやく、交代か。……本当に、長すぎる残業だった」
楔は、噴水に背を預けたまま、呆然とこちらを見ている緑谷や爆豪の方へと視線を向けた。
彼らに傷がないことを、もう一度だけ確認する。
死柄木と黒霧は、黒霧の死力を尽くした最後のワープによって、辛うじてその場から消失した。
楔はそれを追うこともできたが、敢えて深追いはしなかった。
彼の仕事は、ここで生徒の安全を確保することであり、それ以上の深入りは契約外だ。
土煙が晴れていく。
オールマイトは、元の痩せ細った姿に戻る直前で、自らの蒸気の中に身を隠していた。
楔は、その八木の方へと歩み寄り、自分のジャージを脱いで、そっと彼の肩に掛けた。
「……お疲れさん、八木。……あとは後の世代に任せて、少しは休め」
楔のその言葉は、誰に聞かせるものでもない、独り言のような静けさを持っていた。
平和の象徴が守ったこの場所。
それを影から支え、完封してみせた大人のヒーローは、特売の緑茶のことを考えながら、ゆっくりと戦場を後にしようとしていた。
教育者としての義務。
それは、生徒が明日も当たり前に学校へ来られるように、今日を終わらせること。