天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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盤上の支配者、あるいは不本意な守護神

 

 

 深夜の校長室。

 照明を落とした室内では、壁一面に設置された無数のモニターから漏れる青白い光だけが、独りの賢者の輪郭を浮かび上がらせていた。

 根津(ねづ)校長は、高級な陶磁器に注がれた紅茶を一口啜り、モニターに映し出されたUSJの事後記録映像を静かに見つめていた。

 

 そこに映っているのは、平和の象徴による圧倒的な暴力の残光。

 そして、その傍らで、あくびを噛み殺すような気だるげな仕草を崩さず、戦場という盤面を完璧に支配していた一人の男の姿だ。

 

「……やはり、彼を雄英に引き止めておいたのは正解だったね」

 

 根津の呟きは、誰に聞かせるものでもなく静寂に溶けた。

 モニターの中で、天土(あまつち)(クサビ)はポケットに手を突っ込んだまま、視線一つで広場全域を自らの武器庫へと変容させていた。

 地面から噴き出す無数の鉄槍。逃走経路をミリ単位で封鎖する精密な杭の配置。

 それは個性の出力という単純な話ではない。大地という広大なリソースを、思考の速度で最適な「武器」へと再構築し続ける、洗練されすぎた戦略級の演算能力だ。

 

 根津は、かつて楔を雄英に招き入れた時のことを思い出していた。

 その頃から彼は「残業嫌い」を公言し、ヒーローとしての名声にはこれっぽっちも興味を示していなかった。

 だというのに、根津が彼に与えたのは「地理担当」という、一見すれば戦闘とは無縁の役職だった。

 

 それは、決して気まぐれではない。

 雄英高校の敷地、その地下構造、地質、配管。

 それら「地形」の全てを把握する地理教師という立場こそ、大地を素材とする『土細工(アース・クラフト)』の持ち主にとって、学校全体を「絶対的な要塞」へと変えるための鍵となるからだ。

 

「彼は『過度な期待だ』と嫌がっていたけれど。……これだけのものを見せられては、期待せずにはいられないよ」

 

 根津の視線が、モニターに静止画として表示された楔の瞳に固定される。

 ボサボサの頭、ヨレヨレのジャージ姿。枯れたおじさんの風貌をしていながら、その瞳の奥には、教え子であった白雲(しらくも)(おぼろ)を失ったあの日から、一度として消えることのない冷徹な責任感が宿っていた。

 

 彼は白雲の死を、精神的には乗り越えたと言っている。

 確かに、葛藤に振り回されるような青臭さは今の彼にはない。

 だが、その教訓を自らの血肉とし、二度と「生徒が死ぬ」という非効率な事態を招かぬよう、彼は裏で執拗なまでに己の牙を研ぎ続けていた。

 根津は、楔が誰もいない放課後の演習場で、視界外からの全方位同時攻撃をミリ単位で完封する自己訓練を繰り返していることを知っている。

 

(……一騎当千。あるいは、別ベクトルのオールマイト)

 

 根津が楔に下している評価は、他の教師陣のそれよりも遥かに重い。

 オールマイトが「平和の象徴」として悪を挫く矛であるならば、天土楔は「雄英の絶対防衛」を司る、動かざる盾であり、同時に無数の刃を隠し持った剣山なのだ。

 

 彼が地形を把握し、意識を大地へと沈ませている限り、この学園は文字通り「武器庫」へと変貌する。

 もし、敵が正面から校舎に攻め込んでくれば、彼らは一歩踏み出すごとに、自らが踏みしめている大地そのものに貫かれることになるだろう。

 その戦略的な価値を、楔自身は「めんどくさい役割」だと毛嫌いし、あえてやる気のない教師を演じることで誤魔化している。

 

「生徒たちも、ようやく気づき始めたようだね。……特に、爆豪くんや轟くんのような、自分の力に自信を持っている子たちにとっては、いい劇薬になったはずだ」

 

 モニターが切り替わり、楔の戦いぶりを呆然と見守る生徒たちの顔が映し出される。

 楔は緑谷に対しても、その自己犠牲的な性格を矯正しようと虎視眈々と狙っている。

 情熱や根性といったあやふやなものではなく、プロとしての冷徹な「生存の積み重ね」こそが、真のヒーローの在り方だと、彼はその背中で語ろうとしているのだ。

 

 根津は空になった茶器を置き、深く椅子の背もたれに身を預けた。

 窓の外、月明かりに照らされた雄英の広大な敷地を見下ろす。

 この大地の下には、楔の意志一つで瞬時に生成される、数万、数億の武具の設計図が眠っている。

 それを引き出さぬまま、地理教師として平和な日常を終わらせることが、彼の最大の願いなのだとしても。

 

「……天土くん。君が望む『退屈な日々』を守るためにも、もう少しだけ残業に付き合ってもらうよ。……なにせ、君は僕が最も信頼する防衛司令官なのだからね」

 

 賢者の冷徹な微笑が、暗闇の中に消えていった。

 大地は沈黙しているが、その静寂こそが、天土楔という男が機能している証拠だった。

 平和な日常という名の均衡。

 それを支えているのは、煎餅を咀嚼しながら特売の茶を飲み干し、面倒だと呟きながらも決して一歩も退かない、不真面目な教育者の誇りであった。

 

 

 

 

 翌朝。

 校長室を訪れた楔は、根津が用意した「今回の事件の追加報告書」の束を見て、盛大なため息をついた。

 

「……校長。昨日の今日でこれですか。俺の有給はどこに消えたんです?」

「おはよう、天土くん。……君がUSJで見せたあの華麗な采配を、より詳細に記しておく責任が僕にはあってね。……なに、煎餅の経費計上を少しだけ融通しようじゃないか」

「……その言葉、忘れんでくださいよ。……ったく、これだから頭のいい上司は嫌なんだ」

 

 楔はボサボサの頭を掻きながら、面倒そうに書類の束を抱えた。

 その足取りは重いが、廊下を歩くその一歩一歩が、雄英の大地を確実に、そして冷酷に掌握し続けていることを。

 すれ違う生徒たちはまだ、その枯れたおじさんが背負っている「戦略」の重みを、本当の意味では理解していない。

 

 教育者としての義務。

 それは、生徒たちが自分たちの未熟さを知り、しかし絶望することなく、次の授業のチャイムを聞けるようにすること。

 天土(あまつち)(クサビ)の、新しい残業の一日が、今日も静かに始まった。

 

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