祭りの前奏曲、あるいは不適合な防衛戦力
USJ襲撃事件から二週間。
雄英高校は一時的な休校措置を経て、厳戒態勢の中で再びその門を開いていた。
世間では、平和の象徴が在籍する学び舎がヴィランに襲撃されたというニュースが連日報道され、雄英のセキュリティ体制に対する批判と、それを上回る激励が入り乱れている。
そんな喧騒をよそに、1年A組の教室には、異様な緊張感と……それとは裏腹な、奇妙な日常が戻ってきていた。
「お早う」
教室の扉を開け、全身を包帯でぐるぐる巻きにしたミイラのような男――
「相澤先生、復帰早すぎ!!」
「プロ根性凄すぎるだろ……!」
「俺の安否はどうでもいい。……何よりまだ、戦いは終わっていない」
相澤の言葉に、教室の空気が張り詰める。
まさか、再びヴィランが。
「雄英体育祭が、迫っている」
――クソ学校行事だー!!
全員の心が一つになった瞬間だった。
*
一方その頃。職員室の片隅にある地理準備室では、
彼のデスクには、体育祭の「対ヴィラン襲撃想定・特別警備計画書」という分厚いファイルが山積みになっている。
「……勘弁してくれ。俺は地理の教師であって、警備会社の社員じゃないんだぞ」
楔は、手元の特売緑茶(二リットル)をラッパ飲みし、天井を仰いだ。
USJの事件直後だ。本来なら自粛ムードになってもおかしくない。だが、雄英高校の判断は真逆だった。『我々の危機管理体制は盤石である』と世間に示威するため、例年よりも規模を拡大し、警察と連携して警備を五倍に強化した上で開催を断行する。
その判断自体は合理的だ。ヴィランの脅威に屈しない姿勢こそが、ヒーロー育成機関としての最大の防御になる。
問題は、その盤石な体制を構築するために、誰が酷使されるかということだ。
「……セメントス先生が羨ましいよ、全く」
窓の外では、
楔の個性『
だが、彼にはそれができない。
彼の個性は、大地を素材として「武器・兵器」を生成することに特化しすぎている。
剣、槍、銃、戦車、ミサイル。殺傷力と破壊力に満ちたそれらは作れても、平和的な「観客席」や「壁」といった構造物を作る機能は、彼の個性因子には組み込まれていないのだ。
「……俺が手伝ってみろ。観客席が全部『反応装甲付きのトーチカ』になって、座り心地最悪の要塞が出来上がるぞ」
楔は自嘲気味に呟き、再び警備計画書に目を落とした。
彼に求められているのは、万が一の襲撃に備えた「迎撃ライン」の構築だ。
スタジアムの地下、外周、そして避難経路。それら全ての地形を頭に叩き込み、敵が現れた瞬間にどこから「武器」を生やせば、生徒と観客を巻き込まずに制圧できるか。
数万人の観客の足元に、仮想の地雷原を敷設するような神経を使うシミュレーション。
それは土木作業のような肉体労働ではないが、精神をゴリゴリと削る、終わりのない思考の泥沼だった。
廊下を歩いていると、向こうから
トゥルーフォームの彼は、以前よりもさらに痩せたように見える。だが、その瞳には奇妙な熱が宿っていた。
「やあ、天土くん! 警備の打ち合わせかい? ……本当に、君には頭が上がらないな」
「……皮肉か、八木。……お前が派手に暴れるおかげで、俺の仕事が増えるんだ。……セメントスみたいに、壁一枚でも作れれば少しは役に立ったんだろうがな」
「ははは、何を言うんだ! 君がいるからこそ、我々は安心して開催できるんじゃないか。……それに、今回の体育祭は特別だ。……緑谷少年にとっても、他の生徒たちにとっても、最初の大舞台になる」
八木の言葉に、楔は足を止めた。
緑谷出久。ワン・フォー・オールの継承者。
その重すぎる運命を背負わされた少年に対し、八木は次の象徴としての期待を隠そうとしない。
楔はポケットから煎餅を取り出し、バリと噛み砕いた。
「……あまり気負わせるなよ。……あいつはただでさえ、自己犠牲の塊みたいな危うさがある。……お前が背中を押しすぎれば、あいつはブレーキを壊して崖から飛び降りかねん」
「……肝に銘じるよ。……だが、私は信じているんだ。彼らが、この体育祭で大きく化けることを」
八木は眩しいものでも見るように笑い、去っていった。
楔はその後ろ姿を見送り、小さく鼻を鳴らす。
「……化ける、か。……ヴィランに狙われるリスクも増えるってことだろうが」
有名になるということは、標的になるということだ。
特に、あのUSJで顔を晒した生徒たちは、既に敵側のブラックリストに載っている可能性が高い。
楔は、自身の役目が「生徒を輝かせること」ではなく、「輝きすぎて焼え尽きないように、影から不純物を排除すること」だと再認識し、再び歩き出した。
昼休み。
1年A組の教室前は、他クラスの生徒たちによって封鎖されていた。
敵情視察。
ヴィランの襲撃を生き延びた「A組」の実力を確かめようと、普通科、サポート科、経営科の生徒たちが群がっていたのだ。
「ヴィラン襲撃を耐え抜いた1年A組……どんなもんかと見に来たが、随分気安そうじゃねぇか」
気だるげな声と共に現れたのは、普通科の
目の下の隈、逆立った紫の髪。
彼はA組の生徒たちを見回し、明確な宣戦布告を叩きつけた。
「ヒーロー科に入ったからって調子に乗るなよ。……体育祭の結果次第じゃ、普通科からヒーロー科への編入も検討される。……その逆もまた然りだ」
一触即発の空気。
爆豪が噛みつき、飯田が狼狽える中、廊下の角からその光景を眺める一つの影があった。
天土楔である。
彼は特売のお茶をすすりながら、壁に寄りかかって生徒たちのやり取りを観察していた。
彼の仕事は警備計画の策定だが、同時に教師として、生徒たちの精神状態を把握しておくこともまた、リスク管理の一環だ。
(……普通科の編入志望、か。……ハングリー精神は評価するが、実戦は甘くないぞ)
楔の視線は、心操だけではなく、A組の中にいる一人の少年に向けられていた。
彼は騒ぎの中心には加わらず、ただ静かに、冷徹な視線で周囲を拒絶していた。
その左手はポケットに突っ込まれたままで、決して使われる気配がない。
(……エンデヴァーの最高傑作。……だが、その内側は随分と歪だな)
楔は知っている。
轟の母方の実家、
かつて楔がとある極寒地での任務に関わった際、その土地の土壌データを分析したことがある。
彼らの一族は、冷気を操ることで凍土の組成を変化させ、特殊な土壌環境を作り出す技術を持っていた。それは破壊のための力ではなく、厳しい環境下で生き抜くための、静かで忍耐強い力だったはずだ。
だが、今の轟が放つ冷気には、そのような一族特有の性質は見当たらない。
あるのは、父への憎悪と、自らの半身を否定する強固な拒絶だけ。
轟は、自分の力だけで、氷だけで全てをねじ伏せようとしている。
それはまるで、楔がUSJで見せた「地形を利用する戦い方」とは真逆の、個人の出力のみに依存した危ういスタイルだ。
(……地形を無視して、力だけで進もうとすれば、いつか必ず足元を掬われる。……USJであれだけのモノを見せられても尚、自分の殻に閉じこもるか)
楔は、轟が爆豪や緑谷に対し、「お前らには負けない」と静かに、しかし強烈な対抗意識を燃やす様を見て取った。
それは健全なライバル意識ではない。
自分を証明するための、悲壮な決意だ。
父親という巨大な影を否定するためだけに、彼は戦おうとしている。
「……やれやれ。……今年の体育祭は、どいつもこいつも重たい荷物を背負って走りそうだ」
楔は飲み終えたペットボトルをゴミ箱に投げ入れた。
放物線を描いて吸い込まれるプラスチック。
彼はジャージのポケットに手を突っ込み、生徒たちの前から姿を消した。
彼にはまだ、スタジアム周辺の地盤データを再確認し、どこに「迎撃用スパイク」を隠しておくかという、果てしない残業が待っているのだ。
壁は作れない。観客席も作れない。
だが、もしもの時に、この会場全体をヴィランの墓場に変えることだけは、誰よりも完璧にこなせる。
それが、天土楔という不適合な防衛戦力の、唯一にして最大の価値だった。
二週間後。
日本の全土が熱狂に包まれる中、雄英体育祭の幕が上がる。
それは生徒たちにとっての晴れ舞台であり、ヴィラン連合にとっては、次なる標的を見定めるための品評会でもあった。
そして、天土楔にとっては。
数万人の観客の熱狂の裏で、冷めたお茶を片手に、万が一の殺戮に備えて殺気を研ぎ澄ませ続ける、一年で最も憂鬱な労働日の始まりだった。