天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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障害物競走、あるいは冷ややかな解説席

 

 

 巨大なスタジアムのすり鉢状の底から、物理的な振動となって数万人の歓声が噴き上がっていた。

 快晴の空の下、実況席に座るプレゼント・マイク(マイク)の絶叫が、高性能スピーカーを通じて大気を震わせる。

 

「準備はいいかメディア共! 今年もお前らが大好きな高校生たちの青春暴走劇が始まるぜ! 解説は俺、プレゼント・マイクと! 相変わらずミイラ男のイレイザー・ヘッド! そして!」

 

 マイクが勢いよく隣の席を指差す。

 そこには、全身を包帯で巻いた相澤(あいざわ)消太(しょうた)のさらに奥、パイプ椅子に浅く腰掛け、耳栓をして不機嫌そうに特売の緑茶を啜るジャージ姿の男がいた。

 

「特別ゲスト! 1年A組の影の守護神、アーセナル先生だァ!!」

「……帰っていいか。俺の仕事は会場警備であって、お前の騒音に付き合うことじゃないんだが」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は耳栓を弄りながら、マイクのテンションとは対極にある冷え切った声を落とした。

 本来、彼は観客席の裏や地下通路で、ヴィランの侵入に目を光らせているはずだった。

 だが、根津校長の「君の視点からの解説も聞いてみたい」という無茶振りと、相澤の「隣にいてくれないと落ち着かない」という無言の圧力により、この喧騒の特等席に座らされていた。

 

「まあそう言うなよ先輩! さあ第一種目! 障害物競走だ! ルールは簡単、コースアウトさえしなきゃ何でもあり! さっそくスタートだァ!!」

 

 ゲートのシグナルが青に変わる。

 その瞬間、スタート地点に殺到した11クラス総勢数名の生徒たちが、狭いゲートに押し寄せた。

 物理的な圧迫。我先にと前へ出る焦燥が、将棋倒し寸前の混雑を生み出す。

 だが、その混沌を、冷たい静寂が一瞬にして塗り潰した。

 

 冷気。

 絶対零度に近い冷気の奔流が、地面を這い、生徒たちの足元を凍りつかせたのだ。

 動きを封じられた生徒たちが驚愕に目を見開く中、一人の少年が氷の上を滑るように駆け抜けていく。

 

「……出たな。エンデヴァーの息子」

 

 楔は、モニターに映し出された(とどろき)焦凍(しょうと)の背中を、半眼で見つめた。

 轟は右手の炎を使わず、左半身の氷結のみで他者を妨害し、独走態勢に入っている。

 その氷の使い方は、一見すれば洗練されているように見える。

 だが、大地を武器とする楔の目には、それがひどく乱暴で、地形を無視した傲慢な力の行使に映った。

 

(……地面の凹凸も、材質の摩擦係数も無視して、ただ上から蓋をしているだけだ。……あれでは、氷の下の土壌が死ぬ。……氷叢(ひむら)の家系が泣くぞ、轟)

 

 楔は心の中で毒づいた。

 轟の母の実家、氷叢家は、かつて極寒の地で土壌改良を担った一族だ。彼らの氷は、凍土の水分量を調整し、大地と対話するための繊細な技術だったはずだ。

 だが、今の轟の氷には、そのような敬意は微塵もない。

 あるのは、父であるエンデヴァーへの当てつけと、自らの力を誇示するための破壊的な出力のみ。

 

「さあトップは轟! このまま独走か!? だが行く手には最初の難関! 入試の残り物、仮想ヴィラン『ロボ・インフェルノ』だァ!!」

 

 轟の前に立ちはだかったのは、入試で使われた巨大な0ポイント仮想ヴィランたちだった。

 見上げるような巨躯。鋼鉄の装甲。

 行く手を塞ぐ質量お化けに対し、轟は足を止めなかった。

 彼は地面に手を突くと、巨大な氷塊を生成し、ロボットのバランスを崩すと同時にその動きを完全に凍結させた。

 

「……一瞬で凍らせたァ!? しかも、わざと不安定な姿勢で!」

 

 マイクが絶叫する。

 轟は凍りついたロボットの股下を抜けながら、後続の生徒たちに冷たく言い放つ。

 

「悪かったな。……バランス崩してるから、倒れるぞ」

 

 その言葉通り、巨大な氷像と化したロボットが、重力に従って轟音と共に倒壊を始めた。

 後続の生徒たちが悲鳴を上げ、逃げ惑う。

 その光景に、会場中が轟の実力に感嘆の声を上げた。

 だが、解説席の楔だけは、不快そうに眉根を寄せ、手元の煎餅を粉々に砕いていた。

 

「……雑だ」

「え? 何か言ったかアーセナル先生!」

「……雑だと言ったんだ。……あのロボットの装甲材質と重量バランスを考えれば、あの凍らせ方は下策だ。……もしロボットに内部加熱機能や振動機能が残っていたら、氷が内側から破裂して、周囲に散弾のように降り注いでいたぞ」

 

 楔の指摘は、あまりに実戦的かつ専門的すぎて、マイクを一瞬黙らせた。

 楔にとって、武器や兵器の扱いは「確実性」が全てだ。

 轟のやり方は、相手が「ただの動く的」だから通用したに過ぎない。

 もしあれが実戦仕様の自律兵器なら、轟は今頃、自分の氷の破片で蜂の巣にされていただろう。

 

「……それに、あいつは地面を見ていない。……巨大な質量が倒れれば、地盤が液状化するリスクもある。……巻き込まれた生徒が窒息したらどう責任を取るつもりだ」

 

 楔の言葉はマイクのマイクには拾われなかったが、隣にいた相澤には届いていた。

 相澤は包帯の中で、短く息を吐いた。

 この男は、いつだって最悪のケースを想定している。

 だからこそ、USJであれだけの生徒を守り切れたのだ。

 

 倒壊したロボットの下から、切島(きりしま)鋭児郎(えいじろう)とB組の鉄哲(てつてつ)徹鐵(てつてつ)が這い出してきた。

 彼らの個性による防御力と、運が良かったことが幸いした。

 それを確認し、楔はようやく新しい煎餅に手を伸ばした。

 

 レースは進む。

 第二関門、ザ・フォール。

 深い谷間に張られた一本の綱を渡るエリアだ。

 ここではサポート科の生徒たちが、自作の発明品を駆使して活躍を見せていた。

 特に、発目(はつめ)(めい)という少女が、ワイヤー射出機やホバーソールを使って軽快に進んでいく。

 

「……ほう。……いい設計だ」

 

 楔が初めて、興味深そうな声を上げた。

 彼の目は、生徒たちの身体能力よりも、彼らが使う「道具」の構造に向けられている。

 

「……あのワイヤーの巻き取り速度、それにフックの形状。……重心移動を利用した推力変換。……悪くない。あれなら戦場でも三回は命拾いする」

「先輩、あんた女子高生の発明品見てニヤニヤすんのやめてもらえます?」

「……技術に敬意を払っているだけだ。……個性だけに頼る奴より、よほど信頼できる」

 

 楔は、未だに氷のゴリ押しで進む轟の背中と、道具を使いこなす発目の姿を対比させ、皮肉な笑みを浮かべた。

 個性は強力だが、それに溺れれば思考が停止する。

 道具を使う者は、常にその限界と向き合い、工夫を強いられる。

 楔自身の『土細工(アース・クラフト)』もまた、生み出す武具の特性を熟知していなければただのガラクタ生成能力だ。彼が発目に共感を覚えるのは、技術屋としての性だろう。

 

 そして、最終関門。地雷原エリア。

 地面に埋められた無数の地雷が、生徒たちの行く手を阻む。

 競技用の威力とはいえ、踏めば派手な爆煙と衝撃で吹き飛ばされる。

 

「さあ最終関門! 踏めばドカン! 見えてる地雷原だ! ちなみに地雷の位置はアーセナル先生が監修したって噂だが本当か!?」

「……俺が監修したら、一歩目で全員リタイアだ。……こんなおもちゃ、俺の管轄外だ」

 

 楔は鼻で笑った。

 彼が生成する地雷なら、踏んだ瞬間に起爆する単純なものではなく、踏んで足を離した瞬間に跳躍し、腰の高さで炸裂して内臓を破壊するような悪辣なトラップになるだろう。

 そんな殺意の塊を高校生の行事に仕込むわけがない。

 

 先頭を行く轟と、猛追する爆豪(ばくごう)勝己(かつき)

 二人は地雷を回避しながら、互いに牽制し合っていた。

 だが、その後方から、凄まじい爆発音と共に空を飛ぶ影があった。

 

 緑谷出久である。

 彼は掘り出した地雷を盾に集め、一斉に起爆させることで爆風を推進力に変え、一気にトップの二人を追い抜こうとしていた。

 

「……はっ。……馬鹿な奴だ」

 

 楔は、空を舞う緑谷を見て、思わず口角を吊り上げた。

 それは呆れであり、同時に称賛でもあった。

 

「……武器を攻撃に使うのではなく、移動手段……それも、自らの肉体を砲弾として射出するために使うとはな。……リスク管理もへったくれもない、狂人の発想だ」

 

 自分の身を危険に晒してでも、勝利をもぎ取ろうとする執念。

 それは楔が最も嫌う「非合理的で生存率を下げる行為」だが、同時に、彼がかつて見捨てられなかった「ヒーローの原石」が持つ輝きそのものでもあった。

 

 緑谷が轟と爆豪を追い抜き、そのままゴールテープを切る。

 スタジアムが揺れるほどの大歓声。

 1位、緑谷出久。

 無個性の少年が、個性持ちのエリートたちを、知恵と狂気だけでねじ伏せた瞬間だった。

 

「……ふん。……運が良かったな、緑谷」

 

 楔は、立ち上がって歓声に応える緑谷の姿を見下ろしながら、飲み干したお茶のボトルを握り潰した。

 その目は、先ほどまでの冷徹な解説者のものではなく、心配性の教師の色を帯びていた。

 

「……だが、そんな綱渡りがいつまで続く。……次に待っているのは、個人の力が剥き出しになる騎馬戦、そしてトーナメントだ。……小細工が通じなくなった時、お前はどうする」

 

 楔は視線を、悔しさに顔を歪める爆豪と、無表情のまま左手を握りしめる轟へと移した。

 特に轟の目は、先ほどよりもさらに深く、暗く沈殿していた。

 緑谷への敗北が、彼の中にある「父への拒絶」と「勝利への渇望」の矛盾を、より鋭利に研ぎ澄ませてしまったようだ。

 

「……面倒なことになりそうだ。……おい八木、聞いてるか。……お前の秘蔵っ子、とんでもない爆弾の導火線に火を点けやがったぞ」

 

 楔の独り言は、マイクの興奮した実況にかき消された。

 スタジアムの熱狂は最高潮に達している。

 だが、その熱の裏側で、生徒たちの心には歪な亀裂が走り始めていた。

 それを補修し、彼らが壊れないように足場を固めるのが、大人の仕事だ。

 

 楔は立ち上がり、ジャージの埃を払った。

 次の種目、騎馬戦。

 そこでは、より直接的な個性のぶつかり合いが展開される。

 万が一、生徒が暴走した時に即座に介入できるよう、彼は解説席を離れ、よりグラウンドに近い位置……「武器」の射程圏内へと移動を開始した。

 

「……残業確定だな、こりゃ」

 

 天土(あまつち)(クサビ)の背中は、華やかな祭りの喧騒とは無縁の、重苦しい義務感を背負って薄暗い通路へと消えていった。

 

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