第一種目・障害物競走の熱狂が冷めやらぬまま、スタジアムは異様な緊張感に包まれていた。
フィールドには、予選を突破した四十二名の生徒たちが集結している。彼らの視線が一点に集中している理由は、実況のマイクが高らかに宣言した残酷なルールにあった。
「第一種目の順位によってポイントが割り振られる! そして一位の
その瞬間、緑谷出久はただの高校生から、歩く一獲千金の宝箱へと変貌した。
周囲からの突き刺さるような視線。それは競技という枠を超え、生存競争における捕食者の目に近い。
解説席に座る
「悪趣味なルールだ。最上位を孤独な標的に仕立て上げ、集団心理で狩らせる。ヒーロー社会の縮図そのものだな」
「辛辣ぅ! でもそれが世の中ってもんだろアーセナル先生! さあ、一五分のチーム編成タイムだ! 誰と組むか、何を目指すか、ここで運命が決まるぜ!」
生徒たちが慌ただしく交渉を始める。
個性の相性、機動力、防御力。限られた時間の中で最適な「騎馬」を構築しなければならない。
楔の目は、その交渉の過程こそを評価していた。
プロの現場において、即席のチームアップは日常茶飯事だ。好き嫌いではなく、生存率を高めるために誰と手を組むべきか。その判断力こそが、現場での寿命を決定づける。
「……
楔は淡々と分析する。
誰もが一位を狙うが、そのリスクを背負う覚悟がある者は少ない。
そんな中、緑谷が選んだのは、
機動力、防御力、そしてサポートアイテムによる奇策。
逃げ切りに特化した編成だ。
「……なるほど。戦うのではなく、生き残ることを選んだか。賢明だ」
楔は僅かに評価を改めた。
自身の美学である「生存の最適化」に近い思考だ。
対照的に、轟焦凍のチームは盤石だった。
攻守ともに隙がない、まさに走る要塞だ。
「さあ時間だ! 第二種目・騎馬戦、スタートォ!!」
号砲と共に、フィールドが混沌の渦と化す。
全チームが緑谷へと殺到する中、緑谷チームは発目のジェットパックと麗日の無重力を組み合わせ、空へと逃れた。
「飛んだァ!? これには他のチームも手が出せない!」
「……いや、悪手だ」
楔の声が、マイクの興奮に水を差す。
彼は上空を見上げ、渋い顔で指摘した。
「空中は遮蔽物がない。……ただの的だぞ」
その言葉通り、遠距離攻撃を持つチームが一斉に対空射撃を開始する。
常闇のダークシャドウが辛うじて防御するが、着地際を狙われればひとたまりもない。
だが、ここで戦場の空気を一変させたのは、やはりあの男だった。
轟焦凍。
彼が右足を地面に踏み下ろした瞬間、フィールドの一角が白亜の世界へと塗り替えられた。
広範囲凍結。
迫り来る他チームの足を地面ごと凍らせ、物理的に行動不能にする。
騎馬の足を奪われた生徒たちがバランスを崩し、その隙に轟チームがハチマキを次々と奪取していく。
「……雑だ」
楔は、本日二度目となる苦言を呈した。
その視線は、轟が作り出した氷の原野に向けられている。
「地面の起伏を無視して、ただ冷気で蓋をしているだけだ。……あれでは氷の強度が均一にならない。場所によっては体重をかけただけで割れる脆い氷だ。……それに」
楔は、轟自身の様子を観察する。
彼の左半身、炎を司る側には霜が降り始めていた。
体温調整を放棄し、右側の氷結能力だけを酷使した代償だ。
自身の身体機能さえも犠牲にして、ただ「炎を使わない」という誓いを守るためだけに戦っている。
「……
楔の独り言は、スタジアムの歓声にかき消された。
轟の氷は強力だ。だが、それは彼自身の心身を蝕み、周囲の土壌さえも窒息させる、悲鳴のような冷たさを帯びている。
戦況は終盤へ。
1000万ポイントを巡り、轟チームと緑谷チームが激突する。
飯田の切り札「レシプロバースト」による超加速。
反応すら許されない速度で、轟の手が緑谷のハチマキを掠め取った。
「奪ったァ! 1000万ポイントは轟チームの手に!」
だが、緑谷は諦めない。
残された時間、彼は全開の「ワン・フォー・オール」を発動させ、轟へと突撃する。
その風圧だけで空気が歪む。
対する轟も、無意識のうちに左手……炎の半身に力を込める。
赤熱する拳。
氷の戒めを解き、本能で迎撃しようとしたその瞬間。
「……ッ!」
轟は直前で理性を引き戻し、炎を消して無理やり体勢を変えた。
緑谷の拳が空を切り、代わりに一番上のハチマキを奪い返す。
だが、それは一〇〇〇万ポイントのハチマキではなかった。
「タイムアップ!!」
マイクの宣言が、熱狂の終わりを告げる。
一位、轟チーム。
二位、爆豪チーム。
三位、心操チーム。
四位……緑谷チーム。
辛くも予選通過を果たした緑谷がその場に崩れ落ちる一方で、一位になったはずの轟は、自身の左手を見つめ、苦悶の表情を浮かべていた。
あの一瞬、炎を使おうとした自分への嫌悪。
父の影に抗いきれなかった弱さへの憤り。
楔は、モニターに映る轟の表情を見て、深いため息をついた。
「……勝って兜の緒を締めろと言うが。……あいつの場合、勝って自分の首を絞めているな」
彼は立ち上がり、マイクと相澤に背を向けた。
「……休憩だ。俺は少し席を外す。……喉が渇いた」
「えっ、アーセナル先生もう行っちゃうの!? 次はレクリエーションだぜ!?」
「……チアリーダーの応援合戦なんぞに興味はない。……それに、警備の巡回もしなきゃならんのでな」
楔は解説席を後にした。
生徒たちの熱気とは裏腹に、彼の胸中には重苦しい澱が溜まっていた。
轟焦凍の歪み。
それは単なる反抗期や家庭の不和といったレベルを超え、彼のヒーローとしての根幹を揺るがしかねない亀裂となっている。
土壌に合わない肥料を与えられ続けた植物が、その根を腐らせていくように。
「……やれやれ。……本当に、どいつもこいつも手のかかるガキだ」
楔は職員用通路を歩きながら、懐の煎餅を探った。
しかし、袋の中身は粉々になっており、まともな形のものは残っていない。
今の轟の精神状態そのものだ。
彼は静かな場所を求めて、普段は使われない非常階段の方へと足を向けた。
そこで、彼が聞くべきではない「氷点下の告白」を耳にすることになるとは知らずに。
祭りの喧騒から切り離された薄暗い踊り場で、物語は核心へと踏み込んでいく。