天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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歪な苗床、あるいは氷点下の告白

 

 

 太陽が頂点に達し、スタジアムの熱気は物理的な陽炎となって揺らめいていた。

 第一種目・障害物競走の興奮が冷めやらぬまま行われた第二種目・騎馬戦。それは、個人の走力のみならず、集団での連携と個性の相性、そして何より奪い合いという野性が試される戦場だった。

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、観客席の喧騒から離れたスタジアムの回廊の影で、モニター越しにその激戦を見つめていた。

 彼の目には、生徒たちが繰り広げる攻防が、極めて冷徹な戦術データとして映り込んでいる。

 

緑谷(みどりや)のチーム編成。発目(はつめ)の機動力と常闇(とこやみ)の防御、麗日(うららか)の無重力。理に適っているが、綱渡りだな。対して(とどろき)は、飯田(いいだ)の機動力と八百万(やおよろず)の創造、上鳴(かみなり)の広範囲放電で近寄らせない要塞を構築している)

 

 楔は、手元の特売緑茶を一口含んだ。

 轟の戦い方は、障害物競走の時と同じく、他者を拒絶する冷たさに満ちていた。

 特に、騎馬戦の終盤。彼が飯田の高速移動に合わせて放った冷気は、周囲の空間ごと敵を凍結させるごり押しの一手だった。

 だが、楔の目は誤魔化されない。

 あの一瞬、轟の左側である炎を司る半身が、拒絶反応を示すように微かに熱を帯び、それを本人が無理やり意志の力で封じ込めたのを、彼は見逃さなかった。

 

(自らの半身を呪っているのか。機能不全を起こすぞ、あのままじゃ)

 

 結果として、騎馬戦は轟チームが一位通過。緑谷チームも辛くも上位に残った。

 スタジアムは昼休憩に入り、生徒や観客たちが食事のために移動を始める。

 楔もまた、人混みを避けるために職員用通路の奥、普段は誰も使わないような非常階段の踊り場へと足を向けた。静かな場所で、湿気てしまった煎餅を片付けるためだ。

 だが、その踊り場の角を曲がろうとした時、彼の足がピタリと止まった。

 前方の薄暗い通路に、二人の少年の姿があったからだ。

 緑谷出久と、轟焦凍。

 二人は互いに距離を取り、張り詰めた空気の中で対峙していた。

 

「何だい。他の人には、聞かせられない話って」

 

 緑谷の緊張した声が、コンクリートの壁に反響する。

 楔は舌打ちを噛み殺し、気配を完全に消して壁の陰に身を潜めた。

 教師として、生徒のプライベートに立ち入る趣味はない。だが、今の轟が放っている危うい気配を放置して立ち去ることもまた、管理責任者として不適格だと判断したのだ。

 

「圧倒的だったな。さっきの君は」

 

 轟の口から語られたのは、緑谷に対するある種の疑念だった。

 オールマイトに似た雰囲気。彼との奇妙な距離感。

 そして、核心を突く問いかけ。

 

「君は、オールマイトの隠し子か何かか?」

 

 陰で聞いていた楔は、思わず吹き出しそうになるのを堪え、眉間を揉んだ。

 突飛な発想だ。だが、何も事情を知らない人間から見れば、そう見えても仕方がないほど、八木は緑谷に肩入れしている。

 緑谷が慌てて否定するのを聞きながら、楔は帰ろうと踵を返しかけた。

 だが、次に轟が口にした言葉が、楔の足をコンクリートに縫い付けた。

 

「隠し子じゃないというなら、いい。詮索するつもりはない。ただ、俺は――エンデヴァーの息子だ」

 

 そこから語られたのは、一人の少年の半生というにはあまりに重く、残酷な告白だった。

 No.2ヒーロー、エンデヴァー。

 万年2位という地位に絶望し、自らの手でオールマイトを超えることができないと悟った男が選んだ、狂気の手段。

 個性婚。

 強力な個性を持つ配偶者を選び、その遺伝子を掛け合わせ、最強の傑作を作り出すためだけの婚姻。

 

「俺の親父は、その実績と金で、母の親族を丸め込んで個性を手に入れた。俺は、親父の欲望を満たすためだけに作られた、最高傑作だそうだ」

 

 楔は、握りしめていたペットボトルの容器が歪むほどに力を込めていた。

 脳裏に浮かぶのは、かつて仕事で関わった氷叢(ひむら)家の記憶だ。

 彼らは、凍土を愛し、厳しい寒さの中で作物を育てるために、その冷気で土壌の水分を調整する、穏やかで誇り高い一族だったはずだ。

 その血が、実績と金で買われたというのか。

 土壌改良のための優しい個性が、最強の兵器を作るためのパーツとして搾取されたというのか。

 

「俺の記憶の中の母は、いつだって泣いてた。『お前の左側が醜い』って、俺に煮え湯を浴びせた」

 

 轟が自らの左顔にある火傷痕に触れる。

 緑谷が息を呑む気配が伝わってくる。

 楔は目を閉じ、静かに天井を仰いだ。

 母親に煮え湯を浴びせられた子供。

 だが、楔には分かる。その母親をそこまで追い詰めたのは、家庭という閉鎖空間で繰り返された、エンデヴァーによる精神的、肉体的な摩耗だ。

 大地を無理やり掘り返し、適合しない肥料を大量に流し込み、花が咲かないからといって毒を撒くような、愚劣極まりない育成。

 

「俺は、あいつの望み通りにはならない。俺は、あいつの個性(炎)を使わずに一番になって、あいつを完全否定する」

 

 轟の宣言は、決意というよりも、自らにかけた呪いのように響いた。

 緑谷は言葉を失い、ただその壮絶な告白を受け止めることしかできていない。

 轟が踵を返し、その場を去っていく足音が響く。

 緑谷もしばらく立ち尽くした後、重い足取りで食堂の方へと戻っていった。

 

 誰もいなくなった通路。

 楔は、ゆっくりと壁の陰から姿を現した。

 その表情からは、いつものやる気のなさは完全に消え失せていた。

 あるのは、プロの教育者として、そして大地を知る者としての、静かで底知れない憤怒だけだ。

 

「なるほどな。だから、あんなに土が悲鳴を上げるような凍らせ方しかできないわけだ」

 

 楔は独り言ちた。

 轟の氷が乱暴なのは、彼がその力を自分のものとして愛していないからだ。

 彼にとっての氷は、父への拒絶を示すための武器であり、母を壊した父への復讐の道具でしかない。

 だが、その根底にある氷叢の血は、本来もっと繊細で、大地と調和するものだったはずだ。

 

「エンデヴァー。貴様、とんだ三流園芸家だな」

 

 楔は、歪んだペットボトルをゴミ箱に放り投げた。

 その時、通路の奥から、轟とはまた別の、圧倒的な熱量を纏った巨躯が現れた。

 燃え盛る炎の髭。鋭い眼光。

 No.2ヒーロー、エンデヴァーその人だ。

 彼は息子を探しているのか、あるいはオールマイトを探しているのか、不機嫌そうに周囲を睥睨していた。

 そして、通路に立つ楔の姿を認めると、怪訝そうに眉を寄せた。

 

「貴様は。雄英の教師か。USJで脳無を止めたとかいう」

 

 エンデヴァーの声は、腹の底に響くような重低音だった。

 並のプロなら萎縮するほどの威圧感。

 だが、楔はポケットに手を突っ込んだまま、気だるげに彼を見上げた。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ、エンデヴァーさん。保護者席はあちらです」

「フン。貴様ごときに指図される覚えはない。焦凍(ショート)を見なかったか。あの反抗期めが、私の言うことを聞かん」

 

 エンデヴァーは、楔の横を通り過ぎようとする。

 その身体から発せられる熱気が、通路の空気を歪ませる。

 楔は一歩も動かず、すれ違いざまに、独り言のように呟いた。

 

「土壌に合わない肥料を撒けば、根が腐る。無理やり花を咲かせようとすれば、その花はいずれ自重で折れるか、毒を持つようになる」

 

 エンデヴァーが足を止めた。

 ゆっくりと振り返り、燃え盛る瞳で楔を睨みつける。

 

「何が言いたい」

「地理の授業の話ですよ。寒冷地の作物を、熱帯で育てようとしても無理がある。育てるなら、まずは土と対話することだ」

 

 楔は一度もエンデヴァーの方を見ず、ただ虚空を見つめて淡々と言葉を紡いだ。

 それは警告であり、教育者としての最大限の皮肉だった。

 エンデヴァーは鼻を鳴らし、侮蔑の色を隠そうともしなかった。

 

「くだらん。最高傑作は、私の手で完成させる。貴様のような三流が口を出す領域ではない」

 

 炎の熱波を残し、エンデヴァーは去っていった。

 楔はその後ろ姿を見送ることすらせず、深いため息をついた。

 

「三流、か。違いない」

 

 楔は自嘲気味に笑った。

 確かに、自分はオールマイトやエンデヴァーのような、世界を変える力を持つ一流ではない。

 ただの、地面を這いつくばる地理教師だ。

 だが。

 

「だがな、三流には三流の意地があるんだよ。俺の生徒の根っこを、これ以上腐らせてたまるか」

 

 楔の周囲の空気が、一瞬だけ鋭利に張り詰めた。

 コンクリートの床が、彼の感情に呼応するように微かに軋む。

 彼は懐から新しい煎餅を取り出そうとして、袋が空になっていることに気づき、舌打ちをした。

 午後の部、トーナメント戦。

 そこでは、轟焦凍という歪な苗床が、緑谷出久という太陽に晒され、どう変化するかが試されることになる。

 楔はジャージの襟を正し、再び喧騒の待つスタジアムへと歩き出した。

 もし、その苗が折れそうになった時は。

 あるいは、その炎が暴走して彼自身を焼き尽くそうとした時は。

 大地から無数の支柱を生やしてでも、強引に支えてやるのが、大人の仕事だ。

 スタジアムの大歓声が、遠くから響いてくる。

 祭りの熱狂の裏側で、天土(あまつち)(クサビ)は誰にも知られることなく、一つの重い覚悟を決めていた。

 

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