昼休憩の終わりを告げるチャイムが、熱狂の渦中にあるスタジアムに空しく響き渡った。
午後の部は、予選を勝ち抜いた十六名による一対一のガチンコ勝負、トーナメント戦である。
それは、チームワークや運の要素が削ぎ落とされ、個人の「実力」と「覚悟」のみが残酷なまでに暴かれる処刑台にも似たステージだ。
実況席に戻ってきた
その表情は、先ほどまでの気だるげなものとは異なり、どこか鋭利な刃物のような冷徹さを帯びている。
「何かあったんですか、天土先生。……随分と、殺気立っている」
「……いや。少しばかり、質の悪い肥料の臭いを嗅いだだけだ。……気にしないでくれ」
楔は短く答え、視線をフィールドへと戻した。
彼の脳裏には、先ほど非常階段の踊り場で聞いた、
土壌を無視した育成。親のエゴによる品種改良。
それがどれほど植物(子供)の根を腐らせ、歪な実を結ばせるか。
農業の話ではない。教育の話だ。
楔は、フィールドに入場してくる生徒たちの姿を見ながら、無意識にポケットの中の硬貨を弄んだ。
「さあ始まるぜ! 第一回戦、第一試合! ヒーロー科、
心操の個性は未知数だが、彼が放つ独特の暗いオーラは、華やかな体育祭の空気とは明らかに異質だった。
言葉による挑発。
緑谷の身体が、見えない糸に絡め取られたかのように硬直した。
「……掛かったな。洗脳か」
楔は冷静に分析した。
問いかけに対し、答えを返した者の精神を掌握する。
初見殺しの極みであり、対人戦闘においては最強に近いカードの一つだ。
緑谷の瞳から光が消え、彼は心操の命令に従って、自ら場外へと歩き出す。
「……なんて個性だ! 会話しただけでアウトかよ! ヴィラン向きだなオイ!」
マイクが無邪気に叫ぶが、楔の評価は違った。
彼は心操の立ち振る舞いに、ある種の「飢え」を見て取っていた。
強力すぎるがゆえに忌避され、ヒーロー向きではないと断じられてきた者の、システムへの復讐心。
それは、轟が抱える父親への復讐心とはベクトルが違うが、根底にある「認めさせたい」という渇望は同質だ。
「……ヴィラン向き、か。……浅いな、マイク。……この個性は、交渉、人質救出、暴動鎮圧において、無血で事態を収拾できる最強の『武器』になり得る。……使い手が、その心をどう律するかだけの話だ」
楔の言葉は、洗脳という行為そのものを否定しない。
むしろ、彼自身が『
だが、試合は予想外の展開を見せる。
場外負け寸前の緑谷が、指一本を犠牲にして強烈な衝撃波を放ち、激痛によって洗脳を強制解除したのだ。
骨が砕ける不快な音が、マイクを通さずとも楔の耳には届いた気がした。
「……またやったか、あの馬鹿」
楔は舌打ちをした。
自傷による覚醒。
それは合理的と言えば合理的だが、教育者としては看過できない「狂気」の領域だ。
緑谷はそのまま、痛みを堪えて心操を場外へと投げ飛ばした。
勝者、緑谷出久。
会場がどよめく中、楔は保健室のリカバリーガールの負担を思い、小さく頭を下げた。
そして。
第二試合。
会場の空気が、物理的に温度を下げる瞬間が訪れた。
「ヒーロー科、
二人がフィールドに立つ。
瀬呂が先手必勝とばかりにテープを射出し、轟を拘束して場外へ投げ飛ばそうとする。
良い判断だ。機動力と拘束力を活かした速攻。
だが、相手が悪すぎた。
そして何より、タイミングが悪すぎた。
今の轟焦凍は、ただの生徒ではない。
食堂裏で父親と対峙し、その怒りと憎悪を極限まで圧縮した、爆発寸前の火山だ。
いや、火山ではない。
彼が内包しているのは、マグマのような熱量を、絶対零度の氷で無理やり押し込めた「歪な高圧釜」だった。
「……悪かったな」
轟の呟きは、誰の耳にも届かなかっただろう。
だが、彼が右足を一歩踏み出した瞬間。
世界が凍りついた。
比喩ではない。
ドォォォォォォン!! という地鳴りと共に、巨大な氷の山脈がスタジアムを串刺しにしたのだ。
瀬呂はおろか、審判のミッドナイト、背後の観客席、そしてスタジアムの屋根近くまで届く、巨大な氷塊。
それは攻撃というよりは、天変地異だった。
会場中が静まり返る。
誰も言葉を発せない。あまりの質量差、あまりの理不尽な暴力に、恐怖すら感じるほどの沈黙。
「……ドンマイ」
氷に埋まった瀬呂に向けられた観客の同情の声が、唯一の救いだった。
だが、解説席にいる楔だけは、違う場所に意識を向けていた。
彼は立ち上がり、手すりを乗り出してフィールドの地面を凝視していた。
その瞳孔が開いている。
「……馬鹿野郎が」
楔が吐き捨てたのは、轟の強さに対する称賛ではない。
明確な、安全管理者としての焦りだった。
「……あれだけの質量……数千トンの氷が一瞬で生成されたんだ。……地盤への負荷計算はどうなっている。……スタジアムの地下構造には、避難用の空洞や配管が通っているんだぞ。……一点にこれだけの荷重がかかれば、最悪の場合、フィールドごと陥没する」
楔は即座に意識を大地へと沈ませた。
彼の個性『土細工』が発動する。
ただし、それは武器を作ることではない。
スタジアムの地下深層。轟が作り出した氷河の下にある土壌に対し、無数の「鋼鉄の杭」を打ち込み、地盤沈下を防ぐための補強工事を緊急で行ったのだ。
彼の脳内で、地下の岩盤が悲鳴を上げているのが聞こえる。
轟の氷は、ただ重いだけではない。
急激な低温によってコンクリートを収縮させ、脆くしている。
楔は、あたかも崩落寸前の鉱山を支える坑夫のように、意識だけで数千本の支柱を生成し、見えない場所でスタジアムの崩壊を食い止めた。
額に脂汗が滲む。
これは、脳無と戦った時以上に繊細で、神経を削る作業だった。
「……
楔はギリリと歯を噛み締めた。
轟は、瀬呂を倒すためだけにこれだけの氷を使ったのではない。
観客席にいる父親、エンデヴァーに見せつけるためだ。
『お前の炎なんぞ使わなくても、俺はこれだけで一番になれる』という、拒絶のメッセージ。
そのメッセージのために、彼は対戦相手も、会場の安全性も、そして何より自分自身の体温さえも犠牲にした。
試合終了後、轟は自身の左半身で氷を溶かし始めた。
だが、楔の仕事は終わらない。
氷が溶ければ、今度は大量の水が発生し、地盤を緩ませる。
彼は排水システムへのルートを確保するため、地下に土管代わりの「中空の槍」を生成し、水を誘導する作業に追われた。
「……天土先生? 顔色が悪いですよ」
相澤が心配そうに声をかけてくる。
楔は荒い息を整え、ハンカチで額の汗を拭った。
「……何でもない。……ただ、最近のガキは加減を知らないと思ってな。……教育的指導が必要だ」
楔は椅子に座り直した。
フィールドでは、氷が溶かされ、湯気が立ち上っている。
その白い霧の中で、轟焦凍は一人、誰とも目を合わせずに退場していく。
その背中は、勝利者のものではなく、深い雪山で遭難した子供のように孤独だった。
(……エンデヴァー。……お前が作ったのは最高傑作なんかじゃない。……あれは、今にも爆発しそうな不発弾だ)
楔は、次の試合のアナウンスを聞き流しながら、決意を固めていた。
このトーナメントのどこかで、轟の歪みは限界を迎える。
その時、彼が完全に壊れてしまわないように。
そして、彼が周囲を壊してしまわないように。
楔は、自らの個性を「武器」としてではなく、彼を支えるための「最後の留め金」として使う準備を始めた。
続いて行われた試合の数々。
それぞれの才能がぶつかり合う中で、楔の視線は常に会場の「安全」と、生徒たちの「精神状態」を行き来していた。
爆豪勝己と麗日お茶子の試合が近づいている。
容赦なき爆撃者と、ひたむきな挑戦者。
そこでもまた、楔は解説席から、残酷なまでの現実と、その先にある成長の可能性を語ることになるだろう。
だが、今の彼にとって最大の懸念事項は、やはり轟焦凍だった。
あの氷の下には、まだ誰も知らない、灼熱の炎が眠っている。
それを解き放つのが、緑谷出久という無鉄砲な起爆剤であることだけは、楔の長年の勘が告げていた。
「……やれやれ。……今日は煎餅を食う暇もないな」
その音は、これからの激闘を予感させるように、乾いた銃声のように解説席に響いた。
この主人公、毎回ペットボトル潰してんな