天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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コンクリートの悲鳴、あるいは氷点下の断絶

 

 

 昼休憩の終わりを告げるチャイムが、熱狂の渦中にあるスタジアムに空しく響き渡った。

 午後の部は、予選を勝ち抜いた十六名による一対一のガチンコ勝負、トーナメント戦である。

 それは、チームワークや運の要素が削ぎ落とされ、個人の「実力」と「覚悟」のみが残酷なまでに暴かれる処刑台にも似たステージだ。

 

 実況席に戻ってきた天土(あまつち)(クサビ)は、パイプ椅子に深く沈み込みながら、不機嫌そうに新しい特売茶のペットボトルを開封した。

 その表情は、先ほどまでの気だるげなものとは異なり、どこか鋭利な刃物のような冷徹さを帯びている。

 相澤(あいざわ)消太(しょうた)はその変化に気づいたのか、包帯の隙間から古傷の痛むような視線を彼に向けた。

 

「何かあったんですか、天土先生。……随分と、殺気立っている」

「……いや。少しばかり、質の悪い肥料の臭いを嗅いだだけだ。……気にしないでくれ」

 

 楔は短く答え、視線をフィールドへと戻した。

 彼の脳裏には、先ほど非常階段の踊り場で聞いた、(とどろき)焦凍(しょうと)の悲痛な告白と、エンデヴァーの傲慢な言葉がこびりついて離れない。

 土壌を無視した育成。親のエゴによる品種改良。

 それがどれほど植物(子供)の根を腐らせ、歪な実を結ばせるか。

 農業の話ではない。教育の話だ。

 楔は、フィールドに入場してくる生徒たちの姿を見ながら、無意識にポケットの中の硬貨を弄んだ。

 

「さあ始まるぜ! 第一回戦、第一試合! ヒーロー科、緑谷(みどりや)出久(いずく)! 対するは普通科、心操(しんそう)人使(ひとし)! 因縁の対決だァ!!」

 

 プレゼント・マイク(マイク)の絶叫と共に、緑谷と心操が対峙する。

 心操の個性は未知数だが、彼が放つ独特の暗いオーラは、華やかな体育祭の空気とは明らかに異質だった。

 言葉による挑発。

 尾白(おじろ)猿夫(ましらお)を侮辱するような心操の発言に、正義感の強い緑谷が激昂し、口を開いた瞬間。

 緑谷の身体が、見えない糸に絡め取られたかのように硬直した。

 

「……掛かったな。洗脳か」

 

 楔は冷静に分析した。

 問いかけに対し、答えを返した者の精神を掌握する。

 初見殺しの極みであり、対人戦闘においては最強に近いカードの一つだ。

 緑谷の瞳から光が消え、彼は心操の命令に従って、自ら場外へと歩き出す。

 

「……なんて個性だ! 会話しただけでアウトかよ! ヴィラン向きだなオイ!」

 

 マイクが無邪気に叫ぶが、楔の評価は違った。

 彼は心操の立ち振る舞いに、ある種の「飢え」を見て取っていた。

 強力すぎるがゆえに忌避され、ヒーロー向きではないと断じられてきた者の、システムへの復讐心。

 それは、轟が抱える父親への復讐心とはベクトルが違うが、根底にある「認めさせたい」という渇望は同質だ。

 

「……ヴィラン向き、か。……浅いな、マイク。……この個性は、交渉、人質救出、暴動鎮圧において、無血で事態を収拾できる最強の『武器』になり得る。……使い手が、その心をどう律するかだけの話だ」

 

 楔の言葉は、洗脳という行為そのものを否定しない。

 むしろ、彼自身が『土細工(アース・クラフト)』という破壊的な力を「清掃作業」として割り切っているように、心操の個性もまた、使いようによっては多くの命を救うメスになることを理解していた。

 

 だが、試合は予想外の展開を見せる。

 場外負け寸前の緑谷が、指一本を犠牲にして強烈な衝撃波を放ち、激痛によって洗脳を強制解除したのだ。

 骨が砕ける不快な音が、マイクを通さずとも楔の耳には届いた気がした。

 

「……またやったか、あの馬鹿」

 

 楔は舌打ちをした。

 自傷による覚醒。

 それは合理的と言えば合理的だが、教育者としては看過できない「狂気」の領域だ。

 緑谷はそのまま、痛みを堪えて心操を場外へと投げ飛ばした。

 勝者、緑谷出久。

 会場がどよめく中、楔は保健室のリカバリーガールの負担を思い、小さく頭を下げた。

 

 そして。

 第二試合。

 会場の空気が、物理的に温度を下げる瞬間が訪れた。

 

「ヒーロー科、瀬呂(せろ)範太(はんた)! 対するは同じくヒーロー科、推薦入学者・轟焦凍!!」

 

 二人がフィールドに立つ。

 瀬呂が先手必勝とばかりにテープを射出し、轟を拘束して場外へ投げ飛ばそうとする。

 良い判断だ。機動力と拘束力を活かした速攻。

 だが、相手が悪すぎた。

 そして何より、タイミングが悪すぎた。

 

 今の轟焦凍は、ただの生徒ではない。

 食堂裏で父親と対峙し、その怒りと憎悪を極限まで圧縮した、爆発寸前の火山だ。

 いや、火山ではない。

 彼が内包しているのは、マグマのような熱量を、絶対零度の氷で無理やり押し込めた「歪な高圧釜」だった。

 

「……悪かったな」

 

 轟の呟きは、誰の耳にも届かなかっただろう。

 だが、彼が右足を一歩踏み出した瞬間。

 世界が凍りついた。

 

 比喩ではない。

 ドォォォォォォン!! という地鳴りと共に、巨大な氷の山脈がスタジアムを串刺しにしたのだ。

 瀬呂はおろか、審判のミッドナイト、背後の観客席、そしてスタジアムの屋根近くまで届く、巨大な氷塊。

 それは攻撃というよりは、天変地異だった。

 会場中が静まり返る。

 誰も言葉を発せない。あまりの質量差、あまりの理不尽な暴力に、恐怖すら感じるほどの沈黙。

 

「……ドンマイ」

 

 氷に埋まった瀬呂に向けられた観客の同情の声が、唯一の救いだった。

 

 だが、解説席にいる楔だけは、違う場所に意識を向けていた。

 彼は立ち上がり、手すりを乗り出してフィールドの地面を凝視していた。

 その瞳孔が開いている。

 

「……馬鹿野郎が」

 

 楔が吐き捨てたのは、轟の強さに対する称賛ではない。

 明確な、安全管理者としての焦りだった。

 

「……あれだけの質量……数千トンの氷が一瞬で生成されたんだ。……地盤への負荷計算はどうなっている。……スタジアムの地下構造には、避難用の空洞や配管が通っているんだぞ。……一点にこれだけの荷重がかかれば、最悪の場合、フィールドごと陥没する」

 

 楔は即座に意識を大地へと沈ませた。

 彼の個性『土細工』が発動する。

 ただし、それは武器を作ることではない。

 スタジアムの地下深層。轟が作り出した氷河の下にある土壌に対し、無数の「鋼鉄の杭」を打ち込み、地盤沈下を防ぐための補強工事を緊急で行ったのだ。

 

 彼の脳内で、地下の岩盤が悲鳴を上げているのが聞こえる。

 轟の氷は、ただ重いだけではない。

 急激な低温によってコンクリートを収縮させ、脆くしている。

 楔は、あたかも崩落寸前の鉱山を支える坑夫のように、意識だけで数千本の支柱を生成し、見えない場所でスタジアムの崩壊を食い止めた。

 額に脂汗が滲む。

 これは、脳無と戦った時以上に繊細で、神経を削る作業だった。

 

「……氷叢(ひむら)の血が泣くぞ、轟。……大地はお前のサンドバッグじゃない」

 

 楔はギリリと歯を噛み締めた。

 轟は、瀬呂を倒すためだけにこれだけの氷を使ったのではない。

 観客席にいる父親、エンデヴァーに見せつけるためだ。

 『お前の炎なんぞ使わなくても、俺はこれだけで一番になれる』という、拒絶のメッセージ。

 そのメッセージのために、彼は対戦相手も、会場の安全性も、そして何より自分自身の体温さえも犠牲にした。

 

 試合終了後、轟は自身の左半身で氷を溶かし始めた。

 だが、楔の仕事は終わらない。

 氷が溶ければ、今度は大量の水が発生し、地盤を緩ませる。

 彼は排水システムへのルートを確保するため、地下に土管代わりの「中空の槍」を生成し、水を誘導する作業に追われた。

 

「……天土先生? 顔色が悪いですよ」

 

 相澤が心配そうに声をかけてくる。

 楔は荒い息を整え、ハンカチで額の汗を拭った。

 

「……何でもない。……ただ、最近のガキは加減を知らないと思ってな。……教育的指導が必要だ」

 

 楔は椅子に座り直した。

 フィールドでは、氷が溶かされ、湯気が立ち上っている。

 その白い霧の中で、轟焦凍は一人、誰とも目を合わせずに退場していく。

 その背中は、勝利者のものではなく、深い雪山で遭難した子供のように孤独だった。

 

(……エンデヴァー。……お前が作ったのは最高傑作なんかじゃない。……あれは、今にも爆発しそうな不発弾だ)

 

 楔は、次の試合のアナウンスを聞き流しながら、決意を固めていた。

 このトーナメントのどこかで、轟の歪みは限界を迎える。

 その時、彼が完全に壊れてしまわないように。

 そして、彼が周囲を壊してしまわないように。

 楔は、自らの個性を「武器」としてではなく、彼を支えるための「最後の留め金」として使う準備を始めた。

 

 続いて行われた試合の数々。

 塩崎(しおざき)(いばら)の植物による制圧。飯田(いいだ)天哉(てんや)の速度。常闇(とこやみ)踏陰(ふみかげ)の影の支配。

 それぞれの才能がぶつかり合う中で、楔の視線は常に会場の「安全」と、生徒たちの「精神状態」を行き来していた。

 爆豪勝己と麗日お茶子の試合が近づいている。

 容赦なき爆撃者と、ひたむきな挑戦者。

 そこでもまた、楔は解説席から、残酷なまでの現実と、その先にある成長の可能性を語ることになるだろう。

 

 だが、今の彼にとって最大の懸念事項は、やはり轟焦凍だった。

 あの氷の下には、まだ誰も知らない、灼熱の炎が眠っている。

 それを解き放つのが、緑谷出久という無鉄砲な起爆剤であることだけは、楔の長年の勘が告げていた。

 

「……やれやれ。……今日は煎餅を食う暇もないな」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、空になったペットボトルを握り潰した。

 その音は、これからの激闘を予感させるように、乾いた銃声のように解説席に響いた。

 






 この主人公、毎回ペットボトル潰してんな
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