天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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祭りの残滓、あるいは指名手配の紙切れ

 

 

 雄英体育祭、決勝戦。

 スタジアムを支配していた熱狂は、今や困惑と恐怖、そして一部の歪な興奮が混ざり合った異様な空気へと変質していた。フィールド中央で繰り広げられたのは、緑谷(みどりや)出久(いずく)との試合とは対照的な、一方的かつ消化不良な幕引きだった。

 爆豪(ばくごう)勝己(かつき)の放つ、空間をねじ切るような爆風の渦。対する(とどろき)焦凍(しょうと)は、その爆炎の中で立ち尽くしていた。彼の左半身から、先ほどまでの猛々しい炎は消え失せている。

 緑谷との戦いで蓋を開けたはずの熱を、彼は自らの意思で再び封じ込めたのだ。あるいは、あまりに急激な感情の奔流に、身体と心が追いつかずにショートしたのかもしれない。

 爆豪の絶叫が響く。ふざけるな、全力で来いという、勝利への渇望とプライドが入り混じった悲痛な叫び。だが、その願いは届かない。轟は炎を使わず、ただ右側の氷だけで応戦し、そして爆豪の最大火力であるハウザーインパクトの前に沈んだ。

 

 場外に弾き飛ばされ、意識を失った轟。

 煙が晴れたフィールドに立っていたのは、勝利の喜びに浸る勝者ではなく、屈辱に顔を歪め、意識を失った敗者の胸倉を掴んで揺さぶる、獣のような姿の爆豪だった。

 

「何やってんだクソがァ!! こんなんで、勝てるかよォ!!」

 

 ミッドナイト(香山睡)|のスリープ香によって強制的に眠らされ、爆豪が倒れ込む。

 勝者、爆豪勝己。

 会場にアナウンスが流れるが、そこにカタルシスはない。あるのは、圧倒的な強者同士がぶつかり合った末に残った、苦い澱のような後味だけだった。

 天土(あまつち)(クサビ)は、セメントスの横でその光景を見上げながら、懐の空になった煎餅の袋を握り潰した。その瞳には、憐憫も嘲笑もない。ただ、事実を冷徹に検分するプロの光が宿っていた。

 

「当然の帰結だ。緑谷との試合で全てを出し尽くし、自分の中の矛盾と向き合ってしまった直後だ。すぐに切り替えて戦えるほど、あいつの器はまだ完成しちゃいない」

 

 轟の迷いは致命的だった。

 戦場において、迷いは死に直結する。今回は競技だから敗北で済んだが、もしこれがヴィランとの死闘であれば、轟は爆豪の初撃で命を落としていただろう。

 そして爆豪もまた、この勝利に納得できるはずがない。彼が求めているのは完膚なきまでの完全勝利であり、相手が手を抜いたように見える形での勝利など、敗北以下の汚点に過ぎないのだ。

 

「どいつもこいつも、面倒な業を背負い込みやがって。これじゃあ、表彰式が葬式になりかねんぞ」

 

 楔は吐き捨てるように言い、重い腰を上げた。

 祭りは終わった。だが、彼の仕事はまだ残っている。半壊したステージの応急処置、観客の誘導、そして何より、傷ついた生徒たちのケアという、果てしない残業の山が彼を待っていた。

 

 表彰式。

 その光景は、楔の予言通り、異様極まりないものとなった。

 一位の台座に立つ爆豪勝己は、全身を拘束具で巻かれ、口には噛みつき防止のマスクを装着され、まるで猛獣のように鎖で繋がれていたからだ。暴れるから拘束しました、という雄英側の説明に、観客たちはドン引きしつつも、その狂犬ぶりに苦笑いを浮かべている。

 二位の轟は、沈んだ表情で俯いている。三位の常闇(とこやみ)踏陰(ふみかげ)だけが、唯一まともな態度で佇んでいた。

 八木(やぎ)俊典(としのり)――オールマイトが、空から舞い降りてメダルを授与していく。彼は生徒一人ひとりに言葉をかけ、抱きしめる。拘束された爆豪に対しても、そのマスク越しに言葉を交わし、無理やりメダルを口に咥えさせた。

 

 楔は、スタジアムの最上段、照明塔の影からその様子を眺めていた。手には、先ほど売店で自腹購入した新しい煎餅の袋がある。

 

「平和の象徴ってのも楽じゃないな。あんな狂犬の手綱まで握らなきゃならんとは」

 

 バリ、と音を立てて煎餅を噛み砕く。

 だが、楔は知っている。あの爆豪の姿は、滑稽に見えるかもしれないが、その本質は強さへの純粋すぎる執着だ。彼は誰よりも勝利に飢え、誰よりも自分に厳しい。その歪んだ向上心は、正しく導けば最強のヒーローになる資質だ。逆に、一歩間違えれば修復不可能な怪物にもなり得る。

 

「エンデヴァーの息子に、オールマイトの後継者、そしてあの狂犬。今年のA組は、豊作を通り越して劇薬の詰め合わせだ」

 

 楔は視線を、観客席から去っていくエンデヴァーの背中に向けた。

 その背中は、息子が決勝で炎を使わなかったことへの不満を撒き散らしていた。自分の道具が思い通りに動かなかったことへの苛立ち。

 

「精々、今のうちにふんぞり返っておくんだな、三流園芸家。お前の作った苗床は、もうお前の管理下にはない」

 

 楔は独り言ちると、最後の一枚を口に放り込み、影の中に姿を消した。

 風に乗って、花火の音が遠くで鳴り響く。祭りの終わりは、次なる戦いの始まりの合図でもあった。

 

 翌々日。

 振替休日を挟み、日常が戻ってきた1年A組の教室。

 だが、その日常は以前とは決定的に異なっていた。登校中の電車で声をかけられたり、ニュースで自分たちの顔が流れたりと、生徒たちは有名人になったことの実感を噛み締めていた。

 ホームルームの時間。

 教室の扉が開き、包帯が取れてスッキリした相澤消太が入ってくる。そして、その後ろから、あくびを噛み殺しながら天土楔も入室してきた。彼は教卓の端に寄りかかり、面倒そうに手元の資料をペラペラと捲っている。

 

「おはよう。今日の本題は、ヒーロー情報学の特別回だ」

 

 相澤の言葉に、生徒たちが身構える。

 テストか、あるいはまた抜き打ちの演習か。緊張が走る中、相澤は黒板に大きな文字を書いた。

 

『コードネーム考案 および職場体験指名発表』

 

 どっと歓声が上がった。

 ヒーロー名の決定。そして、プロヒーローからの指名。それは彼らがプロへの第一歩を踏み出すための、最も華やかで具体的なイベントだ。

 

「だがその前に、プロからの指名状況を発表する。今年は豊作だ」

 

 相澤が黒板に集計結果を表示する。グラフが伸びる。

 一位、轟焦凍。二位、爆豪勝己。

 その数は数千件に及び、圧倒的な注目度を示していた。

 しかし、楔は横から口を挟んだ。冷や水を浴びせるような、淡々とした口調で。

 

「浮かれるなよ。この指名は、あくまで今の時点での興味本位だ。お前らが将来性のある株だと思われているに過ぎない。実力が伴わないと判断されれば、この数字は一瞬でゼロになる。特に轟、爆豪」

 

 楔が二人の名を呼ぶ。教室の空気がピリつく。

 

「轟。お前の票の半分は、親の七光りと、決勝で見せたあの未完成な炎への期待値だ。安定しない力に価値はないと知れ。爆豪。お前は優勝者だが、表彰式でのあの態度のせいで、実力はあるが扱いにくいと敬遠された票も多い。プロの世界は、強さだけじゃ回らない」

 

 厳しい指摘。だが、それは紛れもない事実だった。

 轟は黙って俯き、爆豪は「ケッ」と悪態をつきながらも反論はしなかった。楔の言葉には、USJや体育祭で見せた実力に裏打ちされた説得力があったからだ。

 

「逆に、指名がなかった奴らも腐るな。これからお前らは職場体験に向かう。そこで現場の空気を吸い、プロの仕事を盗んでこい。学校じゃ教えられない、泥臭い現実をな」

 

 楔は言いながら、緑谷の方を一瞥した。

 指名数、ゼロ。

 優勝者でありながら、あの自滅的な戦い方がプロたちに危険すぎると判断された結果だ。緑谷がショックで固まっているのを見て、楔は心の中で苦笑した。

 当然だ。自分の身体を爆弾に変えて突っ込むような奴、怖くて雇えるか。だが、そんなお前を拾う物好きも、世の中にはいるもんだが。

 楔は知っている。八木から聞いた話だ。オールマイトの師匠にあたる古強者、グラントリノ(酉野空彦)|からの指名が届いていることを。あの老人は、楔ですら一目置く生きた伝説だ。緑谷の矯正にはうってつけだろう。

 

「さて、まずはコードネームだ。名前は体を現す。自分がどう呼ばれたいか、どうありたいか。一生背負うつもりで考えろ」

 

 相澤が進行をミッドナイトにバトンタッチする。

 生徒たちがフリップに名前を書き始める中、楔は教室の隅で特売茶を啜っていた。彼の仕事は、生徒たちのネーミングセンスを審査することではない。彼らが選んだ名前と、その覚悟を見届けることだ。

 時間が過ぎ、生徒たちが次々と名前を発表していく。

 輝かしい名前、奇抜な名前、そして覚悟を決めた名前。

 飯田(いいだ)天哉(てんや)の番が来た時、楔の目が細められた。

 飯田は震える手でフリップを掲げた。そこに書かれていたのは、兄のヒーロー名「インゲニウム」ではなく、ただの「天哉」という本名だった。

 

「飯田くん、本当にそれでいいの?」

 

 緑谷が心配そうに尋ねる。

 飯田は顔を上げず、硬い声で「ああ」とだけ答えた。その背中には、以前のような委員長としての快活さはなく、重く冷たい影が落ちていた。

 兄の事件を知ったか。

 楔は察した。保須市で起きた「ヒーロー殺し」による襲撃事件。被害者は飯田の兄、インゲニウム。一命は取り留めたものの、ヒーロー活動は再起不能という残酷な報せ。

 飯田が選んだ「天哉」という名は、まだ兄の名を継ぐ資格がないという自戒か、あるいは復讐への助走か。

 真面目な奴ほど、折れる時は一気にいく。白雲(しらくも)|の時もそうだった。

 楔の脳裏に、かつての教え子の記憶が過る。彼は静かに椅子から立ち上がり、飯田の席の横を通り過ぎる際、誰にも聞こえないほどの小声で囁いた。

 

「視野を狭めるなよ、委員長。前だけ見て突っ走れば、横から来るトラックに轢かれるぞ」

 

 飯田の肩がビクリと震える。

 だが、彼は振り返らなかった。その目は、復讐という一点だけを見つめて固定されていた。

 楔はため息をつき、教室を出た。

 職場体験。それは生徒たちが初めて学校の庇護を離れ、社会の荒波に揉まれる期間。そして同時に、楔の目が届かない場所で、彼らが致命的な過ちを犯すリスクが最も高まる期間でもある。

 

「保須市、か。嫌な予感がしやがる」

 

 廊下の窓から見える空は、高く澄み渡っていた。

 だが、その青さの下で、悪意は確実に蠢いている。ヒーロー殺しステイン。その歪んだ刃が、自分の教え子に向けられる未来を幻視し、天土(あまつち)(クサビ)は不快そうに舌打ちをした。

 彼ができるのは、せめて万が一の事態に備え、自身の個性『土細工(アース・クラフト)』の整備をしておくことだけだった。

 

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