天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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粛清の刃、あるいは大人の教育的指導

 

 

 保須市の路地裏は、血と氷、そして焦熱が入り混じる地獄の坩堝と化していた。

 ヒーロー殺しステイン。

 その歪んだ信念は、確かな実力と殺意によって支えられている。

 緑谷(みどりや)出久(いずく)の機動力、(とどろき)焦凍(しょうと)の広範囲攻撃。雄英でもトップクラスの実力を持つ二人がかりでさえ、この殺人鬼を止めることは叶わない。

 ステインは舞うように刃を振るい、緑谷の蹴りを躱し、轟の炎を切り裂く。そして隙を見てはナイフを投擲し、二人の体力を削り取っていく。

 

「いい動きだ。だが、その攻撃には殺意が足りん。お前たちは人を救うために力を振るうが、俺は人を殺すために振るう。その覚悟の差が、一瞬の遅れを生む」

 

 ステインの低い声が響く。

 轟が氷壁を展開するが、それは一太刀の下に粉砕される。飛び散る氷片の中で、轟は焦りを滲ませた。

 速い。そして強い。

 何より、こちらの動きが完全に見切られている。

 

「動け……! 動いてくれ僕の身体!」

 

 地面に転がったままの飯田(いいだ)天哉(てんや)が、血涙を流しながら叫ぶ。

 彼の目には、自分の身代わりとなって傷ついていく友人たちの姿が焼き付いている。

 兄の仇。復讐。

 その私情が二人を巻き込んだ。自分の視野の狭さが、彼らを死地へと引きずり込んだのだ。

 

「やめろ……もういい! 僕なんかのために……!」

「友達が助けを求めているなら、助けるのがヒーローだろ飯田くん!」

 

 緑谷の叫びが、飯田の心を打つ。

 轟もまた、炎の壁を作りながら言い放つ。

 

「言ったはずだ。立ち上がれと。……なりてえもんちゃんと見ろ!」

 

 その言葉が、凍りついていた飯田のエンジンに火を点けた。

 麻痺が解け始める感覚。

 飯田は軋む身体を無理やり起こし、折れたマフラーから最大出力の排気炎を噴き出した。

 レシプロバースト。

 彼の脚が唸りを上げ、ステインの背後へと肉薄する。

 

「インゲニウムの名は……僕が継ぐ!!」

 

 飯田の蹴りと、緑谷のパンチが同時にステインを捉えた。

 鈍い衝撃音が路地に響き、ステインの身体が大きく吹き飛ぶ。

 決まったか。

 三人がそう思った瞬間、空中で姿勢を制御したステインが、不気味な笑みを浮かべた。

 彼の執念は、肉体的なダメージを超越している。

 

「素晴らしい。……だが、まだ偽物だ」

 

 ステインは着地と同時に跳躍した。

 その切っ先が狙うのは、着地の隙を晒した飯田の首筋。

 速い。反応できない。

 死の予感が、飯田の脳裏を白く染め上げる。

 

 その時。

 路地裏の狭い空気を、暴虐的な質量が押し潰した。

 

 轟音。

 ステインと飯田の間に、空から「何か」が降ってきたのではない。

 壁が爆ぜ、隣のビルを貫通して、一台の鉄塊が飛び込んできたのだ。

 軍用バイク。

 それがドリフトしながら二人の間に割って入り、ステインの刃を鋼鉄のボディで受け止めた。

 金属が削れる火花が散る。

 

「……授業中だぞ、お前ら」

 

 低く、地を這うような声。

 バイクに跨っていたのは、防刃コートをなびかせた天土(あまつち)(クサビ)だった。

 彼はステインの刃をバイクの装甲で弾くと、そのままアクセルターンを決め、後輪でステインを強引に弾き飛ばした。

 

「天土先生……!?」

 

 緑谷たちが驚愕の声を上げる。

 楔はバイクから降りると、それを一瞬で砂へと還元し、ポケットに手を突っ込んだままステインと対峙した。

 その背中からは、今まで見たこともないほど濃密な、冷え切った怒気が立ち上っている。

 

「……雄英の教師か。……邪魔をするな。こいつらは正されるべき贋作だ」

 

 ステインが体勢を立て直し、舌なめずりをする。

 その瞳は狂気を帯びているが、同時に殉教者のような静けさも持っている。

 だが、楔は鼻を鳴らしただけだった。

 

「贋作? 本物? ……くだらん美術論を垂れるな、殺人鬼」

 

 楔が一歩踏み出す。

 ステインが動く。神速の踏み込み。

 だが、その刃が楔に届くことはない。

 楔の足元から、無数の「剣山」が瞬時に隆起したからだ。

 コンクリートが鋭利な刃となり、ステインの進行ルートを物理的に塞ぐ。

 

「……個性か。だが、死角はある!」

 

 ステインは壁を蹴り、空中から楔の頭上を取る。

 死角からの急降下攻撃。

 しかし、楔は上を見ることすらしなかった。

 彼が指を鳴らした瞬間、周囲の空間に、空中に浮遊する「散弾銃」が数十丁生成された。個性を応用した自動迎撃システムの片鱗。

 銃口が一斉にステインを向き、火を噴く。

 

 回避不能の弾幕。

 ステインは空中で身体を捻り、ナイフで弾丸を弾こうとするが、物理的な質量差は如何ともし難い。

 数発の弾丸が彼の肩と太腿を貫き、地面へと叩き落とす。

 

「がはっ……!」

「……俺は生徒たちほど甘くない。手加減もしないし、お前の思想にも興味がない」

 

 楔は倒れたステインに歩み寄る。

 ステインが最後の力を振り絞り、隠し持っていたナイフを投擲する。

 だが、そのナイフは楔の目の前で、突如出現した「透明な盾」のようなものに阻まれて落ちた。

 よく見れば、それは極薄のダイヤモンド製シールドだ。炭素結合を操作し、一瞬で生成された最強の盾。

 

「お前が殺したヒーローの中には、俺の知人もいた。……いい迷惑だ。おかげで葬式が増えた」

 

 楔はステインの目の前で足を止めた。

 そして、右手をかざす。

 地面から「拘束具」が生成される。それは手錠のような生温いものではない。

 重厚な鋼鉄の棺桶が、ステインの四肢を完全にロックし、指一本動かせないように固定した。

 完全制圧。

 戦略級の実力者にとって、個人の武など、準備運動にもならない。

 

「……貴様……何者だ……。信念なき力は……」

「公務員だ。残業代が出ないなら、こんな所には来ない」

 

 楔は冷たく言い放ち、ステインの意識を刈り取るように、生成した鉄の棒で首筋を強打した。

 ステインが気絶する。

 路地裏に静寂が戻る。

 

 楔はふぅと息を吐き、振り返った。

 そこには、呆然と立ち尽くす三人の生徒の姿があった。

 特に飯田は、自分の無力さと、教師の圧倒的な力を見せつけられ、言葉を失っている。

 楔は彼らに歩み寄ると、まず緑谷と轟の頭を、拳骨で軽く小突いた。

 

「……許可なく戦闘行為を行った罰だ。あとで始末書を書かせるからな」

「は、はい……」

「すみません……」

 

 そして、最後に飯田の前に立った。

 飯田は震えていた。

 怒られることへの恐怖ではない。自分が犯した過ちの重さに、今更ながら押し潰されそうになっているのだ。

 楔はしゃがみ込み、飯田の目線を合わせた。

 

「……満足か、委員長」

 

 静かな問いかけ。

 飯田の目から、再び涙が溢れ出した。

 

「……いえ。……僕は、復讐に目が眩んで……友人を危険に晒して……ヒーロー失格です……」

「そうだな。失格だ。お前は私情で動き、プロとしての職務を放棄した」

 

 楔の言葉は容赦がない。

 だが、彼は懐からハンカチを取り出すと、それを飯田の顔に投げつけた。

 

「だが、まだ学生だ。……一度や二度の失敗で終わるなら、学校なんていらん」

 

 飯田が顔を上げる。

 楔は立ち上がり、夜空を見上げた。

 遠くでサイレンの音が聞こえる。警察とプロヒーローたちが近づいてきている。

 

「インゲニウムの名を継ぐんだろ。……なら、こんなドブ川で腐ってる暇はないはずだ。……立てるか」

 

 差し出された手。

 その手は、武骨で、土埃にまみれていた。

 飯田はその手を掴み、嗚咽を漏らしながら立ち上がった。

 

「……はいっ……!」

 

 楔は飯田の手を引き上げると、すぐに手を離し、背を向けた。

 説教は終わりだ。これ以上は野暮になる。

 彼は気絶したステインの方へ戻り、その身柄を警察に引き渡す準備を始めた。

 

「……さて。マニュアルたちも来る頃だ。……ここからが本当の仕事だぞ、お前ら。……世間への言い訳と、事後処理という名の泥仕合が待っている」

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、遠くから聞こえるヘリコプターの音を聞きながら、また特売茶が飲みたくなった。

 英雄的な勝利の後に待っているのは、いつだって退屈で面倒な現実だ。

 だが、生徒たちが生きてその現実を迎えられるなら、安いものだと彼は思った。

 路地裏の闇が晴れ、パトカーの赤色灯が彼らの顔を照らし始めていた。

 

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