天土楔の憂鬱な教職日誌   作:金属粘性生命体

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期末試験、所謂嵐の前の静けさ
日常の亀裂、あるいは成長という名の地殻変動


 

 

 職場体験という名の嵐が過ぎ去り、雄英高校1年A組の教室には、表面上はいつも通りの日常が戻ってきていた。

 だが、その空気の質は、一週間前とは決定的に異なっている。

 机を並べる生徒たちの顔つき、立ち振る舞い、そして放つ気配。それら全てが、現場という泥水を啜った者特有の、微かな、しかし確かな緊張感を帯びていたからだ。

 

 ホームルーム直前の教室。

 話題の中心はやはり、世間を震撼させたヒーロー殺しステインのニュースだった。

 

「いやー、ニュース見た? 保須の事件、マジで怖かったな」

「エンデヴァーたちが解決したって話だけど、動画見た? あのステインって奴、なんか凄味があったよな。執念っていうかさ」

 

 上鳴(かみなり)電気(でんき)瀬呂(せろ)範太(はんた)が、スマホの画面を見ながら軽口を叩いている。

 彼らに悪気はない。現場の真実――つまり、クラスメイトの三人が死闘を繰り広げた事実を知らされていないのだから、それをただのニュースとして消費するのは無理もないことだ。

 だが、その会話を耳にした飯田(いいだ)天哉(てんや)は、教科書を整理する手を一瞬止め、しかしすぐに作業を再開した。

 その背中は以前よりも一回り大きく、そして重く見えた。彼の左腕には、まだ包帯が巻かれている。神経損傷という代償は、彼が「インゲニウム」を継ぐための、生涯消えない戒めとして刻まれたのだ。

 

 その様子を、教室の隅にある教卓から、特売の緑茶(二リットルボトル)越しに観察している男がいた。

 天土(あまつち)(クサビ)である。

 彼はあくびを噛み殺し、死んだ魚のような目で生徒たちの生態を観察していた。

 

(上鳴、瀬呂。平和ボケしているようだが、現場を知らないということは、ある意味で幸せなことだ。対して飯田、緑谷、轟。あの三人は、既に『向こう側』の空気を吸ってしまった顔をしている)

 

 楔は視線を緑谷(みどりや)出久(いずく)に移した。

 緑谷は机に向かい、いつものようにブツブツと独り言を呟きながらノートを取っているが、その身体からは以前のような力の暴走を恐れる萎縮が消えている。

 グラントリノ(酉野空彦)の指導。

 あのジェット機のような老人が、緑谷に何を叩き込んだのか。楔は興味なさそうに視線を逸らし、手元の出席簿を閉じた。

 

「チャイムが鳴ったぞ。席に着け、予備軍ども」

 

 楔の低い声が教室に響く。

 一瞬で静まり返る生徒たち。

 このやる気のない地理教師が、実は戦略級の実力者であることを、体育祭とUSJ事件を経て彼らは骨の髄まで理解している。だからこそ、その怠惰な態度の裏にある凄味に敏感になっていた。

 

「今日の午後は『ヒーロー基礎学』だ。久しぶりの実技演習になる。場所は演習場ガンマ。コスチュームに着替えて集合しろ。遅れた奴は、俺の特製『対人地雷原』の掃除当番だ」

 

 生徒たちが悲鳴を上げかけ、慌てて飲み込む。

 冗談に聞こえないのが、天土楔という男の恐ろしさだ。

 

 演習場ガンマ。

 そこは迷路のように入り組んだ工場地帯を模したエリアだ。無数の配管、鉄骨、そして複雑な高低差が、侵入者の視界と退路を奪うように設計されている。

 コスチュームに身を包んだ生徒たちが整列する前で、楔はコンクリートの瓦礫に腰掛け、気だるげに説明を始めた。

 

「今回のテーマは『救助競争』だ。この迷路のどこかにいる要救助者(オールマイト人形)を見つけ出し、誰よりも早くスタート地点まで連れ帰る。単純なルールだが、一つだけスパイスを加えてある」

 

 楔が指を鳴らす。

 途端に、演習場全体の地面が不気味に波打ち、軋むような音を立てた。

 彼の手によって、平坦だった通路には感知式のクレイモア地雷(非殺傷性)が埋設され、壁面からは迎撃用の銃座が鎌首をもたげた。

 地形を変えることはできない。だが、地形そのものを「武器庫」に変えることは可能だ。

 

「戦場は常に敵だと思え。足元がお前たちを歓迎してくれるとは限らない。さあ、位置について。よーい、スタート」

 

 気の抜けた合図と共に、生徒たちが一斉に飛び出す。

 先頭を切ったのは、やはり瀬呂(せろ)範太(はんた)だった。彼のテープによる立体機動は、この複雑な地形において無類の強さを発揮する。

 

「へへっ! 悪いけど頂くぜ!」

 

 瀬呂が鉄骨の間を縫うように加速する。

 彼が次の足場として狙ったのは、太い配管の上部だった。

 だが、着地の一瞬前。

 楔が遠隔で起動させた罠が作動した。

 配管の表面から、無数の鋭利な「鉄菱(まきびし)」が瞬時に生成されたのだ。

 忍者道具であり、古来より使われる足止め兵器。

 

「うわっ!?」

 

 着地すれば足裏を串刺しにされる。

 瀬呂は空中で無理やり体勢を変えようとしてバランスを崩し、テープの射出が遅れて下の階層へと落下していった。

 それを見ていた他の生徒たちが動揺する中、爆音と共に突っ込んできたのは爆豪(ばくごう)勝己(かつき)だ。

 

「関係ねェ! 邪魔なモンは全部ぶっ壊して進むだけだァ!!」

 

 爆豪は爆風で空を飛び、楔の仕掛けた鉄菱や地雷を強引に誘爆させながら突破していく。

 多少の罠など、彼の反応速度と火力の前には無意味か。

 楔は遠くからその様子を眺め、口元を歪めた。

 

「相変わらずの重機野郎だ。だが、それだけじゃ足りんぞ」

 

 楔が視線を向けたのは、爆豪の後ろではなく、複雑なパイプラインを縫うように跳躍する緑谷の姿だった。

 その動きに、楔の目が細められる。

 以前の緑谷なら、個性を使うたびに立ち止まり、指を犠牲にするような痛々しい挙動だった。だが、今は違う。

 全身に緑色の電光を纏い、常時身体能力を底上げした状態で、流れるように武器の隙間を潜り抜けている。

 

(『常時発動』か。出力は抑えているが、身体操作の精度が段違いに上がっている。グラントリノの爺さん、いい仕事をしやがる)

 

 ワン・フォー・オール・フルカウル。

 緑谷が見つけた、力を自分のものにするための答え。

 彼は壁を蹴り、配管を滑り、爆豪に肉薄する速度で迷宮を駆け抜けていく。その動きは、かつて楔が見たグラントリノの跳弾のような予測不能さを帯び始めていた。

 

「デクゥゥゥ! てめェ、いつの間にそんな動きを覚えやがった!!」

 

 爆豪が焦りと怒りを露わにする。

 緑谷は答えない。ただ、目の前の障害と、救助という目的だけに集中している。その集中力は、保須市での死闘を経て研ぎ澄まされた、本物のヒーローのそれだ。

 

「面白い」

 

 楔は瓦礫から立ち上がり、右手を軽く振った。

 演習場の難易度を、さらに一段階引き上げる。

 ゴール手前の広場。

 そこにある地面から、巨大な鋼鉄の塊が次々と隆起した。

 壁ではない。

 それは、戦車の進行を阻むための対戦車障害物「チェコの針鼠」の山と、その隙間を埋めるように配置された自動制御のガトリング砲塔群だった。

 物理的な壁を作ることはできずとも、武器を積み上げて要塞化することは造作もない。

 

「さあ、どうする。ただ速いだけじゃ、この弾幕は抜けんぞ」

 

 先生、殺す気か! という生徒たちの悲鳴が聞こえる。

 だが、楔は容赦しない。ヴィランは待ってくれないからだ。

 爆豪が吼える。障害物ごと吹き飛ばそうと最大火力を溜める。

 だが、それより一瞬早く、緑谷が動いた。

 彼は障害物の隙間、わずかな射線の死角を縫うように連続で跳躍し、発射される模擬弾を紙一重で回避しながら、砲塔の上へと到達したのだ。

 

「5%! デトロイト・スマッシュ!」

 

 緑谷の拳が、砲塔のセンサー部を正確に撃ち抜く。

 機能停止。

 爆豪が呆然と見上げる中、緑谷がゴール地点に着地し、荒い息を吐きながらも笑顔を見せた。

 

「勝った……!」

 

 その姿に、クラス中がどよめいた。

 あのドンケツだった緑谷が、機動力において爆豪と互角、いや、脅威への対応力においては上回ったのだ。

 楔は生成した兵器群を砂に戻し、ゆっくりと生徒たちの元へ歩み寄った。

 

「そこまで。緑谷、一位だ。文句なしの動きだった」

 

 楔が短く告げると、緑谷は嬉しそうに、しかしどこか恐縮したように頭を下げた。

 爆豪は悔しさに顔を歪め、地面を蹴りつけている。飯田や轟も、緑谷の成長に刺激を受けたのか、静かな闘志を燃やしているのが分かる。

 

「お前ら、職場体験で遊んできたわけじゃないようだな。特に緑谷。お前はもう、自分の手足を爆竹だと思わなくていい。ようやく、スタートラインに立ったな」

 

 楔の言葉は、彼にしては珍しい称賛だった。

 緑谷が顔を輝かせる。

 だが、楔はすぐにいつもの死んだ魚のような目に戻り、釘を刺した。

 

「だが、調子に乗るなよ。これから期末テスト、そして林間合宿が待っている。今回のような遊び場じゃなく、本物の地獄を見ることになるかもしれん」

 

 期末テスト。

 その言葉に、生徒たちの顔に再び緊張が走る。

 雄英のテストが、ただのペーパーテストで終わるはずがない。

 楔はポケットから煎餅の袋を取り出し、湿気たそれを齧りながら心の中で呟いた。

 

(期末テストの実技試験。教師対生徒のガチンコ勝負か。俺の相手は誰になるやら。貧乏くじを引くのは御免だがな)

 

 彼は知っている。

 生徒たちの成長が著しいほど、それをへし折る壁となる教師たちもまた、本気を出さざるを得なくなることを。

 特に、このクラスには爆豪と緑谷という、相容れない二つの爆弾がある。

 彼らを同時に相手にする教師がいるとすれば、それはもはや教育ではなく、災害に近い蹂躙となるだろう。

 

「解散だ。着替えて教室に戻れ。それと爆豪。お前が壊した機材の修理代、請求書は回しておくからな」

「あァ!? ふざけんなクソ教師!」

 

 爆豪の怒号を聞き流しながら、楔は演習場を後にした。

 夕日が、工場地帯のシルエットを長く伸ばしている。

 生徒たちは成長した。

 だが、その成長は、より過酷な運命を呼び寄せる引力にもなる。

 オール・フォー・ワン(先生)。ヴィラン連合。

 闇の勢力が蠢き出す気配を、楔の鋭敏な感覚は、夕暮れの風の中に微かに感じ取っていた。

 

(今のうちに、しっかり根を張っておけよ。次は、嵐どころじゃ済まないぞ)

 

 天土(あまつち)(クサビ)は、飲み干したお茶のボトルをゴミ箱に投げ入れた。

 その放物線は綺麗な弧を描き、吸い込まれるようにゴールした。

 日常という名の幕間は終わり、物語はいよいよ、巨悪との直接対決へと舵を切ろうとしていた。

 

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