雨は止む気配を見せず、住宅街エリアのアスファルトを黒く濡らし続けている。
モニターには、路地裏から出てこようとしない二つの反応。
楔は生成した対物ライフルのスコープを覗きながら、静かにカウントダウンを行っていた。
「残り時間、あと十五分。そろそろ動かないと時間切れだぞ」
彼がトリガーに指をかけた瞬間。
路地裏の角から、何かが飛び出した。
人影。
自殺行為。
楔の眉がピクリと動く。
「囮か? だが、無視する理由はない」
楔の思考と連動し、自動銃座が一斉に火を噴いた。
轟音。
数千発の弾丸が轟に殺到する。
だが、着弾の瞬間、轟の姿がボロ雑巾のように千切れ飛んだ。
血飛沫は出ない。代わりに舞ったのは、白い綿と布切れだった。
「人形か」
楔がスコープをずらすと、路地裏から次々と轟と八百万が飛び出してくるのが見えた。
十体、二十体。
精巧に作られたダミー人形が、キャスター付きの台座に乗せられ、轟の氷結スロープによって高速で射出されているのだ。
「質より量作戦か、悪くはない」
楔は冷静に銃座を制御し、ダミーを次々と粉砕していく。
だが、人形の数は減らない。八百万が路地裏で脂質を燃やし、量産し続けているからだ。
視界が人形の残骸と綿で埋め尽くされていく。
楔のセンサー(視覚と熱源探知)が、無数のデコイによって攪乱される。
「目くらましにはなる。だが、本命が紛れていればすぐに分かる」
楔は地面に手を触れた。
地中振動感知。
人形は軽いが、人間には体重がある。足音を探れば本物の位置は特定できる。
楔の感覚が大地を走る。
右の建物の裏。そこに二人の重みがある。
楔はニヤリと笑い、銃口をそちらへ向けようとした。
その時。
デコイの群れの中に紛れていた何かが、銃撃を受けて破裂した。
人形ではない。
それは八百万が作った特殊なカプセルだった。
破裂した瞬間、中からピンク色の粘着質な液体が爆発的に飛散した。
「なんだ?」
液体は銃座の可動部やセンサー、そして楔の対物ライフルに付着し、瞬時に硬化した。
工業用瞬間接着剤。しかも、速乾性と強度はコンクリート並み。
楔の銃座が軋み、旋回不能に陥る。
さらに、デコイだと思っていた人形の全てに、この接着剤カプセルが内蔵されていたのだ。楔が撃てば撃つほど、周囲に接着剤が撒き散らされ、彼の武器たちが機能不全に陥っていく。
「やるな。俺の火力を逆手に取ったか。だが」
楔は動じない。
銃が使えないなら、捨てればいい。
彼が指を鳴らす。
瞬間、接着剤で固められた三十門の銃座と対物ライフルが、一斉に砂となって崩れ落ちた。
個性解除。
物質としての形状を失えば、表面に付着した接着剤など、ただの異物として剥がれ落ちるだけだ。
「ガラクタはリサイクルだ」
楔は立ち上がり、砂の山となった足元の地面を踏みしめた。
銃撃戦が駄目なら、接近戦で迎撃するまで。
彼は崩れたばかりの砂を再構成し、手元に長大な「ハルバード(斧槍)」を生成しようとした。
轟と八百万が、煙の向こうから飛び出してくる。
間合いは十メートル。
楔の生成速度なら、二人が届く前に巨大な刃で薙ぎ払える。
はずだった。
「……あ?」
楔の手元で、砂が形を成さない。
ハルバードの柄が形成されかけた瞬間、ボロボロと脆く崩れ落ちていく。
まるで、土の粒子同士が拒絶し合っているかのように。
楔は即座に理解した。
先ほどの接着剤。あれはただ銃を固めるためのものではない。
あの液体には、土壌の化学組成を変質させる薬剤が混ぜられていたのだ。
銃座を解除して砂に戻したことで、逆にその薬剤を土壌全体に浸透させてしまった。
「先生の個性は『土』を素材にします。なら、一度解除させて土に戻すタイミングで、結合を阻害する溶剤を混ぜ込めば!」
八百万の声が響く。
彼女は楔が「固まった武器を解除して再利用する」という効率的な戦い方をすることを読んでいたのだ。
裏の裏をかいた、完全なメタ戦術。
「化学で物理をハッキングするか。正解だ、優等生!」
楔は笑った。
武器が作れないなら、素手でやるまで。
彼は崩れかけたハルバードを捨て、ハンデの重りをつけたまま疾風のように踏み込んだ。
轟の懐へ。
鳩尾に掌底を叩き込もうとする。
しかし、その瞬間、楔の視界が白一色に染まった。
閃光弾。
八百万がカタパルトで撃ち出したのは、薬剤の次はスタングレネードだった。
「ぐっ!」
楔が瞬きをした隙。
その一瞬の遅れが、決定打となった。
轟が楔の腕を掴む。
そして、ゼロ距離からの最大出力。
「膨冷熱波!」
急激な冷却と加熱による空気の膨張。
爆発的な衝撃が楔を襲う。
楔は吹き飛ばされ、後方のゲートに叩きつけられた。
防刃コートが焦げ、身体が痺れる。
だが、彼は倒れない。
薄目を開け、追撃に備える。
しかし、彼の首元には、既に冷たい金属の感触があった。
八百万が、震える手でハンドカフスを楔の手首にかけていたのだ。
轟の攻撃は、楔をゲートまで吹き飛ばし、八百万の射程圏内に入れるためのパスだった。
「確保、ですわ」
八百万が荒い息を吐きながら告げる。
試験終了のブザーが鳴り響いた。
「見事だ」
楔は抵抗をやめ、壁に寄りかかったまま息を吐いた。
完敗だ。
銃座の無力化、個性の特性を利用した封殺、そして視界奪取からの連携。
全てが計算され尽くしていた。
彼はカフスのかかった手で、ポケットから粉々になった煎餅を取り出し、八百万に差し出した。
「食うか。湿気てるが、勝利の味だぞ」
「い、いえ、結構です」
「そうか。なら、俺が貰う」
楔は煎餅を口に放り込み、轟と八百万を見比べた。
二人の顔には、疲労と共に、確かな自信が戻っていた。
特に八百万。彼女の瞳からは、体育祭以降巣食っていた迷いが消え失せている。
自分の知識と創造が、プロをも出し抜けるという実績。それが彼女の折れた心を修復したのだ。
「俺の武器生成を封じる薬剤。あれの組成式はどうやった」
「即興です。以前、先生が授業で『土壌汚染の浄化と化学反応』について話されていたのを思い出して、その逆の作用をするものを」
「俺の授業を聞いていたのが勝因か、地理も捨てたもんじゃないな。だが土壌を汚染したからな、その浄化の方法は考えていたか?」
「あ、いえ……それは」
「それが今の所の課題だな、ヒーローは後片付けのことも考えなきゃならん……ま、悪くはなかった」
楔は満足そうに頷いた。
轟もまた、自分の力だけで勝とうとせず、八百万を信じて囮に徹した。
彼らの連携は、即席にしては上出来だった。
「合格だ。二人とも、林間合宿行きの切符は確保したぞ」
「ありがとうございます!」
二人が深々と頭を下げる。
雨が上がり、雲の切れ間から夕日が差し込んでいた。
モニタールーム。
楔は自身の試験を終え、リカバリーガールに打撲の処置をしてもらった後、他の教師たちと共にモニターを眺めていた。
画面に映っているのは、最終試合。
その戦いは、試験という枠を超えた、魂のぶつかり合いだった。
協力しようとしない爆豪。それを無理やり動かそうとする緑谷。
そして、圧倒的な力で二人をねじ伏せるオールマイト。
「見ていられんな」
楔は呟いた。
爆豪のプライドが砕かれる音が聞こえるようだ。
だが、それでも彼は折れない。緑谷を囮にしてでも勝とうとする執念。そして緑谷もまた、気絶した爆豪を背負って逃げようとする狂気じみた献身。
結果は、緑谷が爆豪を抱えてゲートを通過し、かろうじてのクリア。
「あいつら、本当に劇薬だ。混ぜるな危険ってラベルを貼っておくべきだな」
楔の隣で、相澤が同意するように頷く。
「ですが、これで全員の試験が終了しました。結果として、A組の多くが実技をクリアしましたね」
「ああ。だが、これでおしまいじゃない」
楔は視線をモニターから外し、窓の外の夕暮れを見た。
林間合宿。
そこは外界から隔絶された山奥。
生徒たちを鍛える絶好の場所だが、同時に、外敵からの襲撃には脆い場所でもある。
ヴィラン連合の動きが活発化している今、学校行事を外で行うリスクは高い。
「相澤。合宿の警備計画だが、俺も一枚噛ませろ」
「珍しいですね。あなたが自分から仕事を増やすなんて」
「勘だ。俺の『土細工』が、何か嫌な振動を拾っている気がするんでな」
楔は嘘をついた。
勘ではない。確信だ。
ステインの意志を継ぐ者たちが集まり始めている。その悪意の矛先が、必ず雄英に向くことを彼は知っている。
特に、爆豪勝己という不安定な爆弾を狙って。
「特売の煎餅を買い占めておくか。山奥じゃ手に入らんからな」
期末テストという嵐は過ぎ去った。
だが、次に訪れるのは嵐ではない。
全てを焼き尽くす業火と、崩壊の予兆だった。
彼は廊下を歩きながら、無意識のうちにポケットの中の「ドッグタグ(発信機)」の在庫を確認していた。
教師としての防衛本能が、静かに警鐘を鳴らし続けていた。